左遷された筆頭家老、城下の酒蔵で再起を図る~戦国の地方都市を支配した“酒”と経済と女たち~

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 昼過ぎ、酒蔵に顔を出した庄三が、鼻の頭に土埃をつけたまま、得意げに笑っていた。

「佐竹様、屋根の件、話つけてきたぜ。三日後には職人が来るってさ。親方も“久々に蔵仕事ができる”って張り切ってた」

「見返りは?」

「んー、来年の初搾りを一升。しかも最初の一本だって言ったら、二つ返事だったよ。あいつ、酒に弱ぇ癖して、蔵の味にゃうるせぇからな」

「それでいい。ありがとう」

「へへっ、言われ慣れねぇ言葉だな。でも、悪くねぇ」

 庄三は照れくさそうに鼻をこすった。

 蔵の中は、熱気が充満していた。湯気が柱を伝い、米の甘い香りが鼻をつく。源十は黙々と櫂を振り、沙夜は帳簿とにらめっこしながら在庫の確認をしていた。

「なあ佐竹様、そろそろ“売り先”の話もしなきゃいけないんじゃないか?」

 沙夜がぴたりと手を止めてこちらを見た。

「いくら良い酒ができても、飲む人間がいなきゃ話にならない。仕込みが順調なら、次は販路の確保だよ」

「当てはあるのか?」

「……正直に言えば、半分は勘だね。でも、町の北の方に“利兵衛”って男がいる。昔から飲み屋に酒を卸してて、目利きも悪くない。商売の相手としては癖があるけど、筋は通す男さ」

「紹介は?」

「できる。ただし……」

「ただし?」

「一度、あたしのことを蹴ったんだ。“女の分際で口を出すな”ってね。それ以来、口きいてない」

「……わかった。俺が行く」

「そうなると思ったよ」

 夕刻、私は着替えを済ませ、利兵衛のもとを訪ねることにした。蔵から町の北までは、歩いて二十町ほど。商人や職人の住まう通りに入り、小さな木戸を叩くと、渋い声が応じた。

「なんだ、こんな時間に」

「佐竹貞吉だ。酒の件で話がある」

 扉の向こうで一拍の間があった。やがて重い錠が外され、中年の男が顔を出す。頬の肉が削げ、眼光が鋭い。だが、その目の奥に、妙な光があった。

「……あんたが、あの佐竹様か。こんな場末に何の用だ?」

「蔵を立て直している。試しに、味を見て欲しい」

「はっ、城追われの家老が、今度は酒屋か。……面白ぇ」

 利兵衛はそう言って口元を歪め、私を奥に通した。狭い座敷に通されると、彼は土間から片口と盃を持ち出してきた。

「これが、その“試し”の一本か?」

「まだ仕込みの途中だ。香りと旨味だけでも、判断してくれ」

 私は瓶から慎重に酒を注いだ。白濁した酒はまだ若く、荒々しさを残している。それでも、立ちのぼる香りに、確かな米の甘味があった。

 利兵衛は盃を揺らし、一息に呷った。

「……っ。へぇ。これは……」

「どうだ」

「悪くねぇ。ってか……何年ぶりだろうな、こんな芯のある味。あの鶴屋の味、思い出すよ」

「それを超える」

「言うねぇ。けどな、良い酒作りゃ売れるってもんでもねぇ。売れる酒は、飲ませ方と口上次第だ」

「なら、それも用意する」

「……はっ、根性だけはあるみてぇだな。よし、今度の町の振舞いに一本持ってこい。役人連中が集まる祭りがある」

「宣伝になるか?」

「なるさ。味さえよけりゃ、噂は回る。だが、腐ってたらそれも終わりだ。賭けるか?」

「賭けよう」

 手を差し出すと、利兵衛は笑いながら握り返した。

「面白れぇな、佐竹様。女の手代の次は家老様が蔵人か。これは町がひっくり返るかもしれねぇ」

「それが望みだ。町が変わるなら、蔵も変わる」

 蔵へ戻ると、沙夜と源十が口論していた。桶の温度のことで揉めているらしい。

「だから、火を足しすぎるなって言ってるだろ!」

「てめぇが昼間に冷やしすぎたんだろが!」

「はあ!? 何様のつもりだい!」

「杜氏様だ!」

「それを言うなら“杜氏様”なら、もっと慎重にやってくれたまえよ!」

「けっ、口だけは達者だな!」

 私はため息を吐いて、間に割って入った。

「その辺にしておけ。どちらの言い分も一理ある。だが、今必要なのは、喧嘩じゃない」

「……はっ」

「ふんっ」

 二人は渋々黙ったが、互いに睨み合っていた。

「源十。この酒は“町の振舞い”で使う。五日後だ」

「ほう、いきなり大勝負ってわけか」

「利兵衛がそう言った。味で判断してもらう」

「火が出るか、灰になるかだな」

「どちらでも構わん。ただ、逃げる気はない」

「なら、こっちもやるだけだ」

「……へぇ。ほんとに腹が決まってきたんだね、あんた」

「やると言った以上、やる」

 その夜、私は帳簿に向かいながら、火鉢の炭をくべた。蔵の中に、静かな音が響いていた。風の音、木の軋み、そして酒が発酵する微かな泡の音。それらすべてが、私の背を押していた。
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