左遷された筆頭家老、城下の酒蔵で再起を図る~戦国の地方都市を支配した“酒”と経済と女たち~

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 その翌日、朝一番で庄三が飛び込んできた。開口一番、「花屋、のった!」と叫び、帳場に駆け寄って沙夜の肩を叩いた。まだ墨を乾かしきらぬ帳簿の上で、沙夜が「ちょっと!」と手を振り払う。

「女将さん、五合瓶十本。週に一回納品で、条件付き契約。今月中に三十本超えれば正式に長期契約にするってさ」

「五合瓶十本を週一か……やるね、庄三」

「それよりも、あたしが驚いたのは“花屋”にいた別の客。呉服屋の若旦那だった。“これ、還山ですか”って聞かれたんだよ」

「名前が一人歩きし始めたか」

「そう。で、そいつが言うには、“町でこの香りの酒を出してるのは、今や花屋と川久だけ”だって。つまり、還山が“香り酒”の代名詞になりかけてるってことだ」

「……狙い通りだな」

 私はすぐに源十を呼び、蔵の奥で香り仕込みの桶を見せた。すでに発酵は進み、甘みの中にわずかに苦みが残る段階だった。舌にのせれば、喉を通った瞬間に鼻へ抜けていく。これまでのどの仕込みよりも、華やかな気配を持っていた。

「源十、これを“還山祭り”限定にする」

「へっ、もったいねぇな。いい仕上がりだぞ、これは」

「だからこそだ。“限定”にすれば、価値が生まれる」

「なるほどね。祭りで売り切る算段かい?」

「そうだ。逆に言えば、そこで売れなければ“香り路線”は見直しだ」

「ま、やるだけやってみな」

 昼過ぎには、沙夜が町中の商人たちに回覧を出す準備を始めた。“還山祭り開催の趣意書”と銘打たれたそれは、祭りの目的と、参加の意義、そして協賛の形を簡潔に記してあった。

「こういうのは、紙の匂いが大事。墨と筆で手書きすると、“本気”が伝わるんだよ」

「手間はかかるが、確かに説得力がある」

「ね? で、あたしが行くのは三件。川久、花屋、そして薬屋」

「薬屋?」

「薬屋の女将が、町の女連中をまとめてるんだよ。あそこを押さえれば、“行ってみたい”って声が一気に広がる」

「やるな……」

「でしょ」

 私は庄三に地図を描かせ、祭り当日に使う予定の通りを確認した。中心には蔵を据え、そこから放射状に協賛店の屋台を置く。酒を中心に、食べ物、雑貨、花、薬、全てを巻き込む仕掛けだ。

「これ、ほんとに町全体を動かすつもりか?」

「動かす。祭りという名の“還山の見せ場”だ」

「よっしゃ。なら、こっちは町の若い衆に声かけて、舞台も用意しとく。笛と太鼓、それに踊り子が一人でもいれば、賑わいが違う」

「頼む。夜の部にも対応できるよう、灯りの設置も考えろ」

「そこは大黒堂の連中が協力するってさ。あいつら、前の祭りで余った提灯を持ってるらしい」

「よし、手配を任せた」

 夕方には、還山祭りの骨格が出来上がっていた。あとは協賛をどれだけ集められるか。蔵の中では源十が麹の管理を続け、沙夜は一心不乱に案内状を書き、庄三は紙束を小脇に抱えて町を駆けた。

 私は木箱を並べて即席の屋台棚を作り、五合瓶の収納と陳列の調整にかかった。品物が揃っても、見せ方を誤れば価値が伝わらない。屋根のない蔵の入口を使い、祭り当日にはその場で酒を注げるよう、手元の高さを合わせる。

「棚は斜めにした方が、目につくよ」

 沙夜が背後から声をかけてきた。指差した位置を木槌で叩き、角度を微調整する。

「あと、瓶の口を向けすぎると、光が反射して読めない。“還山”の文字が見えるように、瓶の側面を正面に」

「わかった。光の当たり方も計算しておく」

「それと、注ぎ手は私がやる。“女が注ぐ”ってだけで、華やかさが増す」

「向いているな、お前はこういう場に」

「ふふ。だてに商家で育ってないからね」

 その夜、蔵の軒先で焚き火を囲んだ。源十が持ち出した焼き干しの魚を焼きながら、三人で明日の準備を確かめ合う。火の灯りが瓶に反射して、赤く光る。

「で、まつりは何日だ?」

「十日後。月が出る夜。ちょうど三日月が高く昇る」

「粋だねぇ。“還る”って意味にも重なる」

「そうだ。還山の酒は、町に還る酒だ」

「へっ、かっこつけやがって」

「でも、そういう“物語”が必要なんだよ。酒は味だけじゃなくて、“物語”で飲まれるんだ」

「語られる酒か……悪くねぇな」

 焚き火の火が静かに揺れた。風がやんで、夜が深くなっていく。静かな町に、蔵の中から漏れる酒の香りがただよい、それを吸い込んだ猫が、どこからともなく現れて石畳を横切っていった。
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