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奈落の底へと続く長い階段は、まるで世界の終わりまで続いているかのようでした。
ひんやりとした空気が、私の肌を優しく撫でていきます。
それは、ただ単に冷たいだけではありません。
魂そのものを、奥底から凍らせてしまいそうな邪悪な気配だったのです。
一歩、また一歩と慎重に階段を下りるたびに、下から吹き上げてくる瘴気の密度が濃くなっていきました。
普通の人間であれば、この空気を一度吸っただけで正気を失ってしまうでしょう。
しかし、私の体は五つの聖地から授かった力で守られていました。
淡い虹色のオーラが、私という存在を優しく包み込んでくれています。
濃密な瘴気が、私の体に触れるよりも前に浄化されていきました。
『マスター、瘴気の濃度が危険なレベルに達しています。気分は、決して悪くありませんか。』
私のすぐ隣を、音もなく下りていくナナさんが心配そうに話しかけてきました。
彼の燃えるような赤い目は、周囲の深い闇を警戒するように鋭く光っています。
「大丈夫です、ナナさん。この聖なる力がある限り、瘴気は私に影響を与えられません。」
私は、彼を安心させるために力強く答えました。
私のしっかりとした言葉に、ナナさんは少しだけ安心したように頷きます。
『流石です、マスター。ですが、決して油断は禁物です。この道の先、何が待ち受けているか分かりませんから。』
私たちは、一体どれくらいの時間を下り続けたのでしょうか。
永遠に続くのではないかと思われた階段が、ようやく終わりを告げました。
私たちの目の前に広がっていたのは、信じられないほど広大な地下空間です。
天井は暗くて見えず、ただ果てしない闇が広がっているだけでした。
地面は、不気味な紫色の水晶によって、その全てが覆われています。
その水晶の一つ一つからは、瘴気がまるで霧のように立ち上っていました。
そして、その広大な空間のあちこちに、巨大な黒い影がいくつも蠢いています。
瘴気の力によって、恐ろしい姿に変異を遂げたモンスターたちの群れでした。
その姿は、もはや元の生き物が何であったのか、想像することもできません。
いくつもの手足を持つ巨大な獣や、体中に無数の目玉が浮かび上がった軟体生物がいます。
それら全てのモンスターが、飢えた目でじっと私たちを見つめていました。
ここは、まさしく地獄の入り口と呼ぶにふさわしい場所です。
「すごい数ですね、これでは先に進むのも一苦労になりそうです。」
私がそう呟くと、ナナさんが守るように一歩前に出ました。
『マスター、ここは私とゴーレム軍団にお任せください。あなたは、この空間に満ちる瘴気の浄化に集中してください。』
ナナさんの的確な指示で、私たちの後ろからタイタン部隊とヴァルキリー部隊が姿を現します。
彼らは、今までシルフィードの船内で静かに待機していました。
この複雑な迷宮の内部では、シルフィードほどの巨体は動けません。
ここからは、私たち自身の本当の力が試されるのです。
二十体のタイタンたちが、大地を激しく揺るがしながらモンスターの群れへと突撃していきました。
その巨大なハンマーが力強く振るわれるたびに、数体のモンスターが肉塊となって吹き飛びます。
タイタンの分厚い装甲は、モンスターの牙や爪をたやすく弾き返していました。
上空では、十体のヴァルキリーたちがまるで踊るように優雅に舞っています。
その美しい翼から放たれる無数のレーザーが、まるで光の雨のように地上へと降り注ぎました。
壮絶な戦いが、再びこの地で始まりました。
しかし、ここのモンスターたちは奈落の番人たちとは根本的に違います。
彼らには知性というものがなく、ただ破壊の本能のままに襲いかかってくるだけでした。
私たちの誇るゴーレム軍団の、敵ではなかったのです。
私は、その激しい戦いを見守りながら、自分のやるべきことに意識を集中しました。
私の大切な役目は、この空間に満ち溢れる邪悪な瘴気を浄化することです。
私は、両手を静かに広げて、体中に宿る聖地の力を一気に解放しました。
「『創世』。」
私の口から、世界を新しく作り変えるスキルの名前が紡がれます。
まばゆい虹色の光が、私の体から溢れ出しました。
そして、その光は優しい波となって地下空間の隅々へと広がっていきます。
聖なる光に触れた瘴気は、まるで春の雪が溶けるようにあっさりと消えていきました。
不気味な紫色に染まっていた水晶の地面が、本来の透明な輝きを少しずつ取り戻していきます。
モンスターたちの動きも、浄化の光が進むにつれて明らかに鈍くなっていきました。
彼らの力の源である瘴気が、急速に薄れていくからです。
『素晴らしい力です、マスター。この空間の瘴気が、驚くべき速さで浄化されていきます。これなら、モンスターたちの力も半減するでしょう。』
ナナさんの、心から感心した声が聞こえました。
浄化の光は、その勢いを失うことなく、どんどん奥へと広がっていきます。
そして、この広大な空間の全てを覆い尽くした、まさにその時でした。
空間のずっと奥、一番瘴気の濃い場所から、今までとは比べ物にならないほどの巨大な気配が立ち上ったのです。
それは、怒りに満ちた、おぞましい咆哮のようでした。
ゴゴゴゴゴ、と大地がまるで地震のように激しく揺れ動きます。
硬い水晶の地面が、大きな音を立てて裂けました。
そして、その深い裂け目の中から、巨大な何かがゆっくりと姿を現し始めたのです。
それは、全身がどす黒い瘴気の塊でできた、巨大な竜の姿をしていました。
その大きさは、イグニスに匹敵するほどです。
しかし、その体からは神々しさなど微塵も感じられません。
ただ、純粋な破壊と深い絶望の気配だけを、あたりに放っていました。
その竜の背中には、まるで人間の上半身のようなものが不気味に生えています。
しかし、その顔はのっぺらぼうで、目も鼻も口もありませんでした。
それは、「侵食する虚無」という存在が、この迷宮の主である竜を取り込んで生まれた、究極の魔獣だったのです。
『あれこそが、この迷宮の核である「虚無の番人」です。』
ナナさんの声に、今までになかった緊張が走りました。
虚無の番人は、天に向かって大きく咆哮します。
その声が持つ圧力だけで、周りの空間がビリビリと震えました。
そして、そののっぺらぼうの顔が、ゆっくりとこちらを向きます。
顔の中心に、一つの巨大な赤い目が、音もなく静かに開かれました。
その邪悪な目に睨まれた瞬間、私の背筋を冷たいものが走り抜けます。
(あれは、いけない。)
私の魂が、これまでにないほど全力で警鐘を鳴らしていました。
あれは、今までのどんな敵とも次元が違います。
まともに戦って、勝てるような相手ではありません。
あれは、この世界の理そのものを破壊する、災厄の存在なのです。
『マスター、全軍に退避命令を出します。あれは、あまりにも危険すぎます。』
ナナさんも、私とまったく同じ結論に達したようでした。
しかし、私たちの判断はもう手遅れです。
虚無の番人の赤い目が、まばゆいほどの光を放ちました。
次の瞬間、私たちの目の前に、全てを無に帰す破壊の光線が迫っていたのです。
それは、シルフィードの次元シールドでさえ防ぎきれないであろう、絶対的な消滅の力でした。
私たちの長い旅も、ここまでかと思われました。
その、まさに絶体絶命の瞬間でした。
私たちの前に、一つの巨大な影が立ちはだかります。
それは、神々しい虹色に輝く、美しい竜の姿でした。
「イグニス、どうしてここにいるのですか。」
そう、私たちを助けに来てくれたのは、オリハルコンの揺り籠の守護者である、イグニスだったのです。
彼女は、その神々しい体を盾にして、破壊の光線を真っ向から受け止めました。
『管理者様、お呼びでないのに、しゃしゃり出てしまい申し訳ありません。ですが、あなた様をここで死なせるわけにはいきません。』
イグニスの体は、強力な光線を受けて激しくきしみます。
しかし、彼女は決して一歩も下がりませんでした。
そのダイヤモンドのように輝く瞳が、虚無の番人を強く睨みつけています。
「イグニス、無茶です。そんなことをすれば、あなたの体が持ちません。」
『ご心配には及びません。この程度の攻撃で、私の魂は決して砕けませんから。』
イグニスは、力強くそう言うと天に届くほどの咆哮を上げました。
そして、破壊の光線を押し返しながら、逆に虚無の番人へと勇ましく突撃していきます。
神話の時代から続いてきた、光と闇の最後の戦いが今、この場所で始まろうとしていました。
その頃、アレス様たちは、ついに大陸の中央部に広がる荒野にたどり着いていました。
彼らのこれまでの旅は、多くの困難を極めました。
しかし、不思議なことに彼らの心は晴れやかだったのです。
数々の苦難を乗り越えるたびに、彼らの間の絆はより一層深まっていきました。
「見てください、アレス様。あの大地が、少しずつ元の姿を取り戻しています。」
カインさんが、希望に満ちた声で前方を指差して言いました。
確かに、彼らが懸命に歩いてきた道には、少しずつですが緑が戻り始めています。
不気味な紫色をしていた空も、本来の澄んだ青さを取り戻しつつありました。
それは、私が奈落の底で瘴気を浄化した影響でした。
「ああ、世界はまだ終わっていないんだ。俺たちは、まだきっと間に合うのかもしれない。」
アレス様は、その光景を目の当たりにして、目にうっすらと涙を浮かべます。
そして、荒野の向こう側、巨大な大穴から放たれるかすかな虹色の光をじっと見つめました。
その光こそが、自分たちを導いてくれているのだと、彼は強く信じていました。
「行こう、俺たちの希望の光が待つ元へ。」
四人は、再び力強く前へと歩き始めます。
彼らの長い旅の終わりも、もうすぐそこまで近づいていました。
世界の運命が、全ての登場人物を一つの場所へと集めようとしています。
世界の存亡を賭けた、最後の舞台へとゆっくりと導いていたのです。
イグニスと虚무の番人の戦いは、凄まじいものでした。
聖なる光と邪悪な闇が、激しくぶつかり合います。
その戦いの衝撃波だけで、周りの地形が大きく変わってしまうほどです。
勇敢なタイタンたちも、空を舞うヴァルキリーたちも、その戦いに割って入ることすらできません。
それは、まさしく神々の領域で行われる戦いでした。
イグニスの体からは、オリハルコンとヒヒイロカネの神々しい輝きが絶えず放たれています。
その鋭い爪は、虚無の番人の瘴気の体を何度も切り裂きました。
しかし、虚無の番人の体は、傷つけられてもすぐに再生してしまいます。
瘴気の塊である彼に、物理的な攻撃はあまり意味がないようでした。
逆に、虚無の番人が口から放つ瘴気のブレスは、イグニスの神々しい体を少しずつ蝕んでいきました。
そのダイヤモンドのように美しかった鱗が、ところどころ黒く変色していきます。
「イグニス、いけません。このままでは、あなたの体が。」
私は、たまらずに叫びました。
イグニスは、私を守るためにたった一人で戦ってくれているのです。
私が、今度は彼女を助けなければいけません。
『マスター、私に一つ考えがあります。』
ナナさんが、私の隣で静かにそう言いました。
彼の赤い目は、二体の神々の戦いを冷静に分析しています。
そして、勝利へと至る唯一の道筋をすでに見つけ出したようでした。
「ナナさん、どうすればいいのですか。」
『虚無の番人の核は、あの巨大な赤い目です。あれさえ破壊すれば、再生能力を止められるはずです。しかし、あれは非常に強力な結界で守られています。私の攻撃でも、簡単には破壊できません。』
「結界、ですか。」
『はい。ですが、あの邪悪な結界を一時的に無効化する方法が、一つだけあります。』
ナナさんは、そう言うと私の目をじっと見つめました。
『マスターの「創世」の力です。あの力で、虚無の番人の結界とは正反対の性質を持つ、聖なる結界を生み出すのです。二つの相反する力がぶつかり合えば、ほんの一瞬だけ、全ての防御が無効になる空間が生まれるはずです。』
それは、あまりにも危険な大きな賭けでした。
しかし、私たちには他に方法はありません。
「分かりました、やってみましょう。イグニスに、合図を送ってください。私が結界を破る、その一瞬を狙って核を破壊するように、と伝えてください。」
『了解しました、マスター。イグニスの意識に、直接あなたの言葉を伝えます。』
ナナさんが、精神を集中させてイグニスと意識を繋ぎました。
イグニスは、大きく一度頷くと、最後の力を振り絞るように咆哮します。
そして、虚無の番人に全力で組み付いていきました。
その動きを、完全に封じ込めるためです。
私は、両手を天に向かって高く掲げました。
そして、体中の全ての聖地の力を、一つの形へと集束させていきます。
生命、太陽、風、月、そして奈落。
五つの偉大な力が、私の周りで激しく渦を巻きました。
「『創世・聖域結界』。」
私の手から放たれたまばゆい虹色の光が、虚無の番人がいる空間全体を優しく包み込みます。
紫色の邪悪な結界と、虹色の聖なる結界が激しくぶつかり合いました。
空間そのものが、悲鳴を上げてきしみます。
そして、世界から全ての音が消えました。
全ての防御が消え去る、永遠のようにも思える一瞬が訪れたのです。
その一瞬を、イグニスは見逃しませんでした。
彼女は、最後の力を振り絞ってその大きな口を限界まで開きます。
そして、その口から放たれたのは、オリハルコンとヒヒイロカネの全てを凝縮した、究極の破壊光線でした。
それは、まさしく神々が振るう裁きの槌です。
虹色に美しく輝くその光は、虚無の番人の赤い目を、寸分の狂いもなく正確に貫きました。
ひんやりとした空気が、私の肌を優しく撫でていきます。
それは、ただ単に冷たいだけではありません。
魂そのものを、奥底から凍らせてしまいそうな邪悪な気配だったのです。
一歩、また一歩と慎重に階段を下りるたびに、下から吹き上げてくる瘴気の密度が濃くなっていきました。
普通の人間であれば、この空気を一度吸っただけで正気を失ってしまうでしょう。
しかし、私の体は五つの聖地から授かった力で守られていました。
淡い虹色のオーラが、私という存在を優しく包み込んでくれています。
濃密な瘴気が、私の体に触れるよりも前に浄化されていきました。
『マスター、瘴気の濃度が危険なレベルに達しています。気分は、決して悪くありませんか。』
私のすぐ隣を、音もなく下りていくナナさんが心配そうに話しかけてきました。
彼の燃えるような赤い目は、周囲の深い闇を警戒するように鋭く光っています。
「大丈夫です、ナナさん。この聖なる力がある限り、瘴気は私に影響を与えられません。」
私は、彼を安心させるために力強く答えました。
私のしっかりとした言葉に、ナナさんは少しだけ安心したように頷きます。
『流石です、マスター。ですが、決して油断は禁物です。この道の先、何が待ち受けているか分かりませんから。』
私たちは、一体どれくらいの時間を下り続けたのでしょうか。
永遠に続くのではないかと思われた階段が、ようやく終わりを告げました。
私たちの目の前に広がっていたのは、信じられないほど広大な地下空間です。
天井は暗くて見えず、ただ果てしない闇が広がっているだけでした。
地面は、不気味な紫色の水晶によって、その全てが覆われています。
その水晶の一つ一つからは、瘴気がまるで霧のように立ち上っていました。
そして、その広大な空間のあちこちに、巨大な黒い影がいくつも蠢いています。
瘴気の力によって、恐ろしい姿に変異を遂げたモンスターたちの群れでした。
その姿は、もはや元の生き物が何であったのか、想像することもできません。
いくつもの手足を持つ巨大な獣や、体中に無数の目玉が浮かび上がった軟体生物がいます。
それら全てのモンスターが、飢えた目でじっと私たちを見つめていました。
ここは、まさしく地獄の入り口と呼ぶにふさわしい場所です。
「すごい数ですね、これでは先に進むのも一苦労になりそうです。」
私がそう呟くと、ナナさんが守るように一歩前に出ました。
『マスター、ここは私とゴーレム軍団にお任せください。あなたは、この空間に満ちる瘴気の浄化に集中してください。』
ナナさんの的確な指示で、私たちの後ろからタイタン部隊とヴァルキリー部隊が姿を現します。
彼らは、今までシルフィードの船内で静かに待機していました。
この複雑な迷宮の内部では、シルフィードほどの巨体は動けません。
ここからは、私たち自身の本当の力が試されるのです。
二十体のタイタンたちが、大地を激しく揺るがしながらモンスターの群れへと突撃していきました。
その巨大なハンマーが力強く振るわれるたびに、数体のモンスターが肉塊となって吹き飛びます。
タイタンの分厚い装甲は、モンスターの牙や爪をたやすく弾き返していました。
上空では、十体のヴァルキリーたちがまるで踊るように優雅に舞っています。
その美しい翼から放たれる無数のレーザーが、まるで光の雨のように地上へと降り注ぎました。
壮絶な戦いが、再びこの地で始まりました。
しかし、ここのモンスターたちは奈落の番人たちとは根本的に違います。
彼らには知性というものがなく、ただ破壊の本能のままに襲いかかってくるだけでした。
私たちの誇るゴーレム軍団の、敵ではなかったのです。
私は、その激しい戦いを見守りながら、自分のやるべきことに意識を集中しました。
私の大切な役目は、この空間に満ち溢れる邪悪な瘴気を浄化することです。
私は、両手を静かに広げて、体中に宿る聖地の力を一気に解放しました。
「『創世』。」
私の口から、世界を新しく作り変えるスキルの名前が紡がれます。
まばゆい虹色の光が、私の体から溢れ出しました。
そして、その光は優しい波となって地下空間の隅々へと広がっていきます。
聖なる光に触れた瘴気は、まるで春の雪が溶けるようにあっさりと消えていきました。
不気味な紫色に染まっていた水晶の地面が、本来の透明な輝きを少しずつ取り戻していきます。
モンスターたちの動きも、浄化の光が進むにつれて明らかに鈍くなっていきました。
彼らの力の源である瘴気が、急速に薄れていくからです。
『素晴らしい力です、マスター。この空間の瘴気が、驚くべき速さで浄化されていきます。これなら、モンスターたちの力も半減するでしょう。』
ナナさんの、心から感心した声が聞こえました。
浄化の光は、その勢いを失うことなく、どんどん奥へと広がっていきます。
そして、この広大な空間の全てを覆い尽くした、まさにその時でした。
空間のずっと奥、一番瘴気の濃い場所から、今までとは比べ物にならないほどの巨大な気配が立ち上ったのです。
それは、怒りに満ちた、おぞましい咆哮のようでした。
ゴゴゴゴゴ、と大地がまるで地震のように激しく揺れ動きます。
硬い水晶の地面が、大きな音を立てて裂けました。
そして、その深い裂け目の中から、巨大な何かがゆっくりと姿を現し始めたのです。
それは、全身がどす黒い瘴気の塊でできた、巨大な竜の姿をしていました。
その大きさは、イグニスに匹敵するほどです。
しかし、その体からは神々しさなど微塵も感じられません。
ただ、純粋な破壊と深い絶望の気配だけを、あたりに放っていました。
その竜の背中には、まるで人間の上半身のようなものが不気味に生えています。
しかし、その顔はのっぺらぼうで、目も鼻も口もありませんでした。
それは、「侵食する虚無」という存在が、この迷宮の主である竜を取り込んで生まれた、究極の魔獣だったのです。
『あれこそが、この迷宮の核である「虚無の番人」です。』
ナナさんの声に、今までになかった緊張が走りました。
虚無の番人は、天に向かって大きく咆哮します。
その声が持つ圧力だけで、周りの空間がビリビリと震えました。
そして、そののっぺらぼうの顔が、ゆっくりとこちらを向きます。
顔の中心に、一つの巨大な赤い目が、音もなく静かに開かれました。
その邪悪な目に睨まれた瞬間、私の背筋を冷たいものが走り抜けます。
(あれは、いけない。)
私の魂が、これまでにないほど全力で警鐘を鳴らしていました。
あれは、今までのどんな敵とも次元が違います。
まともに戦って、勝てるような相手ではありません。
あれは、この世界の理そのものを破壊する、災厄の存在なのです。
『マスター、全軍に退避命令を出します。あれは、あまりにも危険すぎます。』
ナナさんも、私とまったく同じ結論に達したようでした。
しかし、私たちの判断はもう手遅れです。
虚無の番人の赤い目が、まばゆいほどの光を放ちました。
次の瞬間、私たちの目の前に、全てを無に帰す破壊の光線が迫っていたのです。
それは、シルフィードの次元シールドでさえ防ぎきれないであろう、絶対的な消滅の力でした。
私たちの長い旅も、ここまでかと思われました。
その、まさに絶体絶命の瞬間でした。
私たちの前に、一つの巨大な影が立ちはだかります。
それは、神々しい虹色に輝く、美しい竜の姿でした。
「イグニス、どうしてここにいるのですか。」
そう、私たちを助けに来てくれたのは、オリハルコンの揺り籠の守護者である、イグニスだったのです。
彼女は、その神々しい体を盾にして、破壊の光線を真っ向から受け止めました。
『管理者様、お呼びでないのに、しゃしゃり出てしまい申し訳ありません。ですが、あなた様をここで死なせるわけにはいきません。』
イグニスの体は、強力な光線を受けて激しくきしみます。
しかし、彼女は決して一歩も下がりませんでした。
そのダイヤモンドのように輝く瞳が、虚無の番人を強く睨みつけています。
「イグニス、無茶です。そんなことをすれば、あなたの体が持ちません。」
『ご心配には及びません。この程度の攻撃で、私の魂は決して砕けませんから。』
イグニスは、力強くそう言うと天に届くほどの咆哮を上げました。
そして、破壊の光線を押し返しながら、逆に虚無の番人へと勇ましく突撃していきます。
神話の時代から続いてきた、光と闇の最後の戦いが今、この場所で始まろうとしていました。
その頃、アレス様たちは、ついに大陸の中央部に広がる荒野にたどり着いていました。
彼らのこれまでの旅は、多くの困難を極めました。
しかし、不思議なことに彼らの心は晴れやかだったのです。
数々の苦難を乗り越えるたびに、彼らの間の絆はより一層深まっていきました。
「見てください、アレス様。あの大地が、少しずつ元の姿を取り戻しています。」
カインさんが、希望に満ちた声で前方を指差して言いました。
確かに、彼らが懸命に歩いてきた道には、少しずつですが緑が戻り始めています。
不気味な紫色をしていた空も、本来の澄んだ青さを取り戻しつつありました。
それは、私が奈落の底で瘴気を浄化した影響でした。
「ああ、世界はまだ終わっていないんだ。俺たちは、まだきっと間に合うのかもしれない。」
アレス様は、その光景を目の当たりにして、目にうっすらと涙を浮かべます。
そして、荒野の向こう側、巨大な大穴から放たれるかすかな虹色の光をじっと見つめました。
その光こそが、自分たちを導いてくれているのだと、彼は強く信じていました。
「行こう、俺たちの希望の光が待つ元へ。」
四人は、再び力強く前へと歩き始めます。
彼らの長い旅の終わりも、もうすぐそこまで近づいていました。
世界の運命が、全ての登場人物を一つの場所へと集めようとしています。
世界の存亡を賭けた、最後の舞台へとゆっくりと導いていたのです。
イグニスと虚무の番人の戦いは、凄まじいものでした。
聖なる光と邪悪な闇が、激しくぶつかり合います。
その戦いの衝撃波だけで、周りの地形が大きく変わってしまうほどです。
勇敢なタイタンたちも、空を舞うヴァルキリーたちも、その戦いに割って入ることすらできません。
それは、まさしく神々の領域で行われる戦いでした。
イグニスの体からは、オリハルコンとヒヒイロカネの神々しい輝きが絶えず放たれています。
その鋭い爪は、虚無の番人の瘴気の体を何度も切り裂きました。
しかし、虚無の番人の体は、傷つけられてもすぐに再生してしまいます。
瘴気の塊である彼に、物理的な攻撃はあまり意味がないようでした。
逆に、虚無の番人が口から放つ瘴気のブレスは、イグニスの神々しい体を少しずつ蝕んでいきました。
そのダイヤモンドのように美しかった鱗が、ところどころ黒く変色していきます。
「イグニス、いけません。このままでは、あなたの体が。」
私は、たまらずに叫びました。
イグニスは、私を守るためにたった一人で戦ってくれているのです。
私が、今度は彼女を助けなければいけません。
『マスター、私に一つ考えがあります。』
ナナさんが、私の隣で静かにそう言いました。
彼の赤い目は、二体の神々の戦いを冷静に分析しています。
そして、勝利へと至る唯一の道筋をすでに見つけ出したようでした。
「ナナさん、どうすればいいのですか。」
『虚無の番人の核は、あの巨大な赤い目です。あれさえ破壊すれば、再生能力を止められるはずです。しかし、あれは非常に強力な結界で守られています。私の攻撃でも、簡単には破壊できません。』
「結界、ですか。」
『はい。ですが、あの邪悪な結界を一時的に無効化する方法が、一つだけあります。』
ナナさんは、そう言うと私の目をじっと見つめました。
『マスターの「創世」の力です。あの力で、虚無の番人の結界とは正反対の性質を持つ、聖なる結界を生み出すのです。二つの相反する力がぶつかり合えば、ほんの一瞬だけ、全ての防御が無効になる空間が生まれるはずです。』
それは、あまりにも危険な大きな賭けでした。
しかし、私たちには他に方法はありません。
「分かりました、やってみましょう。イグニスに、合図を送ってください。私が結界を破る、その一瞬を狙って核を破壊するように、と伝えてください。」
『了解しました、マスター。イグニスの意識に、直接あなたの言葉を伝えます。』
ナナさんが、精神を集中させてイグニスと意識を繋ぎました。
イグニスは、大きく一度頷くと、最後の力を振り絞るように咆哮します。
そして、虚無の番人に全力で組み付いていきました。
その動きを、完全に封じ込めるためです。
私は、両手を天に向かって高く掲げました。
そして、体中の全ての聖地の力を、一つの形へと集束させていきます。
生命、太陽、風、月、そして奈落。
五つの偉大な力が、私の周りで激しく渦を巻きました。
「『創世・聖域結界』。」
私の手から放たれたまばゆい虹色の光が、虚無の番人がいる空間全体を優しく包み込みます。
紫色の邪悪な結界と、虹色の聖なる結界が激しくぶつかり合いました。
空間そのものが、悲鳴を上げてきしみます。
そして、世界から全ての音が消えました。
全ての防御が消え去る、永遠のようにも思える一瞬が訪れたのです。
その一瞬を、イグニスは見逃しませんでした。
彼女は、最後の力を振り絞ってその大きな口を限界まで開きます。
そして、その口から放たれたのは、オリハルコンとヒヒイロカネの全てを凝縮した、究極の破壊光線でした。
それは、まさしく神々が振るう裁きの槌です。
虹色に美しく輝くその光は、虚無の番人の赤い目を、寸分の狂いもなく正確に貫きました。
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その夜、彼は「カミサマ」を名乗る少女と出会い、自分のレベルが上がらないのはカミサマの所為だったと知る。
カミサマは、自身の不手際のお詫びとしてイチカに最強のスキルを与え、これからは好きに生きるようにと助言した。
キリスたちは力を得たイチカに仲間に戻ってほしいと懇願する。だが、自分の気持ちに従うと決めたイチカは彼らを見捨てて歩き出した。
最強のスキルを手に入れたイチカ・シリルの新しい冒険者人生が、今幕を開ける。
俺を凡の生産職だからと追放したS級パーティ、魔王が滅んで需要激減したけど大丈夫そ?〜誰でもダンジョン時代にクラフトスキルがバカ売れしてます~
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その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
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【あらすじ】
カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。
聖女の名前はアメリア・フィンドラル。
国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。
「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」
そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。
婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。
ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。
そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。
これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。
やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。
〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。
一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。
普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。
だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。
カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。
些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。
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