陽だまりの魔法パン工房 ~もふもふ狼さんと焼きたての幸せ~

☆ほしい

文字の大きさ
16 / 37

16

しおりを挟む
カフェの改装作業は、町のちょっとしたお祭りのようになっていた。ボルギンさんの力強い指示と、エララさんの華やかなアイデアが飛び交う中、たくさんの町の人たちが入れ替わり立ち替わり手伝いに来てくれる。私の役目は、そんなみんなのために、たくさんのパンと温かい飲み物を用意することだった。

工房と改装現場を行き来する忙しい毎日の中で、いつも黙々と私を支えてくれたのがルゥフさんだった。彼は言葉こそ少ないけれど、私が何を必要としているのかを誰よりも早く察してくれる。

「ユイ、そこの木材は重い。俺が運ぶ」

私が少しでも重そうなものを持ち上げようとすると、いつの間にか後ろにいて、ひょいと軽々とそれを運んでくれる。ボルギンさんが高い場所で作業している時には、下でしっかりと梯子を支え、エララさんが繊細な飾り付けをする時には、彼女が足場にしやすいように大きな石を黙って運んでくる。

彼の行動には、一切の見返りを求めない、静かで深い優しさがあった。休憩時間になると、私はいつも彼の分だけ少し大きめに焼いたパンと、彼が好きだとわかった少し苦めのハーブティーを差し入れた。

「ルゥフさん、どうぞ。疲れたでしょう」

「……ああ」

彼はそれだけ言うと、大きな体で器用にパンを口に運び、静かに味わう。汗をかいた後、木陰でパンを食べる彼の横顔を眺めていると、私の胸はいつも温かいもので満たされた。

この人は、いつもこうして誰かのために、自分の力を静かに使ってきたのだろう。森を守る時も、きっとそうだったに違いない。私は彼のことを、初めて会った頃よりずっと身近に感じていた。けれど、彼の心の中には、まだ私が知らない、静かで深い森が広がっているような気もしていた。彼のことを、もっと深く知りたい。その思いは、日に日に強くなっていった。

カフェの骨組みがほぼ完成し、内装の仕上げに取り掛かっていた、ある晴れた日のことだった。町の入り口が、少しだけざわついているのに気がついた。市場へ向かう人たちが、何かを遠巻きに眺め、ひそひそと話している。

「なんだろう?」

私が作業の手を止めてそちらに目を向けると、一人の見慣れない人物が、町の広場に向かってゆっくりと歩いてくるところだった。

その人物を見た瞬間、私は息を飲んだ。私よりもずっと背が高く、がっしりとした体つき。そして何より、陽の光を浴びてきらきらと輝く、ルゥフさんと同じ美しい銀色の毛並みを持っていた。狼の獣人だった。

けれど、ルゥフさんの持つどこか朴訥とした雰囲気とは違い、その人物からは、まるで王族のような、近寄りがたいほどの威厳が放たれていた。歩き方一つ、視線の動かし方一つにも、無駄がなく、自信に満ち溢れている。ルゥフさんよりも少し年上だろうか。顔立ちもよく似ているけれど、その金色の瞳は、ルゥフさんのものよりずっと鋭く、すべてを見通すかのような力を持っていた。

ちょうどその時、木材を運んでいたルゥフさんが、その人物の姿に気づいてぴたりと足を止めた。彼の体が、明らかに強張るのがわかった。その金色の瞳が、驚きと、そして何か複雑な感情で揺れている。

「……兄さん」

ルゥフさんの口から、か細い声が漏れた。

兄、という言葉に、私はさらに驚いた。銀色の狼獣人は、まっすぐにルゥフさんの方へ歩み寄ると、彼の目の前で足を止めた。二人の間に、緊張した空気が流れる。

「ルゥフ。……息災であったか」

兄と名乗った獣人の声は、ルゥフさんの声よりも少し高く、けれどよく通る、落ち着いた声だった。

「……なぜ、ここに」

「お前を、連れ戻しに来た」

その言葉は、命令というよりは、静かな事実を告げるような響きを持っていた。彼はルゥフさんから私、そして改装中のカフェへと視線を移すと、少しだけ眉をひそめた。

「このような場所で、人間たちに交じって、大工仕事まがいのことをしているとはな。お前ほどの力を持つ者が、安穏と暮らしている場合ではない。一族が、お前の帰りを待っている」

「俺は……帰らない」

ルゥフさんの返事は、短く、そして断固としたものだった。兄の鋭い視線が、再びルゥフさんに注がれる。

「それが、お前の答えか。……少し、話を聞かせてもらおうか。お前のことだ。このパン屋の娘に、何か思うところがあるのだろう」

彼の視線が、私に向けられた。その瞳に見つめられると、まるで心の奥まで見透かされそうで、私は少しだけ身がすくむのを感じた。

その夜、店の営業と改装作業が終わり、静けさが戻った工房で、私たちは改めて向き合うことになった。ルゥフさんの兄は、ガルフさんと名乗った。

私は、彼と、そしてルゥフさんのために、温かいスープと焼きたてのパンを用意した。ガルフさんは、私が差し出したパンを静かに手に取ると、まずその香りを確かめ、そしてゆっくりと一口味わった。

「……なるほどな」

彼は、何かを深く納得したように頷いた。

「このパンには、お前の力が込められているのだな、ユイ殿。ただ腹を満たすための食い物ではない。人の心を温め、癒やす力がある。ルゥフが、ここに留まる理由の一端が、わかった気がする」

彼の言葉に、私は少しだけほっとした。彼は、ただ高圧的にルゥフさんを連れ戻しに来たわけではないのかもしれない。

「ですが、ユイ殿」

ガルフさんは、まっすぐに私を見つめた。

「ルゥフは、このような小さな町で、パン屋の手伝いをして一生を終えるべき男ではありません。彼には、我々銀狼族の次代の長となるべき、強大な力が宿っているのです。その力を、一族のために使ってこそ、彼の本当の幸せがあると、私は信じています」

「兄さん……」

ルゥフさんが、何かを言おうとして口を開きかけたが、ガルフさんはそれを手で制した。

「ユイ殿。あなたは、ルゥフがなぜ、故郷の群れを離れ、たった一人でこの森にいたのか、ご存知かな?」

「……いえ」

私は静かに首を横に振った。それは、私がずっと知りたいと思っていたことでもあった。

ガルフさんは、遠い目をして、静かに語り始めた。

「我々銀狼族は、獣人の中でも特に強い力を持って生まれます。その中でも、ルゥフの力は、突出していました。あまりにも、強すぎたのです。そして、その力に比例するように、彼の心は、誰よりも優しく、繊細だった」

彼の声には、弟を思う深い愛情がこもっていた。

「まだ若かった頃、ルゥフは、自分の力をうまく制御することができませんでした。彼は、誰よりも強くなりたいと願う一方で、その強すぎる力が、誰かを傷つけてしまうことを、心の底から恐れていたのです」

その話は、以前ルゥフさん自身が、森を傷つけてしまったと話してくれた時のことを思い出させた。

「ある年、一族の若者たちの力を試す、大切な儀式がありました。実戦形式の組み手で、互いの力を認め合う、古くからの習わしです。ルゥフの相手は、彼を慕う、まだ幼い弟分でした」

ガルフさんの表情が、少しだけ曇った。

「ルゥフは、もちろん手加減をしていました。相手を傷つけないように、細心の注意を払って。しかし、組み合いの最中、相手が足を滑らせて体勢を崩したのです。その瞬間、ルゥフは相手を庇おうと、咄嗟に力を解放してしまいました。彼の意図は、相手を突き放し、安全な場所へ押しやることだけだった。しかし、彼の制御しきれない力は、思った以上の勢いで弟分を吹き飛ばしてしまったのです」

「……!」

「幸い、弟分に大きな怪我はありませんでした。しかし、彼はルゥフの力の強大さを目の当たりにして、恐怖に顔を引きつらせてしまった。そして、周りにいた者たちも皆、ルゥフの力の異質さに、息を飲んだのです。誰一人、彼を責める者はいませんでした。皆、あれが事故だったことはわかっていた。だが……」

ガルフさんは、言葉を切った。

「ルゥフは、自分自身を許すことができなかったのです。自分が慕ってくれる者を、自分の力で恐怖させてしまった。大切な仲間たちの輪を、自分の力で凍りつかせてしまった。その事実が、彼の優しい心を深く傷つけました」

なんと悲しい出来事だろう。彼は、誰かを傷つけたかったわけじゃない。むしろ、守ろうとした結果だったのに。

「その日以来、ルゥフは、人と組み合うことをやめました。そして、『自分の力が、いつか本当に誰かを傷つけてしまう前に』と、たった一人で群れを出て、この森で暮らすようになったのです。森の番人として、その力を誰にも向けず、ただ森を守ることだけが、彼の償いであり、自分にできる唯一のことだと信じて」

ガルフさんの話を聞き終えて、私はようやく、ルゥフさんの心の奥にあった、深い孤独と悲しみの理由を知った。彼がいつもどこか寂しそうな目をしていたのは、そのせいだったのだ。彼は、自分の強すぎる力を、そして優しすぎる心を、ずっと一人で持て余し、その重さに耐えてきたのだ。

私は、隣に座るルゥフさんの顔を、そっと見上げた。彼は、俯いて、自分の大きな拳を、ただじっと見つめている。その背中が、今にも泣き出しそうなくらい、小さく見えた。

「ですが、ルゥフ。お前はもう、一人ではないはずだ」

ガルフさんが、静かに言った。

「この町には、お前の力を恐れるのではなく、必要とし、感謝してくれる者たちがいる。そして、お前の心の隣に、静かに寄り添ってくれる者もいる。……違うか?」

ガルフさんの視線が、再び私に向けられる。

私は、何も言わずに立ち上がると、温め直したスープを、ルゥフさんの前にそっと置いた。そして、彼の大きな手に、自分の手をそっと重ねた。彼の指先が、びくりと震えるのがわかった。

「ルゥフさん。あなたは、一人じゃありません」

私の声は、震えていなかっただろうか。

「あなたの力は、誰も傷つけるためのものじゃありません。私や、この町のみんなを、何度も助けてくれました。あなたのその手は、いつも温かいです。私は、その手を知っています」

ルゥフさんが、ゆっくりと顔を上げた。彼の金色の瞳が、潤んでいるように見えた。

「だから、もう自分を責めないでください。あなたの居場所は、ここにあります。私が、あなたの隣にいます。あなたの心の拠り所に、なりたいんです」

それは、私の心からの、偽りのない気持ちだった。彼の孤独も、痛みも、すべて私が受け止めたい。彼の隣で、彼が心から笑える日を、一緒に作りたい。

私の言葉に、ガルフさんは何も言わず、ただ静かに目を伏せた。そして、ルゥフさんは、重ねられた私の手を、壊れ物を扱うかのように、そっと握り返してくれた。その温かさに、私の目にも涙が滲んだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【第2部開始】ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜

月森かれん
ファンタジー
 中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。 戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。 暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。  疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。 なんと、ぬいぐるみが喋っていた。 しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。     天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。  ※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない

金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ! 小説家になろうにも書いてます。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

天才魔導医の弟子~転生ナースの戦場カルテ~

けろ
ファンタジー
【完結済み】 仕事に生きたベテランナース、異世界で10歳の少女に!? 過労で倒れた先に待っていたのは、魔法と剣、そして規格外の医療が交差する世界だった――。 救急救命の現場で十数年。ベテラン看護師の天木弓束(あまき ゆづか)は、人手不足と激務に心身をすり減らす毎日を送っていた。仕事に全てを捧げるあまり、プライベートは二の次。周囲からの期待もプレッシャーに感じながら、それでも人の命を救うことだけを使命としていた。 しかし、ある日、謎の少女を救えなかったショックで意識を失い、目覚めた場所は……中世ヨーロッパのような異世界の路地裏!? しかも、姿は10歳の少女に若返っていた。 記憶も曖昧なまま、絶望の淵に立たされた弓束。しかし、彼女が唯一失っていなかったもの――それは、現代日本で培った高度な医療知識と技術だった。 偶然出会った獣人冒険者の重度の骨折を、その知識で的確に応急処置したことで、弓束の運命は大きく動き出す。 彼女の異質な才能を見抜いたのは、誰もがその実力を認めながらも距離を置く、孤高の天才魔導医ギルベルトだった。 「お前、弟子になれ。俺の研究の、良い材料になりそうだ」 強引な天才に拾われた弓束は、魔法が存在するこの世界の「医療」が、自分の知るものとは全く違うことに驚愕する。 「菌?感染症?何の話だ?」 滅菌の概念すらない遅れた世界で、弓束の現代知識はまさにチート級! しかし、そんな彼女の常識をさらに覆すのが、師ギルベルトの存在だった。彼が操る、生命の根幹『魔力回路』に干渉する神業のような治療魔法。その理論は、弓束が知る医学の歴史を遥かに超越していた。 規格外の弟子と、人外の師匠。 二人の出会いは、やがて異世界の医療を根底から覆し、多くの命を救う奇跡の始まりとなる。 これは、神のいない手術室で命と向き合い続けた一人の看護師が、新たな世界で自らの知識と魔法を武器に、再び「救う」ことの意味を見つけていく物語。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

Sランク冒険者の受付嬢

おすし
ファンタジー
王都の中心街にある冒険者ギルド《ラウト・ハーヴ》は、王国最大のギルドで登録冒険者数も依頼数もNo.1と実績のあるギルドだ。 だがそんなギルドには1つの噂があった。それは、『あのギルドにはとてつもなく強い受付嬢』がいる、と。 そんな噂を耳にしてギルドに行けば、受付には1人の綺麗な銀髪をもつ受付嬢がいてー。 「こんにちは、ご用件は何でしょうか?」 その受付嬢は、今日もギルドで静かに仕事をこなしているようです。 これは、最強冒険者でもあるギルドの受付嬢の物語。 ※ほのぼので、日常:バトル=2:1くらいにするつもりです。 ※前のやつの改訂版です ※一章あたり約10話です。文字数は1話につき1500〜2500くらい。

アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身

にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。  姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。

処理中です...