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カフェの改装作業は、町のちょっとしたお祭りのようになっていた。ボルギンさんの力強い指示と、エララさんの華やかなアイデアが飛び交う中、たくさんの町の人たちが入れ替わり立ち替わり手伝いに来てくれる。私の役目は、そんなみんなのために、たくさんのパンと温かい飲み物を用意することだった。
工房と改装現場を行き来する忙しい毎日の中で、いつも黙々と私を支えてくれたのがルゥフさんだった。彼は言葉こそ少ないけれど、私が何を必要としているのかを誰よりも早く察してくれる。
「ユイ、そこの木材は重い。俺が運ぶ」
私が少しでも重そうなものを持ち上げようとすると、いつの間にか後ろにいて、ひょいと軽々とそれを運んでくれる。ボルギンさんが高い場所で作業している時には、下でしっかりと梯子を支え、エララさんが繊細な飾り付けをする時には、彼女が足場にしやすいように大きな石を黙って運んでくる。
彼の行動には、一切の見返りを求めない、静かで深い優しさがあった。休憩時間になると、私はいつも彼の分だけ少し大きめに焼いたパンと、彼が好きだとわかった少し苦めのハーブティーを差し入れた。
「ルゥフさん、どうぞ。疲れたでしょう」
「……ああ」
彼はそれだけ言うと、大きな体で器用にパンを口に運び、静かに味わう。汗をかいた後、木陰でパンを食べる彼の横顔を眺めていると、私の胸はいつも温かいもので満たされた。
この人は、いつもこうして誰かのために、自分の力を静かに使ってきたのだろう。森を守る時も、きっとそうだったに違いない。私は彼のことを、初めて会った頃よりずっと身近に感じていた。けれど、彼の心の中には、まだ私が知らない、静かで深い森が広がっているような気もしていた。彼のことを、もっと深く知りたい。その思いは、日に日に強くなっていった。
カフェの骨組みがほぼ完成し、内装の仕上げに取り掛かっていた、ある晴れた日のことだった。町の入り口が、少しだけざわついているのに気がついた。市場へ向かう人たちが、何かを遠巻きに眺め、ひそひそと話している。
「なんだろう?」
私が作業の手を止めてそちらに目を向けると、一人の見慣れない人物が、町の広場に向かってゆっくりと歩いてくるところだった。
その人物を見た瞬間、私は息を飲んだ。私よりもずっと背が高く、がっしりとした体つき。そして何より、陽の光を浴びてきらきらと輝く、ルゥフさんと同じ美しい銀色の毛並みを持っていた。狼の獣人だった。
けれど、ルゥフさんの持つどこか朴訥とした雰囲気とは違い、その人物からは、まるで王族のような、近寄りがたいほどの威厳が放たれていた。歩き方一つ、視線の動かし方一つにも、無駄がなく、自信に満ち溢れている。ルゥフさんよりも少し年上だろうか。顔立ちもよく似ているけれど、その金色の瞳は、ルゥフさんのものよりずっと鋭く、すべてを見通すかのような力を持っていた。
ちょうどその時、木材を運んでいたルゥフさんが、その人物の姿に気づいてぴたりと足を止めた。彼の体が、明らかに強張るのがわかった。その金色の瞳が、驚きと、そして何か複雑な感情で揺れている。
「……兄さん」
ルゥフさんの口から、か細い声が漏れた。
兄、という言葉に、私はさらに驚いた。銀色の狼獣人は、まっすぐにルゥフさんの方へ歩み寄ると、彼の目の前で足を止めた。二人の間に、緊張した空気が流れる。
「ルゥフ。……息災であったか」
兄と名乗った獣人の声は、ルゥフさんの声よりも少し高く、けれどよく通る、落ち着いた声だった。
「……なぜ、ここに」
「お前を、連れ戻しに来た」
その言葉は、命令というよりは、静かな事実を告げるような響きを持っていた。彼はルゥフさんから私、そして改装中のカフェへと視線を移すと、少しだけ眉をひそめた。
「このような場所で、人間たちに交じって、大工仕事まがいのことをしているとはな。お前ほどの力を持つ者が、安穏と暮らしている場合ではない。一族が、お前の帰りを待っている」
「俺は……帰らない」
ルゥフさんの返事は、短く、そして断固としたものだった。兄の鋭い視線が、再びルゥフさんに注がれる。
「それが、お前の答えか。……少し、話を聞かせてもらおうか。お前のことだ。このパン屋の娘に、何か思うところがあるのだろう」
彼の視線が、私に向けられた。その瞳に見つめられると、まるで心の奥まで見透かされそうで、私は少しだけ身がすくむのを感じた。
その夜、店の営業と改装作業が終わり、静けさが戻った工房で、私たちは改めて向き合うことになった。ルゥフさんの兄は、ガルフさんと名乗った。
私は、彼と、そしてルゥフさんのために、温かいスープと焼きたてのパンを用意した。ガルフさんは、私が差し出したパンを静かに手に取ると、まずその香りを確かめ、そしてゆっくりと一口味わった。
「……なるほどな」
彼は、何かを深く納得したように頷いた。
「このパンには、お前の力が込められているのだな、ユイ殿。ただ腹を満たすための食い物ではない。人の心を温め、癒やす力がある。ルゥフが、ここに留まる理由の一端が、わかった気がする」
彼の言葉に、私は少しだけほっとした。彼は、ただ高圧的にルゥフさんを連れ戻しに来たわけではないのかもしれない。
「ですが、ユイ殿」
ガルフさんは、まっすぐに私を見つめた。
「ルゥフは、このような小さな町で、パン屋の手伝いをして一生を終えるべき男ではありません。彼には、我々銀狼族の次代の長となるべき、強大な力が宿っているのです。その力を、一族のために使ってこそ、彼の本当の幸せがあると、私は信じています」
「兄さん……」
ルゥフさんが、何かを言おうとして口を開きかけたが、ガルフさんはそれを手で制した。
「ユイ殿。あなたは、ルゥフがなぜ、故郷の群れを離れ、たった一人でこの森にいたのか、ご存知かな?」
「……いえ」
私は静かに首を横に振った。それは、私がずっと知りたいと思っていたことでもあった。
ガルフさんは、遠い目をして、静かに語り始めた。
「我々銀狼族は、獣人の中でも特に強い力を持って生まれます。その中でも、ルゥフの力は、突出していました。あまりにも、強すぎたのです。そして、その力に比例するように、彼の心は、誰よりも優しく、繊細だった」
彼の声には、弟を思う深い愛情がこもっていた。
「まだ若かった頃、ルゥフは、自分の力をうまく制御することができませんでした。彼は、誰よりも強くなりたいと願う一方で、その強すぎる力が、誰かを傷つけてしまうことを、心の底から恐れていたのです」
その話は、以前ルゥフさん自身が、森を傷つけてしまったと話してくれた時のことを思い出させた。
「ある年、一族の若者たちの力を試す、大切な儀式がありました。実戦形式の組み手で、互いの力を認め合う、古くからの習わしです。ルゥフの相手は、彼を慕う、まだ幼い弟分でした」
ガルフさんの表情が、少しだけ曇った。
「ルゥフは、もちろん手加減をしていました。相手を傷つけないように、細心の注意を払って。しかし、組み合いの最中、相手が足を滑らせて体勢を崩したのです。その瞬間、ルゥフは相手を庇おうと、咄嗟に力を解放してしまいました。彼の意図は、相手を突き放し、安全な場所へ押しやることだけだった。しかし、彼の制御しきれない力は、思った以上の勢いで弟分を吹き飛ばしてしまったのです」
「……!」
「幸い、弟分に大きな怪我はありませんでした。しかし、彼はルゥフの力の強大さを目の当たりにして、恐怖に顔を引きつらせてしまった。そして、周りにいた者たちも皆、ルゥフの力の異質さに、息を飲んだのです。誰一人、彼を責める者はいませんでした。皆、あれが事故だったことはわかっていた。だが……」
ガルフさんは、言葉を切った。
「ルゥフは、自分自身を許すことができなかったのです。自分が慕ってくれる者を、自分の力で恐怖させてしまった。大切な仲間たちの輪を、自分の力で凍りつかせてしまった。その事実が、彼の優しい心を深く傷つけました」
なんと悲しい出来事だろう。彼は、誰かを傷つけたかったわけじゃない。むしろ、守ろうとした結果だったのに。
「その日以来、ルゥフは、人と組み合うことをやめました。そして、『自分の力が、いつか本当に誰かを傷つけてしまう前に』と、たった一人で群れを出て、この森で暮らすようになったのです。森の番人として、その力を誰にも向けず、ただ森を守ることだけが、彼の償いであり、自分にできる唯一のことだと信じて」
ガルフさんの話を聞き終えて、私はようやく、ルゥフさんの心の奥にあった、深い孤独と悲しみの理由を知った。彼がいつもどこか寂しそうな目をしていたのは、そのせいだったのだ。彼は、自分の強すぎる力を、そして優しすぎる心を、ずっと一人で持て余し、その重さに耐えてきたのだ。
私は、隣に座るルゥフさんの顔を、そっと見上げた。彼は、俯いて、自分の大きな拳を、ただじっと見つめている。その背中が、今にも泣き出しそうなくらい、小さく見えた。
「ですが、ルゥフ。お前はもう、一人ではないはずだ」
ガルフさんが、静かに言った。
「この町には、お前の力を恐れるのではなく、必要とし、感謝してくれる者たちがいる。そして、お前の心の隣に、静かに寄り添ってくれる者もいる。……違うか?」
ガルフさんの視線が、再び私に向けられる。
私は、何も言わずに立ち上がると、温め直したスープを、ルゥフさんの前にそっと置いた。そして、彼の大きな手に、自分の手をそっと重ねた。彼の指先が、びくりと震えるのがわかった。
「ルゥフさん。あなたは、一人じゃありません」
私の声は、震えていなかっただろうか。
「あなたの力は、誰も傷つけるためのものじゃありません。私や、この町のみんなを、何度も助けてくれました。あなたのその手は、いつも温かいです。私は、その手を知っています」
ルゥフさんが、ゆっくりと顔を上げた。彼の金色の瞳が、潤んでいるように見えた。
「だから、もう自分を責めないでください。あなたの居場所は、ここにあります。私が、あなたの隣にいます。あなたの心の拠り所に、なりたいんです」
それは、私の心からの、偽りのない気持ちだった。彼の孤独も、痛みも、すべて私が受け止めたい。彼の隣で、彼が心から笑える日を、一緒に作りたい。
私の言葉に、ガルフさんは何も言わず、ただ静かに目を伏せた。そして、ルゥフさんは、重ねられた私の手を、壊れ物を扱うかのように、そっと握り返してくれた。その温かさに、私の目にも涙が滲んだ。
工房と改装現場を行き来する忙しい毎日の中で、いつも黙々と私を支えてくれたのがルゥフさんだった。彼は言葉こそ少ないけれど、私が何を必要としているのかを誰よりも早く察してくれる。
「ユイ、そこの木材は重い。俺が運ぶ」
私が少しでも重そうなものを持ち上げようとすると、いつの間にか後ろにいて、ひょいと軽々とそれを運んでくれる。ボルギンさんが高い場所で作業している時には、下でしっかりと梯子を支え、エララさんが繊細な飾り付けをする時には、彼女が足場にしやすいように大きな石を黙って運んでくる。
彼の行動には、一切の見返りを求めない、静かで深い優しさがあった。休憩時間になると、私はいつも彼の分だけ少し大きめに焼いたパンと、彼が好きだとわかった少し苦めのハーブティーを差し入れた。
「ルゥフさん、どうぞ。疲れたでしょう」
「……ああ」
彼はそれだけ言うと、大きな体で器用にパンを口に運び、静かに味わう。汗をかいた後、木陰でパンを食べる彼の横顔を眺めていると、私の胸はいつも温かいもので満たされた。
この人は、いつもこうして誰かのために、自分の力を静かに使ってきたのだろう。森を守る時も、きっとそうだったに違いない。私は彼のことを、初めて会った頃よりずっと身近に感じていた。けれど、彼の心の中には、まだ私が知らない、静かで深い森が広がっているような気もしていた。彼のことを、もっと深く知りたい。その思いは、日に日に強くなっていった。
カフェの骨組みがほぼ完成し、内装の仕上げに取り掛かっていた、ある晴れた日のことだった。町の入り口が、少しだけざわついているのに気がついた。市場へ向かう人たちが、何かを遠巻きに眺め、ひそひそと話している。
「なんだろう?」
私が作業の手を止めてそちらに目を向けると、一人の見慣れない人物が、町の広場に向かってゆっくりと歩いてくるところだった。
その人物を見た瞬間、私は息を飲んだ。私よりもずっと背が高く、がっしりとした体つき。そして何より、陽の光を浴びてきらきらと輝く、ルゥフさんと同じ美しい銀色の毛並みを持っていた。狼の獣人だった。
けれど、ルゥフさんの持つどこか朴訥とした雰囲気とは違い、その人物からは、まるで王族のような、近寄りがたいほどの威厳が放たれていた。歩き方一つ、視線の動かし方一つにも、無駄がなく、自信に満ち溢れている。ルゥフさんよりも少し年上だろうか。顔立ちもよく似ているけれど、その金色の瞳は、ルゥフさんのものよりずっと鋭く、すべてを見通すかのような力を持っていた。
ちょうどその時、木材を運んでいたルゥフさんが、その人物の姿に気づいてぴたりと足を止めた。彼の体が、明らかに強張るのがわかった。その金色の瞳が、驚きと、そして何か複雑な感情で揺れている。
「……兄さん」
ルゥフさんの口から、か細い声が漏れた。
兄、という言葉に、私はさらに驚いた。銀色の狼獣人は、まっすぐにルゥフさんの方へ歩み寄ると、彼の目の前で足を止めた。二人の間に、緊張した空気が流れる。
「ルゥフ。……息災であったか」
兄と名乗った獣人の声は、ルゥフさんの声よりも少し高く、けれどよく通る、落ち着いた声だった。
「……なぜ、ここに」
「お前を、連れ戻しに来た」
その言葉は、命令というよりは、静かな事実を告げるような響きを持っていた。彼はルゥフさんから私、そして改装中のカフェへと視線を移すと、少しだけ眉をひそめた。
「このような場所で、人間たちに交じって、大工仕事まがいのことをしているとはな。お前ほどの力を持つ者が、安穏と暮らしている場合ではない。一族が、お前の帰りを待っている」
「俺は……帰らない」
ルゥフさんの返事は、短く、そして断固としたものだった。兄の鋭い視線が、再びルゥフさんに注がれる。
「それが、お前の答えか。……少し、話を聞かせてもらおうか。お前のことだ。このパン屋の娘に、何か思うところがあるのだろう」
彼の視線が、私に向けられた。その瞳に見つめられると、まるで心の奥まで見透かされそうで、私は少しだけ身がすくむのを感じた。
その夜、店の営業と改装作業が終わり、静けさが戻った工房で、私たちは改めて向き合うことになった。ルゥフさんの兄は、ガルフさんと名乗った。
私は、彼と、そしてルゥフさんのために、温かいスープと焼きたてのパンを用意した。ガルフさんは、私が差し出したパンを静かに手に取ると、まずその香りを確かめ、そしてゆっくりと一口味わった。
「……なるほどな」
彼は、何かを深く納得したように頷いた。
「このパンには、お前の力が込められているのだな、ユイ殿。ただ腹を満たすための食い物ではない。人の心を温め、癒やす力がある。ルゥフが、ここに留まる理由の一端が、わかった気がする」
彼の言葉に、私は少しだけほっとした。彼は、ただ高圧的にルゥフさんを連れ戻しに来たわけではないのかもしれない。
「ですが、ユイ殿」
ガルフさんは、まっすぐに私を見つめた。
「ルゥフは、このような小さな町で、パン屋の手伝いをして一生を終えるべき男ではありません。彼には、我々銀狼族の次代の長となるべき、強大な力が宿っているのです。その力を、一族のために使ってこそ、彼の本当の幸せがあると、私は信じています」
「兄さん……」
ルゥフさんが、何かを言おうとして口を開きかけたが、ガルフさんはそれを手で制した。
「ユイ殿。あなたは、ルゥフがなぜ、故郷の群れを離れ、たった一人でこの森にいたのか、ご存知かな?」
「……いえ」
私は静かに首を横に振った。それは、私がずっと知りたいと思っていたことでもあった。
ガルフさんは、遠い目をして、静かに語り始めた。
「我々銀狼族は、獣人の中でも特に強い力を持って生まれます。その中でも、ルゥフの力は、突出していました。あまりにも、強すぎたのです。そして、その力に比例するように、彼の心は、誰よりも優しく、繊細だった」
彼の声には、弟を思う深い愛情がこもっていた。
「まだ若かった頃、ルゥフは、自分の力をうまく制御することができませんでした。彼は、誰よりも強くなりたいと願う一方で、その強すぎる力が、誰かを傷つけてしまうことを、心の底から恐れていたのです」
その話は、以前ルゥフさん自身が、森を傷つけてしまったと話してくれた時のことを思い出させた。
「ある年、一族の若者たちの力を試す、大切な儀式がありました。実戦形式の組み手で、互いの力を認め合う、古くからの習わしです。ルゥフの相手は、彼を慕う、まだ幼い弟分でした」
ガルフさんの表情が、少しだけ曇った。
「ルゥフは、もちろん手加減をしていました。相手を傷つけないように、細心の注意を払って。しかし、組み合いの最中、相手が足を滑らせて体勢を崩したのです。その瞬間、ルゥフは相手を庇おうと、咄嗟に力を解放してしまいました。彼の意図は、相手を突き放し、安全な場所へ押しやることだけだった。しかし、彼の制御しきれない力は、思った以上の勢いで弟分を吹き飛ばしてしまったのです」
「……!」
「幸い、弟分に大きな怪我はありませんでした。しかし、彼はルゥフの力の強大さを目の当たりにして、恐怖に顔を引きつらせてしまった。そして、周りにいた者たちも皆、ルゥフの力の異質さに、息を飲んだのです。誰一人、彼を責める者はいませんでした。皆、あれが事故だったことはわかっていた。だが……」
ガルフさんは、言葉を切った。
「ルゥフは、自分自身を許すことができなかったのです。自分が慕ってくれる者を、自分の力で恐怖させてしまった。大切な仲間たちの輪を、自分の力で凍りつかせてしまった。その事実が、彼の優しい心を深く傷つけました」
なんと悲しい出来事だろう。彼は、誰かを傷つけたかったわけじゃない。むしろ、守ろうとした結果だったのに。
「その日以来、ルゥフは、人と組み合うことをやめました。そして、『自分の力が、いつか本当に誰かを傷つけてしまう前に』と、たった一人で群れを出て、この森で暮らすようになったのです。森の番人として、その力を誰にも向けず、ただ森を守ることだけが、彼の償いであり、自分にできる唯一のことだと信じて」
ガルフさんの話を聞き終えて、私はようやく、ルゥフさんの心の奥にあった、深い孤独と悲しみの理由を知った。彼がいつもどこか寂しそうな目をしていたのは、そのせいだったのだ。彼は、自分の強すぎる力を、そして優しすぎる心を、ずっと一人で持て余し、その重さに耐えてきたのだ。
私は、隣に座るルゥフさんの顔を、そっと見上げた。彼は、俯いて、自分の大きな拳を、ただじっと見つめている。その背中が、今にも泣き出しそうなくらい、小さく見えた。
「ですが、ルゥフ。お前はもう、一人ではないはずだ」
ガルフさんが、静かに言った。
「この町には、お前の力を恐れるのではなく、必要とし、感謝してくれる者たちがいる。そして、お前の心の隣に、静かに寄り添ってくれる者もいる。……違うか?」
ガルフさんの視線が、再び私に向けられる。
私は、何も言わずに立ち上がると、温め直したスープを、ルゥフさんの前にそっと置いた。そして、彼の大きな手に、自分の手をそっと重ねた。彼の指先が、びくりと震えるのがわかった。
「ルゥフさん。あなたは、一人じゃありません」
私の声は、震えていなかっただろうか。
「あなたの力は、誰も傷つけるためのものじゃありません。私や、この町のみんなを、何度も助けてくれました。あなたのその手は、いつも温かいです。私は、その手を知っています」
ルゥフさんが、ゆっくりと顔を上げた。彼の金色の瞳が、潤んでいるように見えた。
「だから、もう自分を責めないでください。あなたの居場所は、ここにあります。私が、あなたの隣にいます。あなたの心の拠り所に、なりたいんです」
それは、私の心からの、偽りのない気持ちだった。彼の孤独も、痛みも、すべて私が受け止めたい。彼の隣で、彼が心から笑える日を、一緒に作りたい。
私の言葉に、ガルフさんは何も言わず、ただ静かに目を伏せた。そして、ルゥフさんは、重ねられた私の手を、壊れ物を扱うかのように、そっと握り返してくれた。その温かさに、私の目にも涙が滲んだ。
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