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静かな酒場の個室に、ガイウスの嗚咽だけが響き渡っていた。
十年という長い歳月が、彼の心に積もらせた後悔と悲しみはあまりにも重く、底が見えないほど深い。俺はただ黙って、彼の言葉の続きを待つことにした。
下手に慰めたり、励ましたりする言葉は、今の彼には届かないだろう。
必要なのは、心に溜まったどす黒い感情を、残らずすべて吐き出させることだ。俺のスキルは、彼の心の奥底で渦巻く感情を正確に読み取っていた。
罪悪感、無力感、そして親友を失ったことへの埋めようのない喪失感。
それらが複雑に絡み合い、もはや解きほぐすことのできない塊となっている。それが「トラウマ」という名の厄介な精神的デバフとなり、彼の心を縛り付けていた。
【対象:ガイウス ストレス値:92/100】
【状態:精神的デバフ【トラウマ:友の死】発動中。戦闘に関する全ての行動に強い制限】
話すことで彼のストレス値はわずかに下がった。
だが、それは一時的なものに過ぎず、根本的な解決には至っていない。むしろ、忘れていたはずの辛い記憶を無理にこじ開けたことで、数値は再び上昇に転じている。
どれくらいの時間が経っただろうか。
やがて、ガイウスはゆっくりと顔を上げた。その目は涙で真っ赤に充血していたが、嗚咽は止まっていた。
「レオンは……最期に、笑って言ったんだ」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「『お前が生きて、この国を守れ』と。……だが、俺は、あいつとの約束を守れなかった」
そう言うと、彼はテーブルの下で自分の拳を強く、強く握りしめた。骨が白く浮き出ている。
「十年前に起こった隣国との戦争、グレイウォール峠での戦いは熾烈を極めた。騎士団長だった俺と、副団長だったレオンは、常に最前線で剣を振るった。俺たちは二人で一つ、そう思っていた」
ガイウスは、遠い目をして過去を語り始めた。
「戦いは我が国の優勢で進んでいた。だが、敵の将軍は狡猾で、罠を仕掛けていたんだ。俺は突出した部隊を救うために前に出たが、それが狙いだった。敵の増援に囲まれ、絶体絶命の窮地に陥った」
彼の呼吸が少しずつ荒くなっていく。
当時の光景が、ありありと脳裏に蘇っているのだろう。
「その時、レオンが手勢を率いて駆けつけてくれた。彼の助けがなければ、俺はあの場で死んでいた。だが、そのせいで、今度はレオンが危険な状況に……。俺の、俺の判断ミスだったんだ」
彼の肩が、小刻みに震えている。
《傾聴》スキルを通して、彼の視界に映る凄惨な戦場のイメージが断片的に流れ込んでくる。血と土の匂い、剣戟の音、兵士たちの怒号と悲鳴。
「敵の将軍との一騎打ちになった。俺は深手を負い、動きが鈍っていた。将軍の剣が俺の喉元に迫った、その瞬間だった。レオンが、俺を突き飛ばして、代わりにその刃を受けたんだ」
ガイウスは、一度言葉を切った。
何かをこらえるように、固く唇を結んでいる。
「腹を深く貫かれながら、あいつは笑っていた。信じられるか?血を吐きながら、最期に俺に言ったんだ。『これでいい。お前が生きて、この国を守れ』ってな。……俺は、あいつの温もりが消えていくのを、ただ抱きしめることしかできなかった」
静寂が、部屋を支配する。
彼の物語の重さに、俺は言葉を失っていた。
「戦争には勝った。俺は英雄として王都に凱旋した。民衆は俺の名を呼び、歓声を上げた。だが、その声は俺にとって、ただの騒音でしかなかった。心は完全に空っぽだった」
英雄という称号は、彼にとってあまりにも皮肉なものだったのだろう。
友を犠牲にして手に入れた栄光など、欲しくもなかったはずだ。
「剣を握るたびに、レオンの血の感触が蘇る。敵を斬るたびに、あいつの最期の顔がフラッシュバックする。祝宴の席で出された赤い葡萄酒が、あいつの流した血に見えて吐いたこともあった。いつしか、俺は剣を握ることすらできなくなっていた」
騎士団長の地位を返上し、彼は表舞台から完全に姿を消した。
英雄の称号も、与えられた名誉も、すべて捨て去って。そして今は、街の一介の衛兵として、死んだように時が過ぎるのを待っているだけ。
「俺は臆病者だ。親友の死から目を背け、ただ逃げ出した。あいつは俺に国を守れと言ったのに、俺はこのザマだ。剣さえ握れない。こんな俺に、生きている価値なんて……」
ガイウスの声は、か細く、消え入りそうだった。
彼がどれほどの絶望を抱えて生きてきたのか、その一言にすべてが集約されている。自己嫌悪の闇が、彼を完全に飲み込んでいた。
ここで俺の視界に、再び特殊な選択肢が浮かび上がる。
《傾聴》が、彼の心を縛る鎖を断ち切るための鍵を示してくれている。
【選択肢】
→そんなことはない、あなたは英雄だ。
→レオンさんは、あなたに苦しんでほしかったのだろうか?
→過去は忘れろ、前を向くんだ。
一番目と三番目は、ありきたりな励ましの言葉でしかない。
今のガイウスにそんな言葉をかければ、「お前に何が分かる」と心を閉ざされてしまうだろう。俺は迷わず、二番目の選択肢を選んだ。
「レオンさんは、ガイウスさんに苦しんでほしくて、命を懸けたんでしょうか?」
俺は、静かに、だがはっきりと問いかけた。
「……何?」
ガイウスは、怪訝な顔で俺を見る。俺の言葉の意味が、すぐには理解できないようだった。
「レオンさんは、『お前が生きて、この国を守れ』と言ったんですよね。それは、ガイウスさんに、罪悪感を抱えて剣も握れずに生きていけ、という意味だったんでしょうか。俺には、そうは思えません」
「……!」
ガイウスは息を呑んだ。
彼の強固な自己否定の殻に、小さなヒビが入ったのが分かった。
「もし、立場が逆だったらどうですか?ガイウスさんがレオンさんを庇って命を落としたとして、その後のレオンさんがあなたと同じように苦しみ続けていたら。天国からそれを見て、あなたはどう思いますか?」
俺は、彼の目を見て、真っ直ぐに続けた。
「きっと、悲しむんじゃないでしょうか。『俺のせいで苦しむな。お前はお前の人生を生きろ』って言うんじゃないですか。だって、親友なんでしょう?」
「……俺の、人生……」
ガイウスが、呆然と呟いた。
その言葉は、彼が十年間、考えようともしなかったものなのかもしれない。
「あなたは、レオンさんとの約束を守れなかったと言いました。でも、本当にそうでしょうか。あなたは今、衛兵としてこの街を守っている。それもまた、国を守るという約束を、あなたなりに果たしていることになるんじゃないですか?」
騎士団長として華々しく活躍することだけが、国を守ることじゃない。
一人の衛兵として、街の平和を維持することも、同じくらい立派な役目だ。
「だが、俺は逃げたんだ。騎士としての責務から……」
「逃げたっていいじゃないですか。辛かったら、休んだっていい。大事なのは、完全に諦めていないことです。あなたは騎士を辞めても、国を守ることから離れなかった。それが、何よりの証拠です」
ガイウスは、言葉を失っていた。
彼の思考が、ぐるぐると激しく回っているのが伝わってくる。十年もの間、彼を縛り付けてきた固定観念が、少しずつ揺らぎ始めているのを感じた。
『ガイウスとの会話に、スキル《カウンセリング》が適用されます』
『対象の精神的デバフ【トラウマ:友の死】の解除を試みます』
システムメッセージが表示され、俺の身体が淡い光に包まれた。
ガイウスには見えていないだろうが、俺のスキルが本格的に彼の心に干渉を始めた証拠だ。
「ガイウスさん。あなたは、レオンさんの死を無駄にしたくないから、自分を罰し続けてきたんですよね。でも、それは逆効果だったのかもしれない」
「逆効果……だと?」
「はい。あなたが苦しむことで、レオンさんの犠牲が、まるで悲劇の象徴のようになってしまっている。彼の死が、あなたの人生を縛る『呪い』になってしまっているんです」
俺は、現実の仕事で学んだ心理学の知識を総動員して、言葉を紡いでいく。
トラウマを克服するためには、その出来事に対する認知を、ネガティブなものからポジティブなものへと変える必要があるのだ。
「でも、もしあなたが、彼の死を乗り越えて、前を向いて生きることができたなら。彼の犠牲は、あなたの未来を切り開いた、希望の礎になるんじゃないでしょうか」
俺の言葉が、ガイウスの心象風景に変化をもたらすのが見えた。
暗く、鎖に縛られたガイウスのイメージに、わずかな光が差し込み始める。
「レオンさんは、自分の命と引き換えに、あなたの命と、この国の未来を救った。それは、紛れもない事実です。だったら、あなたがすべきことは、罰として生きることじゃない。彼の分まで、幸せに生きること。そして、彼が守りたかったこの国を、あなたらしく守り続けること。それこそが、本当の意味で、彼の死に報いることになるんじゃないでしょうか」
俺の言葉が、ガイウスの心の奥深くに染み渡っていくのが分かった。
彼の「ストレス値」が、80、70、60と、急激に下がっていく。
「俺が……幸せに……?」
その言葉は、彼にとって考えたこともない概念のようだった。
「はい。あなたが笑顔で、誇りを持って生きることが、天国のレオンさんにとって、一番の供養になるはずです。親友が自分のせいで苦しみ続けている姿なんて、見たいはずがないでしょうから」
ガイウスは、しばらくの間、じっと宙を見つめていた。
その瞳には、過去の戦場、親友の最期の顔、そして十年間抱え続けた後悔が、走馬灯のように映し出されているのかもしれない。
長い、長い沈黙が流れた。
酒場の喧騒も、どこか遠くに聞こえる。やがて、ガイウスはゆっくりと顔を上げ、俺の顔をまっすぐに見た。その目に、もう迷いはなかった。
「……あんたの言う通りかもしれん。俺は、ずっと間違っていたのかもしれないな」
その声は、まだ少し掠れていたが、確かな力強さが戻っていた。
「俺は、レオンの死を、ただの悲劇にしてしまっていた。あいつが命を懸けて繋いでくれた未来を、自分の手で閉ざしていた。……もう、やめだ。こんなのは、もう終わりにしなくちゃならん」
ガイウスは、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は、まるで長い悪夢から覚めたかのようだ。そして、俺に向かって、深々と頭を下げた。
「ケイさん、と言ったか。……あんたには、感謝してもしきれん。十年だ。十年間、俺の時間は止まったままだった。それを、あんたが動かしてくれた」
『ガイウスの精神的デバフ【トラウマ:友の死】が解除されました』
『ガイウスの「ストレス値」が0になりました』
『ガイウスの「幸福度」が最大になりました』
『ガイウスの「信頼度」が最大になりました』
『クエスト【元騎士団長のトラウマ】をクリアしました』
『称号【心を癒す者】を獲得しました』
『スキル《カウンセリング》の熟練度が上昇しました』
怒涛のように流れるシステムメッセージ。
どうやら、俺はまたしても、無自覚のうちに高難易度のクエストをクリアしてしまったらしい。
「顔を上げてください、ガイウスさん。俺は、ただ話を聞いただけですから」
「いや、ただ話を聞くだけで、人の心を救えるもんじゃない。あんたには、特別な力がある。……礼をさせてくれ。あんたに、相応しい礼を」
ガイウスはそう言うと、懐から一つの鍵を取り出した。
古びてはいるが、丁寧な装飾が施された、立派な鍵だ。
「これは?」
「街の外れ、銀の森の入り口に、小さなコテージがある。元々は、騎士団を引退したレオンと一緒に静かに暮らそうと思って、二人で建てた場所だ。だが、あいつはもういない。今の俺には、もう必要ないものだ。……あんたに使ってほしい」
レオンとの、思い出の場所。
そんな大切なものを、本当に俺が受け取っていいのだろうか。
「え、でも、そんな大事なものを……」
「いいんだ。あんたのような人こそ、静かな場所が必要だろう。それに、そこなら、誰にも邪魔されずに相談者の話を聞いてやれるはずだ。俺たちが未来を夢見た場所を、あんたの力で、誰かの未来を救う場所に変えてくれ。受け取ってくれ。俺からの、心ばかりの感謝の印だ」
ガイウスの目は真剣だった。
断ることは、逆に彼の決意を侮辱することになるだろう。それに、いつまでも宿屋暮らしというわけにもいかない。自分の拠点ができるのは、素直にありがたい話だった。
「……分かりました。ありがたく、お受けします」
俺が鍵を受け取ると、ガイウスは心から満足そうに頷いた。
「よし、決まりだな。早速、案内しよう。ついてきてくれ」
ガイウスは酒場の主人に代金を払うと、力強い足取りで店を出ていった。
その背中は、俺が最初に会った時のような、諦観に満ちたものではなかった。
重い過去を乗り越え、友の想いを胸に未来へと歩き出そうとする、一人の騎士の背中だった。俺は彼の後を追いながら、この世界に来て本当に良かったと、改めて思った。
現実では決して得られない、確かな手応えと充実感が、俺の心を温かく満たしていた。
十年という長い歳月が、彼の心に積もらせた後悔と悲しみはあまりにも重く、底が見えないほど深い。俺はただ黙って、彼の言葉の続きを待つことにした。
下手に慰めたり、励ましたりする言葉は、今の彼には届かないだろう。
必要なのは、心に溜まったどす黒い感情を、残らずすべて吐き出させることだ。俺のスキルは、彼の心の奥底で渦巻く感情を正確に読み取っていた。
罪悪感、無力感、そして親友を失ったことへの埋めようのない喪失感。
それらが複雑に絡み合い、もはや解きほぐすことのできない塊となっている。それが「トラウマ」という名の厄介な精神的デバフとなり、彼の心を縛り付けていた。
【対象:ガイウス ストレス値:92/100】
【状態:精神的デバフ【トラウマ:友の死】発動中。戦闘に関する全ての行動に強い制限】
話すことで彼のストレス値はわずかに下がった。
だが、それは一時的なものに過ぎず、根本的な解決には至っていない。むしろ、忘れていたはずの辛い記憶を無理にこじ開けたことで、数値は再び上昇に転じている。
どれくらいの時間が経っただろうか。
やがて、ガイウスはゆっくりと顔を上げた。その目は涙で真っ赤に充血していたが、嗚咽は止まっていた。
「レオンは……最期に、笑って言ったんだ」
彼の声は、ひどく掠れていた。
「『お前が生きて、この国を守れ』と。……だが、俺は、あいつとの約束を守れなかった」
そう言うと、彼はテーブルの下で自分の拳を強く、強く握りしめた。骨が白く浮き出ている。
「十年前に起こった隣国との戦争、グレイウォール峠での戦いは熾烈を極めた。騎士団長だった俺と、副団長だったレオンは、常に最前線で剣を振るった。俺たちは二人で一つ、そう思っていた」
ガイウスは、遠い目をして過去を語り始めた。
「戦いは我が国の優勢で進んでいた。だが、敵の将軍は狡猾で、罠を仕掛けていたんだ。俺は突出した部隊を救うために前に出たが、それが狙いだった。敵の増援に囲まれ、絶体絶命の窮地に陥った」
彼の呼吸が少しずつ荒くなっていく。
当時の光景が、ありありと脳裏に蘇っているのだろう。
「その時、レオンが手勢を率いて駆けつけてくれた。彼の助けがなければ、俺はあの場で死んでいた。だが、そのせいで、今度はレオンが危険な状況に……。俺の、俺の判断ミスだったんだ」
彼の肩が、小刻みに震えている。
《傾聴》スキルを通して、彼の視界に映る凄惨な戦場のイメージが断片的に流れ込んでくる。血と土の匂い、剣戟の音、兵士たちの怒号と悲鳴。
「敵の将軍との一騎打ちになった。俺は深手を負い、動きが鈍っていた。将軍の剣が俺の喉元に迫った、その瞬間だった。レオンが、俺を突き飛ばして、代わりにその刃を受けたんだ」
ガイウスは、一度言葉を切った。
何かをこらえるように、固く唇を結んでいる。
「腹を深く貫かれながら、あいつは笑っていた。信じられるか?血を吐きながら、最期に俺に言ったんだ。『これでいい。お前が生きて、この国を守れ』ってな。……俺は、あいつの温もりが消えていくのを、ただ抱きしめることしかできなかった」
静寂が、部屋を支配する。
彼の物語の重さに、俺は言葉を失っていた。
「戦争には勝った。俺は英雄として王都に凱旋した。民衆は俺の名を呼び、歓声を上げた。だが、その声は俺にとって、ただの騒音でしかなかった。心は完全に空っぽだった」
英雄という称号は、彼にとってあまりにも皮肉なものだったのだろう。
友を犠牲にして手に入れた栄光など、欲しくもなかったはずだ。
「剣を握るたびに、レオンの血の感触が蘇る。敵を斬るたびに、あいつの最期の顔がフラッシュバックする。祝宴の席で出された赤い葡萄酒が、あいつの流した血に見えて吐いたこともあった。いつしか、俺は剣を握ることすらできなくなっていた」
騎士団長の地位を返上し、彼は表舞台から完全に姿を消した。
英雄の称号も、与えられた名誉も、すべて捨て去って。そして今は、街の一介の衛兵として、死んだように時が過ぎるのを待っているだけ。
「俺は臆病者だ。親友の死から目を背け、ただ逃げ出した。あいつは俺に国を守れと言ったのに、俺はこのザマだ。剣さえ握れない。こんな俺に、生きている価値なんて……」
ガイウスの声は、か細く、消え入りそうだった。
彼がどれほどの絶望を抱えて生きてきたのか、その一言にすべてが集約されている。自己嫌悪の闇が、彼を完全に飲み込んでいた。
ここで俺の視界に、再び特殊な選択肢が浮かび上がる。
《傾聴》が、彼の心を縛る鎖を断ち切るための鍵を示してくれている。
【選択肢】
→そんなことはない、あなたは英雄だ。
→レオンさんは、あなたに苦しんでほしかったのだろうか?
→過去は忘れろ、前を向くんだ。
一番目と三番目は、ありきたりな励ましの言葉でしかない。
今のガイウスにそんな言葉をかければ、「お前に何が分かる」と心を閉ざされてしまうだろう。俺は迷わず、二番目の選択肢を選んだ。
「レオンさんは、ガイウスさんに苦しんでほしくて、命を懸けたんでしょうか?」
俺は、静かに、だがはっきりと問いかけた。
「……何?」
ガイウスは、怪訝な顔で俺を見る。俺の言葉の意味が、すぐには理解できないようだった。
「レオンさんは、『お前が生きて、この国を守れ』と言ったんですよね。それは、ガイウスさんに、罪悪感を抱えて剣も握れずに生きていけ、という意味だったんでしょうか。俺には、そうは思えません」
「……!」
ガイウスは息を呑んだ。
彼の強固な自己否定の殻に、小さなヒビが入ったのが分かった。
「もし、立場が逆だったらどうですか?ガイウスさんがレオンさんを庇って命を落としたとして、その後のレオンさんがあなたと同じように苦しみ続けていたら。天国からそれを見て、あなたはどう思いますか?」
俺は、彼の目を見て、真っ直ぐに続けた。
「きっと、悲しむんじゃないでしょうか。『俺のせいで苦しむな。お前はお前の人生を生きろ』って言うんじゃないですか。だって、親友なんでしょう?」
「……俺の、人生……」
ガイウスが、呆然と呟いた。
その言葉は、彼が十年間、考えようともしなかったものなのかもしれない。
「あなたは、レオンさんとの約束を守れなかったと言いました。でも、本当にそうでしょうか。あなたは今、衛兵としてこの街を守っている。それもまた、国を守るという約束を、あなたなりに果たしていることになるんじゃないですか?」
騎士団長として華々しく活躍することだけが、国を守ることじゃない。
一人の衛兵として、街の平和を維持することも、同じくらい立派な役目だ。
「だが、俺は逃げたんだ。騎士としての責務から……」
「逃げたっていいじゃないですか。辛かったら、休んだっていい。大事なのは、完全に諦めていないことです。あなたは騎士を辞めても、国を守ることから離れなかった。それが、何よりの証拠です」
ガイウスは、言葉を失っていた。
彼の思考が、ぐるぐると激しく回っているのが伝わってくる。十年もの間、彼を縛り付けてきた固定観念が、少しずつ揺らぎ始めているのを感じた。
『ガイウスとの会話に、スキル《カウンセリング》が適用されます』
『対象の精神的デバフ【トラウマ:友の死】の解除を試みます』
システムメッセージが表示され、俺の身体が淡い光に包まれた。
ガイウスには見えていないだろうが、俺のスキルが本格的に彼の心に干渉を始めた証拠だ。
「ガイウスさん。あなたは、レオンさんの死を無駄にしたくないから、自分を罰し続けてきたんですよね。でも、それは逆効果だったのかもしれない」
「逆効果……だと?」
「はい。あなたが苦しむことで、レオンさんの犠牲が、まるで悲劇の象徴のようになってしまっている。彼の死が、あなたの人生を縛る『呪い』になってしまっているんです」
俺は、現実の仕事で学んだ心理学の知識を総動員して、言葉を紡いでいく。
トラウマを克服するためには、その出来事に対する認知を、ネガティブなものからポジティブなものへと変える必要があるのだ。
「でも、もしあなたが、彼の死を乗り越えて、前を向いて生きることができたなら。彼の犠牲は、あなたの未来を切り開いた、希望の礎になるんじゃないでしょうか」
俺の言葉が、ガイウスの心象風景に変化をもたらすのが見えた。
暗く、鎖に縛られたガイウスのイメージに、わずかな光が差し込み始める。
「レオンさんは、自分の命と引き換えに、あなたの命と、この国の未来を救った。それは、紛れもない事実です。だったら、あなたがすべきことは、罰として生きることじゃない。彼の分まで、幸せに生きること。そして、彼が守りたかったこの国を、あなたらしく守り続けること。それこそが、本当の意味で、彼の死に報いることになるんじゃないでしょうか」
俺の言葉が、ガイウスの心の奥深くに染み渡っていくのが分かった。
彼の「ストレス値」が、80、70、60と、急激に下がっていく。
「俺が……幸せに……?」
その言葉は、彼にとって考えたこともない概念のようだった。
「はい。あなたが笑顔で、誇りを持って生きることが、天国のレオンさんにとって、一番の供養になるはずです。親友が自分のせいで苦しみ続けている姿なんて、見たいはずがないでしょうから」
ガイウスは、しばらくの間、じっと宙を見つめていた。
その瞳には、過去の戦場、親友の最期の顔、そして十年間抱え続けた後悔が、走馬灯のように映し出されているのかもしれない。
長い、長い沈黙が流れた。
酒場の喧騒も、どこか遠くに聞こえる。やがて、ガイウスはゆっくりと顔を上げ、俺の顔をまっすぐに見た。その目に、もう迷いはなかった。
「……あんたの言う通りかもしれん。俺は、ずっと間違っていたのかもしれないな」
その声は、まだ少し掠れていたが、確かな力強さが戻っていた。
「俺は、レオンの死を、ただの悲劇にしてしまっていた。あいつが命を懸けて繋いでくれた未来を、自分の手で閉ざしていた。……もう、やめだ。こんなのは、もう終わりにしなくちゃならん」
ガイウスは、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は、まるで長い悪夢から覚めたかのようだ。そして、俺に向かって、深々と頭を下げた。
「ケイさん、と言ったか。……あんたには、感謝してもしきれん。十年だ。十年間、俺の時間は止まったままだった。それを、あんたが動かしてくれた」
『ガイウスの精神的デバフ【トラウマ:友の死】が解除されました』
『ガイウスの「ストレス値」が0になりました』
『ガイウスの「幸福度」が最大になりました』
『ガイウスの「信頼度」が最大になりました』
『クエスト【元騎士団長のトラウマ】をクリアしました』
『称号【心を癒す者】を獲得しました』
『スキル《カウンセリング》の熟練度が上昇しました』
怒涛のように流れるシステムメッセージ。
どうやら、俺はまたしても、無自覚のうちに高難易度のクエストをクリアしてしまったらしい。
「顔を上げてください、ガイウスさん。俺は、ただ話を聞いただけですから」
「いや、ただ話を聞くだけで、人の心を救えるもんじゃない。あんたには、特別な力がある。……礼をさせてくれ。あんたに、相応しい礼を」
ガイウスはそう言うと、懐から一つの鍵を取り出した。
古びてはいるが、丁寧な装飾が施された、立派な鍵だ。
「これは?」
「街の外れ、銀の森の入り口に、小さなコテージがある。元々は、騎士団を引退したレオンと一緒に静かに暮らそうと思って、二人で建てた場所だ。だが、あいつはもういない。今の俺には、もう必要ないものだ。……あんたに使ってほしい」
レオンとの、思い出の場所。
そんな大切なものを、本当に俺が受け取っていいのだろうか。
「え、でも、そんな大事なものを……」
「いいんだ。あんたのような人こそ、静かな場所が必要だろう。それに、そこなら、誰にも邪魔されずに相談者の話を聞いてやれるはずだ。俺たちが未来を夢見た場所を、あんたの力で、誰かの未来を救う場所に変えてくれ。受け取ってくれ。俺からの、心ばかりの感謝の印だ」
ガイウスの目は真剣だった。
断ることは、逆に彼の決意を侮辱することになるだろう。それに、いつまでも宿屋暮らしというわけにもいかない。自分の拠点ができるのは、素直にありがたい話だった。
「……分かりました。ありがたく、お受けします」
俺が鍵を受け取ると、ガイウスは心から満足そうに頷いた。
「よし、決まりだな。早速、案内しよう。ついてきてくれ」
ガイウスは酒場の主人に代金を払うと、力強い足取りで店を出ていった。
その背中は、俺が最初に会った時のような、諦観に満ちたものではなかった。
重い過去を乗り越え、友の想いを胸に未来へと歩き出そうとする、一人の騎士の背中だった。俺は彼の後を追いながら、この世界に来て本当に良かったと、改めて思った。
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ブラック企業で過労死した俺は、異世界の伯爵家の三男・ルークとして生を受けた。
しかし、五歳で授かったスキルは「創造(木工)」。戦闘にも魔法にも役立たない外れスキルだと蔑まれ、俺はあっさりと家を追い出されてしまう。
前世でDIYが趣味だった俺にとっては、むしろ願ってもない展開だ。
貴族のしがらみから解放され、自由な職人ライフを送ろうと決意した矢先、大森林の中で衰弱しきった幼いエルフの姉妹を発見し、保護することに。
言葉もおぼつかない二人、リリアとルナのために、俺はスキルを駆使して一夜で快適なログハウスを建て、温かいベッドと楽しいおもちゃを作り与える。
これは、不遇スキルとされた木工技術で最強の職人になった俺が、可愛すぎる義理の娘たちとのんびり暮らす、ほのぼの異世界ライフ。
パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い
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過労とパワハラで心身ともに限界だった俺、佐伯湊(さえきみなと)は、ある日異世界に転移してしまった。神様から与えられたのは【万能造船】というユニークスキル。それは、設計図さえあれば、どんな船でも素材を消費して作り出せるという能力だった。
「もう誰にも縛られない、自由な生活を送るんだ」
そう決意した俺は、手始めに小さな川舟を作り、水上での生活をスタートさせる。前世の知識を活かして、この世界にはない調味料や保存食、便利な日用品を自作して港町で売ってみると、これがまさかの大当たり。
スキルで船をどんどん豪華客船並みに拡張し、快適な船上生活を送りながら、行く先々の港町で特産品を仕入れては別の町で売る。そんな気ままな水上交易を続けているうちに、俺の資産はいつの間にか小国の国家予算を軽く超えていた。
これは、社畜だった俺が、チートな船でのんびりスローライフを送りながら、世界一の商人になるまでの物語。
外れスキル【畑耕し】で辺境追放された俺、チート能力だったと判明し、スローライフを送っていたら、いつの間にか最強国家の食糧事情を掌握していた件
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勇者パーティーで「役立たず」と蔑まれ、役立たずスキル【畑耕し】と共に辺境の地へ追放された農夫のアルス。
しかし、そのスキルは一度種をまけば無限に作物が収穫でき、しかも極上の品質になるという規格外のチート能力だった!
辺境でひっそりと自給自足のスローライフを始めたアルスだったが、彼の作る作物はあまりにも美味しく、栄養価も高いため、あっという間に噂が広まってしまう。
飢饉に苦しむ隣国、貴重な薬草を求める冒険者、そしてアルスを追放した勇者パーティーまでもが、彼の元を訪れるように。
「もう誰にも迷惑はかけない」と静かに暮らしたいアルスだったが、彼の作る作物は国家間のバランスをも揺るがし始め、いつしか世界情勢の中心に…!?
元・役立たず農夫の、無自覚な成り上がり譚、開幕!
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