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俺の言葉と、手の温もりが伝わったのだろうか。
ルシウス王子の震えが、少しだけ収まったように見えた。彼の虚ろだった瞳に、わずかながら光が戻ってくる。
彼は、自分の手を包む俺の手と、俺の顔を、交互にゆっくりと見比べた。
そして、子供が母親に助けを求めるような、か細い声で呟いた。
「君は……誰……?」
「ケイ、と申します。ただの、旅の者です」
俺は、自己紹介を繰り返した。
今は、俺が何者であるかは重要ではない。ただ、彼にとって安全な存在であると認識してもらうことが、何よりも大切だった。
俺は、彼の手を優しく握ったまま、ゆっくりと言葉を続ける。
急かさず、焦らず、彼のペースに合わせる。これが、パニック状態にある相手と接する時の鉄則だ。
「驚きましたよね。怖い思いをされたでしょう。でも、もう大丈夫です。アレクシオス様も駆けつけてくださいました。あなたは、もう安全な場所にいます」
俺は、彼が置かれている状況を、一つ一つ丁寧に説明していく。
安心できる要素を、具体的に言葉にして伝えることで、混乱した彼の頭の中を整理する手助けをするのだ。
「……兄上が……?」
「はい。あなたの知らせを聞いて、誰よりも先に駆けつけてこられました。とても、心配されていましたよ」
俺がそう言うと、ルシウスの瞳が大きく揺れた。
彼の心の中で、兄であるアレクシオスの存在は、きっと複雑なものなのだろう。憧れ、劣等感、そして少しの恐怖。それらが、ごちゃ混ぜになっているに違いない。
「でも……僕のせいで、村が……みんなが……」
再び、彼の表情が罪悪感に歪む。
トラウマの引き金となった光景が、彼の脳裏に蘇ろうとしていた。ストレス値が、再びじりじりと上昇を始める。
ここで、俺はあえて強い口調で、彼の自己否定を遮った。
「それは違います」
「え……?」
ルシウスは、驚いたように俺の顔を見た。
「村が襲われたのは、あなたのせいではありません。悪いのは、百パーセント、襲撃してきた連中です。あなたは、被害者です。自分を責めるのは、絶対に間違っています」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめて、きっぱりと言い切った。
曖昧な慰めは、時には毒になる。今は、彼の間違った認識を、はっきりと正してやる必要があった。
「でも、僕がここにいなければ、彼らはこんな酷い目には……」
「いいえ。もしあなたがここにいなくても、彼らはいずれ、どこかの村を襲っていたでしょう。彼らの目的があなたであったとしても、その手段として村を巻き込んだのは、彼らの選択です。その責任を、あなたが負う必要は、一切ありません」
俺の言葉は、カウンセリングというより、もはや説得に近いものだったかもしれない。
だが、彼の心を縛る「罪悪感」という名の鎖を断ち切るには、これくらいの強い介入が必要だと判断した。
ルシウスは、俺の言葉に何も言い返せなかった。
ただ、大きく見開かれた瞳で、俺の顔をじっと見つめている。彼の心の中で、俺の言葉が反響し、彼の凝り固まった思考に波紋を広げているのが分かった。
『ルシウスの精神的デバフ【恐慌】が、精神的デバフ【自己嫌悪】に変化しました』
『ルシウスの「ストレス値」が、98から80に減少しました』
よし、第一段階はクリアだ。
パニック状態からは脱し、彼は自分の内面と向き合う段階に入った。ここからは、より繊細なアプローチが必要になる。
俺は、バスケットから『リリア特製・勇気の出るパン』を一つ取り出した。
「お腹が空いていませんか?これをどうぞ。食べると、少しだけ勇気が出る、特別なおまじないがかかっているんです」
俺がそう言ってパンを差し出すと、ルシウスは戸惑いながらも、それを受け取った。
そして、小さな口で、一口、パンをかじった。
素朴な小麦の甘みが、口の中に広がったのだろう。
彼の強張っていた表情が、ほんの少しだけ、和らいだ。
「……美味しい……」
「よかった。さあ、ゆっくりでいいですから、全部召し上がってください」
彼は、子供のようにこくこくと頷き、黙々とパンを食べ始めた。
その姿を見ていると、彼が王子であるということを、一瞬忘れてしまいそうになる。彼はただ、傷つき、怯えている、一人の青年に過ぎなかった。
パンを半分ほど食べたところで、ルシウスは顔を上げた。
その瞳には、もうさっきまでの虚ろな色はない。代わりに、深い悲しみが、水のように湛えられていた。
「僕は……無力だ」
ぽつりと、彼が呟いた。
「兄上のように、剣を振るうこともできない。賢者様のように、知恵で国を導くこともできない。僕にあるのは、ただ、平和を願うだけの、何の力もない心だけだ。……そんな僕が、王になれるはずがない」
劣等感。
それが、彼の悩みの根源だった。
あまりにも偉大な兄と、賢すぎる臣下。その二人に囲まれて育った彼は、常に自分の無力さを感じ続けてきたのだろう。
「今回の事件で、よく分かった。僕の理想なんて、暴力の前では、あまりにも脆くて、無意味なんだ。民を守りたいと願うことと、実際に守れることは、全く違うんだ……」
彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、自分の不甲斐なさに対する、悔し涙だった。
俺は、彼の涙を拭うことはしなかった。
今は、泣くだけ泣かせてやった方がいい。感情を溜め込むことは、心の毒になる。
彼のストレス値は、一時的に上昇したが、涙と共に、少しずつ、安定を取り戻していく。
やがて、涙が枯れた頃、俺は静かに口を開いた。
特殊な選択肢が、また俺の視界に浮かんでいた。
【選択肢】
→あなたには、あなたにしかできないことがある。
→アレクシオス様も、あなたを必要としているはずだ。
→力だけが全てではない。
俺は、一番上の選択肢を選んだ。
彼に必要なのは、自己肯定感を高めてやることだ。
「ルシウス様。あなたは、本当に無力なのでしょうか?」
「え……?」
「確かに、あなたは剣を振るうことはできないかもしれない。でも、あなたには、兄であるアレクシオス様にも、賢者様にもない、特別な力があると、俺は思います」
「僕に……特別な力……?」
ルシウスは、信じられないという顔で、自分自身を見下ろした。
「はい。それは、『人の痛みに寄り添う力』です」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「あなたは、村が襲われた時、自分のことよりも先に、村人たちのことを心配していました。自分のせいで、と心を痛めていた。それは、あなたが彼らの痛みや悲しみを、自分のことのように感じることができる、優しい心を持っている証拠です」
「……」
「その優しさは、決して弱さではありません。むしろ、王として最も大切な資質の一つだと、俺は思います。民の痛みを理解できない王に、良い国を作ることなんて、できるはずがありませんから」
俺の言葉に、ルシウスは息を呑んだ。
彼のコンプレックスだった「優しさ」が、俺によって「強さ」として再定義されたことに、彼は戸惑っているようだった。
「アレクシオス様の強さは、国を守るための『剣』です。賢者様の知恵は、国を導くための『羅針盤』です。そして、あなたの優しさは、民の心を癒し、国を一つにまとめるための『光』になる。どれか一つが欠けても、この国は成り立たない。三つの力が合わさって、初めて、本当に強い国になるんじゃないでしょうか」
俺は、自分の考えを、ありのままに彼に伝えた。
それは、スキルによるものではなく、俺自身の、心からの言葉だった。
「僕は……光……?」
「はい。あなたは、アレクシオス様の強すぎる光が作る影を、優しく照らすことができる、唯一の存在です。だから、自分を無力だなんて、もう言わないでください」
俺がそう言って微笑むと、ルシウスの瞳から、再び涙が溢れ出した。
しかし、それはもう、先程までの絶望の涙ではなかった。
長い間、彼の心を覆っていた暗い霧が、晴れていくのが分かった。
『ルシウスの精神的デバフ【自己嫌悪】が解除されました』
『ルシウスの「ストレス値」が0になりました』
『ルシウスの「幸福度」が最大になりました』
『ルシウスの「信頼度」が最大になりました』
『称号【王の癒し手】を獲得しました』
『クエスト【賢者の憂鬱】の達成度が50%上昇しました』
立て続けに流れるメッセージが、俺のカウンセリングの成功を告げていた。
ルシウスは、しばらくの間、子供のようにしゃくり上げて泣いていたが、やがて、涙で濡れた顔を上げて、俺に微笑みかけた。
それは、まるで雨上がりの空にかかる虹のように、儚くも、美しい笑顔だった。
「……ありがとう、ケイ。君のおかげで、僕は、僕が僕であることに、少しだけ誇りを持てそうだ」
その時だった。
俺たちの後ろから、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには、複雑な表情を浮かべたアレクシオス王子が立っていた。彼がいつからそこにいたのか、俺は全く気づかなかった。
「……ルシウス」
アレクシオスは、ぶっきらぼうに、だが、どこか優しさの滲む声で、弟の名を呼んだ。
「兄上……」
ルシウスは、少しバツが悪そうに、顔を伏せる。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
「……怪我は、ないか」
アレクシオスが、絞り出すように言った。
「……うん。大丈夫。兄上こそ、ごめんなさい。僕のために、危険な目に……」
「馬鹿者!お前は俺の、たった一人の弟だ!兄が弟を守るのは、当たり前だろうが!」
アレクシオスは、そう怒鳴ると、乱暴にルシウスの頭をわしわしと撫でた。
その手つきは不器用だったが、深い愛情に満ちていた。
ルシウスは、驚いたように目を見開いた後、堰を切ったように、再び泣き出した。今度は、兄の胸に顔を埋めて、声を上げて。
俺は、その光景を、少し離れた場所から静かに見守っていた。
十年間、すれ違い続けていた兄弟の心が、今、ようやく一つに繋がった瞬間だった。
この国は、まだ大丈夫だ。
この二人なら、きっと、素晴らしい国を築いていける。俺は、そう確信した。
落ち着きを取り戻した後、アレクシオスは俺に向き直った。
その表情は、以前会った時よりも、ずっと穏やかになっていた。
「ケイ。お前には、礼を言わねばならんな。俺の、そしてルシウスの心も救ってくれた」
「俺は、何も。お二人が、元々、互いを大切に思っていただけですよ」
「ふん、謙遜はよせ。……それで、襲撃犯のことだが」
アレクシオスの表情が、険しいものに戻る。
「数名を捕らえることに成功した。だが、どいつもこいつも、頑なに口を割らん。毒を仕込んでいて、尋問の前に自害しようとする者までいた。相当、手強い組織だ」
やはり、ただの賊ではなかったか。
その背後には、相当な覚悟を持った黒幕がいる。
「ケイ。お前に、頼みがある」
アレクシオスは、真剣な目で俺を見つめた。
「俺に、ですか?」
「ああ。お前のその不思議な力で、奴らの口を割らせることはできないか?奴らが誰に雇われ、何を目的としているのか。それを、聞き出してほしい」
捕虜の尋問。
それは、俺のスキルが最も効果を発揮する場面かもしれない。
だが同時に、危険も伴う。俺は少しだけ考えたが、答えはすでに決まっていた。
「……やってみましょう」
この国の未来のために、俺にできることがあるのなら。
ルシウス王子の震えが、少しだけ収まったように見えた。彼の虚ろだった瞳に、わずかながら光が戻ってくる。
彼は、自分の手を包む俺の手と、俺の顔を、交互にゆっくりと見比べた。
そして、子供が母親に助けを求めるような、か細い声で呟いた。
「君は……誰……?」
「ケイ、と申します。ただの、旅の者です」
俺は、自己紹介を繰り返した。
今は、俺が何者であるかは重要ではない。ただ、彼にとって安全な存在であると認識してもらうことが、何よりも大切だった。
俺は、彼の手を優しく握ったまま、ゆっくりと言葉を続ける。
急かさず、焦らず、彼のペースに合わせる。これが、パニック状態にある相手と接する時の鉄則だ。
「驚きましたよね。怖い思いをされたでしょう。でも、もう大丈夫です。アレクシオス様も駆けつけてくださいました。あなたは、もう安全な場所にいます」
俺は、彼が置かれている状況を、一つ一つ丁寧に説明していく。
安心できる要素を、具体的に言葉にして伝えることで、混乱した彼の頭の中を整理する手助けをするのだ。
「……兄上が……?」
「はい。あなたの知らせを聞いて、誰よりも先に駆けつけてこられました。とても、心配されていましたよ」
俺がそう言うと、ルシウスの瞳が大きく揺れた。
彼の心の中で、兄であるアレクシオスの存在は、きっと複雑なものなのだろう。憧れ、劣等感、そして少しの恐怖。それらが、ごちゃ混ぜになっているに違いない。
「でも……僕のせいで、村が……みんなが……」
再び、彼の表情が罪悪感に歪む。
トラウマの引き金となった光景が、彼の脳裏に蘇ろうとしていた。ストレス値が、再びじりじりと上昇を始める。
ここで、俺はあえて強い口調で、彼の自己否定を遮った。
「それは違います」
「え……?」
ルシウスは、驚いたように俺の顔を見た。
「村が襲われたのは、あなたのせいではありません。悪いのは、百パーセント、襲撃してきた連中です。あなたは、被害者です。自分を責めるのは、絶対に間違っています」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめて、きっぱりと言い切った。
曖昧な慰めは、時には毒になる。今は、彼の間違った認識を、はっきりと正してやる必要があった。
「でも、僕がここにいなければ、彼らはこんな酷い目には……」
「いいえ。もしあなたがここにいなくても、彼らはいずれ、どこかの村を襲っていたでしょう。彼らの目的があなたであったとしても、その手段として村を巻き込んだのは、彼らの選択です。その責任を、あなたが負う必要は、一切ありません」
俺の言葉は、カウンセリングというより、もはや説得に近いものだったかもしれない。
だが、彼の心を縛る「罪悪感」という名の鎖を断ち切るには、これくらいの強い介入が必要だと判断した。
ルシウスは、俺の言葉に何も言い返せなかった。
ただ、大きく見開かれた瞳で、俺の顔をじっと見つめている。彼の心の中で、俺の言葉が反響し、彼の凝り固まった思考に波紋を広げているのが分かった。
『ルシウスの精神的デバフ【恐慌】が、精神的デバフ【自己嫌悪】に変化しました』
『ルシウスの「ストレス値」が、98から80に減少しました』
よし、第一段階はクリアだ。
パニック状態からは脱し、彼は自分の内面と向き合う段階に入った。ここからは、より繊細なアプローチが必要になる。
俺は、バスケットから『リリア特製・勇気の出るパン』を一つ取り出した。
「お腹が空いていませんか?これをどうぞ。食べると、少しだけ勇気が出る、特別なおまじないがかかっているんです」
俺がそう言ってパンを差し出すと、ルシウスは戸惑いながらも、それを受け取った。
そして、小さな口で、一口、パンをかじった。
素朴な小麦の甘みが、口の中に広がったのだろう。
彼の強張っていた表情が、ほんの少しだけ、和らいだ。
「……美味しい……」
「よかった。さあ、ゆっくりでいいですから、全部召し上がってください」
彼は、子供のようにこくこくと頷き、黙々とパンを食べ始めた。
その姿を見ていると、彼が王子であるということを、一瞬忘れてしまいそうになる。彼はただ、傷つき、怯えている、一人の青年に過ぎなかった。
パンを半分ほど食べたところで、ルシウスは顔を上げた。
その瞳には、もうさっきまでの虚ろな色はない。代わりに、深い悲しみが、水のように湛えられていた。
「僕は……無力だ」
ぽつりと、彼が呟いた。
「兄上のように、剣を振るうこともできない。賢者様のように、知恵で国を導くこともできない。僕にあるのは、ただ、平和を願うだけの、何の力もない心だけだ。……そんな僕が、王になれるはずがない」
劣等感。
それが、彼の悩みの根源だった。
あまりにも偉大な兄と、賢すぎる臣下。その二人に囲まれて育った彼は、常に自分の無力さを感じ続けてきたのだろう。
「今回の事件で、よく分かった。僕の理想なんて、暴力の前では、あまりにも脆くて、無意味なんだ。民を守りたいと願うことと、実際に守れることは、全く違うんだ……」
彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、自分の不甲斐なさに対する、悔し涙だった。
俺は、彼の涙を拭うことはしなかった。
今は、泣くだけ泣かせてやった方がいい。感情を溜め込むことは、心の毒になる。
彼のストレス値は、一時的に上昇したが、涙と共に、少しずつ、安定を取り戻していく。
やがて、涙が枯れた頃、俺は静かに口を開いた。
特殊な選択肢が、また俺の視界に浮かんでいた。
【選択肢】
→あなたには、あなたにしかできないことがある。
→アレクシオス様も、あなたを必要としているはずだ。
→力だけが全てではない。
俺は、一番上の選択肢を選んだ。
彼に必要なのは、自己肯定感を高めてやることだ。
「ルシウス様。あなたは、本当に無力なのでしょうか?」
「え……?」
「確かに、あなたは剣を振るうことはできないかもしれない。でも、あなたには、兄であるアレクシオス様にも、賢者様にもない、特別な力があると、俺は思います」
「僕に……特別な力……?」
ルシウスは、信じられないという顔で、自分自身を見下ろした。
「はい。それは、『人の痛みに寄り添う力』です」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「あなたは、村が襲われた時、自分のことよりも先に、村人たちのことを心配していました。自分のせいで、と心を痛めていた。それは、あなたが彼らの痛みや悲しみを、自分のことのように感じることができる、優しい心を持っている証拠です」
「……」
「その優しさは、決して弱さではありません。むしろ、王として最も大切な資質の一つだと、俺は思います。民の痛みを理解できない王に、良い国を作ることなんて、できるはずがありませんから」
俺の言葉に、ルシウスは息を呑んだ。
彼のコンプレックスだった「優しさ」が、俺によって「強さ」として再定義されたことに、彼は戸惑っているようだった。
「アレクシオス様の強さは、国を守るための『剣』です。賢者様の知恵は、国を導くための『羅針盤』です。そして、あなたの優しさは、民の心を癒し、国を一つにまとめるための『光』になる。どれか一つが欠けても、この国は成り立たない。三つの力が合わさって、初めて、本当に強い国になるんじゃないでしょうか」
俺は、自分の考えを、ありのままに彼に伝えた。
それは、スキルによるものではなく、俺自身の、心からの言葉だった。
「僕は……光……?」
「はい。あなたは、アレクシオス様の強すぎる光が作る影を、優しく照らすことができる、唯一の存在です。だから、自分を無力だなんて、もう言わないでください」
俺がそう言って微笑むと、ルシウスの瞳から、再び涙が溢れ出した。
しかし、それはもう、先程までの絶望の涙ではなかった。
長い間、彼の心を覆っていた暗い霧が、晴れていくのが分かった。
『ルシウスの精神的デバフ【自己嫌悪】が解除されました』
『ルシウスの「ストレス値」が0になりました』
『ルシウスの「幸福度」が最大になりました』
『ルシウスの「信頼度」が最大になりました』
『称号【王の癒し手】を獲得しました』
『クエスト【賢者の憂鬱】の達成度が50%上昇しました』
立て続けに流れるメッセージが、俺のカウンセリングの成功を告げていた。
ルシウスは、しばらくの間、子供のようにしゃくり上げて泣いていたが、やがて、涙で濡れた顔を上げて、俺に微笑みかけた。
それは、まるで雨上がりの空にかかる虹のように、儚くも、美しい笑顔だった。
「……ありがとう、ケイ。君のおかげで、僕は、僕が僕であることに、少しだけ誇りを持てそうだ」
その時だった。
俺たちの後ろから、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには、複雑な表情を浮かべたアレクシオス王子が立っていた。彼がいつからそこにいたのか、俺は全く気づかなかった。
「……ルシウス」
アレクシオスは、ぶっきらぼうに、だが、どこか優しさの滲む声で、弟の名を呼んだ。
「兄上……」
ルシウスは、少しバツが悪そうに、顔を伏せる。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
「……怪我は、ないか」
アレクシオスが、絞り出すように言った。
「……うん。大丈夫。兄上こそ、ごめんなさい。僕のために、危険な目に……」
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アレクシオスは、そう怒鳴ると、乱暴にルシウスの頭をわしわしと撫でた。
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ルシウスは、驚いたように目を見開いた後、堰を切ったように、再び泣き出した。今度は、兄の胸に顔を埋めて、声を上げて。
俺は、その光景を、少し離れた場所から静かに見守っていた。
十年間、すれ違い続けていた兄弟の心が、今、ようやく一つに繋がった瞬間だった。
この国は、まだ大丈夫だ。
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落ち着きを取り戻した後、アレクシオスは俺に向き直った。
その表情は、以前会った時よりも、ずっと穏やかになっていた。
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「俺は、何も。お二人が、元々、互いを大切に思っていただけですよ」
「ふん、謙遜はよせ。……それで、襲撃犯のことだが」
アレクシオスの表情が、険しいものに戻る。
「数名を捕らえることに成功した。だが、どいつもこいつも、頑なに口を割らん。毒を仕込んでいて、尋問の前に自害しようとする者までいた。相当、手強い組織だ」
やはり、ただの賊ではなかったか。
その背後には、相当な覚悟を持った黒幕がいる。
「ケイ。お前に、頼みがある」
アレクシオスは、真剣な目で俺を見つめた。
「俺に、ですか?」
「ああ。お前のその不思議な力で、奴らの口を割らせることはできないか?奴らが誰に雇われ、何を目的としているのか。それを、聞き出してほしい」
捕虜の尋問。
それは、俺のスキルが最も効果を発揮する場面かもしれない。
だが同時に、危険も伴う。俺は少しだけ考えたが、答えはすでに決まっていた。
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