異世界で働く竜のおくりびと、山守青年と最期の竜を送る恋物語

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エルが、イグニス様から聞いたという昔話をしてくれる。
それは、私たちが洞窟で過ごす新しい日課のようになっていた。

彼が語る物語は、いつも生き生きとしていた。
やんちゃだった若い頃のイグニス様が、天の頂に住むという雷鳥の卵をこっそり拝借しようとしてこっぴどく怒られた話。
美しい人間の姫君に恋をして、毎日城のバルコニーの下で溜め息をついていたという、可愛らしい話。
そして、生涯の友となる番人の一族と出会い、この高峰に骨を埋めることを決意したという、少しだけ厳かな話。

彼の話を聞いていると、洞窟の奥で眠る巨大な存在が、ただの伝説の生き物ではなく、一人の感情豊かな愛すべき個人なのだということが、ひしひしと伝わってきた。
私は、まだ会ったことのないイグニス様のことが日に日に好きになっていった。

「…とまあ、そんなわけでイグニスの奴、それ以来、甘いお菓子には目がないんだ。特に、蜂蜜をたっぷりかけた木の実のパイが、大好物でな」

「ふふ、なんだか想像がつきますね。あんなに大きな体で、甘いものがお好きだなんて」

「ああ。だから、お前が無事に儀式を終えたら、俺がとびきり美味いのを焼いてやる。イグニスへの、手向けにな」

そう言って笑う彼の顔には、もう以前のような悲壮感はなかった。
彼は、私の仕事を理解してくれた。
そして友の死をただ悲しむのではなく、その生涯を讃え、敬意をもって送り出すという新しい向き合い方を見つけようとしていた。

そのことが、私にはたまらなく嬉しかった。

そんな穏やかな日々が、数日続いたある日のこと。
その日も私は、来るべき儀式のために祭具の手入れを入念に行っていた。
エルは、その様子をしばらく黙って見ていたが、やがておもむろに口を開いた。

「なあ、リーナ」

「はい、なんでしょう」

「お前、戦うための訓練は、したことがないのか」

唐突な質問に、私はきょとんとしてしまった。

「戦う、ですか? 竜葬司は戦う者ではありませんから。私たちの力は、あくまで魂を導き、場を浄化するためのものです」

「だが、前のようことがまたあるかもしれない。あの術師どもが、いつまた襲ってくるとも限らん。その時、俺が必ずお前のそばにいられるとは、限らないんだぞ」

彼の言うことには、一理あった。
前の戦いでは、私たちは運良く連携が取れた。
だが、もし分断されてしまったら?
儀式の途中で、私が一人で敵と対峙しなければならなくなったら?
想像しただけで、背筋が寒くなる。

「だから、教えてやる。最低限、自分の身を守るための術をな。番人の戦い方だ」

「私が、ですか?」

「そうだ。お前は、どうも体の動かし方がぎこちない。儀式の時の集中力は大したものだが、いざという時に足がもつれて転んでいそうだ」

失礼な、と思わなくもなかったけれど、彼の指摘は的を射ていた。
私は、昔から運動はとんと苦手だったのだ。

「…ですが、私にそんなことができますでしょうか」

「やるんだよ。いいか、これもイグニスを、そしてお前自身を守るための『仕事』だと思え」

仕事、という言葉に私ははっとさせられた。
そうだ。
これも、竜葬司としての務めを完全に遂行するための、準備の一つ。
そう考えれば、私のやるべきことは一つしかなかった。

「…分かりました。ご指導、よろしくお願いします」

私が深々と頭を下げると、エルは少し意外そうな顔をして、そしてにやりと笑った。
「よし、話が早くて助かる。じゃあ、早速始めるぞ」

私たちは、洞窟の外の少し開けた場所へと移動した。
高峰の空気は、肌を刺すように冷たい。

「まずは構えだ。どんな時でも、すぐ動けるように重心を低く保つ」

エルは、そう言って見本を見せてくれた。
両足を肩幅に開き、膝を軽く曲げる。
その姿は少しの隙もなく、まるで大地に根を張った大樹のようだった。

私も彼に倣って、同じように構えてみる。
けれど、どうにも様にならない。

「違う。腰が高い。もっと落とせ」

「は、はい」

「背筋は伸ばしたままだ。そうじゃないと、視線がぶれる」

「こ、こうですか?」

「ああ、まあ、さっきよりはマシか」

彼の指導は、とてもスパルタだった。
ほんの少しでも私の姿勢が崩れると、容赦なく指摘が飛んでくる。
そして、その指導はなぜか物理的な接触が多かった。

「だから、腰が高いと言っているだろう」
そう言って、私の腰をぐいと力強く押さえる。

「わっ」
思わず、変な声が出た。
彼の大きな手が、外套越しに私の体に触れている。
その固くて熱い感触に、心臓がどきりと大きく跳ねた。

「な、なんだその声は」
エルも、少し驚いたようだ。

「い、いえ、なんでもありません! 続行してください!」

私は顔が赤くなるのを感じながら、必死で平静を装った。
いけない、いけない。
今は、訓練に集中しなければ。

次に彼は、私に回避の動きを教え始めた。
彼がゆっくりと、槍の穂先を突き出してくる。
私はそれを、左右に動いてかわさなければならない。

「いいか、相手の動きをよく見ろ。武器の先端じゃない。肩と、足の動きだ。そこを見れば、次にどこを狙ってくるか大体分かる」

「肩と、足…」

私は彼の言葉通り、その猛禽類のような鋭い瞳ではなく、彼の体の動きに意識を集中させる。
彼の右肩が、わずかに動いた。
――来る。

私はとっさに、左へと体を捻った。
シュッと、槍の穂先が私の鼻先をかすめていく。

「お、今のは悪くなかったぞ」
エルが、初めて褒めてくれた。
そのことが、なんだかとても嬉しくて私の心は弾んだ。

調子に乗った私は、次の彼の攻撃をもっと華麗にかわしてやろうと思った。
彼の足が、一歩前に踏み込まれる。
今だ。

私は、後ろに大きく飛び退いた。
その瞬間。
自分の足が、もつれるのが分かった。

「きゃっ」

私は、見事にすっ転んだ。
固い雪の上に、お尻を強かに打ち付けてしまう。

「い、痛たた…」

「…だから、言わんこっちゃない」
エルが大きな溜め息をつきながら、私の前にしゃがみ込んだ。
その顔は、呆れているようでもあり、少しだけ面白がっているようでもあった。

「大丈夫か」

「だ、大丈夫です。この通り、ぴんぴんして…」

私が強がって立ち上がろうとした、その時。
彼が、すっと手を差し伸べてくれた。

「…ほら」

私は、一瞬ためらった。
けれど、その無骨で傷だらけの、でもとても頼もしい手を、無視することなんてできなかった。
私は、おずおずと彼の手を取る。

ぐい、と強い力で引き上げられた。
その拍子に、私の体は彼の胸の中に飛び込むような形になる。
どくん、と彼の心臓の鼓動が直接伝わってくる。
彼がいつも焚いている薬草の香りと、太陽の匂いがした。

「…」
「…」

私たちは二人とも、何も言えずに固まってしまった。
時間の流れが、止まったかのようだ。

やがて先に我に返ったのは、エルの方だった。
彼はバッと私から体を離すと、そっぽを向いて言った。

「け、怪我がないなら、訓練再開だ!」

「は、はい!」
私も、慌てて彼から距離を取る。
私の顔はきっと今、茹でダコみたいに真っ赤になっているに違いない。
もう、彼の顔をまともに見ることができなかった。

その後の訓練は、なんだかお互いにぎこちないものになってしまった。
けれど、その気まずい空気は決して嫌なものではなかった。
むしろ、私の心の中はぽかぽかと温かいもので満たされていた。

訓練の最後に、私はエルに私の「戦い方」も見せておくことにした。
私は、小さな土の玉をいくつか取り出す。
中には浄化作用のある聖なる塩と、砕いた水晶の粉末がぎっしりと詰め込まれている。

「これは?」

「私の、『武器』です。これを、邪な魔力を持つ相手に投げつけます」

私はそう言って、近くの黒ずんだ岩に向かってその土玉を一つ投げつけた。
パン、という乾いた音と共に土玉が砕け散る。
中から白い粉が勢いよく飛び出し、岩を真っ白に染め上げた。
すると、岩の黒ずみがまるで洗い流されたかのように消えていく。

「…なるほどな。物理的な攻撃力はないが、奴らのような術師相手には効果的か」

エルは腕を組んで、感心したように頷いた。

「ええ。それに、これなら私でも扱えますから」

私がにこりと笑うと、彼はふっと息を吐いて言った。
「分かった。お前のその『武器』も、なかなか頼りになりそうだ」

その言葉が、とても嬉しかった。
彼は私の力を認めてくれた。
そして、私も彼の強さを改めて知ることができた。

私たちはそれぞれのやり方で、互いを守り支え合うことができる。
私たちは、最高のパートナーになれるかもしれない。

そんな予感が、私の胸を温かく満たしていった。
高峰の頂に吹く風が、私たちの髪を優しく揺らしていた。
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