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第1話 追放の朝、私はゴミ捨て場で「神」を拾った
「エル・ド・ラメール。貴様との婚約を破棄する」
王太子ジュリアスの声が、冷え切った石造りの謁見の間に反響する。
高い天井に吸い込まれていくその声は、彼が纏っている金色の刺繍が施された軍服と同じくらい、中身がなく仰々しい。
私の隣には、腹違いの妹であるリンが勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。彼女の腕は、まるで自分の所有物だと主張するように、ジュリアスの腕に絡みついていた。
「理由をお聞きしても?」
私の問いかけに、周囲の貴族たちからクスクスという冷笑が漏れる。
昨日まで私の浄化魔法に縋り付き、腐りかけた領地の再生を泣いて頼んできた者たちが、今日は掌を返して私を蔑んでいる。人間とは、これほどまでに滑稽で、切り替えの早い生き物らしい。
「白々しい! 貴様の魔力はすでに枯渇しているではないか! 聖女としての務めも果たせず、ただ飯を食らうだけの無能な女に、王妃の座など務まるはずがない!」
ジュリアスが唾を飛ばしながら叫ぶ。
魔力が枯渇?
私は自分の手のひらをじっと見つめる。
確かに、この王都に満ちている空気は澱んでいる。人間の欲望と怠惰がヘドロのように凝縮されたマナが、私の清浄な魔力と反発し、内側へ押し込められている感覚はある。
だが、それを「枯渇」と判断するとは。この国の魔導測定器は、よほどの欠陥品か、あるいは測定者の目が節穴なのだろう。
「姉さん、残念ねぇ。でも安心して? ジュリアス様のお世継ぎは、私が責任を持って産んで差し上げるから」
リンが猫なで声で言いながら、ジュリアスの胸板に頬を擦り寄せる。
その姿を見て、私は胸の奥から湧き上がる感情を確認する。
悲しみ? 絶望?
いいや。あるのは、ようやくこの腐臭漂う鳥籠から解放されるという、純粋な安堵だけだ。
「……そうですか。承知いたしました」
「フン、ようやく自分の立場を理解したか。貴様は今この瞬間をもって国外追放とする!」
ジュリアスが汚いものを払うように手を振った。
「ただし、王家の慈悲だ。貴様のような無能が野垂れ死ぬのも寝覚めが悪い。持っていける荷物は着替え一つと……そうだ、そこに転がっているゴミ同然の道具を持っていけ」
彼が顎でしゃくった先、宝物庫の廃棄予定品が積まれた隅に、煤けた黒い釜が転がっていた。
表面は長年の使用で真っ黒に変色し、所々に亀裂のような筋が走っている。誰が見ても、ただの産業廃棄物だ。
だが、私の目は吸い寄せられるようにその釜に釘付けになった。
(……あら?)
近づいて、指先で触れる。
冷たい金属の感触と共に、指の腹から微弱な魔力を流し込んでみる。
瞬間、釜の底から、宇宙の深淵を覗き込んだような底知れない吸引力が返ってきた。
表面の汚れで見えなくなっているが、これは相当に古い時代の遺物だ。現代の錬金術師たちが使うような大量生産品とは、基礎設計の思想がまるで違う。
魔力伝導率が異常に高く、素材の特性を極限まで引き出せる構造になっている。
(『創世の器』……なんて大層な名前の伝説があった気がするけれど、まさかね。でも、これなら私のような半端な魔力でも、そこそこの品質の薬が作れそうだわ)
彼らにとってはゴミでも、私にとっては掘り出し物のアンティークだ。
私はその重たい釜を、愛おしそうに両手で抱え上げた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
「はんっ! 乞食にはお似合いのガラクタだ。さっさと消えろ、二度とその薄気味悪い顔を見せるな!」
衛兵たちに背中を押され、私は王宮を後にした。
背後で重厚な扉が閉まる音が、私と彼らの世界を断絶する断頭台の音のように響いた。
*
王都の巨大な城門を抜け、国境へと続く街道を歩く。
空は鉛色に曇り、肌を刺すような冷たい風が吹き荒れている。手元には着替えの入った粗末な鞄と、背中に背負った黒い釜だけ。
普通なら絶望に打ちひしがれ、涙に暮れる場面なのだろう。
だが、一歩進むごとに、私の体は羽が生えたように軽くなっていた。
「……ふう。ようやく深呼吸ができる」
王都を覆っていた結界の外に出た瞬間。
足元から、黄金の光の粒子が噴き出した。
体内で圧縮され続けていた魔力が、解放を求めて全身の毛穴から溢れ出す。
それは意志を持った奔流となって、私の周囲へ波紋のように広がっていった。
パァァァァァッ……。
光が触れた枯れ草が、一瞬にして鮮やかな緑色を取り戻す。
冬枯れしていた街路樹が、季節を忘れたように蕾を膨らませ、ポンポンと音を立てて極彩色の花を咲かせた。
私の歩いた跡が、そのまま光り輝く花道へと変わっていく。
視界を埋め尽くす花の絨毯。芳醇な香りが、冷たい風に乗って漂う。
「やっぱり、枯れてなんかいなかった。ただ、あの場所が私に合わなかっただけ」
私は指先から溢れる光を握りしめる。
この力があれば、どこでだって生きていける。
むしろ、私の浄化魔法でかろうじて保たれていた王都の地盤が、これからどうなっていくのか。
腐りきった大地が、その牙を剥くのは時間の問題だろう。
……まあ、追放された私にはもう関係のない話だ。
私は北を目指した。
噂に聞く「銀狼公爵」が治めるという、極寒の辺境の地。
そこなら、人の世のしがらみから離れ、静かに錬金術の研究に没頭できるかもしれない。
数日後。
私は猛吹雪の森の中にいた。
視界は白一色に染まり、方向感覚すら失いそうになる。
だが、私の体は自前の魔力膜で覆われているため、寒さは微塵も感じない。むしろ、温泉に浸かっているような快適な温度が保たれている。
「あら……?」
雪の中に、銀色の塊が倒れているのを見つけた。
近づいてみると、それは一匹の巨大な狼だった。
美しい銀色の毛並みはどす黒い血に汚れ、呼吸は絶え絶えに浅い。腹部には、何者かにえぐられたような深い傷があり、そこから紫色の不吉な霧が立ち昇っていた。
(ひどい怪我。それに、この傷跡……ただの魔物の爪じゃないわね。高位の呪詛が絡みついている)
致死量を超える呪いの魔力が、傷口の再生を阻害し、生命力を根こそぎ奪おうとしている。
普通の治癒魔法使いなら、触れただけで呪いが伝染して即死するレベルだ。
だが、私には「材料」にしか見えなかった。
「かわいそうに。待ってて、すぐに温かいものを作ってあげるから」
私は背中の釜を下ろし、雪の上にどすんと置いた。
焚き火の準備などしている時間はない。
私は釜の中に、周囲に積もっていた雪を無造作に放り込んだ。
さらに、ポケットに入っていた、道端で拾った枯れ枝を数本加える。
普通なら、ただの泥水にしかならない組み合わせだ。
「えっと、あとは魔力の触媒が必要ね。私の髪の毛でいいかしら」
自分の銀髪を一本抜き、パラリと釜に落とす。
そして、私は右手を釜にかざした。
「美味しくなーれ、元気になーれ」
鼻歌交じりに、魔力を注ぎ込む。
私の指先から、黄金の螺旋が釜の中へと吸い込まれていく。
本来なら複雑な術式と厳密な温度管理が必要な錬金術だが、この釜は私のイメージをダイレクトに具現化してくれるようだ。
私の「治れ」という単純な思考が、釜の中で増幅され、物理法則をねじ曲げていく。
ボォォォォォォッ!!
釜の中から、太陽が生まれたかのような眩い輝きが立ち昇った。
周囲の雪が一瞬で蒸発し、猛吹雪がかき消される。
甘く、どこか懐かしい香りが森中に充満した。
「できた。特製栄養スープよ」
釜の中には、透き通った琥珀色の液体が満ちていた。
それは、かつて神話の時代に神々が飲み交わしたとされる霊薬『神の涙』そのものだったが、今の私はそれを「ちょっと効果が高いホットドリンク」程度にしか認識していない。
私はその液体を、銀狼の口元へ流し込んだ。
残った液体は、惜しげもなく傷口へとぶっかける。
ジュワァァァァッ!
黒い呪いの霧が、光に触れた瞬間に悲鳴のような音を立てて消滅した。
えぐれていた肉が、早回しの映像を見ているような速度で盛り上がり、塞がっていく。
切断寸前だった血管が繋がり、神経が修復され、失われたはずの毛並みが再生する。
「クゥ……?」
銀狼が、信じられないものを見る目で目を見開いた。
その瞳は、凍てつく冬の夜空よりも深く、知性的な銀色をしていた。
次の瞬間。
銀狼の巨体が、カッと光り輝いた。
光の奔流が収束し、人の形を成していく。
そこに現れたのは、一人の男だった。
濡れたような銀髪に、鋭い銀の瞳。彫刻のように整った顔立ちには、冷徹さと、隠しきれない王者の風格が漂っている。ボロボロだったはずの体は、傷一つない完璧な肉体美を晒していた。
「……お前、今、何をした?」
男の声は、地響きのように低く、それでいてチェロの音色のように心地よく響いた。
彼は自分の腹部をさすり、呆然と私を見上げている。
「何って、怪我の手当です。この釜、やっぱり使い勝手がいいわ。雪と枯れ枝だけで、ここまで効くポーションができるなんて」
「雪と……枯れ枝だと……?」
男が目を見開き、絶句した。
彼は私の手元にある真っ黒な釜と、琥珀色に輝く液体の残りを交互に見つめる。
「馬鹿な。私は今、確実に魂ごと腐り落ちて死にかけていたはずだ。この身に受けたのは、古代竜の呪毒だぞ。それを、雪解け水で治したというのか?」
「あら、ただの雪解け水じゃありませんよ? 私の特製隠し味入りです」
「隠し味……」
男が私の手を掴んだ。
その掌は驚くほど熱く、力強い。
彼が顔を近づけてくる。その瞳の奥で、獲物を見つけた捕食者のような、ギラギラとした光が揺らめいた。
「この液体から感じる魔力……いや、波動そのものが神域に達している。お前、自分が何を作ったのか理解しているのか?」
「風邪薬のちょっといいやつ、くらいでしょうか」
私の答えを聞いて、男は深く息を吐き、そして楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「ククク……風邪薬か。世界中の錬金術師が聞けば、泡を吹いて卒倒するぞ。気に入った」
彼は立ち上がり、私の腰を軽々と抱き寄せた。
抗う隙すら与えない、圧倒的な速度と力。
私の体が宙に浮く。
「え、ちょっ……?」
「逃がさないぞ。これほどの奇跡を無自覚に垂れ流す女を、野放しになどできるはずがない」
彼の顔が至近距離に迫る。
整いすぎた美貌が、強烈な色気を放っていた。
「私の名はゼノス・フォン・ヴォルフラム。この地を統べる公爵であり、お前が救った狼だ」
「ヴォルフラム……って、あの『銀狼公爵』様!?」
「そうだ。礼をさせてもらう。今日からお前は私の城に来い。拒否権はない」
彼は私を小脇に抱えると、再び銀色の風を纏い、雪原を駆け出した。
人間とは思えない速度で景色が流れていく。
普通なら恐怖を感じるはずの暴走だが、彼の腕の中は不思議なほど安定していて、春の日差しのような暖かさに包まれていた。
「お前のその力、骨の髄まで私が独占させてもらう」
耳元で囁かれた言葉は、命令でありながら、どこか熱っぽい執着を含んでいた。
私が王都で「ゴミ」として捨てられたその日、私は世界最強の神獣に拾われたのだ。
その選択が、やがて世界中のパワーバランスを崩壊させ、私を捨てた王国を破滅の淵へと追い込んでいくことになるなど、この時の私はまだ知る由もなかった。
「……あの、私の釜、忘れてませんか?」
「安心しろ。あの国宝級のガラクタも、私が責任を持って運ばせる」
こうして、私の新しい生活は、唐突な誘拐から幕を開けたのである。
王太子ジュリアスの声が、冷え切った石造りの謁見の間に反響する。
高い天井に吸い込まれていくその声は、彼が纏っている金色の刺繍が施された軍服と同じくらい、中身がなく仰々しい。
私の隣には、腹違いの妹であるリンが勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。彼女の腕は、まるで自分の所有物だと主張するように、ジュリアスの腕に絡みついていた。
「理由をお聞きしても?」
私の問いかけに、周囲の貴族たちからクスクスという冷笑が漏れる。
昨日まで私の浄化魔法に縋り付き、腐りかけた領地の再生を泣いて頼んできた者たちが、今日は掌を返して私を蔑んでいる。人間とは、これほどまでに滑稽で、切り替えの早い生き物らしい。
「白々しい! 貴様の魔力はすでに枯渇しているではないか! 聖女としての務めも果たせず、ただ飯を食らうだけの無能な女に、王妃の座など務まるはずがない!」
ジュリアスが唾を飛ばしながら叫ぶ。
魔力が枯渇?
私は自分の手のひらをじっと見つめる。
確かに、この王都に満ちている空気は澱んでいる。人間の欲望と怠惰がヘドロのように凝縮されたマナが、私の清浄な魔力と反発し、内側へ押し込められている感覚はある。
だが、それを「枯渇」と判断するとは。この国の魔導測定器は、よほどの欠陥品か、あるいは測定者の目が節穴なのだろう。
「姉さん、残念ねぇ。でも安心して? ジュリアス様のお世継ぎは、私が責任を持って産んで差し上げるから」
リンが猫なで声で言いながら、ジュリアスの胸板に頬を擦り寄せる。
その姿を見て、私は胸の奥から湧き上がる感情を確認する。
悲しみ? 絶望?
いいや。あるのは、ようやくこの腐臭漂う鳥籠から解放されるという、純粋な安堵だけだ。
「……そうですか。承知いたしました」
「フン、ようやく自分の立場を理解したか。貴様は今この瞬間をもって国外追放とする!」
ジュリアスが汚いものを払うように手を振った。
「ただし、王家の慈悲だ。貴様のような無能が野垂れ死ぬのも寝覚めが悪い。持っていける荷物は着替え一つと……そうだ、そこに転がっているゴミ同然の道具を持っていけ」
彼が顎でしゃくった先、宝物庫の廃棄予定品が積まれた隅に、煤けた黒い釜が転がっていた。
表面は長年の使用で真っ黒に変色し、所々に亀裂のような筋が走っている。誰が見ても、ただの産業廃棄物だ。
だが、私の目は吸い寄せられるようにその釜に釘付けになった。
(……あら?)
近づいて、指先で触れる。
冷たい金属の感触と共に、指の腹から微弱な魔力を流し込んでみる。
瞬間、釜の底から、宇宙の深淵を覗き込んだような底知れない吸引力が返ってきた。
表面の汚れで見えなくなっているが、これは相当に古い時代の遺物だ。現代の錬金術師たちが使うような大量生産品とは、基礎設計の思想がまるで違う。
魔力伝導率が異常に高く、素材の特性を極限まで引き出せる構造になっている。
(『創世の器』……なんて大層な名前の伝説があった気がするけれど、まさかね。でも、これなら私のような半端な魔力でも、そこそこの品質の薬が作れそうだわ)
彼らにとってはゴミでも、私にとっては掘り出し物のアンティークだ。
私はその重たい釜を、愛おしそうに両手で抱え上げた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
「はんっ! 乞食にはお似合いのガラクタだ。さっさと消えろ、二度とその薄気味悪い顔を見せるな!」
衛兵たちに背中を押され、私は王宮を後にした。
背後で重厚な扉が閉まる音が、私と彼らの世界を断絶する断頭台の音のように響いた。
*
王都の巨大な城門を抜け、国境へと続く街道を歩く。
空は鉛色に曇り、肌を刺すような冷たい風が吹き荒れている。手元には着替えの入った粗末な鞄と、背中に背負った黒い釜だけ。
普通なら絶望に打ちひしがれ、涙に暮れる場面なのだろう。
だが、一歩進むごとに、私の体は羽が生えたように軽くなっていた。
「……ふう。ようやく深呼吸ができる」
王都を覆っていた結界の外に出た瞬間。
足元から、黄金の光の粒子が噴き出した。
体内で圧縮され続けていた魔力が、解放を求めて全身の毛穴から溢れ出す。
それは意志を持った奔流となって、私の周囲へ波紋のように広がっていった。
パァァァァァッ……。
光が触れた枯れ草が、一瞬にして鮮やかな緑色を取り戻す。
冬枯れしていた街路樹が、季節を忘れたように蕾を膨らませ、ポンポンと音を立てて極彩色の花を咲かせた。
私の歩いた跡が、そのまま光り輝く花道へと変わっていく。
視界を埋め尽くす花の絨毯。芳醇な香りが、冷たい風に乗って漂う。
「やっぱり、枯れてなんかいなかった。ただ、あの場所が私に合わなかっただけ」
私は指先から溢れる光を握りしめる。
この力があれば、どこでだって生きていける。
むしろ、私の浄化魔法でかろうじて保たれていた王都の地盤が、これからどうなっていくのか。
腐りきった大地が、その牙を剥くのは時間の問題だろう。
……まあ、追放された私にはもう関係のない話だ。
私は北を目指した。
噂に聞く「銀狼公爵」が治めるという、極寒の辺境の地。
そこなら、人の世のしがらみから離れ、静かに錬金術の研究に没頭できるかもしれない。
数日後。
私は猛吹雪の森の中にいた。
視界は白一色に染まり、方向感覚すら失いそうになる。
だが、私の体は自前の魔力膜で覆われているため、寒さは微塵も感じない。むしろ、温泉に浸かっているような快適な温度が保たれている。
「あら……?」
雪の中に、銀色の塊が倒れているのを見つけた。
近づいてみると、それは一匹の巨大な狼だった。
美しい銀色の毛並みはどす黒い血に汚れ、呼吸は絶え絶えに浅い。腹部には、何者かにえぐられたような深い傷があり、そこから紫色の不吉な霧が立ち昇っていた。
(ひどい怪我。それに、この傷跡……ただの魔物の爪じゃないわね。高位の呪詛が絡みついている)
致死量を超える呪いの魔力が、傷口の再生を阻害し、生命力を根こそぎ奪おうとしている。
普通の治癒魔法使いなら、触れただけで呪いが伝染して即死するレベルだ。
だが、私には「材料」にしか見えなかった。
「かわいそうに。待ってて、すぐに温かいものを作ってあげるから」
私は背中の釜を下ろし、雪の上にどすんと置いた。
焚き火の準備などしている時間はない。
私は釜の中に、周囲に積もっていた雪を無造作に放り込んだ。
さらに、ポケットに入っていた、道端で拾った枯れ枝を数本加える。
普通なら、ただの泥水にしかならない組み合わせだ。
「えっと、あとは魔力の触媒が必要ね。私の髪の毛でいいかしら」
自分の銀髪を一本抜き、パラリと釜に落とす。
そして、私は右手を釜にかざした。
「美味しくなーれ、元気になーれ」
鼻歌交じりに、魔力を注ぎ込む。
私の指先から、黄金の螺旋が釜の中へと吸い込まれていく。
本来なら複雑な術式と厳密な温度管理が必要な錬金術だが、この釜は私のイメージをダイレクトに具現化してくれるようだ。
私の「治れ」という単純な思考が、釜の中で増幅され、物理法則をねじ曲げていく。
ボォォォォォォッ!!
釜の中から、太陽が生まれたかのような眩い輝きが立ち昇った。
周囲の雪が一瞬で蒸発し、猛吹雪がかき消される。
甘く、どこか懐かしい香りが森中に充満した。
「できた。特製栄養スープよ」
釜の中には、透き通った琥珀色の液体が満ちていた。
それは、かつて神話の時代に神々が飲み交わしたとされる霊薬『神の涙』そのものだったが、今の私はそれを「ちょっと効果が高いホットドリンク」程度にしか認識していない。
私はその液体を、銀狼の口元へ流し込んだ。
残った液体は、惜しげもなく傷口へとぶっかける。
ジュワァァァァッ!
黒い呪いの霧が、光に触れた瞬間に悲鳴のような音を立てて消滅した。
えぐれていた肉が、早回しの映像を見ているような速度で盛り上がり、塞がっていく。
切断寸前だった血管が繋がり、神経が修復され、失われたはずの毛並みが再生する。
「クゥ……?」
銀狼が、信じられないものを見る目で目を見開いた。
その瞳は、凍てつく冬の夜空よりも深く、知性的な銀色をしていた。
次の瞬間。
銀狼の巨体が、カッと光り輝いた。
光の奔流が収束し、人の形を成していく。
そこに現れたのは、一人の男だった。
濡れたような銀髪に、鋭い銀の瞳。彫刻のように整った顔立ちには、冷徹さと、隠しきれない王者の風格が漂っている。ボロボロだったはずの体は、傷一つない完璧な肉体美を晒していた。
「……お前、今、何をした?」
男の声は、地響きのように低く、それでいてチェロの音色のように心地よく響いた。
彼は自分の腹部をさすり、呆然と私を見上げている。
「何って、怪我の手当です。この釜、やっぱり使い勝手がいいわ。雪と枯れ枝だけで、ここまで効くポーションができるなんて」
「雪と……枯れ枝だと……?」
男が目を見開き、絶句した。
彼は私の手元にある真っ黒な釜と、琥珀色に輝く液体の残りを交互に見つめる。
「馬鹿な。私は今、確実に魂ごと腐り落ちて死にかけていたはずだ。この身に受けたのは、古代竜の呪毒だぞ。それを、雪解け水で治したというのか?」
「あら、ただの雪解け水じゃありませんよ? 私の特製隠し味入りです」
「隠し味……」
男が私の手を掴んだ。
その掌は驚くほど熱く、力強い。
彼が顔を近づけてくる。その瞳の奥で、獲物を見つけた捕食者のような、ギラギラとした光が揺らめいた。
「この液体から感じる魔力……いや、波動そのものが神域に達している。お前、自分が何を作ったのか理解しているのか?」
「風邪薬のちょっといいやつ、くらいでしょうか」
私の答えを聞いて、男は深く息を吐き、そして楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「ククク……風邪薬か。世界中の錬金術師が聞けば、泡を吹いて卒倒するぞ。気に入った」
彼は立ち上がり、私の腰を軽々と抱き寄せた。
抗う隙すら与えない、圧倒的な速度と力。
私の体が宙に浮く。
「え、ちょっ……?」
「逃がさないぞ。これほどの奇跡を無自覚に垂れ流す女を、野放しになどできるはずがない」
彼の顔が至近距離に迫る。
整いすぎた美貌が、強烈な色気を放っていた。
「私の名はゼノス・フォン・ヴォルフラム。この地を統べる公爵であり、お前が救った狼だ」
「ヴォルフラム……って、あの『銀狼公爵』様!?」
「そうだ。礼をさせてもらう。今日からお前は私の城に来い。拒否権はない」
彼は私を小脇に抱えると、再び銀色の風を纏い、雪原を駆け出した。
人間とは思えない速度で景色が流れていく。
普通なら恐怖を感じるはずの暴走だが、彼の腕の中は不思議なほど安定していて、春の日差しのような暖かさに包まれていた。
「お前のその力、骨の髄まで私が独占させてもらう」
耳元で囁かれた言葉は、命令でありながら、どこか熱っぽい執着を含んでいた。
私が王都で「ゴミ」として捨てられたその日、私は世界最強の神獣に拾われたのだ。
その選択が、やがて世界中のパワーバランスを崩壊させ、私を捨てた王国を破滅の淵へと追い込んでいくことになるなど、この時の私はまだ知る由もなかった。
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