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第3章 おじさんとパティシエ
第62話
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マーレ村の小さな広場の一角。
そこに新しい看板が掲げられた。
『菓子工房マリウス』──簡素で、けれど丁寧な手作りの板に、筆でゆったりと文字が走っている。
「……まあ、悪くないな」
俺は煙草を咥えたまま、ぼそりと呟いた。
隣では、当の本人であるマリウスが、慣れない手つきで店の窓を拭いている。
「恐縮です、レンジ様。……まだ、拭き残しが多くて……」
「気にするな。食い物屋は味が本体だ」
「はい……!」
マリウスは緊張しながらも、確かに頷いた。
以前のような、怯えた顔ではない。
自信とまではいかなくても、地に足をつけようとする意志が、そこにはあった。
「それで……あの」
「ああ」
話しかけてきたマリウスを遮って、俺は言った。
「提携とか、連携とか、そういうもんじゃねえ。
ただ、菓子を置きたきゃ置け。
俺の珈琲を置きたきゃ置く。
売れたら売れたで、それぞれ勝手に喜べばいい。
要は……好きにしろって話だ」
「……!」
マリウスは一瞬、声を失った。
だが、すぐに、顔を上げた。
「……わかりました。
その、お互いに干渉せず、でも、支え合う……みたいな……」
「支え合うかどうかは知らん。
俺は、俺の店をやるだけだ」
「はい……!」
マリウスは深々と頭を下げた。
「……でも、心から、感謝しています。
レンジ様……いえ、レンジさん」
「呼び方も好きにしろ」
「あ、はい……!」
小さく笑った俺は、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
一口吸い込んだ煙が、心地よく喉を抜けていく。
これでいい。
馴れ合いはしない。
だが、孤立するわけでもない。
互いに自由に、自分の領域でやっていけばいい。
それが俺にとって、一番心地いい距離感だった。
「レンジさん、あの……これ、試作品ですが」
マリウスが、小さな木箱を差し出してきた。
中には、小ぶりなタルトが三つ並んでいた。
焦げ目一つない滑らかな焼き上がり。
果実の彩りと艶やかな照りが、自然と食欲をそそる。
「……ほう」
俺は一つ、手に取った。
サクッとした生地の感触に、まず好感を覚える。
そして、迷わず一口かじった。
香ばしいタルト台と、みずみずしい果実の酸味が、完璧なバランスで舌を満たした。
甘すぎず、重すぎず、だが確かに満足感をもたらす。
一口、二口……あっという間に、ひとつを平らげた。
「……悪くない」
「っ……!」
マリウスの顔に、ぱっと光が差した。
俺はもう一つ手に取ると、無言で食べ続けた。
(これなら──)
ふと、考える。
これなら、俺の珈琲と合わせても、互いに邪魔にならない。
いや、むしろ、引き立て合うかもしれない。
「店にも置いとくか。タルトと、今日の珈琲セット。
客が欲しがったら出していい」
「はいっ……!」
マリウスは、涙ぐみながらも、はっきりと返事をした。
「だが、期待はするな。売れるかどうかは運次第だ」
「もちろん、です」
素直に頷くマリウスを見て、俺はひとつ煙を吐き出した。
これでいい。
自分のペース、自分の距離感で。
誰にも縛られず、誰にも媚びず。
マリウスはマリウスで、俺は俺で。
それぞれの道を、それぞれに歩いていく。
そこに新しい看板が掲げられた。
『菓子工房マリウス』──簡素で、けれど丁寧な手作りの板に、筆でゆったりと文字が走っている。
「……まあ、悪くないな」
俺は煙草を咥えたまま、ぼそりと呟いた。
隣では、当の本人であるマリウスが、慣れない手つきで店の窓を拭いている。
「恐縮です、レンジ様。……まだ、拭き残しが多くて……」
「気にするな。食い物屋は味が本体だ」
「はい……!」
マリウスは緊張しながらも、確かに頷いた。
以前のような、怯えた顔ではない。
自信とまではいかなくても、地に足をつけようとする意志が、そこにはあった。
「それで……あの」
「ああ」
話しかけてきたマリウスを遮って、俺は言った。
「提携とか、連携とか、そういうもんじゃねえ。
ただ、菓子を置きたきゃ置け。
俺の珈琲を置きたきゃ置く。
売れたら売れたで、それぞれ勝手に喜べばいい。
要は……好きにしろって話だ」
「……!」
マリウスは一瞬、声を失った。
だが、すぐに、顔を上げた。
「……わかりました。
その、お互いに干渉せず、でも、支え合う……みたいな……」
「支え合うかどうかは知らん。
俺は、俺の店をやるだけだ」
「はい……!」
マリウスは深々と頭を下げた。
「……でも、心から、感謝しています。
レンジ様……いえ、レンジさん」
「呼び方も好きにしろ」
「あ、はい……!」
小さく笑った俺は、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
一口吸い込んだ煙が、心地よく喉を抜けていく。
これでいい。
馴れ合いはしない。
だが、孤立するわけでもない。
互いに自由に、自分の領域でやっていけばいい。
それが俺にとって、一番心地いい距離感だった。
「レンジさん、あの……これ、試作品ですが」
マリウスが、小さな木箱を差し出してきた。
中には、小ぶりなタルトが三つ並んでいた。
焦げ目一つない滑らかな焼き上がり。
果実の彩りと艶やかな照りが、自然と食欲をそそる。
「……ほう」
俺は一つ、手に取った。
サクッとした生地の感触に、まず好感を覚える。
そして、迷わず一口かじった。
香ばしいタルト台と、みずみずしい果実の酸味が、完璧なバランスで舌を満たした。
甘すぎず、重すぎず、だが確かに満足感をもたらす。
一口、二口……あっという間に、ひとつを平らげた。
「……悪くない」
「っ……!」
マリウスの顔に、ぱっと光が差した。
俺はもう一つ手に取ると、無言で食べ続けた。
(これなら──)
ふと、考える。
これなら、俺の珈琲と合わせても、互いに邪魔にならない。
いや、むしろ、引き立て合うかもしれない。
「店にも置いとくか。タルトと、今日の珈琲セット。
客が欲しがったら出していい」
「はいっ……!」
マリウスは、涙ぐみながらも、はっきりと返事をした。
「だが、期待はするな。売れるかどうかは運次第だ」
「もちろん、です」
素直に頷くマリウスを見て、俺はひとつ煙を吐き出した。
これでいい。
自分のペース、自分の距離感で。
誰にも縛られず、誰にも媚びず。
マリウスはマリウスで、俺は俺で。
それぞれの道を、それぞれに歩いていく。
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