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邪神アポピスとの死闘を終え、俺とクロが拠点に戻ってから数ヶ月が流れた。
世界は長い悪夢から覚めたかのように、穏やかで平和な時間を取り戻していた。俺が邪神を浄化したあの霧深い森は、今では「聖なる白蓮の森」と呼ばれ、巡礼に訪れる人々が後を絶たないらしい。まあ、俺自身はあれ以来、一度も近づいていないが。
俺たちの拠点、今や正式に「アルス連合」の首都として定められたこの場所は、日々その姿を変え、発展を続けていた。世界中から最高の知性と技術が集まり、新しい時代の幕開けにふさわしい活気に満ち溢れている。巨大な研究所や議事堂が立ち並ぶ様は壮観で、時々、ここが元々は誰も寄り付かない辺境の荒れ地だったことを忘れてしまいそうになる。
「アルス様! ご覧ください! また、世界各地から感謝の報告が届いておりますわ!」
連合議長としての仕事がすっかり板についたリリアーナが、今日も分厚い報告書の束を抱え、満面の笑みで俺の執務室――とは名ばかりの、畑に隣接した日当たりの良いサンルーム――にやってきた。彼女の表情は連日の激務の疲れなど微塵も感じさせず、むしろ世界の復興を担う喜びで輝いている。
「それは良かった。計画は順調に進んでいるようだな」
俺は、執務用の机――バルトロさんが俺のために最高級の木材で作ってくれたものだ――の上で、気持ちよさそうに昼寝をしていたクロの頭を撫でながら彼女に微笑みかけた。
クロも南の大陸での大活躍を経て、さらに一回りも二回りも大きく成長した。その体躯はもはや子竜というより、威厳すら感じさせる若き竜といった風格を漂わせている。それでも俺の前では昔と変わらず、甘えるように喉を鳴らすのがたまらなく愛おしい。
「ええ! あなた様とクロが生み出してくださった『飛空種子人形』は、まさに奇跡の運び手ですわ。北の凍土では、寒さに強い小麦が黄金色の穂を実らせ、人々は数十年ぶりにパンの味に涙していると。西の砂漠では、乾燥に強い果実がオアシスを作り出し、新たな交易路が開かれたそうです。東の湿地帯でも、水害に強い稲が根付き、長年の飢饉から人々を解放しました」
リリアーナは、報告書を一枚一枚めくりながら興奮気味に語る。
俺とクロが開発した「飛空種子人形」による「世界生命樹計画」。それは、ゼフィルス様が懸念していた「大地の歪み」を正し、この星の生命力そのものを蘇らせる壮大な計画だ。
クロの炎で命を吹き込まれた土人形たちが、親木である巨大な生命樹の種子を抱え、世界中の歪んだ土地へと旅立つ。そして各地に根付いた若木が、その土地の環境を根本から癒し、豊かな実りをもたらしているのだ。
「全てが、アルス様のおかげですわ。あなた様がいなければ、この世界は今頃、邪神に喰らい尽くされていたか、あるいは終わりのない争いと飢餓に喘いでいたことでしょう」
リリアーナの瞳には、俺への深い尊敬と、そしてそれ以上の温かい感情が揺らめいていた。南の大陸での一件以来、俺たちの間の距離は確実に縮まっているのを感じる。
「いや、俺だけの力じゃない。リリアーナが議長として皆をまとめてくれているからだ。それに、ゼフィルス様や各国の学者たち、バルトロさんたち技術者、そしてここに集ってくれた全ての人々の力があってこそだよ」
俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに、そして少しだけ照れたように微笑んだ。
その笑顔を見ているだけで、俺の心も温かくなる。穏やかな暮らしとは少し違うかもしれないが、この仲間たちと共に新しい世界を築いていく今の生活も、悪くない。心からそう思えるようになっていた。
「きゅい! アルス、すごい! リリアーナも、すごい!」
話の内容を理解したのか、クロが俺とリリアーナの顔を交互に見ながら、得意げに胸を張った。その愛らしい姿に、俺たちは思わず笑みをこぼした。
全てが順調に進んでいるかのように見えた。
だが、そんな穏やかな日々に、再び小さな、しかし無視できない影が差し込もうとしていた。
その報告は、「千里眼の水晶」を通じて、王都の研究所にいるゼフィルス様からもたらされた。
「アルス殿、リリアーナ議長。些か、気になる報告が上がってきておる」
水晶に映し出されたゼフィルス様の顔は、いつになく険しい。
「ほとんどの地域で順調に成果を上げている生命樹計画じゃが、いくつかの特定の地域で、植えられた若木の成長が著しく阻害されている、との報告が……。中には、若木そのものが黒く変色し、完全に枯れてしまったという事例も確認された」
「なんだって……? 俺の生命樹が、枯れた?」
俺は思わず眉をひそめた。俺のスキルと、この星の生命力が凝縮されたあの若木が、そう簡単に枯れるはずがない。そこには、何か特別な、そして強力な負の要因が存在しているはずだ。
「現地の調査に向かった者たちの報告によれば、それらの場所には共通点があるようじゃ。いずれも、かつて高度な魔法文明が栄えたが、今は滅びて忘れ去られた『古代遺跡』が眠る土地。そして、その大地からは、邪神アポピスが放っていたものとはまた質の違う、陰湿で、生命そのものを腐らせるような、冷たい『瘴気』が噴き出している、とのことじゃ」
瘴気……。邪神は倒したはずなのに、まだその残滓がこの世界の深い場所に巣食っているというのか。
「その瘴気が、生命樹の清浄な力を打ち消し、若木の成長を妨げているようなのじゃ。このまま放置すれば、その土地の歪みはますます大きくなり、いずれは周囲の土地へも汚染が広がっていく恐れがある」
ゼフィルス様の報告は、議事堂に集まっていた各国代表たちに、新たな衝撃と不安を与えた。
「そんな……! 邪神の呪いは、まだ終わってはいなかったというのか!」
「古代遺跡だと? 我が国の領内にも、そのような場所がいくつか存在するぞ……!」
再び議場がざわめき始める。
だが、俺の心は不思議と冷静だった。むしろ、次にやるべきことが明確になったことで、心の奥底から静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
「皆さん、落ち着いてください」
俺は立ち上がり、不安げな顔をする仲間たちに向かって力強く宣言した。
「原因が分かったのなら、対策を立てるまでです。問題は、どうやってその瘴気を浄化し、生命樹を根付かせるか。その答えを見つけ出せるのは、おそらく、この俺だけでしょう」
俺の言葉に、議場にいた全員の視線が再び俺に集中する。その視線には、絶対的な信頼が込められていた。
「アルス様、わたくしたちも、黙って見ているわけにはいきませんわ」
リリアーナが決然とした表情で立ち上がった。
「アルス連合の名の下に、最高の精鋭たちで構成された『古代遺跡調査団』を組織いたします。瘴気の発生源を特定し、その脅威の正体を白日の下に晒すのです。アルス様お一人に、全てを背負わせたりはいたしません」
彼女の提案に、各国代表もすぐに賛同の意を示した。ガイア帝国からは、古代文明の解読に長けた最高の学者が。東方の国々からは、瘴気や呪術の扱いに詳しい専門家が。それぞれの国が持つ最高の知恵と技術が、再びこの地に結集しようとしていた。
「ありがとう、リリアーナ。心強いよ」
俺は彼女に感謝の言葉を告げた。だが、調査だけでは根本的な解決にはならない。瘴気に汚染された大地をどうやって浄化するか。その鍵を握るのは、やはり俺のスキルだ。
俺はゼフィルス様や学者たちと共に、研究所での実験を開始した。ガイア帝国から厳重に封印されて送られてきた、微量の瘴気に汚染された土壌。それを前に、俺は瘴気そのものを無力化する、あるいは、それを栄養として育ち、清浄な生命力へと転換してしまうような、そんな常識外れの植物を生み出すための試行錯誤を繰り返した。
だが、瘴気の力は俺が思っていた以上に強力で、ほとんどの植物は、その邪気に触れた途端に生命力を失い、黒く枯れてしまう。
「くそっ……! これほどとは……!」
何度も失敗を繰り返し、俺の心にもわずかな焦りが生まれ始めていた。その時だった。
「きゅるる……」
ずっと俺の隣で心配そうに実験を見守っていたクロが、何かを思いついたように、俺の前に一輪の真っ白なユリの花をそっと差し出した。それは、俺が以前、リリアーナへの贈り物用に、花畑の一角にこっそりと植えていたものだった。
「クロ……? なぜ、ユリの花を?」
俺が不思議そうに尋ねると、クロはその白いユリの花と、瘴気に汚染された土を交互に見比べ、そして俺の顔をじっと見つめてきた。その瞳は、何かを確信しているかのように強く輝いている。
白いユリ……清らかさの象徴……。
そうだ、瘴気という絶対的な『負』の力に対抗するには、同じくらい絶対的な『正』の力を持つ存在が必要なのかもしれない。だが、ただのユリでは、この強力な瘴気には勝てないだろう。
ならば……。
俺は、クロの意図を完全に理解した。そして、白いユリの種子を手のひらに乗せる。
俺が思い描いたのは、ただのユリではない。あらゆる邪気、あらゆる汚れを祓い、それを至高の聖なる力へと昇華させる、究極の浄化の花。
その名は、「浄化の白蓮(びゃくれん)」。
「能力【畑耕し】、応用……『聖蓮創造』!」
俺の全身から、今度はいつもの緑色ではなく、純白の眩いほどの光が溢れ出した。その光は手のひらの中の種子に注ぎ込まれ、その生命の設計図を根本から書き換えていく。
やがて光が収まった時、俺の手のひらにあったのは、まるで最高品質の真珠のように、清らかで神々しい輝きを放つ一粒の種子だった。
「これだ……!」
俺はその種子を、瘴気に汚染された土壌にそっと植えた。
するとどうだろう。種子は瘴気をまるで極上の栄養分であるかのように、ぐんぐんと吸い上げ始めたのだ。そして、汚染された黒い土の中から、一点の曇りもない真っ白な芽が力強く顔を出した。
芽は瞬く間に成長し、やがて、気高く、そして美しい巨大な白い蓮の花を咲かせたのだ。
その花びらが完全に開いた瞬間、研究室に満ちていた邪悪な瘴気は完全に消え去り、代わりに、心が洗われるような清浄で神聖な空気がその場を満たした。
「おおおお……! 瘴気が……完全に浄化された……!」
「信じられん……! 邪気を、聖なる力へと転換してしまうとは……! これぞ、まさに神の御業!」
学者たちはその奇跡的な光景に再び言葉を失い、俺と、そしてきっかけを与えてくれたクロに畏敬の念を込めた視線を送っていた。
こうして、俺たちは瘴気を打ち破る、新たな希望の鍵を手に入れた。
だが、この「浄化の白蓮」の種子は、あまりにも清浄な力を持つが故に非常に繊細で、飛空種子人形で長距離を運搬することが難しいという新たな問題も判明した。
「アルス様。その役目、どうか、わたくしにお任せいただけないでしょうか」
その時、一人の意外な人物が静かに名乗りを上げた。
元勇者、ライオスだった。
彼は農地での労働を通じてすっかり日焼けし、その体つきも以前のような見せかけの筋肉ではなく、本物の労働者のそれへと変わっていた。その瞳にはかつての傲慢さはなく、静かで真摯な光が宿っている。
「俺は、かつて勇者として、世界の多くの土地を旅しました。古代遺跡のある場所の地理や、そこに生息する魔物の知識も多少はあります。それに……俺は、この手で犯した過ちを償いたい。アルス様、どうか、この俺に、あなたの、そして世界の未来のために働く機会をください」
彼は、俺の前に深々と頭を下げた。
その姿に、俺は静かに頷いた。
「分かった、ライオス。お前に、最初の『浄化の白蓮』の種子を届ける役目を任せよう。調査団の護衛も兼ねてな」
「! ありがとうございます……! アルス様……!」
ライオスは、涙で濡れた顔を上げ、俺に感謝した。
彼の、長い再生への物語が、今、本格的に始まろうとしていた。
俺は、最初の調査団の目的地として、最も瘴気の汚染が酷いと報告された、ガイア帝国の領内にある「忘れられた谷」と呼ばれる古代遺跡を選んだ。
ライオス、そして各国の専門家たちで構成された調査団が、クロによって浄化の炎で守られた「浄化の白蓮」の種子を携え、旅立つ日が来た。
「アルス様。必ずや、この任務を成功させてみせます」
ライオスは、出発の直前、俺の前に立ち力強くそう誓った。
「ああ、頼んだぞ。お前なら、きっとできる」
俺は、彼の肩をぽんと叩いた。
俺たちの間に、もはや過去の遺恨はなかった。
ただ、同じ未来を目指す、仲間としての信頼があるだけだった。
調査団が希望と期待を乗せて、東へと旅立っていく。
俺は、その背中をリリアーナと共に静かに見送っていた。
世界は長い悪夢から覚めたかのように、穏やかで平和な時間を取り戻していた。俺が邪神を浄化したあの霧深い森は、今では「聖なる白蓮の森」と呼ばれ、巡礼に訪れる人々が後を絶たないらしい。まあ、俺自身はあれ以来、一度も近づいていないが。
俺たちの拠点、今や正式に「アルス連合」の首都として定められたこの場所は、日々その姿を変え、発展を続けていた。世界中から最高の知性と技術が集まり、新しい時代の幕開けにふさわしい活気に満ち溢れている。巨大な研究所や議事堂が立ち並ぶ様は壮観で、時々、ここが元々は誰も寄り付かない辺境の荒れ地だったことを忘れてしまいそうになる。
「アルス様! ご覧ください! また、世界各地から感謝の報告が届いておりますわ!」
連合議長としての仕事がすっかり板についたリリアーナが、今日も分厚い報告書の束を抱え、満面の笑みで俺の執務室――とは名ばかりの、畑に隣接した日当たりの良いサンルーム――にやってきた。彼女の表情は連日の激務の疲れなど微塵も感じさせず、むしろ世界の復興を担う喜びで輝いている。
「それは良かった。計画は順調に進んでいるようだな」
俺は、執務用の机――バルトロさんが俺のために最高級の木材で作ってくれたものだ――の上で、気持ちよさそうに昼寝をしていたクロの頭を撫でながら彼女に微笑みかけた。
クロも南の大陸での大活躍を経て、さらに一回りも二回りも大きく成長した。その体躯はもはや子竜というより、威厳すら感じさせる若き竜といった風格を漂わせている。それでも俺の前では昔と変わらず、甘えるように喉を鳴らすのがたまらなく愛おしい。
「ええ! あなた様とクロが生み出してくださった『飛空種子人形』は、まさに奇跡の運び手ですわ。北の凍土では、寒さに強い小麦が黄金色の穂を実らせ、人々は数十年ぶりにパンの味に涙していると。西の砂漠では、乾燥に強い果実がオアシスを作り出し、新たな交易路が開かれたそうです。東の湿地帯でも、水害に強い稲が根付き、長年の飢饉から人々を解放しました」
リリアーナは、報告書を一枚一枚めくりながら興奮気味に語る。
俺とクロが開発した「飛空種子人形」による「世界生命樹計画」。それは、ゼフィルス様が懸念していた「大地の歪み」を正し、この星の生命力そのものを蘇らせる壮大な計画だ。
クロの炎で命を吹き込まれた土人形たちが、親木である巨大な生命樹の種子を抱え、世界中の歪んだ土地へと旅立つ。そして各地に根付いた若木が、その土地の環境を根本から癒し、豊かな実りをもたらしているのだ。
「全てが、アルス様のおかげですわ。あなた様がいなければ、この世界は今頃、邪神に喰らい尽くされていたか、あるいは終わりのない争いと飢餓に喘いでいたことでしょう」
リリアーナの瞳には、俺への深い尊敬と、そしてそれ以上の温かい感情が揺らめいていた。南の大陸での一件以来、俺たちの間の距離は確実に縮まっているのを感じる。
「いや、俺だけの力じゃない。リリアーナが議長として皆をまとめてくれているからだ。それに、ゼフィルス様や各国の学者たち、バルトロさんたち技術者、そしてここに集ってくれた全ての人々の力があってこそだよ」
俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに、そして少しだけ照れたように微笑んだ。
その笑顔を見ているだけで、俺の心も温かくなる。穏やかな暮らしとは少し違うかもしれないが、この仲間たちと共に新しい世界を築いていく今の生活も、悪くない。心からそう思えるようになっていた。
「きゅい! アルス、すごい! リリアーナも、すごい!」
話の内容を理解したのか、クロが俺とリリアーナの顔を交互に見ながら、得意げに胸を張った。その愛らしい姿に、俺たちは思わず笑みをこぼした。
全てが順調に進んでいるかのように見えた。
だが、そんな穏やかな日々に、再び小さな、しかし無視できない影が差し込もうとしていた。
その報告は、「千里眼の水晶」を通じて、王都の研究所にいるゼフィルス様からもたらされた。
「アルス殿、リリアーナ議長。些か、気になる報告が上がってきておる」
水晶に映し出されたゼフィルス様の顔は、いつになく険しい。
「ほとんどの地域で順調に成果を上げている生命樹計画じゃが、いくつかの特定の地域で、植えられた若木の成長が著しく阻害されている、との報告が……。中には、若木そのものが黒く変色し、完全に枯れてしまったという事例も確認された」
「なんだって……? 俺の生命樹が、枯れた?」
俺は思わず眉をひそめた。俺のスキルと、この星の生命力が凝縮されたあの若木が、そう簡単に枯れるはずがない。そこには、何か特別な、そして強力な負の要因が存在しているはずだ。
「現地の調査に向かった者たちの報告によれば、それらの場所には共通点があるようじゃ。いずれも、かつて高度な魔法文明が栄えたが、今は滅びて忘れ去られた『古代遺跡』が眠る土地。そして、その大地からは、邪神アポピスが放っていたものとはまた質の違う、陰湿で、生命そのものを腐らせるような、冷たい『瘴気』が噴き出している、とのことじゃ」
瘴気……。邪神は倒したはずなのに、まだその残滓がこの世界の深い場所に巣食っているというのか。
「その瘴気が、生命樹の清浄な力を打ち消し、若木の成長を妨げているようなのじゃ。このまま放置すれば、その土地の歪みはますます大きくなり、いずれは周囲の土地へも汚染が広がっていく恐れがある」
ゼフィルス様の報告は、議事堂に集まっていた各国代表たちに、新たな衝撃と不安を与えた。
「そんな……! 邪神の呪いは、まだ終わってはいなかったというのか!」
「古代遺跡だと? 我が国の領内にも、そのような場所がいくつか存在するぞ……!」
再び議場がざわめき始める。
だが、俺の心は不思議と冷静だった。むしろ、次にやるべきことが明確になったことで、心の奥底から静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
「皆さん、落ち着いてください」
俺は立ち上がり、不安げな顔をする仲間たちに向かって力強く宣言した。
「原因が分かったのなら、対策を立てるまでです。問題は、どうやってその瘴気を浄化し、生命樹を根付かせるか。その答えを見つけ出せるのは、おそらく、この俺だけでしょう」
俺の言葉に、議場にいた全員の視線が再び俺に集中する。その視線には、絶対的な信頼が込められていた。
「アルス様、わたくしたちも、黙って見ているわけにはいきませんわ」
リリアーナが決然とした表情で立ち上がった。
「アルス連合の名の下に、最高の精鋭たちで構成された『古代遺跡調査団』を組織いたします。瘴気の発生源を特定し、その脅威の正体を白日の下に晒すのです。アルス様お一人に、全てを背負わせたりはいたしません」
彼女の提案に、各国代表もすぐに賛同の意を示した。ガイア帝国からは、古代文明の解読に長けた最高の学者が。東方の国々からは、瘴気や呪術の扱いに詳しい専門家が。それぞれの国が持つ最高の知恵と技術が、再びこの地に結集しようとしていた。
「ありがとう、リリアーナ。心強いよ」
俺は彼女に感謝の言葉を告げた。だが、調査だけでは根本的な解決にはならない。瘴気に汚染された大地をどうやって浄化するか。その鍵を握るのは、やはり俺のスキルだ。
俺はゼフィルス様や学者たちと共に、研究所での実験を開始した。ガイア帝国から厳重に封印されて送られてきた、微量の瘴気に汚染された土壌。それを前に、俺は瘴気そのものを無力化する、あるいは、それを栄養として育ち、清浄な生命力へと転換してしまうような、そんな常識外れの植物を生み出すための試行錯誤を繰り返した。
だが、瘴気の力は俺が思っていた以上に強力で、ほとんどの植物は、その邪気に触れた途端に生命力を失い、黒く枯れてしまう。
「くそっ……! これほどとは……!」
何度も失敗を繰り返し、俺の心にもわずかな焦りが生まれ始めていた。その時だった。
「きゅるる……」
ずっと俺の隣で心配そうに実験を見守っていたクロが、何かを思いついたように、俺の前に一輪の真っ白なユリの花をそっと差し出した。それは、俺が以前、リリアーナへの贈り物用に、花畑の一角にこっそりと植えていたものだった。
「クロ……? なぜ、ユリの花を?」
俺が不思議そうに尋ねると、クロはその白いユリの花と、瘴気に汚染された土を交互に見比べ、そして俺の顔をじっと見つめてきた。その瞳は、何かを確信しているかのように強く輝いている。
白いユリ……清らかさの象徴……。
そうだ、瘴気という絶対的な『負』の力に対抗するには、同じくらい絶対的な『正』の力を持つ存在が必要なのかもしれない。だが、ただのユリでは、この強力な瘴気には勝てないだろう。
ならば……。
俺は、クロの意図を完全に理解した。そして、白いユリの種子を手のひらに乗せる。
俺が思い描いたのは、ただのユリではない。あらゆる邪気、あらゆる汚れを祓い、それを至高の聖なる力へと昇華させる、究極の浄化の花。
その名は、「浄化の白蓮(びゃくれん)」。
「能力【畑耕し】、応用……『聖蓮創造』!」
俺の全身から、今度はいつもの緑色ではなく、純白の眩いほどの光が溢れ出した。その光は手のひらの中の種子に注ぎ込まれ、その生命の設計図を根本から書き換えていく。
やがて光が収まった時、俺の手のひらにあったのは、まるで最高品質の真珠のように、清らかで神々しい輝きを放つ一粒の種子だった。
「これだ……!」
俺はその種子を、瘴気に汚染された土壌にそっと植えた。
するとどうだろう。種子は瘴気をまるで極上の栄養分であるかのように、ぐんぐんと吸い上げ始めたのだ。そして、汚染された黒い土の中から、一点の曇りもない真っ白な芽が力強く顔を出した。
芽は瞬く間に成長し、やがて、気高く、そして美しい巨大な白い蓮の花を咲かせたのだ。
その花びらが完全に開いた瞬間、研究室に満ちていた邪悪な瘴気は完全に消え去り、代わりに、心が洗われるような清浄で神聖な空気がその場を満たした。
「おおおお……! 瘴気が……完全に浄化された……!」
「信じられん……! 邪気を、聖なる力へと転換してしまうとは……! これぞ、まさに神の御業!」
学者たちはその奇跡的な光景に再び言葉を失い、俺と、そしてきっかけを与えてくれたクロに畏敬の念を込めた視線を送っていた。
こうして、俺たちは瘴気を打ち破る、新たな希望の鍵を手に入れた。
だが、この「浄化の白蓮」の種子は、あまりにも清浄な力を持つが故に非常に繊細で、飛空種子人形で長距離を運搬することが難しいという新たな問題も判明した。
「アルス様。その役目、どうか、わたくしにお任せいただけないでしょうか」
その時、一人の意外な人物が静かに名乗りを上げた。
元勇者、ライオスだった。
彼は農地での労働を通じてすっかり日焼けし、その体つきも以前のような見せかけの筋肉ではなく、本物の労働者のそれへと変わっていた。その瞳にはかつての傲慢さはなく、静かで真摯な光が宿っている。
「俺は、かつて勇者として、世界の多くの土地を旅しました。古代遺跡のある場所の地理や、そこに生息する魔物の知識も多少はあります。それに……俺は、この手で犯した過ちを償いたい。アルス様、どうか、この俺に、あなたの、そして世界の未来のために働く機会をください」
彼は、俺の前に深々と頭を下げた。
その姿に、俺は静かに頷いた。
「分かった、ライオス。お前に、最初の『浄化の白蓮』の種子を届ける役目を任せよう。調査団の護衛も兼ねてな」
「! ありがとうございます……! アルス様……!」
ライオスは、涙で濡れた顔を上げ、俺に感謝した。
彼の、長い再生への物語が、今、本格的に始まろうとしていた。
俺は、最初の調査団の目的地として、最も瘴気の汚染が酷いと報告された、ガイア帝国の領内にある「忘れられた谷」と呼ばれる古代遺跡を選んだ。
ライオス、そして各国の専門家たちで構成された調査団が、クロによって浄化の炎で守られた「浄化の白蓮」の種子を携え、旅立つ日が来た。
「アルス様。必ずや、この任務を成功させてみせます」
ライオスは、出発の直前、俺の前に立ち力強くそう誓った。
「ああ、頼んだぞ。お前なら、きっとできる」
俺は、彼の肩をぽんと叩いた。
俺たちの間に、もはや過去の遺恨はなかった。
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追放先でも土魔法は土木魔法とバカにされる。
だがここで剛史は前世の記憶を徐々に取り戻す。
『土魔法を土木魔法ってバカにすんなよ?異世界あるあるな前世の謎知識で無双する!』
不屈の精神で土魔法を極めていく剛史。
そしてそんな剛史に同じような境遇の人々が集い、やがて大きなうねりとなってこの世界を席巻していく。
その中には同じく一つスキルしか得られず、公爵家や侯爵家を追放された令嬢も。
前世の記憶を活用しつつ、やがて土木魔法と揶揄されていた土魔法を世界一のスキルに押し上げていく。
但し剛史のスキルは【土魔法】ですらない【土】スキル。
転生時にチートはなかったと思われたが、努力の末にチートと言われるほどスキルを活用していく事になる。
これは所持スキルの少なさから世間から見放された人々が集い、ギルド『ワンチャンス』を結成、努力の末に世界一と言われる事となる物語・・・・だよな?
何故か追放された公爵令嬢や他の貴族の令嬢が集まってくるんだが?
俺は農家の4男だぞ?
チートスキル【レベル投げ】でレアアイテム大量獲得&スローライフ!?
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その後、第二勇者・セクンドスが召喚され、彼が魔王を倒した。俺はその日に聖女フルクと出会い、レベル0ながらも【レベル投げ】を習得した。レベル0だから投げても魔力(MP)が減らないし、無限なのだ。
影響するステータスは『運』。
聖女フルクさえいれば運が向上され、俺は幸運に恵まれ、スキルの威力も倍増した。
第二勇者が魔王を倒すとエンディングと共に『EXダンジョン』が出現する。その隙を狙い、フルクと共にダンジョンの所有権をゲット、独占する。ダンジョンのレアアイテムを入手しまくり売却、やがて莫大な富を手に入れ、最強にもなる。
すると、第二勇者がEXダンジョンを返せとやって来る。しかし、先に侵入した者が所有権を持つため譲渡は不可能。第二勇者を拒絶する。
より強くなった俺は元ギルドメンバーや世界の国中から戻ってこいとせがまれるが、もう遅い!!
真の仲間と共にダンジョン攻略スローライフを送る。
【簡単な流れ】
勇者がボコボコにされます→元勇者として活動→聖女と出会います→レベル投げを習得→EXダンジョンゲット→レア装備ゲットしまくり→元パーティざまぁ
【原題】
『お前は勇者ではないとギルドを追放され、第二勇者が魔王を倒しエンディングの最中レベル0の俺は出現したEXダンジョンを独占~【レベル投げ】でレアアイテム大量獲得~戻って来いと言われても、もう遅いんだが』
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
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