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第17話 真珠の洗礼、あるいはシャンプー
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店内に、これまでとは一線を画す、圧倒的に華やかで官能的な香りが満ちていた。
これまでの「食べ物」や「殺虫剤」といった即物的な匂いではない。
それは、現代の化学工学が「清潔感」と「美」という概念を限界まで突き詰め、数億の分子を調合して作り出した、至高のフレグランス(芳香)だ。
トップノートからラストノートまで計算し尽くされたその香りは、嗅ぐ者の脳髄に直接「これは美しいものである」という情報を叩き込む暴力性すら秘めている。
俺はカウンターの奥にある洗面スペースの前で、一本のボトルを光源にかざして眺めていた。
真珠のような光沢を放つ、流麗な曲線を描く白いプラスチック容器。
『パンテーン・エクストラダメージケア』。
傷んだ髪を内側から補修し、芯から輝かせるという魔法の液体だ。
この世界の住人は、水が貴重なせいか、髪の手入れという概念が希薄だ。
貴族ですら、ギトギトの香油を塗りたくって体臭を誤魔化すのが関の山で、髪はゴワゴワの藁束のようになっている者が多い。
そんな「美の不毛地帯」に、俺は今、「洗浄」と「修復」という名の革命を持ち込もうとしていた。
「……主様。その、手に持っている『真珠の雫』は何ですか?」
エルザが、鼻をピクピクさせながら音もなく近づいてきた。
彼女の視線は、ボトルから漏れ出す香りに完全に魅了され、吸い寄せられている。
元暗殺者である彼女は、俺が与えた石鹸を使っているおかげで、この世界の人間よりは遥かに清潔だ。
だが、長年の過酷な任務と栄養失調、そして乾燥した気候によって、その銀髪は輝きを失い、毛先は枝毛だらけでパサついている。
「シャンプーだ。髪を洗うための薬だよ」
「……髪を? 汚れを落とすだけでなく、何か別の力があるのですか? そのボトルからは、傷ついた獣を癒やす聖女のような、慈愛に満ちた波動を感じますが」
「ああ。これを使えば、お前のパサついた髪も、シルクのように滑らかになるぞ。キューティクルを強制的に閉じて、表面をコーティングするからな」
「きゅーてぃくる……? 髪に宿る微細な精霊のことでしょうか。それを閉じて封印する……なんと高度な術式」
勝手な解釈が進む中、俺は彼女を手招きした。
通販スキルで設置した洗面台からは、温度調整された四十度の適温のお湯が出る。
この世界において、湯を沸かす手間なしに温水が出るだけで奇跡だが、エルザはもう慣れたもので、素直に洗面台の前に膝をつき、頭を差し出した。
「動くなよ。目に入ると沁みるからな」
俺はシャワーヘッドを手に取り、彼女の頭にお湯をかけた。
ザァァァ……という水音が、静かな店内に響く。
十分に予洗いをして、頭皮の汚れを浮かせたところで、俺はポンプを押し込んだ。
ニュルッ。
掌に、乳白色の粘り気のある液体が吐き出された。
真珠を溶かしたような、美しい光沢。
濃厚なフローラルブーケの香りが、爆発的に拡散する。
「……っ!? ……ふぁ……」
エルザが、香りに当てられたように短い吐息を漏らした。
俺は両手でシャンプーを泡立て、彼女の頭頂部に乗せた。
指の腹を使い、空気を含ませるように揉み込んでいく。
現代の界面活性剤の威力は凄まじい。
異世界の硬水であっても、瞬く間にキメの細かい、弾力のある泡が生成されていく。
数秒で、彼女の頭は真っ白な雲のような泡の冠で覆われた。
「……温かい。そして、この感触……何ですか?」
エルザの声が、泡の中からくぐもって聞こえる。
恍惚と、畏怖が入り混じった声だ。
「何万もの小さな妖精が、私の髪の一本一本を優しく撫で回しているようです……。 頭皮の毛穴の奥に溜まっていた、泥や油、そして過去の戦いで染み付いた『死の匂い』が……物理的に分解されていくのが分かります」
「脂汚れを浮かしてるだけだ。頭皮マッサージも兼ねてるから、血行も良くなるぞ」
「血行……生命の循環ですね。 ああ、香りが……脳の芯まで蕩けさせていく……。 私は今、花園の真ん中で、女神の膝枕で眠っているような安らぎを感じています……」
彼女の全身から力が抜け、俺の手に完全に身を委ねている。
かつて影のギルドで「血塗れの刃」と恐れられた暗殺者が、今は美容室でシャンプーされる女子高生のように大人しい。
このシャンプーに含まれる「プロビタミン処方」が、彼女のスカスカになった髪の内部に浸透し、ダメージホールを埋めていく。
化学の力による、強制的な修復。
それは彼女にとって、過去の罪や汚れを洗い流し、魂を再生させる「聖なる儀式」そのものだった。
「流すぞ」
俺はシャワーのお湯を一気にかけた。
泡が排水溝へと渦を巻いて吸い込まれていく。
黒ずんだ泡。
それが消えるたびに、彼女の髪は本来の……いや、本来以上の生命力を取り戻していく。
軋みなど一切ない。
指を通せば、驚くほど滑らかに水が滴り落ちる。
仕上げに、同じシリーズのコンディショナーをたっぷりと馴染ませ、被膜を作る。
ヌルリとしたシリコンの感触が、髪の表面を鏡のように整えていく。
最後に入念に濯ぎ、タオルで水気を取った後、俺は「ドライヤー」のスイッチを入れた。
ブォォォォン!!
熱風が吹き出す。
「……っ!? 風の精霊が、火の精霊を抱いて飛び出した!?」
エルザがビクリと肩を震わせたが、温風の心地よさにすぐに脱力した。
俺は手櫛で髪を乾かしていく。
水分が飛ぶにつれて、彼女の髪は劇的な変化を見せ始めた。
ボサボサで艶のなかった銀髪が、光を反射し、天使の輪(エンジェルリング)を描き始めたのだ。
「……出来上がりだ。鏡を見てみろ」
俺はドライヤーを止め、彼女の肩を叩いた。
エルザは恐る恐る、洗面台の鏡に視線を向けた。
そして、息を呑んだ。
「……っ!! !!?!?!?」
彼女は絶句し、震える手で自分の髪に触れた。
そこにあったのは、これまで彼女が知っていた「自分の髪」ではなかった。
一本一本が独立して光を放ち、真珠のような光沢を湛えている。
指を通せば、何の抵抗もなく、水が流れるように毛先まで滑り落ちていく。
風も吹いていないのに、髪が生きているかのようにさらさらと揺れ、動くたびに極上の香りを撒き散らす。
「……信じられない。これが、私の髪……? ゴワゴワで、血の匂いが染み付いていた、呪われた髪が……。 まるで、最高級のシルク……いえ、月の光を織り込んで作った羽衣のようです……」
エルザは呆然と鏡の中の自分を見つめ続けた。
彼女の瞳には、かつての暗殺者としての暗い影が消え、ただ純粋に自分の美しさに感動する一人の少女としての輝きが宿っていた。
髪が変わるだけで、人はここまで印象が変わるのか。
パッケージの「14日間で変わる」という謳い文句は伊達じゃない。
まあ、異世界人には即効性がありすぎて一回でカンストしたようだが。
その時だ。
ウィーン!
自動ドアが、静かに、しかし厳かに開いた。
外の喧騒とは異なる、高貴な気配。
入ってきたのは、一人の美しい女性だった。
豪奢なドレスを身にまとい、その背後には数人の女官と護衛騎士を従えている。
この国の第一皇女、アイリス姫だ。
お忍びで城下を視察していると聞いていたが、まさかこんな辺境のコンビニに来るとは。
彼女は店内に足を踏み入れた瞬間、ピタリと立ち止まった。
「……なんと。この香りは……?」
アイリス姫が、鼻をヒクつかせ、目を大きく見開いた。
彼女の視線は、店内に充満するシャンプーの香りに釘付けになっている。
王宮で使われている最高級の香油など、鼻をつまみたくなるほど陳腐に思えるような、圧倒的な「清潔」と「美」の香り。
そして、彼女の視線は、鏡の前で光り輝く髪を持つエルザへと吸い寄せられた。
「……あ、あの輝きは……!?」
姫は、エルザの元へふらふらと歩み寄った。
王族としての威厳も忘れ、ただ目の前の「美」に圧倒されている。
エルザが振り返る。
その瞬間、さらりと流れる銀髪が、店内の照明を反射して煌めき、残り香が姫の顔を撫でた。
「……貴女は、天界の住人ですか? その髪……。ダイヤモンドを砕いて塗したかのような、まばゆい光沢。 そして、風にそよぐたびに放たれる、この天上の香り……。 王族である私ですら、髪の手入れには苦労し、毎日侍女に油を塗らせているというのに……。 どうすれば、そのような『生きた宝石』のような髪になれるのですか?」
アイリス姫の声は震えていた。
純粋な羨望。
そして、圧倒的な敗北感。
「いいえ、姫様。私は主様の……店主様のただの従者です」
エルザが恭しく、しかし誇らしげに答えた。
彼女は自分の髪を指先で弄びながら、余裕の笑みを浮かべている。
「主様が、この『真珠の雫』で私の髪を洗ってくださったのです。 この液体には、時間を巻き戻し、素材を根源から作り変える神の御業が封じられています」
「しんじゅのしずく……」
アイリス姫は、俺の方を向き、ドレスの裾を摘んで深々と頭を下げた。
王族が、一介の店員に頭を下げる。
周囲の女官たちが悲鳴を上げそうになったが、姫の気迫に押されて声も出ない。
「店主様。お願いです。 私にも、その『髪を輝かせる秘宝』を譲っていただけないでしょうか。 この髪は……王家の象徴であり、私の誇りなのです。 ですが、日々の公務と乾燥で痛み、毎朝鏡を見るたびに心が折れそうになっていました……。 金に糸目はつけません。どうか、私に『美』をお授けください!」
彼女は必死だった。
どんなに着飾っても、髪がパサついていれば台無しだ。
その悩みは、異世界の王女であっても現代の女性と同じらしい。
「一個千円だ。そこの棚にあるぞ。コンディショナーもセットで使うと効果倍増だ」
俺は無造作に日用品の棚を指差した。
アイリス姫は、弾かれたように棚へ駆け寄った。
そして、白いボトルを、まるで聖遺物を拝むような手つきで手に取った。
「……千円……銀貨二枚……? 国宝級の秘薬が、たったそれだけで……? 信じられません……。なんて無欲な……」
彼女はボトルを頬擦りしそうな勢いで抱きしめた。
そして、棚にあった在庫を全てカゴに入れた。
「これが、美を司る女神の涙……。 なんと重厚な、そして美しい容器。曲線美すら感じます。 これがあれば、私の傷んだ髪も救われるのですね……」
彼女は金貨を何枚もカウンターに積み上げ、お釣りも受け取らずに、ボトルを胸に抱いて店を去っていった。
その後ろ姿は、長年の呪いから解き放たれた少女のように、希望に満ち溢れ、軽やかだった。
女官たちも、「姫様の髪が救われる!」「私も使いたい!」と興奮しながら後を追っていく。
「……主様。また、この世界の美の基準を、根底から破壊してしまいましたね」
エルザが、さらさらと流れる自分の髪を楽しみ、鏡の前でポーズを取りながら言った。
その表情は、以前よりも自信に満ちている。
「壊してない。本来あるべき姿に戻しただけだ。 髪が綺麗になれば、気分も上がるだろ」
俺はカウンターに戻り、冷めた缶コーヒーを一口飲んだ。
苦味が、シャンプーの甘い香りで麻痺した鼻をリセットしてくれる。
さて、髪が綺麗になったら、次は顔か。
俺は次の入荷リストを検索した。
『パーフェクトホイップ・洗顔フォーム』。
『極潤ヒアルロン酸・化粧水』。
この世界の女性たちが、現代の「保湿」と「美白」の技術を知った時、何が起きるか。
国中の鏡が売り切れるかもしれないな。
俺は少しだけ口元を緩め、注文ボタンをタップした。
これまでの「食べ物」や「殺虫剤」といった即物的な匂いではない。
それは、現代の化学工学が「清潔感」と「美」という概念を限界まで突き詰め、数億の分子を調合して作り出した、至高のフレグランス(芳香)だ。
トップノートからラストノートまで計算し尽くされたその香りは、嗅ぐ者の脳髄に直接「これは美しいものである」という情報を叩き込む暴力性すら秘めている。
俺はカウンターの奥にある洗面スペースの前で、一本のボトルを光源にかざして眺めていた。
真珠のような光沢を放つ、流麗な曲線を描く白いプラスチック容器。
『パンテーン・エクストラダメージケア』。
傷んだ髪を内側から補修し、芯から輝かせるという魔法の液体だ。
この世界の住人は、水が貴重なせいか、髪の手入れという概念が希薄だ。
貴族ですら、ギトギトの香油を塗りたくって体臭を誤魔化すのが関の山で、髪はゴワゴワの藁束のようになっている者が多い。
そんな「美の不毛地帯」に、俺は今、「洗浄」と「修復」という名の革命を持ち込もうとしていた。
「……主様。その、手に持っている『真珠の雫』は何ですか?」
エルザが、鼻をピクピクさせながら音もなく近づいてきた。
彼女の視線は、ボトルから漏れ出す香りに完全に魅了され、吸い寄せられている。
元暗殺者である彼女は、俺が与えた石鹸を使っているおかげで、この世界の人間よりは遥かに清潔だ。
だが、長年の過酷な任務と栄養失調、そして乾燥した気候によって、その銀髪は輝きを失い、毛先は枝毛だらけでパサついている。
「シャンプーだ。髪を洗うための薬だよ」
「……髪を? 汚れを落とすだけでなく、何か別の力があるのですか? そのボトルからは、傷ついた獣を癒やす聖女のような、慈愛に満ちた波動を感じますが」
「ああ。これを使えば、お前のパサついた髪も、シルクのように滑らかになるぞ。キューティクルを強制的に閉じて、表面をコーティングするからな」
「きゅーてぃくる……? 髪に宿る微細な精霊のことでしょうか。それを閉じて封印する……なんと高度な術式」
勝手な解釈が進む中、俺は彼女を手招きした。
通販スキルで設置した洗面台からは、温度調整された四十度の適温のお湯が出る。
この世界において、湯を沸かす手間なしに温水が出るだけで奇跡だが、エルザはもう慣れたもので、素直に洗面台の前に膝をつき、頭を差し出した。
「動くなよ。目に入ると沁みるからな」
俺はシャワーヘッドを手に取り、彼女の頭にお湯をかけた。
ザァァァ……という水音が、静かな店内に響く。
十分に予洗いをして、頭皮の汚れを浮かせたところで、俺はポンプを押し込んだ。
ニュルッ。
掌に、乳白色の粘り気のある液体が吐き出された。
真珠を溶かしたような、美しい光沢。
濃厚なフローラルブーケの香りが、爆発的に拡散する。
「……っ!? ……ふぁ……」
エルザが、香りに当てられたように短い吐息を漏らした。
俺は両手でシャンプーを泡立て、彼女の頭頂部に乗せた。
指の腹を使い、空気を含ませるように揉み込んでいく。
現代の界面活性剤の威力は凄まじい。
異世界の硬水であっても、瞬く間にキメの細かい、弾力のある泡が生成されていく。
数秒で、彼女の頭は真っ白な雲のような泡の冠で覆われた。
「……温かい。そして、この感触……何ですか?」
エルザの声が、泡の中からくぐもって聞こえる。
恍惚と、畏怖が入り混じった声だ。
「何万もの小さな妖精が、私の髪の一本一本を優しく撫で回しているようです……。 頭皮の毛穴の奥に溜まっていた、泥や油、そして過去の戦いで染み付いた『死の匂い』が……物理的に分解されていくのが分かります」
「脂汚れを浮かしてるだけだ。頭皮マッサージも兼ねてるから、血行も良くなるぞ」
「血行……生命の循環ですね。 ああ、香りが……脳の芯まで蕩けさせていく……。 私は今、花園の真ん中で、女神の膝枕で眠っているような安らぎを感じています……」
彼女の全身から力が抜け、俺の手に完全に身を委ねている。
かつて影のギルドで「血塗れの刃」と恐れられた暗殺者が、今は美容室でシャンプーされる女子高生のように大人しい。
このシャンプーに含まれる「プロビタミン処方」が、彼女のスカスカになった髪の内部に浸透し、ダメージホールを埋めていく。
化学の力による、強制的な修復。
それは彼女にとって、過去の罪や汚れを洗い流し、魂を再生させる「聖なる儀式」そのものだった。
「流すぞ」
俺はシャワーのお湯を一気にかけた。
泡が排水溝へと渦を巻いて吸い込まれていく。
黒ずんだ泡。
それが消えるたびに、彼女の髪は本来の……いや、本来以上の生命力を取り戻していく。
軋みなど一切ない。
指を通せば、驚くほど滑らかに水が滴り落ちる。
仕上げに、同じシリーズのコンディショナーをたっぷりと馴染ませ、被膜を作る。
ヌルリとしたシリコンの感触が、髪の表面を鏡のように整えていく。
最後に入念に濯ぎ、タオルで水気を取った後、俺は「ドライヤー」のスイッチを入れた。
ブォォォォン!!
熱風が吹き出す。
「……っ!? 風の精霊が、火の精霊を抱いて飛び出した!?」
エルザがビクリと肩を震わせたが、温風の心地よさにすぐに脱力した。
俺は手櫛で髪を乾かしていく。
水分が飛ぶにつれて、彼女の髪は劇的な変化を見せ始めた。
ボサボサで艶のなかった銀髪が、光を反射し、天使の輪(エンジェルリング)を描き始めたのだ。
「……出来上がりだ。鏡を見てみろ」
俺はドライヤーを止め、彼女の肩を叩いた。
エルザは恐る恐る、洗面台の鏡に視線を向けた。
そして、息を呑んだ。
「……っ!! !!?!?!?」
彼女は絶句し、震える手で自分の髪に触れた。
そこにあったのは、これまで彼女が知っていた「自分の髪」ではなかった。
一本一本が独立して光を放ち、真珠のような光沢を湛えている。
指を通せば、何の抵抗もなく、水が流れるように毛先まで滑り落ちていく。
風も吹いていないのに、髪が生きているかのようにさらさらと揺れ、動くたびに極上の香りを撒き散らす。
「……信じられない。これが、私の髪……? ゴワゴワで、血の匂いが染み付いていた、呪われた髪が……。 まるで、最高級のシルク……いえ、月の光を織り込んで作った羽衣のようです……」
エルザは呆然と鏡の中の自分を見つめ続けた。
彼女の瞳には、かつての暗殺者としての暗い影が消え、ただ純粋に自分の美しさに感動する一人の少女としての輝きが宿っていた。
髪が変わるだけで、人はここまで印象が変わるのか。
パッケージの「14日間で変わる」という謳い文句は伊達じゃない。
まあ、異世界人には即効性がありすぎて一回でカンストしたようだが。
その時だ。
ウィーン!
自動ドアが、静かに、しかし厳かに開いた。
外の喧騒とは異なる、高貴な気配。
入ってきたのは、一人の美しい女性だった。
豪奢なドレスを身にまとい、その背後には数人の女官と護衛騎士を従えている。
この国の第一皇女、アイリス姫だ。
お忍びで城下を視察していると聞いていたが、まさかこんな辺境のコンビニに来るとは。
彼女は店内に足を踏み入れた瞬間、ピタリと立ち止まった。
「……なんと。この香りは……?」
アイリス姫が、鼻をヒクつかせ、目を大きく見開いた。
彼女の視線は、店内に充満するシャンプーの香りに釘付けになっている。
王宮で使われている最高級の香油など、鼻をつまみたくなるほど陳腐に思えるような、圧倒的な「清潔」と「美」の香り。
そして、彼女の視線は、鏡の前で光り輝く髪を持つエルザへと吸い寄せられた。
「……あ、あの輝きは……!?」
姫は、エルザの元へふらふらと歩み寄った。
王族としての威厳も忘れ、ただ目の前の「美」に圧倒されている。
エルザが振り返る。
その瞬間、さらりと流れる銀髪が、店内の照明を反射して煌めき、残り香が姫の顔を撫でた。
「……貴女は、天界の住人ですか? その髪……。ダイヤモンドを砕いて塗したかのような、まばゆい光沢。 そして、風にそよぐたびに放たれる、この天上の香り……。 王族である私ですら、髪の手入れには苦労し、毎日侍女に油を塗らせているというのに……。 どうすれば、そのような『生きた宝石』のような髪になれるのですか?」
アイリス姫の声は震えていた。
純粋な羨望。
そして、圧倒的な敗北感。
「いいえ、姫様。私は主様の……店主様のただの従者です」
エルザが恭しく、しかし誇らしげに答えた。
彼女は自分の髪を指先で弄びながら、余裕の笑みを浮かべている。
「主様が、この『真珠の雫』で私の髪を洗ってくださったのです。 この液体には、時間を巻き戻し、素材を根源から作り変える神の御業が封じられています」
「しんじゅのしずく……」
アイリス姫は、俺の方を向き、ドレスの裾を摘んで深々と頭を下げた。
王族が、一介の店員に頭を下げる。
周囲の女官たちが悲鳴を上げそうになったが、姫の気迫に押されて声も出ない。
「店主様。お願いです。 私にも、その『髪を輝かせる秘宝』を譲っていただけないでしょうか。 この髪は……王家の象徴であり、私の誇りなのです。 ですが、日々の公務と乾燥で痛み、毎朝鏡を見るたびに心が折れそうになっていました……。 金に糸目はつけません。どうか、私に『美』をお授けください!」
彼女は必死だった。
どんなに着飾っても、髪がパサついていれば台無しだ。
その悩みは、異世界の王女であっても現代の女性と同じらしい。
「一個千円だ。そこの棚にあるぞ。コンディショナーもセットで使うと効果倍増だ」
俺は無造作に日用品の棚を指差した。
アイリス姫は、弾かれたように棚へ駆け寄った。
そして、白いボトルを、まるで聖遺物を拝むような手つきで手に取った。
「……千円……銀貨二枚……? 国宝級の秘薬が、たったそれだけで……? 信じられません……。なんて無欲な……」
彼女はボトルを頬擦りしそうな勢いで抱きしめた。
そして、棚にあった在庫を全てカゴに入れた。
「これが、美を司る女神の涙……。 なんと重厚な、そして美しい容器。曲線美すら感じます。 これがあれば、私の傷んだ髪も救われるのですね……」
彼女は金貨を何枚もカウンターに積み上げ、お釣りも受け取らずに、ボトルを胸に抱いて店を去っていった。
その後ろ姿は、長年の呪いから解き放たれた少女のように、希望に満ち溢れ、軽やかだった。
女官たちも、「姫様の髪が救われる!」「私も使いたい!」と興奮しながら後を追っていく。
「……主様。また、この世界の美の基準を、根底から破壊してしまいましたね」
エルザが、さらさらと流れる自分の髪を楽しみ、鏡の前でポーズを取りながら言った。
その表情は、以前よりも自信に満ちている。
「壊してない。本来あるべき姿に戻しただけだ。 髪が綺麗になれば、気分も上がるだろ」
俺はカウンターに戻り、冷めた缶コーヒーを一口飲んだ。
苦味が、シャンプーの甘い香りで麻痺した鼻をリセットしてくれる。
さて、髪が綺麗になったら、次は顔か。
俺は次の入荷リストを検索した。
『パーフェクトホイップ・洗顔フォーム』。
『極潤ヒアルロン酸・化粧水』。
この世界の女性たちが、現代の「保湿」と「美白」の技術を知った時、何が起きるか。
国中の鏡が売り切れるかもしれないな。
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