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第21話 不滅の灯火、あるいはLEDランタン
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異世界の夜は、俺が知る現代日本の夜とは概念そのものが違う。
それは単なる「太陽の不在」ではない。
物理的な質量を伴った、絶対的な「黒」だ。
月明かりのない新月の夜ともなれば、自分の手のひらすら視認できず、一歩踏み出せば奈落の底へ落ちていくような錯覚に囚われる。
風に揺れる松明の頼りない灯りは、闇を払うどころか、逆に周囲の暗黒の濃度を強調するだけの道標にしかならない。
ここでは、夜は死と同義であり、人々は日が沈めば、重厚な扉に鍵をかけ、朝が来るのを震えて待つしかないのだ。
だが、それは「こちらの文明」の話だ。
俺の支配するこのコンビニエンスストアにおいて、夜という概念は既に敗北している。
俺はカウンターの奥にある事務スペースで、段ボール箱から取り出したばかりの、無骨な円筒形の物体を手に取っていた。
オリーブドラブのミリタリーカラーに塗装された、堅牢な樹脂製のボディ。
『ジェントス・エクスプローラー・プロフェッショナル』。
アウトドア愛好家たちが全幅の信頼を寄せる、LEDランタンの最高峰だ。
単一アルカリ乾電池三本を装填することで、最大一千ルーメンという暴力的な光量を、数十時間にわたって維持し続ける「携帯用の太陽」である。
「……さて、テスト点灯といこうか」
俺は本体上部にあるラバー製のスイッチに指をかけた。
カチッ、という硬質な感触。
その瞬間。
俺の手元で、極小のビッグバンが発生した。
カッッッ!!!!
閃光。
それ以外の言葉が見つからない。
白い、あまりにも白く、そして鋭い光の奔流が、360度全方位へと爆発的に拡散した。
事務スペースの影という影が、瞬時に消滅する。
天井の四隅、机の下、棚の裏側。
光の粒子が空気中の塵の一つ一つまでを照らし出し、空間そのものを「昼」へと強制的に書き換えた。
「……眩しっ。直視厳禁だな」
俺は目を細め、光量調節ダイヤルを回して少し光を絞った。
このLED素子から放たれる光は、焚き火のような揺らぎも、暖かみもない。
ただひたすらに「照らす」ことだけに特化した、冷徹で無慈悲な光子(フォトン)の嵐だ。
「……あ、あぐぅ……っ!?」
カウンターの影から、くぐもった悲鳴が聞こえた。
見ると、エルザが両手で顔を覆い、床に蹲っている。
彼女の指の隙間から、煙のようなものが立ち昇っているようにさえ見えた。
影を住処とし、闇に紛れて生きてきた元暗殺者の彼女にとって、この光源は天敵中の天敵なのだろう。
「主様……。ご乱心ですか……?
それは、夜空の星を全て掻き集めて、無理やりガラスの中に押し込めたのですか?
網膜が……焼かれます。
瞼を閉じていても、光が脳を直接貫いてくる……」
「ただのランタンだ。LEDっつってな、火を使わずに光るんだよ」
「火を使わずに……?
熱源もなしに、これほどの光量を維持しているというのですか?
それはつまり、自然界の『等価交換』の理(ことわり)を無視した、神の御業……。
主様は、この世界から『夜』という概念そのものを消去するつもりなのですね?」
「大げさだ。ただ、外が暗くて客足が悪いからな。看板代わりに吊るしておこうと思ってな」
俺はランタンを手に持ち、自動ドアの方へと歩き出した。
エルザは「ひぃっ」と声を上げ、俺の影の中に逃げ込むようにして這いつくばる。
光が強すぎて、俺の背後にできる影が、まるで墨汁を流したように濃くなっているせいだ。
ウィーン。
自動ドアが開く。
外は、息苦しいほどの闇に包まれていた。
森の木々が黒い怪物のようにざわめき、得体の知れない獣の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
俺は入り口の軒先にあるフックに、ランタンのハンドルを掛けた。
その瞬間、世界が変わった。
バッッッ!!
コンビニを中心とした半径五十メートルが、切り取られたように「昼」になった。
白い光のドームが出現したと言ってもいい。
店の前の石畳、植え込みの葉脈、遥か向こうの木の幹のひび割れまでもが、残酷なほど鮮明に浮かび上がる。
光の届く範囲にいた夜行性の虫たちが、パニックを起こして地面に落ちる。
闇に潜んでいた何かの気配が、悲鳴のような音を立てて霧散していく。
「……明るすぎるな。近所迷惑か?」
俺が光量を再調整しようとした、その時だった。
光の境界線の向こう側、深い森の闇の中から、複数の足音が聞こえてきた。
金属がぶつかり合う音。
荒い息遣い。
そして、絶望に満ちた叫び声。
「走れ! 振り返るな! 奴らはすぐそこまで来ているぞ!」
「もう駄目だ……! 松明の火が消えた! 足元が見えん!」
「クソッ、こんなところで……影狼(シャドウウルフ)の餌になりたくねえ!」
一団の冒険者たちだ。
ボロボロの装備、血に塗れた鎧。
彼らは闇の中を、何かに追われて必死に逃走していた。
その背後には、闇と同化するような黒い毛並みを持つ、巨大な狼の群れが迫っている。
影狼。
夜闇に紛れ、音もなく獲物の喉笛を食いちぎる、Dランク相当の魔獣だ。
本来なら、冒険者たちが太刀打ちできる相手ではない。
だが、先頭を走っていたリーダー格の男が、突如として出現した「光の領域」に気づいた。
「……な、なんだ、あの光は!?」
彼は走りながら、目を見開いて絶句した。
森の中に、突如として現れた白亜の神殿。
そこから溢れ出す光は、彼らが持っていた松明の赤い炎とは異質の、純白の輝きだった。
「太陽……? いや、地上に星が落ちたのか!?」
「隊長! 魔物が……狼たちが止まりました!」
追撃していた影狼たちが、光の境界線の手前で急ブレーキをかけた。
ギャンッ、と怯えたような声を上げ、前足で顔を覆うようにして後退する。
LEDに含まれるブルーライトの波長が、夜行性の魔物の視神経を強烈に刺激したのか、あるいは本能的に「この光には勝てない」と悟ったのか。
数十匹の狼たちは、光の壁に阻まれ、悔しげに唸り声を上げながらも、一歩も中に入ってくることができない。
「……入ってこない? 奴らが、光に怯えているのか?」
「あのどう猛な影狼が、尻尾を巻いて震えているぞ……!」
冒険者たちは、呆然と立ち尽くした。
彼らの目の前にあるのは、物理的な防壁ではない。
ただの「明かり」だ。
だが、その圧倒的な光量は、どんな分厚い城壁よりも強固な「聖域」として機能していた。
「……助かったのか、俺たちは……」
緊張の糸が切れたのか、一人がその場にへたり込んだ。
リーダーの男は、震える足で立ち上がり、光の中心――つまり、俺の店を見つめた。
「……導きの光だ。神が、俺たちに『ここへ来い』と言っているんだ」
彼らは吸い寄せられるように、石畳の上を歩き出した。
泥だらけのブーツが、白く照らされた地面を踏みしめる。
そして、自動ドアの前に立つ俺の姿を認めると、まるで救世主を見るような目で駆け寄ってきた。
「……あ、開けてくれ! 頼む、中に入れてくれ!」
「追手が……闇が怖いんだ! その光の中に、俺たちを匿ってくれ!」
必死の形相だ。
俺は別に拒む理由もないので、自動ドアのセンサーに反応させて扉を開けた。
「いらっしゃいませ。泥はマットで落としてくれよ」
彼らは転がり込むように店内に入ってきた。
そして、次の瞬間、全員が「うぐっ!」と声を上げて目を閉じた。
店内の照明は、外のランタン以上に明るい。
天井に整然と並ぶLED蛍光灯の直列配置。
白い壁、白い床による光の乱反射。
闇に目が慣れきっていた彼らにとって、そこは光の洪水そのものだった。
「……な、なんなんだ、ここは……」
リーダーの男が、手で庇を作りながら薄目を開けた。
その瞳孔は極限まで収縮し、涙が滲んでいる。
「眩しい……。影が、どこにもない。
俺の足元の影すら、光に食われて消えかかっている……。
ここは、太陽神の玉座の間か?
それとも、光の精霊王の胎内なのか?」
「コンビニだ。怪我してるなら、あそこの棚に消毒液と包帯があるぞ」
俺はカウンターに戻り、レジの画面をスリープモードから復帰させた。
冒険者たちは、恐る恐る店内を見回している。
色鮮やかな商品のパッケージが、強烈な照明を受けて宝石のように輝いている。
彼らは、自分たちが泥と血で汚れていることを恥じるように、小さくなっていた。
「……店主殿。あ、あの、外にある『輝く太陽』は……」
リーダーの男が、カウンターににじり寄ってきた。
彼の視線は、ガラス越しに見える、軒先に吊るされたランタンに釘付けになっている。
その光は、今もなお衰えることなく、森の闇を焼き払っている。
「ランタンだ。LEDっつってな、電池がある限り光り続ける」
「でんち……? それは、光の魔力を封じた結晶石のことか?
松明のように、燃え尽きることはないのか?
風が吹いても、雨が降っても、あの光は消えないのか?」
「ああ。防水仕様だし、衝撃にも強い。
マックス光量なら十時間、弱モードなら百時間は保つぞ」
「ひゃ、百時間……!?
四日四晩、太陽をポケットに入れて持ち歩けるというのか!?」
男が絶叫した。
周囲の仲間たちも、信じられないという顔でざわめいている。
「そんな馬鹿な……。最高位の光魔術師でも、照明魔法の維持は数時間が限界だぞ」
「あれがあれば、ダンジョンの深層探索も、夜間の野営も、リスクがゼロになるじゃないか!」
「夜襲? 関係ねえ! あんなに明るかったら、敵が近づく前に丸見えだ!」
彼らの脳内で、LEDランタンの軍事的・冒険的価値が爆発的に跳ね上がっていく。
この世界において、「視界」とは命そのものだ。
それを、魔力消費なしで、しかも圧倒的な光量で確保できる道具。
喉から手が出るほど欲しいに決まっている。
「……頼む! 店主殿!
あれを、あの『不滅の灯火』を、俺たちに譲ってくれ!
今持っている報酬、全額出す!
足りなければ、装備を売ってでも金を作る!」
リーダーの男が、カウンターに金貨の入った革袋を叩きつけた。
さらに、腰の剣や、仲間の持っていた魔石まで積み上げようとする。
必死すぎる。
「……三千円だ。そんなガラクタはいらないから、金貨一枚でいいぞ」
「さ、三千……?
たったの金貨一枚……?
我らの命を救い、夜の恐怖を駆逐する神具が、宿代数泊分だと……?」
男はポカンと口を開け、積み上げた財宝と俺の顔を交互に見た。
価値観の崩壊。
彼にとって、それは「国一つと交換しても惜しくない秘宝」だったはずだ。
「ランタンだからな。キャンプ用品だよ。
ほら、これが新品だ。
あと、これが動力源の『単一アルカリ乾電池』だ。
光が弱くなったら、底の蓋を開けて入れ替えるんだ。
プラスとマイナスの向きを間違えるなよ」
俺は棚から新品のランタンの箱と、乾電池のパックを取り出した。
男は、箱に描かれた写真――闇の中でテントが明るく照らされている画像――を見て、喉を鳴らした。
「……箱に、未来が描かれている……。
この小さな筒が、光の源……。
『あるかり』……。古代語で『雷の精髄』を意味する言葉か……」
彼は震える手でランタンを受け取った。
ずっしりとした重み。
堅牢な質感。
彼はスイッチの場所を教わると、恐る恐る親指で押し込んだ。
カッッッ!!
店内で、再び閃光が炸裂した。
至近距離で浴びた冒険者たちが、「うわぁぁっ!」と悲鳴を上げてのけぞる。
だが、その悲鳴はすぐに歓喜の絶叫へと変わった。
「……光った! 俺の手の中で、太陽が生まれたぞ!」
「熱くない! なのに、この眩しさ!
これこそが、真の『聖なる光』だ!」
リーダーの男は、ランタンを高く掲げた。
その姿は、神話に登場する「火を盗んだ英雄」そのものだった。
仲間たちが、涙を流しながらその光を拝んでいる。
「感謝する……! 感謝するぞ、光の賢者よ!
これがあれば、俺たちはもう、闇に怯える必要はない!
どんなに深い迷宮の底でも、希望の光を灯し続けることができる!」
彼らは何度も頭を下げ、電池パックを大切に懐にしまい、店を出ていった。
自動ドアが開く。
外の闇の中に、彼らが踏み出していく。
だが、もう彼らは闇に飲み込まれることはない。
先頭を行く男の手にあるランタンが、暴力的なまでの光量で、前方の道を切り拓いていたからだ。
森の木々が白く照らし出され、潜んでいた魔物たちが悲鳴を上げて逃げ惑う音が聞こえる。
「……うおぉぉぉ! 見ろ! 影狼が逃げていくぞ!」
「光だ! 光の結界が進撃していく!」
「俺たちは無敵だぁぁぁ!」
彼らの凱旋パレードのような叫び声が、夜の森にこだましていた。
その光の柱は、数キロ離れた王都の城壁からも視認され、翌朝には「夜の森に光の巨人が現れた」という噂で持ちきりになるのだが、それはまた別の話だ。
「……主様。また、この世界の『夜』という秩序を、根本から破壊してしまいましたね」
エルザが、カウンターの影からそっと顔を出し、眩しそうに目を細めながら言った。
彼女の顔には、呆れと共に、どこか安堵の色が見える。
主人がこれほどの「光」を操るなら、もはや闇からの刺客など恐れるに足らないと確信したのだろう。
「破壊してない。安全を確保しただけだ。
あいつらも、これで足元を挫かずに家に帰れるだろ」
俺は店内に吊るしたままの見本用ランタンのスイッチを切り、元の静かな照明に戻した。
ふぅ、と息を吐く。
文明の光。
それは、恐怖と迷信に支配されたこの世界を、物理的に照らし出し、白日の下に晒してしまう。
ロマンがないと言えばそれまでだが、快適さには代えられない。
「さて、次はこいつか」
俺はスマホを取り出し、次の入荷リストを指でなぞった。
『電動ドライバー』。
先端のビットが高速回転し、硬い木材や金属にネジをねじ込む工具。
だが、この世界の職人や戦士たちが見たら、その回転トルクと貫通力をどう解釈するか。
「回転する螺旋の槍」か、「見えざる穿孔の魔術」か。
俺は少しだけ口元を緩め、注文確定ボタンをタップした。
黄金の粒子が舞い、新たな「文明の利器」がカウンターに具現化するのを、俺はあくびを噛み殺しながら待った。
それは単なる「太陽の不在」ではない。
物理的な質量を伴った、絶対的な「黒」だ。
月明かりのない新月の夜ともなれば、自分の手のひらすら視認できず、一歩踏み出せば奈落の底へ落ちていくような錯覚に囚われる。
風に揺れる松明の頼りない灯りは、闇を払うどころか、逆に周囲の暗黒の濃度を強調するだけの道標にしかならない。
ここでは、夜は死と同義であり、人々は日が沈めば、重厚な扉に鍵をかけ、朝が来るのを震えて待つしかないのだ。
だが、それは「こちらの文明」の話だ。
俺の支配するこのコンビニエンスストアにおいて、夜という概念は既に敗北している。
俺はカウンターの奥にある事務スペースで、段ボール箱から取り出したばかりの、無骨な円筒形の物体を手に取っていた。
オリーブドラブのミリタリーカラーに塗装された、堅牢な樹脂製のボディ。
『ジェントス・エクスプローラー・プロフェッショナル』。
アウトドア愛好家たちが全幅の信頼を寄せる、LEDランタンの最高峰だ。
単一アルカリ乾電池三本を装填することで、最大一千ルーメンという暴力的な光量を、数十時間にわたって維持し続ける「携帯用の太陽」である。
「……さて、テスト点灯といこうか」
俺は本体上部にあるラバー製のスイッチに指をかけた。
カチッ、という硬質な感触。
その瞬間。
俺の手元で、極小のビッグバンが発生した。
カッッッ!!!!
閃光。
それ以外の言葉が見つからない。
白い、あまりにも白く、そして鋭い光の奔流が、360度全方位へと爆発的に拡散した。
事務スペースの影という影が、瞬時に消滅する。
天井の四隅、机の下、棚の裏側。
光の粒子が空気中の塵の一つ一つまでを照らし出し、空間そのものを「昼」へと強制的に書き換えた。
「……眩しっ。直視厳禁だな」
俺は目を細め、光量調節ダイヤルを回して少し光を絞った。
このLED素子から放たれる光は、焚き火のような揺らぎも、暖かみもない。
ただひたすらに「照らす」ことだけに特化した、冷徹で無慈悲な光子(フォトン)の嵐だ。
「……あ、あぐぅ……っ!?」
カウンターの影から、くぐもった悲鳴が聞こえた。
見ると、エルザが両手で顔を覆い、床に蹲っている。
彼女の指の隙間から、煙のようなものが立ち昇っているようにさえ見えた。
影を住処とし、闇に紛れて生きてきた元暗殺者の彼女にとって、この光源は天敵中の天敵なのだろう。
「主様……。ご乱心ですか……?
それは、夜空の星を全て掻き集めて、無理やりガラスの中に押し込めたのですか?
網膜が……焼かれます。
瞼を閉じていても、光が脳を直接貫いてくる……」
「ただのランタンだ。LEDっつってな、火を使わずに光るんだよ」
「火を使わずに……?
熱源もなしに、これほどの光量を維持しているというのですか?
それはつまり、自然界の『等価交換』の理(ことわり)を無視した、神の御業……。
主様は、この世界から『夜』という概念そのものを消去するつもりなのですね?」
「大げさだ。ただ、外が暗くて客足が悪いからな。看板代わりに吊るしておこうと思ってな」
俺はランタンを手に持ち、自動ドアの方へと歩き出した。
エルザは「ひぃっ」と声を上げ、俺の影の中に逃げ込むようにして這いつくばる。
光が強すぎて、俺の背後にできる影が、まるで墨汁を流したように濃くなっているせいだ。
ウィーン。
自動ドアが開く。
外は、息苦しいほどの闇に包まれていた。
森の木々が黒い怪物のようにざわめき、得体の知れない獣の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
俺は入り口の軒先にあるフックに、ランタンのハンドルを掛けた。
その瞬間、世界が変わった。
バッッッ!!
コンビニを中心とした半径五十メートルが、切り取られたように「昼」になった。
白い光のドームが出現したと言ってもいい。
店の前の石畳、植え込みの葉脈、遥か向こうの木の幹のひび割れまでもが、残酷なほど鮮明に浮かび上がる。
光の届く範囲にいた夜行性の虫たちが、パニックを起こして地面に落ちる。
闇に潜んでいた何かの気配が、悲鳴のような音を立てて霧散していく。
「……明るすぎるな。近所迷惑か?」
俺が光量を再調整しようとした、その時だった。
光の境界線の向こう側、深い森の闇の中から、複数の足音が聞こえてきた。
金属がぶつかり合う音。
荒い息遣い。
そして、絶望に満ちた叫び声。
「走れ! 振り返るな! 奴らはすぐそこまで来ているぞ!」
「もう駄目だ……! 松明の火が消えた! 足元が見えん!」
「クソッ、こんなところで……影狼(シャドウウルフ)の餌になりたくねえ!」
一団の冒険者たちだ。
ボロボロの装備、血に塗れた鎧。
彼らは闇の中を、何かに追われて必死に逃走していた。
その背後には、闇と同化するような黒い毛並みを持つ、巨大な狼の群れが迫っている。
影狼。
夜闇に紛れ、音もなく獲物の喉笛を食いちぎる、Dランク相当の魔獣だ。
本来なら、冒険者たちが太刀打ちできる相手ではない。
だが、先頭を走っていたリーダー格の男が、突如として出現した「光の領域」に気づいた。
「……な、なんだ、あの光は!?」
彼は走りながら、目を見開いて絶句した。
森の中に、突如として現れた白亜の神殿。
そこから溢れ出す光は、彼らが持っていた松明の赤い炎とは異質の、純白の輝きだった。
「太陽……? いや、地上に星が落ちたのか!?」
「隊長! 魔物が……狼たちが止まりました!」
追撃していた影狼たちが、光の境界線の手前で急ブレーキをかけた。
ギャンッ、と怯えたような声を上げ、前足で顔を覆うようにして後退する。
LEDに含まれるブルーライトの波長が、夜行性の魔物の視神経を強烈に刺激したのか、あるいは本能的に「この光には勝てない」と悟ったのか。
数十匹の狼たちは、光の壁に阻まれ、悔しげに唸り声を上げながらも、一歩も中に入ってくることができない。
「……入ってこない? 奴らが、光に怯えているのか?」
「あのどう猛な影狼が、尻尾を巻いて震えているぞ……!」
冒険者たちは、呆然と立ち尽くした。
彼らの目の前にあるのは、物理的な防壁ではない。
ただの「明かり」だ。
だが、その圧倒的な光量は、どんな分厚い城壁よりも強固な「聖域」として機能していた。
「……助かったのか、俺たちは……」
緊張の糸が切れたのか、一人がその場にへたり込んだ。
リーダーの男は、震える足で立ち上がり、光の中心――つまり、俺の店を見つめた。
「……導きの光だ。神が、俺たちに『ここへ来い』と言っているんだ」
彼らは吸い寄せられるように、石畳の上を歩き出した。
泥だらけのブーツが、白く照らされた地面を踏みしめる。
そして、自動ドアの前に立つ俺の姿を認めると、まるで救世主を見るような目で駆け寄ってきた。
「……あ、開けてくれ! 頼む、中に入れてくれ!」
「追手が……闇が怖いんだ! その光の中に、俺たちを匿ってくれ!」
必死の形相だ。
俺は別に拒む理由もないので、自動ドアのセンサーに反応させて扉を開けた。
「いらっしゃいませ。泥はマットで落としてくれよ」
彼らは転がり込むように店内に入ってきた。
そして、次の瞬間、全員が「うぐっ!」と声を上げて目を閉じた。
店内の照明は、外のランタン以上に明るい。
天井に整然と並ぶLED蛍光灯の直列配置。
白い壁、白い床による光の乱反射。
闇に目が慣れきっていた彼らにとって、そこは光の洪水そのものだった。
「……な、なんなんだ、ここは……」
リーダーの男が、手で庇を作りながら薄目を開けた。
その瞳孔は極限まで収縮し、涙が滲んでいる。
「眩しい……。影が、どこにもない。
俺の足元の影すら、光に食われて消えかかっている……。
ここは、太陽神の玉座の間か?
それとも、光の精霊王の胎内なのか?」
「コンビニだ。怪我してるなら、あそこの棚に消毒液と包帯があるぞ」
俺はカウンターに戻り、レジの画面をスリープモードから復帰させた。
冒険者たちは、恐る恐る店内を見回している。
色鮮やかな商品のパッケージが、強烈な照明を受けて宝石のように輝いている。
彼らは、自分たちが泥と血で汚れていることを恥じるように、小さくなっていた。
「……店主殿。あ、あの、外にある『輝く太陽』は……」
リーダーの男が、カウンターににじり寄ってきた。
彼の視線は、ガラス越しに見える、軒先に吊るされたランタンに釘付けになっている。
その光は、今もなお衰えることなく、森の闇を焼き払っている。
「ランタンだ。LEDっつってな、電池がある限り光り続ける」
「でんち……? それは、光の魔力を封じた結晶石のことか?
松明のように、燃え尽きることはないのか?
風が吹いても、雨が降っても、あの光は消えないのか?」
「ああ。防水仕様だし、衝撃にも強い。
マックス光量なら十時間、弱モードなら百時間は保つぞ」
「ひゃ、百時間……!?
四日四晩、太陽をポケットに入れて持ち歩けるというのか!?」
男が絶叫した。
周囲の仲間たちも、信じられないという顔でざわめいている。
「そんな馬鹿な……。最高位の光魔術師でも、照明魔法の維持は数時間が限界だぞ」
「あれがあれば、ダンジョンの深層探索も、夜間の野営も、リスクがゼロになるじゃないか!」
「夜襲? 関係ねえ! あんなに明るかったら、敵が近づく前に丸見えだ!」
彼らの脳内で、LEDランタンの軍事的・冒険的価値が爆発的に跳ね上がっていく。
この世界において、「視界」とは命そのものだ。
それを、魔力消費なしで、しかも圧倒的な光量で確保できる道具。
喉から手が出るほど欲しいに決まっている。
「……頼む! 店主殿!
あれを、あの『不滅の灯火』を、俺たちに譲ってくれ!
今持っている報酬、全額出す!
足りなければ、装備を売ってでも金を作る!」
リーダーの男が、カウンターに金貨の入った革袋を叩きつけた。
さらに、腰の剣や、仲間の持っていた魔石まで積み上げようとする。
必死すぎる。
「……三千円だ。そんなガラクタはいらないから、金貨一枚でいいぞ」
「さ、三千……?
たったの金貨一枚……?
我らの命を救い、夜の恐怖を駆逐する神具が、宿代数泊分だと……?」
男はポカンと口を開け、積み上げた財宝と俺の顔を交互に見た。
価値観の崩壊。
彼にとって、それは「国一つと交換しても惜しくない秘宝」だったはずだ。
「ランタンだからな。キャンプ用品だよ。
ほら、これが新品だ。
あと、これが動力源の『単一アルカリ乾電池』だ。
光が弱くなったら、底の蓋を開けて入れ替えるんだ。
プラスとマイナスの向きを間違えるなよ」
俺は棚から新品のランタンの箱と、乾電池のパックを取り出した。
男は、箱に描かれた写真――闇の中でテントが明るく照らされている画像――を見て、喉を鳴らした。
「……箱に、未来が描かれている……。
この小さな筒が、光の源……。
『あるかり』……。古代語で『雷の精髄』を意味する言葉か……」
彼は震える手でランタンを受け取った。
ずっしりとした重み。
堅牢な質感。
彼はスイッチの場所を教わると、恐る恐る親指で押し込んだ。
カッッッ!!
店内で、再び閃光が炸裂した。
至近距離で浴びた冒険者たちが、「うわぁぁっ!」と悲鳴を上げてのけぞる。
だが、その悲鳴はすぐに歓喜の絶叫へと変わった。
「……光った! 俺の手の中で、太陽が生まれたぞ!」
「熱くない! なのに、この眩しさ!
これこそが、真の『聖なる光』だ!」
リーダーの男は、ランタンを高く掲げた。
その姿は、神話に登場する「火を盗んだ英雄」そのものだった。
仲間たちが、涙を流しながらその光を拝んでいる。
「感謝する……! 感謝するぞ、光の賢者よ!
これがあれば、俺たちはもう、闇に怯える必要はない!
どんなに深い迷宮の底でも、希望の光を灯し続けることができる!」
彼らは何度も頭を下げ、電池パックを大切に懐にしまい、店を出ていった。
自動ドアが開く。
外の闇の中に、彼らが踏み出していく。
だが、もう彼らは闇に飲み込まれることはない。
先頭を行く男の手にあるランタンが、暴力的なまでの光量で、前方の道を切り拓いていたからだ。
森の木々が白く照らし出され、潜んでいた魔物たちが悲鳴を上げて逃げ惑う音が聞こえる。
「……うおぉぉぉ! 見ろ! 影狼が逃げていくぞ!」
「光だ! 光の結界が進撃していく!」
「俺たちは無敵だぁぁぁ!」
彼らの凱旋パレードのような叫び声が、夜の森にこだましていた。
その光の柱は、数キロ離れた王都の城壁からも視認され、翌朝には「夜の森に光の巨人が現れた」という噂で持ちきりになるのだが、それはまた別の話だ。
「……主様。また、この世界の『夜』という秩序を、根本から破壊してしまいましたね」
エルザが、カウンターの影からそっと顔を出し、眩しそうに目を細めながら言った。
彼女の顔には、呆れと共に、どこか安堵の色が見える。
主人がこれほどの「光」を操るなら、もはや闇からの刺客など恐れるに足らないと確信したのだろう。
「破壊してない。安全を確保しただけだ。
あいつらも、これで足元を挫かずに家に帰れるだろ」
俺は店内に吊るしたままの見本用ランタンのスイッチを切り、元の静かな照明に戻した。
ふぅ、と息を吐く。
文明の光。
それは、恐怖と迷信に支配されたこの世界を、物理的に照らし出し、白日の下に晒してしまう。
ロマンがないと言えばそれまでだが、快適さには代えられない。
「さて、次はこいつか」
俺はスマホを取り出し、次の入荷リストを指でなぞった。
『電動ドライバー』。
先端のビットが高速回転し、硬い木材や金属にネジをねじ込む工具。
だが、この世界の職人や戦士たちが見たら、その回転トルクと貫通力をどう解釈するか。
「回転する螺旋の槍」か、「見えざる穿孔の魔術」か。
俺は少しだけ口元を緩め、注文確定ボタンをタップした。
黄金の粒子が舞い、新たな「文明の利器」がカウンターに具現化するのを、俺はあくびを噛み殺しながら待った。
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