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第8話 裸の賢者たちと、おやつのための天空散歩
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チュン、チュン、という小鳥の囀りで、私は深い眠りから覚めた。
枕元には、最高級のダウンよりも柔らかいクロの毛並みがある。
顔を埋めると、陽だまりの匂いが肺いっぱいに広がった。
目を開ければ、窓の外には見たこともないほど色鮮やかな鳥たちが飛び交っている。
極楽鳥だ。
本来なら天界に近い高山にしか生息しないはずの幻の鳥が、私の家の窓辺で羽繕いをしている。
彼らが羽ばたくたびに、金粉のような光の粒子がキラキラと室内に舞い込み、床に落ちては小さな花へと変わっていく。
掃除の手間が増えるけれど、まあ綺麗だから許してあげよう。
「ん……おはよう、クロ」
私が声をかけると、クロは大きくあくびをし、濡れた鼻先を私の頬に押し付けてきた。
おはようのキスだ。
世界を滅ぼす神獣に毎朝起こされる生活なんて、王宮にいた頃には想像もできなかった贅沢だ。
私はベッドから抜け出し、窓を開け放つ。
朝の冷涼な空気が流れ込んでくるが、私の肌に触れた瞬間に適温の微風へと変わる。
庭園を見下ろすと、昨日までは蕾だった『七色の薔薇』が一斉に開花し、視界を極彩色に埋め尽くしていた。
植物たちが、私におはようの挨拶をするために、競うように花開いたのだ。
ふと、視界の隅にいつもの半透明なウィンドウが浮かび上がった。
【ハピネスポイント:8000達成】
【ボーナス:『世界の記憶のライブラリ』が解放されました】
【邸宅の防衛システムが『聖樹の結界』にアップグレードされました】
なんだかよく分からないけれど、また便利になったらしい。
『ライブラリ』というのは、気になることがあれば何でも検索できる機能かしら。
王宮の書庫にあったカビ臭い古文書とは大違いだ。
スマートフォン感覚で世界の真理にアクセスできるなんて、ずいぶんとハイテクな森になったものだ。
私はクロを抱き上げ、新しく増築されていた二階のテラスへと向かった。
そこには、すでに完璧な身支度を整えたアルバスが待機していた。
「エルナ様、おはようございます。今朝の空気は、一段と神気に満ちておりますな」
若返ったアルバスの所作は、洗練された貴族の執事そのものだ。
彼の手元には、湯気を立てる純銀のティーセットが用意されている。
テーブルクロスは純白のレースで、朝露のように輝く刺繍が施されていた。
「おはよう、アルバス。いい香りね」
「はい。今朝は、東方の秘境でしか採れない『仙桃の茶葉』をご用意しました」
彼がカップに注いでくれた液体は、透き通った翡翠色をしていた。
一口含むと、桃の甘い香りと爽やかな渋みが口の中で爆発し、脳の髄まで浄化されるような感覚に襲われる。
飲んだ直後、視界がクリアになり、遠くの木の葉の葉脈までくっきりと見えるようになった。
ただのお茶なのに、滋養強壮の効果が強すぎる気がする。
「美味しいわ。アルバス、あなたの淹れるお茶は世界一ね」
「勿体なきお言葉……! すべては、エルナ様から放たれる神気が、茶葉のポテンシャルを極限まで引き出しているのです」
アルバスは感涙にむせびながら、恭しく一礼した。
褒めただけで泣くなんて、相変わらず感受性の豊かな人だ。
私はティーカップを置き、ふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえばアルバス。あのお客さんたちは、まだ外にいるの?」
「お客さん……ああ、昨日の不法侵入者ども、いえ、聖騎士団の方々ですね」
アルバスの表情が、スッと無感情なものに変わる。
彼はテラスの手すりから身を乗り出し、眼下の雪原を指差した。
「あちらをご覧ください。彼らは今、人生の絶頂を迎えております」
私がテラスから覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
昨夜、私が振る舞った黄金ポテトを食べた騎士たちが、下着姿のまま雪の上に車座になって座っている。
寒いはずの雪原なのに、彼らの周囲だけ雪が溶け、春の花が咲き乱れているのだ。
そして何より驚くべきは、彼らの頭上に、天使の輪のような黄金の光が浮かんでいることだ。
彼らは目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべて微動だにしていない。
「……何をしているの? あれ」
「座禅です」
「座禅?」
「はい。黄金ポテトに含まれる神代の魔力を摂取した結果、彼らの脳内麻薬物質が限界突破し、現世の執着を捨て去る境地――いわゆる『解脱』に至ったようです」
アルバスが淡々と説明する。
解脱。
聖騎士団ともあろう者が、芋一つで悟りを開いてしまったというのか。
「見てください、あの団長補佐バシュラールの顔を。かつての貪欲で意地汚い表情は消え失せ、今は生まれたての赤子のように無垢です」
「『我は芋なり、芋は世界なり』……そう呟きながら、ここ数時間ピクリとも動いておりません」
確かに、バシュラールの顔は仏のように安らかだ。
国へ帰る気も、私を捕まえる気も、完全に失せているらしい。
黄金ポテトの威力、恐るべし。
まあ、家の前で騒がれるよりはずっといい。
彼らが幸せなら、それで万事解決だ。
私は彼らを庭のオブジェとして扱うことに決め、視線を戻した。
「邪魔者がいなくなったのなら、今日は少し遠出をしましょうか」
「遠出、でございますか?」
「ええ。アルバス、この近くに『龍の巣』があるって聞いたけれど、本当?」
私が何気なく尋ねると、アルバスが茶器を持つ手をピタリと止めた。
彼の顔から、さっきまでの余裕が消え、緊張が走る。
「り、龍の巣……。北の最果てにある、古代龍たちが眠る絶対不可侵領域のことですな」
「そこは、人間が足を踏み入れれば瞬時に灰になると言われる、地上の地獄。神代の時代より生きる『五帝龍』たちが支配する、死の聖域です」
アルバスの声が震えている。
そんなに恐ろしい場所なのだろうか。
でも、私の目的は観光ではない。
「そこには、一つ食べるだけで千年寿命が延びるという『龍眼の実』が実っているのでしょう?」
「は、はい。伝説ではそう言われておりますが……まさか、不老不死をお求めで?」
「まさか。千年の寿命なんて興味ないわ。ただ、その実をお菓子作りに使ったら美味しそうじゃない?」
私はワクワクしながら言った。
龍の瞳のように赤く、宝石のように輝く果実。
それをタルトに乗せたら、どれほど美しいだろう。
酸味と甘みのバランスも絶妙だという噂だ。
昨日食べたイチゴのタルトも美味しかったけれど、やはり新しい食材への探求心は抑えられない。
私の言葉に、アルバスは絶句し、口をパクパクさせている。
「か、菓子の材料……!? 伝説の霊薬を、単なるフルーツとして消費なさるおつもりですか!?」
「だって、美味しそうなんだもの。ねえ、クロ。龍の巣まで、お散歩に行かない?」
私が足元のクロに問いかけると、彼は「待ってました」と言わんばかりに、カッと目を見開いた。
その瞳孔が縦に裂け、紫色の燐光を放つ。
クロは私の膝から飛び降りると、空中で回転しながらその姿を劇的に変貌させた。
ボフンッ! という可愛い音ではない。
ドォォォォォンッ!! という、大気が悲鳴を上げるような重低音と共に、彼は巨大化した。
漆黒の毛並みが波打ち、背中からは紫色の炎を纏った巨大な翼が生える。
体長は優に十メートルを超え、その爪はダイヤモンドすら豆腐のように切り裂く鋭さを誇っている。
額には王者の証である刻印が浮かび上がり、吐く息だけで空間が歪んでいる。
伝説の終焉獣、真の姿だ。
圧倒的な存在感に、テラスの柱がミシミシと音を立てる。
アルバスは「ひぃっ!」と悲鳴を上げて腰を抜かし、またしても床にへたり込んだ。
「あ、あくまで散歩……! これは散歩なのですな……!?」
「そうよ。クロも運動不足だったみたいだし」
私は巨大化したクロの鼻先を撫でてやる。
見た目は怖くなっても、中身はいつもの甘えん坊のままだ。
彼は嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らし(その音だけでガラスが割れそうだが)、私に背中を差し出した。
私はドレスの裾を翻し、クロの背中へと軽やかに飛び乗る。
フカフカの毛並みが、高級ソファのように私を受け止めてくれた。
天然のシートベルトのように、黒い魔力が私の体を優しく固定する。
「行ってきます、アルバス。お留守番をお願いね。美味しいお土産を買ってきてあげるから」
「は、ははっ! お気をつけて……! 龍の王が、エルナ様の機嫌を損ねて消滅しないことを祈っております!」
アルバスの悲痛な叫びを背に、クロは力強く地面を蹴った。
ズドンッ!!
ロケットのような加速。
一瞬で景色が線となり、私の体は重力から解き放たれた。
冷たい風が頬を打つかと思いきや、クロが展開した透明な障壁が、すべてを心地よい微風へと変換してくれる。
音速を超えているはずなのに、髪の毛一本乱れない快適さだ。
私たちは雲を突き抜け、世界の屋根と呼ばれる高高度へと躍り出た。
「わあ、絶景ね」
眼下には、見渡す限りの雲海が広がっている。
太陽が近く、空の青さが濃い。
クロは翼を広げ、優雅に空を滑っていく。
私は下界を見下ろした。
そこには、かつて私が暮らしていたラインハルト王国の領土が見える。
「……汚い色」
思わず本音が漏れた。
上空から見ると、その惨状は一目瞭然だった。
私の結界に守られたこの森周辺だけが、エメラルドのような鮮やかな緑に輝いているのに対し、王国の領土はどす黒い茶色に変色している。
森も、畑も、川も、すべてが干上がり、腐敗しているのだ。
まるで、腐った果実のようだ。
王都の中心部からは、黒い煙のような瘴気が立ち上っているのが見える。
おそらく、民衆の不安と怨嗟が形になったものだろう。
あんな場所に、私は何年も閉じ込められていたのだ。
自分の命を削って、あの腐敗を必死に食い止めていたなんて、今思うと滑稽でしかない。
「自業自得ね」
私は冷たい風に乗せて呟いた。
王太子やリリアたちは、今頃どうしているのだろう。
泥水を啜り、枯れたパンを奪い合っているのだろうか。
私が無自覚に残していた「残り香」のような魔力も、そろそろ底をつく頃だ。
そうなれば、あの国は地図上から消滅し、ただの不毛の荒野となる。
当然の報いだ。
恩を仇で返した愚か者たちに、かける慈悲など一欠片も残っていない。
私は鼻で笑い、視線を前方に向けた。
そんな終わった国のことより、これから手に入れる甘い果実の方が、私にとっては数億倍も重要だ。
「クロ、あそこね!」
飛行を続けて数分。
雲の切れ間から、異様な存在感を放つ浮遊島が姿を現した。
岩盤そのものが黄金を含んで輝き、島の中央には、雲を突き破るほど巨大な大樹が一本だけそびえ立っている。
あれが『龍の巣』だ。
樹の枝には、遠目からでもわかるほど巨大で、真っ赤に熟した実がたわわに実っている。
まるでルビーのシャンデリアのようだ。
「美味しそう……! ジャムにしても良さそうね」
私が歓声を上げると、クロも同意するように「グルルッ」と喉を鳴らした。
しかし、島に近づくにつれ、周囲の空気が張り詰めていくのを感じた。
島の上空を旋回していた無数の飛竜たちが、クロの姿を認めた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めたのだ。
彼らは本能で悟ったのだろう。
食物連鎖の頂点に立つ捕食者が現れたことを。
哀れなワイバーンたちが、泡を吹いて墜落していくのが見える。
クロはそれらを一瞥もせず、王者の貫禄で島の中心部へと降下していった。
ズシンッ。
地響きと共に着陸すると、そこは濃密な魔素が充満する異界だった。
空気そのものが甘く、重い。
普通の人間なら、この空気を吸っただけで魔力中毒を起こして死ぬレベルだろう。
だが、私にとっては深呼吸したくなるほど清々しい空気だ。
私はクロの背中から飛び降り、目の前の巨木へと歩み寄った。
「これね。龍眼の実」
近くで見ると、その実は赤ん坊の頭ほどもある大きさだった。
表面はつやつやと輝き、内側から脈動するような生命力を感じる。
私は手を伸ばし、一番低く垂れ下がっている実を一つ、プチリと摘み取った。
重い。
ずっしりとした果汁の重みが手に伝わる。
完熟だ。
その瞬間だった。
島の奥深く、大地の底から腹に響くような咆哮が轟いた。
「グオオオオオオオオオオッッ!!!」
大樹が揺れ、葉が舞い散る。
地面が割れ、溶岩のような熱気が噴き出した。
現れたのは、五つの首を持つ、山のように巨大な黄金の龍――『五帝龍王』だった。
それぞれの首が火、水、風、土、雷の魔力を帯び、その眼光は神話の神々すら射殺すほどの威圧感を放っている。
全長は数百メートルにも及ぶだろうか。
クロでさえ小さく見えるほどの巨躯だ。
五つの口から同時に吐き出される息吹が、嵐となって私に吹き付ける。
「我が聖域で、勝手に実を摘む不届き者は誰だ……!」
「貴様か、矮小な人間よ! 我が至宝に触れた罪、その魂を五億年焼かれることで償うがいい!」
龍王の怒号が、物理的な衝撃波となって襲いかかる。
普通の人間なら、この声を聞いただけで鼓膜が破れ、精神が崩壊していただろう。
だが、私の髪はそよ風に吹かれたように揺れるだけだ。
私の周囲には、常に世界樹の加護が働いている。
龍王の威圧など、赤子の泣き声程度にしか響かない。
「あら、ごめんなさい。あまりに美味しそうだったから、お断りを入れる前に手が動いちゃって」
「挨拶が遅れてしまったわね。こんにちは」
私は摘んだばかりの実を片手に、ペコリと優雅に一礼した。
私の態度があまりにも軽かったからだろうか。
龍王の五つの首が、一斉にピタリと動きを止めた。
十個の巨大な眼球が、私を凝視する。
そして、私の背後に控えている、漆黒の獣――クロの存在に気づいた瞬間、龍王の顔色が劇的に変わった。
「な……ッ!?」
龍王の黄金の鱗が、波打つように逆立った。
恐怖。
絶対的な強者に対する、生物としての根源的な恐怖が、龍王の全身を駆け巡ったのだ。
彼は見たのだ。
私の背後に揺らめく、世界樹の無限の魔力と、それを守護する終焉の獣の、底知れぬ殺気を。
クロはただ座っているだけだ。
だが、その瞳は「俺の主に声を荒げるとはどういうつもりだ? 今すぐその五つの首をねじ切ってやろうか?」と雄弁に語っていた。
龍王の五つの首が、ガクガクと音を立てて震え始める。
先ほどの威厳はどこへやら、彼は後ずさりし、巨大な身体を小さく縮こまらせた。
「……あ、あの……」
「その、気配……もしや……世界樹の母君であらせられますか?」
龍王の声から、怒りが急速に抜け落ちていく。
代わりに浮かんだのは、迷子が母親を見つけた時のような、情けないほどの安堵と媚びの色だった。
彼は慌てて五つの首を整列させ、地面に擦り付けるような最敬礼の姿勢をとった。
「ご、誤解です! 滅相もない!」
「今の咆哮は、怒ったのではありません! か、歓迎の挨拶です!」
「あまりに嬉しくて、五つの首が絡まって、つい変な声が出てしまっただけでして!」
「変な声?」
私が首を傾げると、龍王は滝のような冷や汗を流しながら、必死に頷いた。
「はい! そうです! 『グオオオ』というのは、龍語で『ようこそ、愛しき女神様』という意味でして!」
「決して、威嚇など……! あああ、どうかその黒い獣様! 私を見ないでください! ちびってしまいます!」
龍王は半泣きになりながら、必死に弁解を続けている。
その必死さがなんだかおかしくて、私は思わず「ふふっ」と声を漏らして笑った。
世界最強と言われる龍王が、こんなにユーモラスな生き物だったなんて。
どうやらこの森の住人(?)たちは、皆一様に礼儀正しいようだ。
私は手の中の赤い実を見つめ、今夜のデザートのレシピに思いを馳せた。
これなら、きっと極上のタルトができるに違いない。
枕元には、最高級のダウンよりも柔らかいクロの毛並みがある。
顔を埋めると、陽だまりの匂いが肺いっぱいに広がった。
目を開ければ、窓の外には見たこともないほど色鮮やかな鳥たちが飛び交っている。
極楽鳥だ。
本来なら天界に近い高山にしか生息しないはずの幻の鳥が、私の家の窓辺で羽繕いをしている。
彼らが羽ばたくたびに、金粉のような光の粒子がキラキラと室内に舞い込み、床に落ちては小さな花へと変わっていく。
掃除の手間が増えるけれど、まあ綺麗だから許してあげよう。
「ん……おはよう、クロ」
私が声をかけると、クロは大きくあくびをし、濡れた鼻先を私の頬に押し付けてきた。
おはようのキスだ。
世界を滅ぼす神獣に毎朝起こされる生活なんて、王宮にいた頃には想像もできなかった贅沢だ。
私はベッドから抜け出し、窓を開け放つ。
朝の冷涼な空気が流れ込んでくるが、私の肌に触れた瞬間に適温の微風へと変わる。
庭園を見下ろすと、昨日までは蕾だった『七色の薔薇』が一斉に開花し、視界を極彩色に埋め尽くしていた。
植物たちが、私におはようの挨拶をするために、競うように花開いたのだ。
ふと、視界の隅にいつもの半透明なウィンドウが浮かび上がった。
【ハピネスポイント:8000達成】
【ボーナス:『世界の記憶のライブラリ』が解放されました】
【邸宅の防衛システムが『聖樹の結界』にアップグレードされました】
なんだかよく分からないけれど、また便利になったらしい。
『ライブラリ』というのは、気になることがあれば何でも検索できる機能かしら。
王宮の書庫にあったカビ臭い古文書とは大違いだ。
スマートフォン感覚で世界の真理にアクセスできるなんて、ずいぶんとハイテクな森になったものだ。
私はクロを抱き上げ、新しく増築されていた二階のテラスへと向かった。
そこには、すでに完璧な身支度を整えたアルバスが待機していた。
「エルナ様、おはようございます。今朝の空気は、一段と神気に満ちておりますな」
若返ったアルバスの所作は、洗練された貴族の執事そのものだ。
彼の手元には、湯気を立てる純銀のティーセットが用意されている。
テーブルクロスは純白のレースで、朝露のように輝く刺繍が施されていた。
「おはよう、アルバス。いい香りね」
「はい。今朝は、東方の秘境でしか採れない『仙桃の茶葉』をご用意しました」
彼がカップに注いでくれた液体は、透き通った翡翠色をしていた。
一口含むと、桃の甘い香りと爽やかな渋みが口の中で爆発し、脳の髄まで浄化されるような感覚に襲われる。
飲んだ直後、視界がクリアになり、遠くの木の葉の葉脈までくっきりと見えるようになった。
ただのお茶なのに、滋養強壮の効果が強すぎる気がする。
「美味しいわ。アルバス、あなたの淹れるお茶は世界一ね」
「勿体なきお言葉……! すべては、エルナ様から放たれる神気が、茶葉のポテンシャルを極限まで引き出しているのです」
アルバスは感涙にむせびながら、恭しく一礼した。
褒めただけで泣くなんて、相変わらず感受性の豊かな人だ。
私はティーカップを置き、ふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえばアルバス。あのお客さんたちは、まだ外にいるの?」
「お客さん……ああ、昨日の不法侵入者ども、いえ、聖騎士団の方々ですね」
アルバスの表情が、スッと無感情なものに変わる。
彼はテラスの手すりから身を乗り出し、眼下の雪原を指差した。
「あちらをご覧ください。彼らは今、人生の絶頂を迎えております」
私がテラスから覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
昨夜、私が振る舞った黄金ポテトを食べた騎士たちが、下着姿のまま雪の上に車座になって座っている。
寒いはずの雪原なのに、彼らの周囲だけ雪が溶け、春の花が咲き乱れているのだ。
そして何より驚くべきは、彼らの頭上に、天使の輪のような黄金の光が浮かんでいることだ。
彼らは目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべて微動だにしていない。
「……何をしているの? あれ」
「座禅です」
「座禅?」
「はい。黄金ポテトに含まれる神代の魔力を摂取した結果、彼らの脳内麻薬物質が限界突破し、現世の執着を捨て去る境地――いわゆる『解脱』に至ったようです」
アルバスが淡々と説明する。
解脱。
聖騎士団ともあろう者が、芋一つで悟りを開いてしまったというのか。
「見てください、あの団長補佐バシュラールの顔を。かつての貪欲で意地汚い表情は消え失せ、今は生まれたての赤子のように無垢です」
「『我は芋なり、芋は世界なり』……そう呟きながら、ここ数時間ピクリとも動いておりません」
確かに、バシュラールの顔は仏のように安らかだ。
国へ帰る気も、私を捕まえる気も、完全に失せているらしい。
黄金ポテトの威力、恐るべし。
まあ、家の前で騒がれるよりはずっといい。
彼らが幸せなら、それで万事解決だ。
私は彼らを庭のオブジェとして扱うことに決め、視線を戻した。
「邪魔者がいなくなったのなら、今日は少し遠出をしましょうか」
「遠出、でございますか?」
「ええ。アルバス、この近くに『龍の巣』があるって聞いたけれど、本当?」
私が何気なく尋ねると、アルバスが茶器を持つ手をピタリと止めた。
彼の顔から、さっきまでの余裕が消え、緊張が走る。
「り、龍の巣……。北の最果てにある、古代龍たちが眠る絶対不可侵領域のことですな」
「そこは、人間が足を踏み入れれば瞬時に灰になると言われる、地上の地獄。神代の時代より生きる『五帝龍』たちが支配する、死の聖域です」
アルバスの声が震えている。
そんなに恐ろしい場所なのだろうか。
でも、私の目的は観光ではない。
「そこには、一つ食べるだけで千年寿命が延びるという『龍眼の実』が実っているのでしょう?」
「は、はい。伝説ではそう言われておりますが……まさか、不老不死をお求めで?」
「まさか。千年の寿命なんて興味ないわ。ただ、その実をお菓子作りに使ったら美味しそうじゃない?」
私はワクワクしながら言った。
龍の瞳のように赤く、宝石のように輝く果実。
それをタルトに乗せたら、どれほど美しいだろう。
酸味と甘みのバランスも絶妙だという噂だ。
昨日食べたイチゴのタルトも美味しかったけれど、やはり新しい食材への探求心は抑えられない。
私の言葉に、アルバスは絶句し、口をパクパクさせている。
「か、菓子の材料……!? 伝説の霊薬を、単なるフルーツとして消費なさるおつもりですか!?」
「だって、美味しそうなんだもの。ねえ、クロ。龍の巣まで、お散歩に行かない?」
私が足元のクロに問いかけると、彼は「待ってました」と言わんばかりに、カッと目を見開いた。
その瞳孔が縦に裂け、紫色の燐光を放つ。
クロは私の膝から飛び降りると、空中で回転しながらその姿を劇的に変貌させた。
ボフンッ! という可愛い音ではない。
ドォォォォォンッ!! という、大気が悲鳴を上げるような重低音と共に、彼は巨大化した。
漆黒の毛並みが波打ち、背中からは紫色の炎を纏った巨大な翼が生える。
体長は優に十メートルを超え、その爪はダイヤモンドすら豆腐のように切り裂く鋭さを誇っている。
額には王者の証である刻印が浮かび上がり、吐く息だけで空間が歪んでいる。
伝説の終焉獣、真の姿だ。
圧倒的な存在感に、テラスの柱がミシミシと音を立てる。
アルバスは「ひぃっ!」と悲鳴を上げて腰を抜かし、またしても床にへたり込んだ。
「あ、あくまで散歩……! これは散歩なのですな……!?」
「そうよ。クロも運動不足だったみたいだし」
私は巨大化したクロの鼻先を撫でてやる。
見た目は怖くなっても、中身はいつもの甘えん坊のままだ。
彼は嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らし(その音だけでガラスが割れそうだが)、私に背中を差し出した。
私はドレスの裾を翻し、クロの背中へと軽やかに飛び乗る。
フカフカの毛並みが、高級ソファのように私を受け止めてくれた。
天然のシートベルトのように、黒い魔力が私の体を優しく固定する。
「行ってきます、アルバス。お留守番をお願いね。美味しいお土産を買ってきてあげるから」
「は、ははっ! お気をつけて……! 龍の王が、エルナ様の機嫌を損ねて消滅しないことを祈っております!」
アルバスの悲痛な叫びを背に、クロは力強く地面を蹴った。
ズドンッ!!
ロケットのような加速。
一瞬で景色が線となり、私の体は重力から解き放たれた。
冷たい風が頬を打つかと思いきや、クロが展開した透明な障壁が、すべてを心地よい微風へと変換してくれる。
音速を超えているはずなのに、髪の毛一本乱れない快適さだ。
私たちは雲を突き抜け、世界の屋根と呼ばれる高高度へと躍り出た。
「わあ、絶景ね」
眼下には、見渡す限りの雲海が広がっている。
太陽が近く、空の青さが濃い。
クロは翼を広げ、優雅に空を滑っていく。
私は下界を見下ろした。
そこには、かつて私が暮らしていたラインハルト王国の領土が見える。
「……汚い色」
思わず本音が漏れた。
上空から見ると、その惨状は一目瞭然だった。
私の結界に守られたこの森周辺だけが、エメラルドのような鮮やかな緑に輝いているのに対し、王国の領土はどす黒い茶色に変色している。
森も、畑も、川も、すべてが干上がり、腐敗しているのだ。
まるで、腐った果実のようだ。
王都の中心部からは、黒い煙のような瘴気が立ち上っているのが見える。
おそらく、民衆の不安と怨嗟が形になったものだろう。
あんな場所に、私は何年も閉じ込められていたのだ。
自分の命を削って、あの腐敗を必死に食い止めていたなんて、今思うと滑稽でしかない。
「自業自得ね」
私は冷たい風に乗せて呟いた。
王太子やリリアたちは、今頃どうしているのだろう。
泥水を啜り、枯れたパンを奪い合っているのだろうか。
私が無自覚に残していた「残り香」のような魔力も、そろそろ底をつく頃だ。
そうなれば、あの国は地図上から消滅し、ただの不毛の荒野となる。
当然の報いだ。
恩を仇で返した愚か者たちに、かける慈悲など一欠片も残っていない。
私は鼻で笑い、視線を前方に向けた。
そんな終わった国のことより、これから手に入れる甘い果実の方が、私にとっては数億倍も重要だ。
「クロ、あそこね!」
飛行を続けて数分。
雲の切れ間から、異様な存在感を放つ浮遊島が姿を現した。
岩盤そのものが黄金を含んで輝き、島の中央には、雲を突き破るほど巨大な大樹が一本だけそびえ立っている。
あれが『龍の巣』だ。
樹の枝には、遠目からでもわかるほど巨大で、真っ赤に熟した実がたわわに実っている。
まるでルビーのシャンデリアのようだ。
「美味しそう……! ジャムにしても良さそうね」
私が歓声を上げると、クロも同意するように「グルルッ」と喉を鳴らした。
しかし、島に近づくにつれ、周囲の空気が張り詰めていくのを感じた。
島の上空を旋回していた無数の飛竜たちが、クロの姿を認めた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めたのだ。
彼らは本能で悟ったのだろう。
食物連鎖の頂点に立つ捕食者が現れたことを。
哀れなワイバーンたちが、泡を吹いて墜落していくのが見える。
クロはそれらを一瞥もせず、王者の貫禄で島の中心部へと降下していった。
ズシンッ。
地響きと共に着陸すると、そこは濃密な魔素が充満する異界だった。
空気そのものが甘く、重い。
普通の人間なら、この空気を吸っただけで魔力中毒を起こして死ぬレベルだろう。
だが、私にとっては深呼吸したくなるほど清々しい空気だ。
私はクロの背中から飛び降り、目の前の巨木へと歩み寄った。
「これね。龍眼の実」
近くで見ると、その実は赤ん坊の頭ほどもある大きさだった。
表面はつやつやと輝き、内側から脈動するような生命力を感じる。
私は手を伸ばし、一番低く垂れ下がっている実を一つ、プチリと摘み取った。
重い。
ずっしりとした果汁の重みが手に伝わる。
完熟だ。
その瞬間だった。
島の奥深く、大地の底から腹に響くような咆哮が轟いた。
「グオオオオオオオオオオッッ!!!」
大樹が揺れ、葉が舞い散る。
地面が割れ、溶岩のような熱気が噴き出した。
現れたのは、五つの首を持つ、山のように巨大な黄金の龍――『五帝龍王』だった。
それぞれの首が火、水、風、土、雷の魔力を帯び、その眼光は神話の神々すら射殺すほどの威圧感を放っている。
全長は数百メートルにも及ぶだろうか。
クロでさえ小さく見えるほどの巨躯だ。
五つの口から同時に吐き出される息吹が、嵐となって私に吹き付ける。
「我が聖域で、勝手に実を摘む不届き者は誰だ……!」
「貴様か、矮小な人間よ! 我が至宝に触れた罪、その魂を五億年焼かれることで償うがいい!」
龍王の怒号が、物理的な衝撃波となって襲いかかる。
普通の人間なら、この声を聞いただけで鼓膜が破れ、精神が崩壊していただろう。
だが、私の髪はそよ風に吹かれたように揺れるだけだ。
私の周囲には、常に世界樹の加護が働いている。
龍王の威圧など、赤子の泣き声程度にしか響かない。
「あら、ごめんなさい。あまりに美味しそうだったから、お断りを入れる前に手が動いちゃって」
「挨拶が遅れてしまったわね。こんにちは」
私は摘んだばかりの実を片手に、ペコリと優雅に一礼した。
私の態度があまりにも軽かったからだろうか。
龍王の五つの首が、一斉にピタリと動きを止めた。
十個の巨大な眼球が、私を凝視する。
そして、私の背後に控えている、漆黒の獣――クロの存在に気づいた瞬間、龍王の顔色が劇的に変わった。
「な……ッ!?」
龍王の黄金の鱗が、波打つように逆立った。
恐怖。
絶対的な強者に対する、生物としての根源的な恐怖が、龍王の全身を駆け巡ったのだ。
彼は見たのだ。
私の背後に揺らめく、世界樹の無限の魔力と、それを守護する終焉の獣の、底知れぬ殺気を。
クロはただ座っているだけだ。
だが、その瞳は「俺の主に声を荒げるとはどういうつもりだ? 今すぐその五つの首をねじ切ってやろうか?」と雄弁に語っていた。
龍王の五つの首が、ガクガクと音を立てて震え始める。
先ほどの威厳はどこへやら、彼は後ずさりし、巨大な身体を小さく縮こまらせた。
「……あ、あの……」
「その、気配……もしや……世界樹の母君であらせられますか?」
龍王の声から、怒りが急速に抜け落ちていく。
代わりに浮かんだのは、迷子が母親を見つけた時のような、情けないほどの安堵と媚びの色だった。
彼は慌てて五つの首を整列させ、地面に擦り付けるような最敬礼の姿勢をとった。
「ご、誤解です! 滅相もない!」
「今の咆哮は、怒ったのではありません! か、歓迎の挨拶です!」
「あまりに嬉しくて、五つの首が絡まって、つい変な声が出てしまっただけでして!」
「変な声?」
私が首を傾げると、龍王は滝のような冷や汗を流しながら、必死に頷いた。
「はい! そうです! 『グオオオ』というのは、龍語で『ようこそ、愛しき女神様』という意味でして!」
「決して、威嚇など……! あああ、どうかその黒い獣様! 私を見ないでください! ちびってしまいます!」
龍王は半泣きになりながら、必死に弁解を続けている。
その必死さがなんだかおかしくて、私は思わず「ふふっ」と声を漏らして笑った。
世界最強と言われる龍王が、こんなにユーモラスな生き物だったなんて。
どうやらこの森の住人(?)たちは、皆一様に礼儀正しいようだ。
私は手の中の赤い実を見つめ、今夜のデザートのレシピに思いを馳せた。
これなら、きっと極上のタルトができるに違いない。
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