毒の微笑

チャイムン

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6.ギリア子爵長男カッツェの希望

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 ギリアン家長男カッツェは母親にも父親にも可愛がられて育てられた。
 しかし、時折悪戯がすぎると母ヨランダから折檻を受けた。

 自分では悪いことをしたつもりがないのだから、突然怒鳴りつけられ、叩かれ、部屋に閉じ込められ、食事やおやつを抜かれることが理不尽に思えて仕方がない。
 同じことで褒められたり頓着されなかったり叱られたり。
 カッツェの子供時代は混乱で満ちていた。

 カッツェが叱られると、妹シンシアが嘲笑い、時には罵りはやし立てる。

 シンシアは何をしても叱られない。
 食事は嫌だと嫌いだと言えば、野菜を無理やり食べさせられることもない。それどころか望むままお菓子を与えられる。
 勉強を嫌がれば、ヨランダが「まだ小さいのですもの」と、いくらでも遊ばせる。
 欲しがるものは出来得る限り与えられる。

 そんな妹をカッツェは心底嫌っていた。

 祖父母の元で暮らし、時折帰ってくる姉のアーシアは彼にとって救いのような縋りつける存在だった。

 カッツェは臆病な子供で、十歳になるまで夜暗い部屋で一人で眠らされることが怖くて仕方なかった。

 エイダ侯爵家に遊びに行くと優しく本を読んでくれ、夜の暗闇が怖いと泣くと眠るまでベッドの傍でお話をしたり歌をうたったりしてくれる。

 アーシアは帰って来るとこっそりカッツェの様子を見に来てくれ、話をしてくれる。
 姉のおとぎ話や歌は優しい。

 アーシアの持ってきたフェアリー・ランプと優しい声で怖さがなくなり眠りにつける。

 しかし、アーシアのこの行いがシンシアに知れた時、また騒動が起こった。
 シンシアの得意文句「ずるい」だ。

「カッツェはずるい!アーシア、ずるい!ずるい!あたしも!!」

 アーシアは母に扇で叩かれ、それを父が止めた。止めたが、その時の説得の言葉がなんとも情けなかった。
「顔を叩くな!腫れた顔を見たら父上が…」
 ヨランダははっとして更に打とうした手を下げた。

 その後アーシアがヨランダにぐちぐちと説教された。ひとつも的を射てない内容を一時間以上じっと聞くアーシア。何度も繰り返すことに疲れたヨランダ。
「とにかく、お前は卑怯です。今夜からシンシアにも同じことをしなさい」

 アーシアは口答えもせず、まずはシンシアが寝るまでおとぎ話や歌を聞かせた。
 カッツエェは暗い部屋でアーシアの訪れを待った。待てばアーシアが来てくれる。フェアリー・ランプを持って。

 七歳のある日カッツェは一から十まで数字を覚えた。
 家庭教師に褒められ、両親からも姉からも褒められ、カッツェは嬉しくてたまらなかった。
 あまりに嬉しくてもっと褒められたい一心で、客間の壁一面に大きく数字を書き連ねた。

 そして叱責された。

 なぜ叱られたのか、カッツェは全くわけがわからなかった。

 自室で反省を命じられ、おやつを抜かれ、悔し涙を流した。

 そこへ姉アーシアがこっそりやってきて、自分のおやつをくれたのが嬉しかった。

「なぜ父上と母上は怒ったの?」
 悔し涙がおさまらず、しゃくりあげつつクッキーを口に押し込みながら姉に問うた。

 姉は静かに、しかし厳しい声で言った。
「食べ終わったらついていらっしゃい」

 姉は誰にも見とがめられないようにカッツェを客間へ連れて行った。
 ドアの隙間から「今、何が起こって見なさい」と促した。

 客間の中では下女と下男が総勢六人、壁の数字を消す努力をしていた。

「せっかく書いたのにどうして!?」と問いかけ、姉に止められ部屋に戻った。

 姉は静かに諭した。

「あなたは褒められたくて多くの人が来る客間に数字を書いたのでしょう」
 その通りだ。来た客人に褒められるだろうと思って選んだのだ。

「壁に何かを書いてある部屋がありますか?」

 カッツェははっとした。
 模様のある壁紙が貼られた部屋、タベストリーや絵画が飾られた部屋はあるが、壁そのものに書かれた部屋はなかった。

「文字や数字は石板や紙に書くものです。客間は真っ白な壁紙です。おそらくあの文字は消えないでしょう。壁紙の張替えが必要になります」

 ああ、それで叱責されたのかとカッツェは納得した。

 そこでアーシアは「ふふ」っと悪戯っぽくわらった。
「明日、エイダのお祖父様がいらっしゃるのですよ。きっと壁紙の貼替えは間に合いません」

 カッツェは絶望した。今度はあの怖いお祖父様に叱られるのか。
「叱られませんよ。安心して。カッツェは数字を十まで書けるようになったのですよと報告しましょう?ね?」

 翌日、ホルヘルは
「そうか!カッツェはやることが大胆だな。先が楽しみだ」
 と大笑いし、壁紙の張替を手配したのだ。

 数字の書かれた壁紙は注意深く剥がされ
「記念と戒めにしなさい」とカッツェに渡された。

 ホルヘルが喜んだ以上、カッツェはそれ以上叱られることはなくなった。

 何が悪くて何が良いのか。
 きちんと教えてくれる姉がカッツェは大好きだった。

 アーシアを好きになるほど、妹シンシアを嫌った。

 十二歳になった今、来月に社交界デビューに臨んで、嫌悪はますます募る。

 今まではアーシアへ向かっていた嫉妬がカッツェに向かってくることが増えた。

 デビューのために様々な準備が進んでいくにつれて、シンシアの「ずるい!」が自分に向かってきたのだ。
 正装を準備するために仕立て屋が出入りし始めると始まった。

「あたしのドレスも作って!」と駄々をこねる。
 シンシアのドレスは春のお披露目のために作業中であるにもかかわらず、更に強請るのだ。
 シンシアは現在進行で肥え太っているので、デザインだけ決めてギリギリになって作成に当たる予定だった。
 しかしシンシアは「自分が一番」を声高に欲した。
 あまりにしつこく我を通そうと暴れるので、とうとう両親が折れてまずは一着先にシンシアのドレスを作ることになってしまった。
 更には「シンシアがつくるなら、わたくしも」と母親が尻馬に乗り、カッツェの準備は後回しになる。

 いつもシンシアの我儘に折れる両親を嫌いになった。

 この時から両親は度々言い争うようになった。
 父がはじめはやんわりと
「こんなに服は必要ないだろう。カッツェの正装の方が先だろう」
 と戒めれば母がギャンギャンと噛みつく。

 この頃、カッツェは我が家が経済的に困窮し始めていることに気づいた。

 父と母が言い争っているのだ。
「お前とシンシアのドレスだけでどれだけの費えがあると思っているのだ!?あんな小さな子供に何十着ものドレスはいらないだろう?それにすぐに着られなくなるのに」
「あら、すぐ着られなくなるからドレスが必要なのですわ。わたくしの体裁もありますもの」
 しゃらっとヨランダは答える。
「お披露目のドレスよりもカッツェの正装が先だろう!?」
「カッツェの服はあなたが昔来ていたものを取り寄せればいいのですわ。侯爵家の仕立てですもの。最高級品でよろしいわ」

(このブタが!)
 心の中で毒づく。

 そして将来を考えて背筋が凍る思いをした。

 この妹に、そして贅沢好みの母親に生涯縛られるのだろうと。

 父は諦め、エイダ侯爵家に泣きついた。
 結果、カッツェの正装はエイダ侯爵家が全て調えた。
 祖父は何着も正装を調えてくれただけではなく、様々な物も与えてくれた。

 その折り祖父ホルヘルは独り言のように言った言葉に、カッツェは光り輝くような希望を持った。

「ヨランダもシンシアも病気なのかもしれないな」
 病気?
「もう少し様子を見ようじゃないか。アーシアが帰ってくるまで。アーシアがいなければ騒ぐ種も減るだろう」

 ああ、アーシアは二年後帰って来る。しかしその翌年には嫁いでしまい、滅多に会えなくなる。二度と会えないかもしれない。

「あやつらがアーシアの婚儀に騒ぎ立てるようならば、いよいよ気の病だ。療養のために修道院に入るよう手配しよう」
 そしてニヤリと笑って告げた。
「治るまでは帰れんが、会えずとも我慢できるな?」

 我慢?我慢はあと数年だ。
 祖父の言葉に隠された算段をカッツェは気づいた。

 あの二人が自分の人生から退場する。

 こんな希望に満ちた未来は喜びでしかない。

 カッツェはにっこり微笑み答えた。
「はい!」

 ああ、我が家を荒らすネズミどもに毒餌は撒かれた。
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