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ネットポリス
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今日も愛用のベレッタの調子は最高だ。
廃工場内に潜む悪漢達の銃撃を右に左に交わしながら、桐生慎也は次々と彼らに銃弾を撃ち込み、彼らの持つ大仰な獲物を弾き落としていった。
飛び交う銃弾と鮮血、周囲に漂うむせ返るほどの硝煙の臭い。
手にずしりと伝わる銃の感触。
それらにかつての戦場での感覚を思い出し懐かしさを覚えながら、桐生はコンテナを背にマガジンを入れ替える。上方からの気配に気付いた次の瞬間には、前方へ飛びのきつつ頭上へ銃弾を乱射していた。
撃ち出した弾丸は、上方に潜んでいた男の足元の床を貫き、胸元に命中した。男はそのまま鉄柵を越えて床へと落下した後、かき消えるようにその姿を消す。
同時に前方の至る所から銃弾が雨あられと浴びせかけられる。桐生は間一髪で近くのドラム缶の陰へ隠れ、難を逃れた。背にしたドラム缶に銃弾は切れ目無く打ち込まれ、途切れる気配はない。あたり一面に硝煙の臭いが漂い、廃夾が床へと落ちる残響音が銃声に紛れて聞こえてくる。
銃声が止んだ一瞬の隙をついてドラム缶の陰から躍り出ると、桐生が走り去った後をまるでなぞるかのように銃弾が壁を穴だらけにしていく。疾走しながらも桐生の放つ銃弾は物陰から銃を乱射する二人組を捕らえ、その肩口を正確に打ち抜いた。
残るは一人。
敵が潜んでいる廃材置き場の留め金を打ち抜き、積み上げられた鉄製の廃材を思い切り蹴り飛ばす。派手な音と共に並んでいた廃材の山は一斉に崩れ、それに紛れて男の悲鳴が聞こえてきた。
黒光りした山の上から様子を窺うと、奥に隠れていた男の下半身が完全に下敷きになっているのが見えた。廃材に乗っかられたまま苦悶の表情で唸っている相手の頭上に仁王立ちとなって、その脳天に銃口を突きつける。
終わりだ。
そう思った次の瞬間、桐生の耳元でけたたましくブザーが鳴った。
と同時に目の前に飛び交っていた銃弾も、辺りを覆っていた白煙も突然その動きを止める。
さっきまで派手な銃撃戦の舞台であった筈の廃工場の造形は歪み、目の前に倒れていた筈の悪漢達も霞のように消えていく。
ブザーが一層大きく鳴り響くと同時に、空中に大きく「LOG OUT」の文字が表示されるのが見えた。先程の廃工場は跡形もなく掻き消え、真っ暗な闇だけが辺りを包み込む。
明かりが点き、周囲に無機質な白い壁が見えると同時に、今度は耳元に聞き覚えのある金切り声が聞こえてきた。
「先輩!桐生先輩!課長が呼んでますって!」
桐生がうんざりしながら隣の部屋の様子を窺うと、新人の甲斐山吹がきつい顔でこちらを睨んでいるのが覗き窓から見えた。線の細い体型にグレーのスーツを着込み、ショートカットにした外観は一見すると少年のようだ。
桐生はすぐさま顔を覆っていたバイザーをはずすと、手足のモーショントレーサーもはずし、シミュレーターから体を起こす。これらの機器を通して感じることの出来た、束の間の戦場の風景はもうそこにはない。
隣の部屋のドアを開けると、甲斐が黒いコートを持って待っていた。仏頂面をした彼女からそれを受け取り、上から羽織る。
桐生のように長身で黒髪の男がこれまた漆黒に染まったコートに包まれた姿は、見慣れた筈の甲斐の目から見ても十分に異様で、知らない人間なら避けて通りたくなるであろう危ういモノがあった。
「ったく何だよいいとこだったのに…」
コートの前を締めながら桐生がそんな不平を漏らすと、甲斐は呆れたように言った。
「何言ってんですか!何回コールしたと思ってるんです?」
射撃訓練だろうが、と桐生も返す。
…全く口うるさい女だ。
新人時代に教育係を任されてからというもの、見習い期間を過ぎても何かと付きまとってくるこの後輩を桐生は少々煙たく感じていた。
思えば配属したての頃から妙に生真面目で、度重なる質問攻めに悩まされたりしたのを覚えている。物覚えがいい上にもともと出来が良いから、こちらも答えに窮するような問いをしばしば投げかけてきたりする。扱い辛い事この上ない。
それだけでは飽きたらず、最近のこいつは小姑のように何かとお説教をするようにまでなってきた。桐生にしてみればいい頭痛の種だ。
甲斐に促され、コートを着込んで部屋を出る際に、隣の給湯室にたむろしている事務員の女性達が声を潜めて話すのが聞こえた。好ましい内容でないことは予測できたが、皮肉なことに桐生の常人よりも高性能な聴覚は、彼女達のそうした陰口も余すところなく拾ってしまうのだった。
「まあったくねえ…新しく出来たネットポリスってのはよっぽどヒマなのかしら。あの刑事さん、いっつもここのヴァーチャルルームに篭りっきりじゃない」
「単に仕事回ってこないだけなんじゃないの。元軍人さんだっけ?肉体労働の方が似合ってそうだもんね」
給湯室に女性達の笑い声が響く。悲しいことだが、彼女達の考察は少なからず当たっていた。
桐生慎也が警視庁ネットポリスに配属になったのは、丁度部署が前身のハイテク犯罪捜査室から名称変更となって、規模が拡大され始めた頃であった。
警視庁に「電脳犯罪捜査課」・通称ネットポリスが新設されたのは、ネット上の仮想現実空間を体感できるインターフェイス「ソウルゲートシステム」が世間に爆発的に普及したことが大きな要因とされている。
外資系の大手コンピューター会社ベクターカンパニーが十年前に発表したこのシステムは、もともとテレビゲーム用の体感シミュレータとして開発されたものであったのだが―――――脳波・神経系に作用し、五感を仮想空間上で擬似的に知覚させるという画期的な機能が話題を呼び、その後ゲームのみならずインターネット情報へ対応できるようになると、その需要は一気に高まったのである。
基本装備のバイザー付ヘルメットとモーショントレーサー等の簡素な周辺機器のみで、インターネットの情報をよりリアルに取り入れることを可能にしたこのシステムは、その手軽さから大衆にも幅広く受け入れられることとなった。
システムの普及率上昇と共に、ネット上に擬似的な生活空間の開発が進み、その規模は年々拡大の一途を辿っていった。
ネット上には幾つもの都市が出来、そのそれぞれに現実世界と同じような街並みが広がり、人々は各々のアヴァター(人々の姿を模した、CGで描かれた虚像)を通してその世界を感じ、そこでの暮らしを楽しむのが日常となった。
ネット上の都市―――サイバーシティには人々が交流を楽しむプレイスポットやカフェ、ミュージアムがそこかしこに出来上がり、本物の街さながらに人々はそこを訪れては会話やゲームを楽しむのだった。
今では有名ミュージシャンのライブは会場に出向かなくともバイザーとPCがあれば家庭で見ることが出来る。それもお目当てのミュージシャンが豆粒ほどにしか見えない後部座席なんかではなく、手が届きそうな程に近距離の一等席でだ。
競馬やカーレース、ボクシングやK-1観戦もネット視聴はご多分に漏れず大盛況だ。映画を見て、ウィンドウショッピングなんてデートコースさながらのメニューも家を出ることなく済ませてしまえるようになった。
一部地域では学校にこのシステムを取り入れ、登校することなくネット上で授業を受けられるカリキュラムを試験的に行っている例もあるという。
仮想現実が身近となった時代、こうして人々はヴァーチャルネット上にもう一つの世界を作り出したのである。
―――しかし、電子情報を脳に直接インプットするこのシステムは、利便性と同時に様々な弊害をも引き起こした。それらは機器の不具合による接続障害や、或いは悪意あるコンピューターウィルスによってもたらされるもので、場合によっては人体に取り返しの付かない後遺症をもたらすような深刻なものも数多く見られた。
特にコンピューターウィルスは、従来のコンピューター本体やその内部のデータを改竄・破壊の対象としていた頃とは違い、その矛先をユーザーの精神や肉体へ向けてきていたのである。
「ソウルゲートシステム」が普及した当初は、そうした問題への対策や治療法に関してはまだまだ不明な点も多く、対応する公的機関の配備も完全に出遅れていたこともあって、対応策はとても十分といえるものではなかった。
警察庁はその流れを受けて、ハイテク犯罪捜査室に一任していたネット犯罪の規模を広げると共に、部署拡大と人員の増強を図る決定を下すこととなったのである。桐生が部署転属を任命されたのも、丁度そうした編成再編がなされた頃であった。
それまで捜査一課や機動隊など肉体派の部署でならしてきた桐生が、何故畑違いのコンピューター関連の職場に移されるに至ったのか。
元々軍人であった桐生は、三年前、他国の戦場で半身を失う大怪我を負った末、その殆どを人体の機械化で補うという大手術を行った。
聞いた話ではこの人工物で更正された感覚器官というのは仮想現実で情報処理を行う際にはすこぶる相性がいいらしい。「ソウルゲートシステム」は、脳波に似せた擬似信号を機器を通して脳に送り込むことによって紛い物の感覚を肉体に認識させているわけだが、機械の体はこれをノイズ無しにそのまま処理してくれるというのだ。
そうした適性を買われたのだ、きっと情報捜査において役立つだろうというのが上司から聞いた転属の理由だったが、桐生はそれを額面通りに受け止める気にはなれなかった。転属を告げたときの部長の白々しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
理論よりもまず行動を信条とする桐生は、現場においても度々先走った挙句に犯人達と乱闘を起こし、証拠品はおろか無関係な街の施設までも破壊し尽くすジェノサイダーとして有名だった。過剰発砲や器物破損で、何度始末書を書かされたか知れない。
いつだったか、施設内に立て篭った武装グループ相手に銃撃戦を展開したとき、8人いた犯人達に合計で18発の銃弾をぶち込んだことがあった。奇跡的に死者が出なかったからよかったものの、過剰防衛でクビになっていないのが不思議なくらいだ。
企業サーバにハッキングしたグループのアジトに乗り込んだ際、メンバーをぶちのめすついでにそこにあったコンピューターを軒並みオシャカにしたこともあった。事件に関する重要な証拠品を駄目にしたことで、上司からこっぴどく叱責されたのは言うまでもない。
桐生にしてみれば他意はなかった。職務を忠実に全うした結果だし、それなりに手柄もあげていた。だが、常人の数倍の運動性能と戦場で培った戦闘技術を併せ持ちながら、枝葉末節にこだわらないまこと大雑把な性格のためにそれを遥かに上回る問題を生じさせていたこともまた事実なのだった。
そうした問題警官を持て余していたところに、規模拡大で部員の不足している部署があるとの話を聞きつけた上層部がこれ幸いとばかりに厄介者を押し付けたのではないか。我ながら余りに自虐的な考えに悲しくなるが、特に否定する根拠もないところが一層物悲しい。
そもそもが軍人気質で腕力と射撃にしか取り柄のない自分が、椅子に座ってバイザーやヘッドギアを身に付けたまま日がな一日画面を見つめ続けるような部署に回されたところで、大した働きが出来るとはとても思えなかった。
島流し―――。最先端技術を取り扱うハイテク部署の中に居場所を感じられず、桐生の胸には今日も空しい隙間風が吹くのであった。
それにしても、課長からの呼び出しとは珍しい。嫌な予感がした。
桐生が時々課を抜け出してヴァーチャルルームに来ていることは、同じネットポリスの連中なら皆知っていることである。
表向きは射撃訓練という名目で入り浸っているのだが、実際には課へ戻ってもやることがないのでそこで時間をつぶしているだけなのである。仕事が無いわけではない。しかし、ろくにパソコンも扱えない自分が居て役に立つような仕事となると、大してありはしなかったのだ。
廃工場内に潜む悪漢達の銃撃を右に左に交わしながら、桐生慎也は次々と彼らに銃弾を撃ち込み、彼らの持つ大仰な獲物を弾き落としていった。
飛び交う銃弾と鮮血、周囲に漂うむせ返るほどの硝煙の臭い。
手にずしりと伝わる銃の感触。
それらにかつての戦場での感覚を思い出し懐かしさを覚えながら、桐生はコンテナを背にマガジンを入れ替える。上方からの気配に気付いた次の瞬間には、前方へ飛びのきつつ頭上へ銃弾を乱射していた。
撃ち出した弾丸は、上方に潜んでいた男の足元の床を貫き、胸元に命中した。男はそのまま鉄柵を越えて床へと落下した後、かき消えるようにその姿を消す。
同時に前方の至る所から銃弾が雨あられと浴びせかけられる。桐生は間一髪で近くのドラム缶の陰へ隠れ、難を逃れた。背にしたドラム缶に銃弾は切れ目無く打ち込まれ、途切れる気配はない。あたり一面に硝煙の臭いが漂い、廃夾が床へと落ちる残響音が銃声に紛れて聞こえてくる。
銃声が止んだ一瞬の隙をついてドラム缶の陰から躍り出ると、桐生が走り去った後をまるでなぞるかのように銃弾が壁を穴だらけにしていく。疾走しながらも桐生の放つ銃弾は物陰から銃を乱射する二人組を捕らえ、その肩口を正確に打ち抜いた。
残るは一人。
敵が潜んでいる廃材置き場の留め金を打ち抜き、積み上げられた鉄製の廃材を思い切り蹴り飛ばす。派手な音と共に並んでいた廃材の山は一斉に崩れ、それに紛れて男の悲鳴が聞こえてきた。
黒光りした山の上から様子を窺うと、奥に隠れていた男の下半身が完全に下敷きになっているのが見えた。廃材に乗っかられたまま苦悶の表情で唸っている相手の頭上に仁王立ちとなって、その脳天に銃口を突きつける。
終わりだ。
そう思った次の瞬間、桐生の耳元でけたたましくブザーが鳴った。
と同時に目の前に飛び交っていた銃弾も、辺りを覆っていた白煙も突然その動きを止める。
さっきまで派手な銃撃戦の舞台であった筈の廃工場の造形は歪み、目の前に倒れていた筈の悪漢達も霞のように消えていく。
ブザーが一層大きく鳴り響くと同時に、空中に大きく「LOG OUT」の文字が表示されるのが見えた。先程の廃工場は跡形もなく掻き消え、真っ暗な闇だけが辺りを包み込む。
明かりが点き、周囲に無機質な白い壁が見えると同時に、今度は耳元に聞き覚えのある金切り声が聞こえてきた。
「先輩!桐生先輩!課長が呼んでますって!」
桐生がうんざりしながら隣の部屋の様子を窺うと、新人の甲斐山吹がきつい顔でこちらを睨んでいるのが覗き窓から見えた。線の細い体型にグレーのスーツを着込み、ショートカットにした外観は一見すると少年のようだ。
桐生はすぐさま顔を覆っていたバイザーをはずすと、手足のモーショントレーサーもはずし、シミュレーターから体を起こす。これらの機器を通して感じることの出来た、束の間の戦場の風景はもうそこにはない。
隣の部屋のドアを開けると、甲斐が黒いコートを持って待っていた。仏頂面をした彼女からそれを受け取り、上から羽織る。
桐生のように長身で黒髪の男がこれまた漆黒に染まったコートに包まれた姿は、見慣れた筈の甲斐の目から見ても十分に異様で、知らない人間なら避けて通りたくなるであろう危ういモノがあった。
「ったく何だよいいとこだったのに…」
コートの前を締めながら桐生がそんな不平を漏らすと、甲斐は呆れたように言った。
「何言ってんですか!何回コールしたと思ってるんです?」
射撃訓練だろうが、と桐生も返す。
…全く口うるさい女だ。
新人時代に教育係を任されてからというもの、見習い期間を過ぎても何かと付きまとってくるこの後輩を桐生は少々煙たく感じていた。
思えば配属したての頃から妙に生真面目で、度重なる質問攻めに悩まされたりしたのを覚えている。物覚えがいい上にもともと出来が良いから、こちらも答えに窮するような問いをしばしば投げかけてきたりする。扱い辛い事この上ない。
それだけでは飽きたらず、最近のこいつは小姑のように何かとお説教をするようにまでなってきた。桐生にしてみればいい頭痛の種だ。
甲斐に促され、コートを着込んで部屋を出る際に、隣の給湯室にたむろしている事務員の女性達が声を潜めて話すのが聞こえた。好ましい内容でないことは予測できたが、皮肉なことに桐生の常人よりも高性能な聴覚は、彼女達のそうした陰口も余すところなく拾ってしまうのだった。
「まあったくねえ…新しく出来たネットポリスってのはよっぽどヒマなのかしら。あの刑事さん、いっつもここのヴァーチャルルームに篭りっきりじゃない」
「単に仕事回ってこないだけなんじゃないの。元軍人さんだっけ?肉体労働の方が似合ってそうだもんね」
給湯室に女性達の笑い声が響く。悲しいことだが、彼女達の考察は少なからず当たっていた。
桐生慎也が警視庁ネットポリスに配属になったのは、丁度部署が前身のハイテク犯罪捜査室から名称変更となって、規模が拡大され始めた頃であった。
警視庁に「電脳犯罪捜査課」・通称ネットポリスが新設されたのは、ネット上の仮想現実空間を体感できるインターフェイス「ソウルゲートシステム」が世間に爆発的に普及したことが大きな要因とされている。
外資系の大手コンピューター会社ベクターカンパニーが十年前に発表したこのシステムは、もともとテレビゲーム用の体感シミュレータとして開発されたものであったのだが―――――脳波・神経系に作用し、五感を仮想空間上で擬似的に知覚させるという画期的な機能が話題を呼び、その後ゲームのみならずインターネット情報へ対応できるようになると、その需要は一気に高まったのである。
基本装備のバイザー付ヘルメットとモーショントレーサー等の簡素な周辺機器のみで、インターネットの情報をよりリアルに取り入れることを可能にしたこのシステムは、その手軽さから大衆にも幅広く受け入れられることとなった。
システムの普及率上昇と共に、ネット上に擬似的な生活空間の開発が進み、その規模は年々拡大の一途を辿っていった。
ネット上には幾つもの都市が出来、そのそれぞれに現実世界と同じような街並みが広がり、人々は各々のアヴァター(人々の姿を模した、CGで描かれた虚像)を通してその世界を感じ、そこでの暮らしを楽しむのが日常となった。
ネット上の都市―――サイバーシティには人々が交流を楽しむプレイスポットやカフェ、ミュージアムがそこかしこに出来上がり、本物の街さながらに人々はそこを訪れては会話やゲームを楽しむのだった。
今では有名ミュージシャンのライブは会場に出向かなくともバイザーとPCがあれば家庭で見ることが出来る。それもお目当てのミュージシャンが豆粒ほどにしか見えない後部座席なんかではなく、手が届きそうな程に近距離の一等席でだ。
競馬やカーレース、ボクシングやK-1観戦もネット視聴はご多分に漏れず大盛況だ。映画を見て、ウィンドウショッピングなんてデートコースさながらのメニューも家を出ることなく済ませてしまえるようになった。
一部地域では学校にこのシステムを取り入れ、登校することなくネット上で授業を受けられるカリキュラムを試験的に行っている例もあるという。
仮想現実が身近となった時代、こうして人々はヴァーチャルネット上にもう一つの世界を作り出したのである。
―――しかし、電子情報を脳に直接インプットするこのシステムは、利便性と同時に様々な弊害をも引き起こした。それらは機器の不具合による接続障害や、或いは悪意あるコンピューターウィルスによってもたらされるもので、場合によっては人体に取り返しの付かない後遺症をもたらすような深刻なものも数多く見られた。
特にコンピューターウィルスは、従来のコンピューター本体やその内部のデータを改竄・破壊の対象としていた頃とは違い、その矛先をユーザーの精神や肉体へ向けてきていたのである。
「ソウルゲートシステム」が普及した当初は、そうした問題への対策や治療法に関してはまだまだ不明な点も多く、対応する公的機関の配備も完全に出遅れていたこともあって、対応策はとても十分といえるものではなかった。
警察庁はその流れを受けて、ハイテク犯罪捜査室に一任していたネット犯罪の規模を広げると共に、部署拡大と人員の増強を図る決定を下すこととなったのである。桐生が部署転属を任命されたのも、丁度そうした編成再編がなされた頃であった。
それまで捜査一課や機動隊など肉体派の部署でならしてきた桐生が、何故畑違いのコンピューター関連の職場に移されるに至ったのか。
元々軍人であった桐生は、三年前、他国の戦場で半身を失う大怪我を負った末、その殆どを人体の機械化で補うという大手術を行った。
聞いた話ではこの人工物で更正された感覚器官というのは仮想現実で情報処理を行う際にはすこぶる相性がいいらしい。「ソウルゲートシステム」は、脳波に似せた擬似信号を機器を通して脳に送り込むことによって紛い物の感覚を肉体に認識させているわけだが、機械の体はこれをノイズ無しにそのまま処理してくれるというのだ。
そうした適性を買われたのだ、きっと情報捜査において役立つだろうというのが上司から聞いた転属の理由だったが、桐生はそれを額面通りに受け止める気にはなれなかった。転属を告げたときの部長の白々しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
理論よりもまず行動を信条とする桐生は、現場においても度々先走った挙句に犯人達と乱闘を起こし、証拠品はおろか無関係な街の施設までも破壊し尽くすジェノサイダーとして有名だった。過剰発砲や器物破損で、何度始末書を書かされたか知れない。
いつだったか、施設内に立て篭った武装グループ相手に銃撃戦を展開したとき、8人いた犯人達に合計で18発の銃弾をぶち込んだことがあった。奇跡的に死者が出なかったからよかったものの、過剰防衛でクビになっていないのが不思議なくらいだ。
企業サーバにハッキングしたグループのアジトに乗り込んだ際、メンバーをぶちのめすついでにそこにあったコンピューターを軒並みオシャカにしたこともあった。事件に関する重要な証拠品を駄目にしたことで、上司からこっぴどく叱責されたのは言うまでもない。
桐生にしてみれば他意はなかった。職務を忠実に全うした結果だし、それなりに手柄もあげていた。だが、常人の数倍の運動性能と戦場で培った戦闘技術を併せ持ちながら、枝葉末節にこだわらないまこと大雑把な性格のためにそれを遥かに上回る問題を生じさせていたこともまた事実なのだった。
そうした問題警官を持て余していたところに、規模拡大で部員の不足している部署があるとの話を聞きつけた上層部がこれ幸いとばかりに厄介者を押し付けたのではないか。我ながら余りに自虐的な考えに悲しくなるが、特に否定する根拠もないところが一層物悲しい。
そもそもが軍人気質で腕力と射撃にしか取り柄のない自分が、椅子に座ってバイザーやヘッドギアを身に付けたまま日がな一日画面を見つめ続けるような部署に回されたところで、大した働きが出来るとはとても思えなかった。
島流し―――。最先端技術を取り扱うハイテク部署の中に居場所を感じられず、桐生の胸には今日も空しい隙間風が吹くのであった。
それにしても、課長からの呼び出しとは珍しい。嫌な予感がした。
桐生が時々課を抜け出してヴァーチャルルームに来ていることは、同じネットポリスの連中なら皆知っていることである。
表向きは射撃訓練という名目で入り浸っているのだが、実際には課へ戻ってもやることがないのでそこで時間をつぶしているだけなのである。仕事が無いわけではない。しかし、ろくにパソコンも扱えない自分が居て役に立つような仕事となると、大してありはしなかったのだ。
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