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大賀 零

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白い少女

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「…死んだ?どういう事です」

 呼び出された課長室はついこの間出来たばかりで、ろくに備品も揃っていない殺風景な部屋だった。奥に課長の机とパソコンが一つ置いてある以外には、本棚と電話、それに書類の詰まったダンボールが何個かあるだけだ。
 安普請で耳障りな音を立てる椅子に腰掛けながら、ネットポリス課長・城石輝は煙草を取り出して火をつけた。ここ最近は庁舎でも禁煙のエリアは広がる一方だというのに、どういう裏技を使ったのかこの課長室だけは喫煙が許可されている。
「最近新たなタイプの接続被害が急増していることは知っているな?」
「ヴァーチャルネットの最中に突如意識を失うっていう例のアレですか?」
 記憶障害、痴呆、昏睡、精神破壊―――。接続事故やウィルスの被害によって、かつてはユーザー側にそうした事態が頻発し、一時は「ソウルゲートシステム」の回収が取り沙汰されたこともあった。
 だが今日では行政の指導とメーカーの努力の甲斐もあって、ウィルス被害や接続事故の発生確率は以前と比べ格段に低いものとなった。一昔前と違い、電脳ネットのユーザーに障害が発生したという話はここ数年聞いたことがない。
 ――――だがここ最近、俄かにこれらの発生件数が上昇しているという話が、連日のようにニュースで採り上げられるのを目にするようになった。
 過去にその確率を抑えることに成功した実績もあっただけに、ここにきての大量発生は業界関係者達にとっても寝耳に水の出来事であったには違いない。
「あれはウィルスが原因なんじゃなかったんですか?ホワイト…何とかいう」
 定例会議の内容を逐一覚えていたわけではないが、甲斐が聞きもしないのに飯時に講釈をたれてくれたので概要は覚えている。
 ネット上で『白い少女』の噂が飛び交い始めたのはつい三ヶ月ほど前のことだ。
 昨年末、ネットゲーム漬けの引きこもり大学生が、一人暮らしのアパートでパソコンを起動させたまま昏睡状態となっているのが発見された。特に身体に異常は認められず、病院側が様々な治療を行ったものの、何故か彼は覚醒することなく三ヶ月経った今でも病院のベッドで眠り続けている。
 その事件を境に、各地で同様の被害が次々と報告されるようになった。被害者はいずれもソウルゲートによる電脳ネット――――仮想現実へのログインを行っている最中に突如意識を失う状況に陥っており、今のところ目を覚ました者はいないということだった。
 当初マスコミ各社は、一連の事件をメーカーの不備による接続障害が原因だと報道していた。しかし最初の事件発生から一月経った頃、被害者の一人である少年が意識を失う直前家族に向けて放った一言が、それまでメーカー批判に傾きかけていた論調を一変させた。
『白い少女を見た』
 白い少女―――その映像についての目撃談はその後も各地で聞かれ、これがウィルスの存在を示唆したものではないかという噂がたつようになってきた。ネットの掲示板はどこもその話題で持ちきりとなり、サイバーシティにおいても、電脳ログインをしている人々に対して注意するよう呼びかけがなされた。
 電脳ネット上に現れる、白い少女。
 見た者の魂を奪い、深き眠りへつかせる幻惑の妖精――――
 ホワイトアリス。
 いつしかそんなネーミングまでつけられた件のウィルスは、その明確な正体も不明なままに更に多くの犠牲者を出していった。
 マスコミというのは無節操なもので、それまでメーカーを叩くのに熱気を上げていた各社はそうした噂がたつや否や、今度は電脳ネットの危険性を煽り立てるニュースをばら撒き始めたのである。その中には未だにネットの治安維持がなされていないという、警察機構への批判意見も少なからず含まれていた。
 既に被害者は全国で三桁に届きそうな勢いであり、発生件数も減少する傾向を見せない。ここにきて漸く我らがネットポリスも捜査本部を設置、本格的な対策に乗り出すことになったというのが先月の話だ。
 それから一ヶ月が経ったが、これといって捜査が進展したという話は聞こえてこない。
 ――――桐生自身はといえば、捜査本部といっても部署の人員全員がそちらへ回されるわけではないので、当然の如くはずされていた。だからこれらの情報も甲斐を通して知ったことで、雑用を頼まれることはあるものの基本的には蚊帳の外だ。
 そんな事情もあって、この件に関して自分にお呼びがかかることなど、よもやあるまいと思っていたのだが…。
 「昨晩、その一連の事件について調査を進めていた捜査員が一人、事故で死亡した。」
 城石の言葉に、桐生は一瞬聞き違えをしたかと耳を疑った。
 死んだって?
 『ホワイトアリス』の被害にあった人間は皆、例外なく昏睡状態に陥り、その殆どが入院している。未だ目を覚まさない原因は不明だが、少なくとも生命に危険を及ぼすような被害は今まで出ていなかった筈だ。
「事故、という言い方は適切ではないかも知れん。昨日17時、庁内の情報処理室において電脳ネット内を調査中だった捜査員が突如錯乱を起こし、周囲の静止を振り切り奔走、その後行方不明となった。同日中に発見されたときには地下鉄の下敷きになっていたそうだ」
「錯乱?昏睡じゃなくて錯乱ですか?」
「そうだ。これはまだ一部の者しか知らない極秘情報だが、捜査員は死亡直前に今回の事件に重要な関連性を持つと思われるウィルスに遭遇した可能性が高い」
 そこで課長は一呼吸置いて煙草を吸い、天井に向かって白い煙を吐き出した。
「とはいうものの彼は実質ほぼ単独で捜査に当たっていた為、詳細は今もって不明だ。調べようにも彼の使っていたマシンは彼自身が失踪前に壊してしまっていた。今日、専門の解析班を呼んでハードディスク内のデータを復旧する予定だが……まあ余り期待はできん。大した成果は得られんだろう」
 課長は苦々しげに言って煙草を揉み消す。
 そうなのだ。
 この事件、世間でも原因はウィルスによるものという認識が定着しているし、警察もそれを念頭に捜査にあたっているのだが、その肝心のウィルスの存在が未だもって明らかにされていないのである。
 『ホワイトアリス』の映像を実際に見たという者は皆、昏睡状態で証言は取れないし、使用されていたマシンにはデータの痕跡すら見つかっていない。恐らくはウィルスがコンピューターに侵入した時点で、データ履歴もろとも自動的に消滅するようプログラムされているのだろう。まるでウィルス自体に意志があるかのように。
「しかし課長。一連の事件…『ホワイトアリス』に関して言うなら、ウィルスに遭遇した被害者達は皆例外なく昏睡状態に陥っているわけでしょう?今回捜査員が錯乱したというなら、それは別モノに当たったってことなんじゃないんですか?」
「ところが彼はその『ホワイトアリス』との遭遇を仄めかしている」
「え?」
「捜査員が飛び込む直前、同じホームに居た数名の人間が彼の言葉を聞いているんだ」

 …白い…少女…
 何故…何故だ…?
 この…少女の姿が…
 目に焼きついて離れない…

「彼は飛び込む寸前まで、うわ言の様にそう呟いていたそうだ。ウィルスの効果が完全に彼自身に届かなかったか、或いはウィルスがもたらす効果は一つではないのか…それは分からん。だがどちらにしろ、今回の事件についてはまだ情報が乏しい。早急な捜査の続行が必要なのだ」
 そう言ってから、課長は初めて桐生と視線を交わす。嫌な予感はどうやら的中した。
「俺に捜査を引き継げ、ということですか」
 察しがいいな、と課長は大して感心した様子もなく答えた。
「俺に何をやれっていうんです?」
 ネットポリスはコンピューターの専門集団だ。一人畑違いで体を使うしか能のない自分が一体何の役に立つというのだろう。
「死亡した捜査員は独自のルートでウィルスの流出源を洗っていた。お前もそれにあたって欲しい。恐らくはマリン…」
 課長はそう言い掛けて黙り込む。
「何です?」
「いや…まずは捜査員の遺品と経過報告書をもとに彼の死因を調べた上で、ウィルスを製作した者、又はそれを流しているものを突き止めるんだ」
「…ウィルスの特定は出来そうなんですか?感染経路の調査は?」
「ウィルス解析に関しては別個に専門のチームが進めている。とはいえ、オリジナルデータは現時点ではまだ未回収だ。対象を昏睡状態にする映像ウィルスという情報をもとに類似品をあたってはいるが、今のところ有用な手掛かりは得られていない。感染経路については被害者達のコンピュータから色々と辿ってはいるものの、各所にジャミングが掛けられている形跡があり、正直ウチのスタッフでは手に負えん。しかし感染した人間達の数からいっても、事は一刻を争う。わかるな」
 要するに、ウィルス被害であることは凡そつかんでいるものの、肝心のウィルスデータがどんなもので、どこから送られてきているかについては皆目見当が付かないというわけだ。
 天下のネットポリスと謳われていたって実質はこんなものである。ネットで噂話してる連中と大して変わりはしない。
 課長は二本目の煙草に火をつけ、静かに深く吸い込み、吐いた。白い煙が二人の間をさえぎるように広がる。
「桐生。最早手をこまねいている暇は無いのだ。既に被害者は数十人。その殆どは原因不明のまま昏睡状態で回復の兆しが見えん。遂には死者まで出してしまった。一刻も早い解決が必要なのだ!」
 そう言ったきり、課長は黙り込んでしまった。
 桐生としては色々と問いただしたいこともあったが、ひとまず了解の意を伝えて敬礼をした後、そのまま出口へと向かう。
「桐生」
 不意に呼び止められて桐生は立ち止まる。まだ何かあるのだろうか。
 振り返ると、課長はさっきよりも神妙な面持ちでこちらを見つめていた。
 何か思案しているのだろうか―――暫く沈黙が続く。
 課長は何かぶつぶつと考え込んでいたようだが、やがて意を決したように桐生の方を見てこう言った。
「マリンコードを探せ。恐らくはそれが鍵となる」
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