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氷雨 対 妖精 002

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「はあっ、はあっ……」


 キャロルはとにかく走った。
 先刻の襲撃者からできるだけ距離を取り、逃げ隠れるために。

 だが、魔法に直撃したダメージをおしながら駆けるのは、彼女にとって大きな負担だった。

――こんなことなら、もっと運動しておけばよかった……。

 元々、体を動かすのは得意ではない。それでも、放課後の特訓で基礎体力の向上を目指してはいたが……如何せん、本気になるのが遅すぎた。

――ここでやられたらみんなに迷惑がかかっちゃう……とにかく、誰かと合流しないと。

 全身がギシギシと悲鳴を上げ始め、息は苦しくなっている。

 しかし、ここで足を止めるわけにはいかない。

――なんとか、なんとか逃げるんだ!

 不意打ちの攻撃を受けてから数分。

 キャロルは諦めることなく、懸命に走り続けた。

 だが、一向にチームのメンバーは見つからない。


「はあっ……くぅ……」


 このまま闇雲に逃げていては、無駄に体力を消耗してしまう……それならば、隠れられる場所を見つけて体勢を立て直そうかと。

 彼女が一瞬、足を緩めた時。



 ピチャ



 雨など降っていないのに、湿


「なんで……」


 遅れて――更に気づく。

 その湿った地面が、僅かながら

――水の魔法!

 彼女の本能が危険を察知したのと同時に、上空に何かの気配を感じた。


「【アイスイアロー】!」


 直後――頭上から、氷の矢が降り注ぐ。


「きゃあっ!」


 寸でのところで異変に気づけていたキャロルは、その攻撃を紙一重で躱した。

――上から攻撃してくるなんて……どうして私の居場所が……。

 現在彼女がいる地点は背の高い木々に覆われており、とても上空からターゲットを目視することはできない。

 実際、キャロルは空を見上げるが――敵を確認することはできなかった。


「くぅ……」


 考えるのも大事だが、今は逃げるしかない。

 先程までと同様、いやそれ以上に力を振り絞って、彼女は全速力疾走する。

 だが、森の中を進む的に対する正確な狙撃は止まらない。

――少しでも走るのが遅れたら、あの攻撃に当たっちゃうっ……。

 すぐ近くに放たれる魔法に追い立てられるように、キャロルは走るしかなかった。

 体力が限界を迎えそうなのはわかっている。入学した頃の自分なら、早々に諦めていただろう。この辛く苦しい状況から一刻も早く脱するために、降参していたかもしれない。

――だけど……諦められるわけない……!

 自分一人が負けて成績が落ちるだけなら、まだ許容できる。努力の量も懸けてきた想いも、まだまだ足りていないと自覚しているからだ。

 だがこれは演習会で――チーム戦である。

 一人が戦闘不能になれば、それだけメンバーにかかる負担は大きくなる。

 ただでさえ、精霊魔法が使えず足手まといなのに。

 その上、何もできないでやられるなんて。

――……そんなの、絶対嫌っ!

 無我夢中で走る彼女の視界が。

 突如、開ける。


「――っ」


 大木ひしめく森を抜け、背の低い草や岩が転がる荒廃した場所に出てきてしまったのだ。

 それはつまり。

 絶好の狙撃ポイント。


「自分から森を抜けるなんて、馬鹿じゃないの?」


 空からそう語り掛けるのは――魔術師のヘレン・ウェイ。

 彼女は、キャロルのことを追跡してきていたのだ。


「はあっ……はあっ……」


「大分疲れてるみたいね。今楽にしてあげるから、ちょこまか動かないでもらえる?」


 ヘレンは氷属性の魔法を得意とする魔術師である。

 過去にレグを氷漬けにしたり、サナの両腕を凍らせたりしたが……彼女の真骨頂は、扱える魔法の多彩さだ。

 派生魔法を得意とし、さまざまな「性質」を持った氷の魔法を操ることができる……魔術師組の中でもトップクラスのセンスを持っているのだ。


「絶対に油断するなって言われたんだけど……やっぱり、あなたって弱い? いい加減諦めて、ここで潔く降参してくれないかしら」


 逃げ回るだけで一向に反撃してこないキャロルのことを、彼女は弱いと評した。

 精霊魔法を使えない以上、その評価は概ね正しい。


「どうせ私を倒す手立てなんてないんでしょ? あるならとっくに反撃してきてるだろうし……ついでに教えてあげちゃうと、もう一人の仲間も直ここにくるわ。、あなたの居場所はばっちりわかってるし」


 雨が降っていないのに、湿った地面。

 あれは、シトラスが使った探知系の魔法によるものだったのだ。

 魔力を持った水を地面に染み込ませ……その上にいる対象物の場所を特定する、広範囲探知魔法。

 彼もまた、相応の実力を持った魔術師なのである。


「いきなり敵二人に見つかってかわいそ~って感じだけど……恨むなら私たちの近くにいた自分の不運を恨んでね。まあその程度の実力じゃ、どうせすぐに退場してただろうけど」


 既に勝ち誇った表情を浮かべるヘレンは、饒舌に語り掛ける。

 傍から見ても、この状況は絶望的だった。

 敵は二人……一人は上空から氷の弓矢で攻撃し、もう一人は広範囲に及ぶ探索と水の攻撃魔法を使う。

 そもそも、魔術師二人相手に戦いを挑むことが無謀なのだ。
 それは、キャロルが一番理解している。

 ただ。

 事ここに至っても――彼女の目から、闘志は消えていなかった。


「……確かに私は、弱いよ。あなたたち魔術師組の人からしたら、笑っちゃうくらい」


 言って。

 キャロルは、腰に差した弓を手に取る。


「でも……私はまだ、諦めない!」


 例え、空に浮かぶあの魔術師を倒せなくとも。

 こちらに向かっているという、もう一人を倒せなくとも。

 何もせずに降参することなんて、できない!


「【ストーンショット】‼」


 キャロルは構えた矢を放つ。

 狙ったのは上空にいるヘレン――ではなく。

 

 魔法は、自身の属性に強く関連する物質に共鳴すると、威力が増大する。

 例えば川で水属性の魔法を使えば、川の水が助けになって高出力の魔法を使うことができるのだ。

【ストーンショット】は地属性の魔法。

 転がる岩は――魔法の力を、充分に高めてくれる。


「なっ⁉」


 岩の位置は、丁度ヘレン浮かぶ真下。

 発動した魔法は、先程水流をせき止めた時とは桁違いの大きさの壁を作り出す。


「いけーーーー!」


 その岩壁は凄まじい威力を持って――氷の鳥の片翼を、破壊した。


「くそっ! 【アイスウォール】!」


 コントロールを失った鳥から振り落とされたヘレンは、すぐさま氷の壁を作ってそこに着地する。

 だが。

 それは、キャロルの思惑通りだった。


「【ストーンショット】!」


 地面に直接落下しないように作った氷の壁。

 その下の地面に、魔法を発動し。

 せり上がる岩が、ヘレンの氷を砕いていく。

――に、二段構え!

 彼女が驚いた時には……その小さな体は、破壊された氷の残骸と共に空中に放り出されていた。


「がっ⁉」


 ヘレンは全身を地面に強く打ち付け、うめき声を上げる。

 どうやら演習会最初の戦いは。

 精霊魔法を使えないエルフが、一本取ったようだ。


「や、やった! やったやった!」


 空を飛ぶ魔術師を見事撃墜したキャロルは、喜びの声を上げる。

 はしゃぐ彼女の足元が――冷たく湿り出す。

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