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それからも忙しい日々の隙間を縫って逢瀬を重ね、気がつけば月は変わり懇親会の日を迎えていた。社会人になってから時の流れの早さには驚くばかりだ。オレはため息をついた。
懇親会――オレと敬久さんの出身大学では卒業生と在学生が交流する会が開かれることがある。
敬久さんは著名な小説家の『柊山敬久』先生なのでそういった集まりに招待されるのは分かるが、今回は何故かオレにも声がかけられた。
(こういうのはもっと有名人や大企業に勤めている華やかな卒業生に声をかけて、在学生を喜ばせる感じじゃないのか?)
呼ばれるとしたらオレではなく、巨大出版社の敏腕編集みたいな人間の方が良いのではないか。そんな人物が卒業生にいるかは分からないが。
(オレの会社は大企業とまでは行かないし……老舗出版社と言えば聞こえは良いけれど、今は出版不況だしなあ)
最近は編集部でもweb媒体の企画が増えている。時代の流れとはいえ、そういった点は寂しく感じる。
(オレが在学していた頃は、確か大手の金融系や広告代理店勤務の卒業生が来ていたかな)
正直、敬久さんと出会った思い出の懇親会は、酔って足元のおぼつかないオレに彼が優しく声をかけてくれたこと以外はうっすらとしか記憶に残っていない。
(もうだいぶ昔だしな。あの頃からオレは敬久さんに対して色々と想いを拗らせている)
恋愛は自分からは遠い場所にあって向いていない――そう思っていた。敬久さんと出会うまでは。
(想いを伝えるつもりなんてなかったし、報われなくても構わないって考えていたのに)
オレは学生時代に酷い恋愛を――いや、あれは恋愛ですらない苦い経験をした。大学の先輩である男と恋人関係になれるかもしれないと浮かれていたのに、実は遊ばれていただけだった――よくあることと言えばそうかもしれないが、自分が経験するとは思わなかった。(※1)
(若気の至りってやつだ。当時は酷く傷ついたけれど、あの頃は恋やら愛やらが分からなかったから……)
今は敬久さんが傍にいてくれる。オレは彼を心から愛しているし、彼もオレに愛を与えてくれる――
「遥君」
敬久さんがリビングにパタパタと入って来て、ソファでぼんやりしていたオレに声をかけて来たのではっとして顔を上げた。
「ネクタイどっちが良いと思う?」
紺色のテーラードジャケットを着た敬久さんはネクタイをオレの方に見せながら尋ねた。
「ネクタイ着けるの久しぶりだからどうしようかなって」
「それは悩んじゃいますね」
オレは立ち上がって敬久さんの側に行き、ネクタイを見つめた。
今日のため――懇親会当日のため前倒しで業務を行うことにより午後休の都合をつけたオレは敬久さんのマンションに来ている。
会社から公共交通機関で懇親会に向かい会場で落ち合う予定だったが、敬久さんがドライブがてら車で一緒に行こうと提案してくれたのだった。
(敬久さんは今日も打ち合わせがあったようだし……スケジュールが大変な時にもオレと一緒にいたいって思ってくれているのかな)
気を抜くとニヤついてしまいそうだ。オレはキュッと表情を引き締めて敬久さんのネクタイを手に取った。
「こちらの柄が入っている方が良いなって思います」
「じゃあそっちにするよ。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
彼はオレが選んだネクタイを首にかけ、シュルシュルと結び始めた。敬久さんのネクタイ姿は珍しいのでその姿をジッと見つめていると「あんまり見ないでよ」と苦笑された。
「君みたいにスーツを着慣れていないし、ネクタイを結ぶのも得意じゃないからさ」
「素敵ですよ。オレは仕事で着慣れているだけですし」
今いる出版社の部署はスーツが絶対と言うわけではない。オレは元々営業部にいたのでスーツの方が楽に感じて着ているだけだ。
「敬久さんのネクタイ姿はけっこう珍しいので沢山見ておきたいんです」
「そんな可愛く笑いながら言わないでよ……本当遥君はさあ……」
ふぅっとため息をついてオレの頭をポンポンと撫でた。
「遥君、指輪は今持ってるよね」
「ええ、持っています」
オレは首を傾げ、首元からネックレスチェーンに着けた指輪をゴソゴソと取り出した。お互いに贈りあった揃いの指輪だ。オレは仕事中こんな風にして身に着けていた。
「今日は指に着けて行きなよ」
「え、あ、でも……良いんでしょうか」
「仕事中じゃないし、今どき指輪をしているからって根掘り葉掘り聞いてくる人は少ないよ」
敬久さんは穏やかな表情だけれど、有無を言わせない圧を感じる。何かあったのだろうか。
「それはそうですが……」
「もしも何か言われたら『婚約指輪です』って言えば良いよ」
オレは『婚約』という言葉に顔が熱くなるのを感じた。ボソボソとか細い声で「分かりました」と言い指輪をネックレスチェーンから外した。
「貸して」
敬久さんが手を広げたので、オレは指輪を渡した。
「左手で良いよね?」
そう言ってオレが返事をする前に左手を取って薬指に指輪を通した。
「あ、ありがとうございます」
「僕も左手だからお揃いだね」
彼は目を細めてオレを見つめ、左手を上げてひらひらと振った。
(一緒に車で会場に行って、二人して揃いの指輪を着けてるのに気づかれたら、色々邪推されないだろうか……)
敬久さんは文芸雑誌では顔出しもしている著名な小説家で、何よりオレは彼の担当編集だ。著名人に口さがないことを言う人間はどこにでも存在している。
(敬久さんは復帰してから作品作りも順調で、今すごく頑張っている時期なのに。オレが彼の重荷になりたくないな)
オレは指輪をしばらく見つめて眉を下げた。
「遥君、何か色々考え込んじゃってない?」
「ぁ、う……どうして分かるんですか?」
「君は表情がくるくる変わって分かりやすいからね」
オレの頭を子どもを慰めるようによしよしと撫でた。
「まだ時間あるし、座ろっか」
「はい……」
敬久さんはオレの手を引き、ソファに並んで座った。
(※1 『恋人として君と過ごす日々 番外編・此木遥の昔の話』参照)
懇親会――オレと敬久さんの出身大学では卒業生と在学生が交流する会が開かれることがある。
敬久さんは著名な小説家の『柊山敬久』先生なのでそういった集まりに招待されるのは分かるが、今回は何故かオレにも声がかけられた。
(こういうのはもっと有名人や大企業に勤めている華やかな卒業生に声をかけて、在学生を喜ばせる感じじゃないのか?)
呼ばれるとしたらオレではなく、巨大出版社の敏腕編集みたいな人間の方が良いのではないか。そんな人物が卒業生にいるかは分からないが。
(オレの会社は大企業とまでは行かないし……老舗出版社と言えば聞こえは良いけれど、今は出版不況だしなあ)
最近は編集部でもweb媒体の企画が増えている。時代の流れとはいえ、そういった点は寂しく感じる。
(オレが在学していた頃は、確か大手の金融系や広告代理店勤務の卒業生が来ていたかな)
正直、敬久さんと出会った思い出の懇親会は、酔って足元のおぼつかないオレに彼が優しく声をかけてくれたこと以外はうっすらとしか記憶に残っていない。
(もうだいぶ昔だしな。あの頃からオレは敬久さんに対して色々と想いを拗らせている)
恋愛は自分からは遠い場所にあって向いていない――そう思っていた。敬久さんと出会うまでは。
(想いを伝えるつもりなんてなかったし、報われなくても構わないって考えていたのに)
オレは学生時代に酷い恋愛を――いや、あれは恋愛ですらない苦い経験をした。大学の先輩である男と恋人関係になれるかもしれないと浮かれていたのに、実は遊ばれていただけだった――よくあることと言えばそうかもしれないが、自分が経験するとは思わなかった。(※1)
(若気の至りってやつだ。当時は酷く傷ついたけれど、あの頃は恋やら愛やらが分からなかったから……)
今は敬久さんが傍にいてくれる。オレは彼を心から愛しているし、彼もオレに愛を与えてくれる――
「遥君」
敬久さんがリビングにパタパタと入って来て、ソファでぼんやりしていたオレに声をかけて来たのではっとして顔を上げた。
「ネクタイどっちが良いと思う?」
紺色のテーラードジャケットを着た敬久さんはネクタイをオレの方に見せながら尋ねた。
「ネクタイ着けるの久しぶりだからどうしようかなって」
「それは悩んじゃいますね」
オレは立ち上がって敬久さんの側に行き、ネクタイを見つめた。
今日のため――懇親会当日のため前倒しで業務を行うことにより午後休の都合をつけたオレは敬久さんのマンションに来ている。
会社から公共交通機関で懇親会に向かい会場で落ち合う予定だったが、敬久さんがドライブがてら車で一緒に行こうと提案してくれたのだった。
(敬久さんは今日も打ち合わせがあったようだし……スケジュールが大変な時にもオレと一緒にいたいって思ってくれているのかな)
気を抜くとニヤついてしまいそうだ。オレはキュッと表情を引き締めて敬久さんのネクタイを手に取った。
「こちらの柄が入っている方が良いなって思います」
「じゃあそっちにするよ。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
彼はオレが選んだネクタイを首にかけ、シュルシュルと結び始めた。敬久さんのネクタイ姿は珍しいのでその姿をジッと見つめていると「あんまり見ないでよ」と苦笑された。
「君みたいにスーツを着慣れていないし、ネクタイを結ぶのも得意じゃないからさ」
「素敵ですよ。オレは仕事で着慣れているだけですし」
今いる出版社の部署はスーツが絶対と言うわけではない。オレは元々営業部にいたのでスーツの方が楽に感じて着ているだけだ。
「敬久さんのネクタイ姿はけっこう珍しいので沢山見ておきたいんです」
「そんな可愛く笑いながら言わないでよ……本当遥君はさあ……」
ふぅっとため息をついてオレの頭をポンポンと撫でた。
「遥君、指輪は今持ってるよね」
「ええ、持っています」
オレは首を傾げ、首元からネックレスチェーンに着けた指輪をゴソゴソと取り出した。お互いに贈りあった揃いの指輪だ。オレは仕事中こんな風にして身に着けていた。
「今日は指に着けて行きなよ」
「え、あ、でも……良いんでしょうか」
「仕事中じゃないし、今どき指輪をしているからって根掘り葉掘り聞いてくる人は少ないよ」
敬久さんは穏やかな表情だけれど、有無を言わせない圧を感じる。何かあったのだろうか。
「それはそうですが……」
「もしも何か言われたら『婚約指輪です』って言えば良いよ」
オレは『婚約』という言葉に顔が熱くなるのを感じた。ボソボソとか細い声で「分かりました」と言い指輪をネックレスチェーンから外した。
「貸して」
敬久さんが手を広げたので、オレは指輪を渡した。
「左手で良いよね?」
そう言ってオレが返事をする前に左手を取って薬指に指輪を通した。
「あ、ありがとうございます」
「僕も左手だからお揃いだね」
彼は目を細めてオレを見つめ、左手を上げてひらひらと振った。
(一緒に車で会場に行って、二人して揃いの指輪を着けてるのに気づかれたら、色々邪推されないだろうか……)
敬久さんは文芸雑誌では顔出しもしている著名な小説家で、何よりオレは彼の担当編集だ。著名人に口さがないことを言う人間はどこにでも存在している。
(敬久さんは復帰してから作品作りも順調で、今すごく頑張っている時期なのに。オレが彼の重荷になりたくないな)
オレは指輪をしばらく見つめて眉を下げた。
「遥君、何か色々考え込んじゃってない?」
「ぁ、う……どうして分かるんですか?」
「君は表情がくるくる変わって分かりやすいからね」
オレの頭を子どもを慰めるようによしよしと撫でた。
「まだ時間あるし、座ろっか」
「はい……」
敬久さんはオレの手を引き、ソファに並んで座った。
(※1 『恋人として君と過ごす日々 番外編・此木遥の昔の話』参照)
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