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「あー、あなたが柊山先生ですか!」
あいつは愛想良く言うと「作品拝見しています」と営業用スマイルを貼り付けた。
「そうなのですか。ありがとうございます。失礼ですが、あなたは?」
「私は今日の懇親会に参加している卒業生で……こういう者です。何かご相談がありましたらいつでもお申し付けください」
「ああ、これはどうも」
慣れた動作で名刺を取り出して敬久さんに渡した。敬久さんは「銀行にお勤めなんですね」と言い、あいつと他愛ない挨拶を交わしている。オレは目を白黒させて、どういう状況なのか飲み込めないまま成り行きを見守っていた。
敬久さんは「すみません。今日はもう名刺を切らしていて」と受け取った名刺をすぐに名刺入れにしまった。
「いいえ、お気になさらず」
「僕と此木君は仕事仲間なんですが、あなたと彼はどういったご関係なんですか?」
何も知らない人間が聞けば取るに足らない会話だが、オレはその質問に含まれた意味に冷や汗が吹き出した。
「ああ、此木……此木君は私の後輩ですよ。昔から可愛がっていたので、今日偶々再会出来たのが嬉しくて」
「そうですか。昔から可愛がって……それは彼がお世話になりましたね。すみませんが、教授を待たせているので僕達はこれで」
「ええ、それでは」
敬久さんは「行こうか」と言いオレの肩に手を添えた。始終無言でいたオレは何とか「はい」だか「ええ」だかモゴモゴと返事をした。
「じゃあな、此木」
あいつはそれだけ言うと、喫煙室の方に去って行った。オレと敬久さんは会場に戻るために歩き出した。
「あの……柊山先生は、いつからあそこに……いえ、すみません。ちょっとこちらに来て欲しいです」
敬久さんは何も聞いては来ない。会場の扉はすぐそこだが、オレは敬久さんを喫煙室と反対側にある吹き抜けの階段辺りに引っ張り込んだ。
「君が美人だとか言われていた時には、扉側の花が飾ってある辺りにいたよ」
会場の扉横には大きな花瓶に生けられた花が確かに飾ってある。オレは逆方向を向いていたので敬久さんに気づかなかったのか。動転していたとはいえ迂闊過ぎる。そしてあいつとの会話をけっこう最初から聞かれてしまっていたようだ。
「遥君が会場に中々戻って来ないから休憩室かなって探しに行ったんだ」
「そうだったんですか……」
「そうしたら絡まれてるって言うか、ナンパされてるみたいだったから割って入ろうとしたら……違ったみたいで、様子を窺っていたら君達の会話がけっこう聞こえて来てしまって」
彼は「盗み聞きしたみたいでごめんね」と困ったように力なく笑って言った。
「謝らないでください……本当、何でもない会話ですし」
「うん、何でもない会話だったよね」
敬久さんは「でもさ」と階段の手すりの上で腕を組んで遠くを見た。
「遥君のあんな態度初めて見たし、僕には君達が……先輩と後輩以上の間柄だったように聞こえたんだ」
「それは……」
オレは何も言えなくなった。と言うよりは経験が無さ過ぎて、こういうアクシデントに遭遇した時にどう言って相手を――恋人を安心させれば良いのかが分からない。
「……本当、何て言って良いのか。でもあの人とは今は何もないですし、何とも思っていません。これは本当です!」
「うん、信じるよ」
努めて優しくそう言ってくれたけれど、声に元気がない。
(どうしてこうなったんだ……今日は幸せで困るくらいだったのに、こんな坂を転がり落ちるみたいに……!)
昔の何とも言えない関係だった相手と偶々再会して妙に絡まれ、それを今の恋人に見られるなんてどう説明すれば良いのか本当に分からない。
(簡単に言えば、学生時代にあいつに遊ばれて……そのまま終わった。本当にそれ以上でもそれ以下でもない話だ。でも、こんな話を敬久さんに聞かせられるか……?)
敬久さんが嫌な気持ちになるようなことは言いたくはないけれど、すでに彼はシュンとしてしまっている。
「あの……後で、二人きりで、ちゃんと話をしたいです!」
オレは絞り出すようにそれだけ言った。こんな公の場でそんな話が出来るわけがないので、二人きりになってから落ち着いて話をしたい。
「うん、本当にそうだよね……僕も君に変な態度を取ってしまって、情けないなあ。ごめんね、遥君」
はあっとため息をついて左手を伸ばしてオレを撫でようとしたけれど、ここが人目がある場所なのを思い出したのかピタッと手が止まった。
「……行こっか」
伸ばされた左手は空を舞った。揃いの指輪はキラリと光っているのに、その手を引き寄せて寂しそうな彼をすぐに抱きしめられないことがもどかしくて仕方なかった。
あいつは愛想良く言うと「作品拝見しています」と営業用スマイルを貼り付けた。
「そうなのですか。ありがとうございます。失礼ですが、あなたは?」
「私は今日の懇親会に参加している卒業生で……こういう者です。何かご相談がありましたらいつでもお申し付けください」
「ああ、これはどうも」
慣れた動作で名刺を取り出して敬久さんに渡した。敬久さんは「銀行にお勤めなんですね」と言い、あいつと他愛ない挨拶を交わしている。オレは目を白黒させて、どういう状況なのか飲み込めないまま成り行きを見守っていた。
敬久さんは「すみません。今日はもう名刺を切らしていて」と受け取った名刺をすぐに名刺入れにしまった。
「いいえ、お気になさらず」
「僕と此木君は仕事仲間なんですが、あなたと彼はどういったご関係なんですか?」
何も知らない人間が聞けば取るに足らない会話だが、オレはその質問に含まれた意味に冷や汗が吹き出した。
「ああ、此木……此木君は私の後輩ですよ。昔から可愛がっていたので、今日偶々再会出来たのが嬉しくて」
「そうですか。昔から可愛がって……それは彼がお世話になりましたね。すみませんが、教授を待たせているので僕達はこれで」
「ええ、それでは」
敬久さんは「行こうか」と言いオレの肩に手を添えた。始終無言でいたオレは何とか「はい」だか「ええ」だかモゴモゴと返事をした。
「じゃあな、此木」
あいつはそれだけ言うと、喫煙室の方に去って行った。オレと敬久さんは会場に戻るために歩き出した。
「あの……柊山先生は、いつからあそこに……いえ、すみません。ちょっとこちらに来て欲しいです」
敬久さんは何も聞いては来ない。会場の扉はすぐそこだが、オレは敬久さんを喫煙室と反対側にある吹き抜けの階段辺りに引っ張り込んだ。
「君が美人だとか言われていた時には、扉側の花が飾ってある辺りにいたよ」
会場の扉横には大きな花瓶に生けられた花が確かに飾ってある。オレは逆方向を向いていたので敬久さんに気づかなかったのか。動転していたとはいえ迂闊過ぎる。そしてあいつとの会話をけっこう最初から聞かれてしまっていたようだ。
「遥君が会場に中々戻って来ないから休憩室かなって探しに行ったんだ」
「そうだったんですか……」
「そうしたら絡まれてるって言うか、ナンパされてるみたいだったから割って入ろうとしたら……違ったみたいで、様子を窺っていたら君達の会話がけっこう聞こえて来てしまって」
彼は「盗み聞きしたみたいでごめんね」と困ったように力なく笑って言った。
「謝らないでください……本当、何でもない会話ですし」
「うん、何でもない会話だったよね」
敬久さんは「でもさ」と階段の手すりの上で腕を組んで遠くを見た。
「遥君のあんな態度初めて見たし、僕には君達が……先輩と後輩以上の間柄だったように聞こえたんだ」
「それは……」
オレは何も言えなくなった。と言うよりは経験が無さ過ぎて、こういうアクシデントに遭遇した時にどう言って相手を――恋人を安心させれば良いのかが分からない。
「……本当、何て言って良いのか。でもあの人とは今は何もないですし、何とも思っていません。これは本当です!」
「うん、信じるよ」
努めて優しくそう言ってくれたけれど、声に元気がない。
(どうしてこうなったんだ……今日は幸せで困るくらいだったのに、こんな坂を転がり落ちるみたいに……!)
昔の何とも言えない関係だった相手と偶々再会して妙に絡まれ、それを今の恋人に見られるなんてどう説明すれば良いのか本当に分からない。
(簡単に言えば、学生時代にあいつに遊ばれて……そのまま終わった。本当にそれ以上でもそれ以下でもない話だ。でも、こんな話を敬久さんに聞かせられるか……?)
敬久さんが嫌な気持ちになるようなことは言いたくはないけれど、すでに彼はシュンとしてしまっている。
「あの……後で、二人きりで、ちゃんと話をしたいです!」
オレは絞り出すようにそれだけ言った。こんな公の場でそんな話が出来るわけがないので、二人きりになってから落ち着いて話をしたい。
「うん、本当にそうだよね……僕も君に変な態度を取ってしまって、情けないなあ。ごめんね、遥君」
はあっとため息をついて左手を伸ばしてオレを撫でようとしたけれど、ここが人目がある場所なのを思い出したのかピタッと手が止まった。
「……行こっか」
伸ばされた左手は空を舞った。揃いの指輪はキラリと光っているのに、その手を引き寄せて寂しそうな彼をすぐに抱きしめられないことがもどかしくて仕方なかった。
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