夏の終わりに

佐城竜信

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「彰久君のおかげでおじいさんは命を取り留めたよ。ありがとう」
「いやあ、よかったです」
彰久はそう言って、医師の言葉に安堵した表情を浮かべた。結局老人の心臓は完全に停止してはいなかったものの、かなり危険な状態が続いており、救急車が到着するまであと十分遅ければ間に合わなかったかもしれなかったらしい。
「あの、結局原因はなんだったんですか?」
「それがね、日射病だったらしい」
「日射病?」
医師の言葉に、彰久は思わず首を傾げた。だがそれはおかしな話だった。なぜなら、老人が住んでいるのはマンションの一室で、しかも最上階だ。日差しなどほとんど入ってこない……はずなのだが……
「そうなんだよ。最近一人暮らしの老人の家で増えていてね。クーラーをつけずに過ごしていたけど、もう年だから熱いって言うのがわからなくて。それに、ずっと水じゃなくてお酒ばっかり飲んでいたから、脱水症状も起こしていたらしくてね。発見が遅れていたら危なかったかもしれない」
「そう……ですか」
彰久は複雑な表情になる。老人が亡くなったわけではなかったことは良かったのだが、それでもやはり命に関わることだったのかと思うと複雑だ。
(それにやっぱり、原因はクーラーじゃなくて酒だったんじゃないか)
酒屋の息子としては、そのことがなんとも言い難い気持ちになる。
「おじいちゃんもお酒は好きだったけど、やっぱりほどほどにしないとだめだったね」
そう言って苦笑する医師に彰久は思わず苦笑した。そして改めて考える。
(酒屋を継ぐつもりなんかないんだけどな……)
だがそれでも、彰久が配達に行かなかければ最悪の事態になっていたかもしれない。千葉酒店に注文をくれるのはだいたいが昔からの付き合いの人だ。それはつまり老人が多いということになる。
配達に行くということはそういった人たちの見回りにもなるということだ。今回のように人を救うこともできるだろう。特に一人暮らしの場合は、発見が遅れることで命を落とすことも少なからずある。
そう考えてしまうと、彰久はこのまま店を継がないという選択をすることが正しいことなのかわからなくなってきた。
(千葉酒店が人の生活を支えているって言うのは、そういうことでもあるんだよな……)
「ありがとうございました」
彰久は医師に一礼すると、病室を後にした……。


「ただいま」
彰久が千葉酒店へ帰宅すると、
「おかえり。随分遅かったけど、なにかあったの?」
君江が出迎えてくれた。
「ああ、途中でおじいちゃんが倒れてるのを見つけてさ」
彰久から事情を聞いた君江はため息をついた。
「あら、そんなことがあったのね。お手柄じゃない彰久。おじいちゃんも助かったみたいだし、彰久には感謝しかないわ」
君江はそう言ってにっこり笑った。
「いや、そんなことはないよ。俺はただ救急車を呼んだだけさ」
「でもそれがなかったら、おじいちゃんは助からなかったのかもしれないわ。やっぱり彰久は凄いわね」
「いや、そんな……」
彰久は思わず苦笑いを浮かべる。君江の言うように、確かに自分があの老人に人工呼吸を行わなければ命が危うかったかもしれない。だがそれは彰久が配達の途中だったからできただけのことだ。
「本当に、大したことじゃないよ」
君江にそう言って、彰久は階段を上っていった。
(俺、やっぱり酒屋を継いだ方がいいのか……?)
そんなことを考えながら彰吾の部屋の扉をノックする。
「父さん。具合はどうだい?」
彰久がそう言って扉を開けると、うつぶせになってベッドに横になっている彰吾の姿が目に入る。
「ああ、彰久か……。どうやら俺も、そろそろお迎えが来ちまったらしい」
彰吾は横になったまま苦しそうに言った。どうやらあの後、さらに症状が悪化したらしい。
「ったく……あんまり飲みすぎるからだよ……」
そう言ってため息をつくと、彰久は彰吾のベッドの近くの椅子に腰かける。
「なあ、父さん。父さんが酒屋の仕事をしていてよかったことってあるのかい」
突然彰久にそう問われ、彰吾は不思議そうな表情になる。
「なんだ急に……」
「別に、ただなんとなく気になっただけだよ」
そう言って彰久が笑うので、彰吾も思わず笑みを浮かべた。そして少し考える素振りを見せてから答える。
「んー……。よかったってのとは違うかもしれないけどさ。配達先の家族構成とかもなんとなくわかるだろ。そんな人たちが困ってるときに手伝えるのは、まあ悪くねえなって思うよ」
「なるほど……」
そう言って彰久が頷いた。
「中には一人暮らしの爺さんばあさんとか、若い家族がいない家庭とかいろいろあるからさ。ちゃんと生きてるかとか、そういったご機嫌伺いもできるしな」
「たしかに……。父さん、たまにはいいこと言うんだね」
彰久が感心したように言うと、彰吾はフンッと鼻を鳴らした。そして今度は自分から尋ねる。
「で?どうしていきなりそんなこと聞いてきたんだよ?」
「……それがさ、さっき配達の時に日射病で倒れてる爺さんを介抱したんだよ。まあ、命に別状はなかったんだけどさ」
「ああ、そういうことか。そりゃあ、いい仕事したじゃねえか。それがどうかしたのか?」
彰吾が尋ねると、彰久は少し言いづらそうにしながら言う。
「いやあ……、それで考えちゃったんだよ。俺が酒屋を継げばそういう人の面倒も見られるんじゃないかって。だから、本当に酒屋を継がないって決めちゃってもいいのかな、って思って……」
「そうか……」
彰吾はしかめっ面のまま、しばし黙り込んだ。
「彰久は……酒屋を継ぎたいのか?」
そう聞かれて、彰久は悩むように腕を組んだ。それからゆっくり口を開く。
「まだそこまで気持ちが固まってるわけじゃないんだけど……、でもまあ継ぐのが当たり前みたいな雰囲気になってるし……どうしようかなって」
すると彰吾は、
「俺が言ってるのは、周りの人がどういってるかとかじゃねえんだ。お前自身がどうなりたいのかってことだよ」
「自分がどうしたいのか……か」
「ああ、そうだ。いいか、彰久。お前が格闘家になりたいっていうならその気持ちは貫くべきもんだと、俺は思うぜ?義務だとか責任だとか周りがどう思ってるのかとか。そんなもん気にしないで自分の人生は自分で決めて、貫いていくんだ」
「うーん……。でも、俺が配達をしてなかったらおじいちゃんは死んでたかもしれないし」
彰久がそう言って頭を悩ませると、彰吾は再び笑顔になって言った。
「まあそれもひとつの考え方だけどな。俺は別にお前がどう思ったっていいと思うぜ?俺はもう、お前が決めたことを応援するって決めたんだ」
彰久はその言葉に、大きく目を見開いた。そして少しの間のあと、ゆっくりと立ち上がる。
「父さん……ありがとう。俺、そう言ってもらえてうれしいよ!」
「ま、なんにせよこれからも頑張るんだぞ息子よ。まあ、どっちにしてもしばらく配達は手伝ってもらうことになっちまうけどよ」
「ああ、それくらいは大丈夫だよ。……ただ、花火大会の日と千里のバスケの試合の日だけは休ませてもらうよ」
「ああ、わかったぜ。まあ、どっちにしてもしばらくは休みなしで頼むことになるんだからよろしくな」
彰吾はそう言って笑った。そしてその後、すぐに寝てしまったので、彰久は起こさないようにそっと部屋を出ていくのだった……。
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