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Valentine(バレンタイン)
彼女と俺のライバル宣言 樹×理沙子の場合
しおりを挟むやらかした———バレンタイン当日、樹は頭を抱えていた。
「また樹に負けた!!」
樹の愛しい彼女は、酒を一気飲みすると、そう叫んだ。
ちょうど今期の営業成績が発表されたタイミングで、お互いに順位が上がったことをお祝いしようとホテルをとっていた日のことだった。
何をどう間違ったのか、話の矛先が変な方向に行ってしまった。
女子営業としてはトップ、男性陣と合同でも10位以内という普通なら大満足の結果だと思うが、樹をライバル視している理沙子にとっては不本意な結果だったらしい。
酔いもあって、理沙子は樹にくだを巻き始めた。
「悔しー、なんで、こいつのどこがいいっていうのよぉ……」
「おいおい、彼氏に向かっていうセリフじゃないだろ。」
呆れて呟くと、理沙子に睨まれた。
「彼氏である前に、私のライバルであり、憎き敵よ!」
ビシっと指をさされ、樹は眉を寄せた。今日の理沙子はいつもにもまして饒舌だった。多分、何かあったのだろう、と察しつつ、「彼氏である前に」という言葉に、反応せずにはいられなかった。
「彼氏である前にって……。俺はライバルである前にお前の彼氏のつもりなんだけど?」
片思い期間ほぼ二年。同期入社で同じ営業Ⅱ課に配属されたせいか、何故かライバル視をされ、想いを告げても一向に恋愛感情をもってもらえなかった彼女。それがようやく付き合えるようになってこっちは天にも昇る気持ちだというのに、彼女の中ではいまだに自分は「男」ではなく、倒すべき敵なのだと思ったら悔しくもなる。
低い声ですごんだものの、理沙子には伝わらなかったらしい。
「へぇー、そうだよね、樹は私からぐらいしかチョコもらえないもんね。」
小馬鹿にしたような物言いに、カッとなった。
「……言ったな?言っとくけど、俺、お前が思ってるよりずっとモテるから。お前がいいっていうならこっちにも考えがあるぞ?」
「ふーん、じゃあやってみれば?浮気のひとつでもやってみなさいよ。」
「っ、ああ、そうかよ!後悔すんなよ!」
堪忍袋の緒もここが限界だった。
***
「それでそのチョコの山……」
関心したように同僚の尾瀬が言った。
「お前、アホだろ。」
「……だよな。」
同じく同僚の木崎に呆れられてがっくり肩を落とした。
結局あの夜、予約していたホテルには泊まらず、互いに自宅に帰ったものの、それから理沙子とはまともに話せていない。引っ込みがつかなくなり、見せつけるようにチョコをもらってきたわけだが、理沙子の態度は硬化するばかり。素直じゃない理沙子の性格を考えたら当たり前だ。
「まぁ、樹はいいとして」
「よくねぇよ。」
「自業自得だろ。」
木崎にすぱっと言われて、ぐうの音もでない。
「それで、尾瀬、お前のチョコの山はなんだ?彼女とは順調なんだろ?」
木崎が尾瀬の机の中にある大量の包みを指さした。
「え?奈央は甘いの好きだから、喜ぶかなーって。」
同僚二人が絶句したのに気が付かず、尾瀬はほくほくと笑っている。営業成績トップのくせにそういうとこ、本当気が付かないというか、なんというか。おっとりとした尾瀬の彼女が涙目で怒っている姿が想像できて不憫になった。
「尾瀬、あのな、それ……」
口にしようとして木崎に止められた。
「一回ああいうのは痛い目を見たほうがいいんだ。」
神妙な顔を作ろうとしているが、口元がにやけている。これ、完全に営業成績が負けた腹いせだよな。大人げない。
「ってか、木崎は……」
営業トップに次ぐ成績の木崎だ。さぞや大量にもらっているだろうと思ったが、彼の周りにはお菓子の包みの気配すらない。
「俺は好きな女のだけでいい。」
さらりと男らしい台詞は、木崎らしくてカッコいい。
———やべー、俺もそういうこと言いたかった。俺だって、理沙子のこと、他の誰より好きなのに……。
山のようなチョコを抱えてちょっとへこむ。
「理沙子のばか……」
「お前も大概だよな。」
「言わないで。」
樹は本日何度目かわからないため息をついた。
***
「お先に失礼します」
帰り際、声をかけてくれないかなー、なんて淡い期待も甲斐なく、彼女は終業とともに颯爽と帰っていった。
———よし、決まり。今夜は家でやけ酒だ。
ため息をついて、電卓を取り出そうと引き出しを開けると、ロイズのチョコレートがちょん、と控えめにおいてあった。
「これ…」
裏をひっくり返してみると「樹へ」と達筆な文字で書かれた付箋が張り付いて、樹は飛び上がった。
***
「理沙子っ、理沙子!」
理沙子はちょうどフロアを出るところだった。
「何?」
少し不機嫌に振り返った理沙子に、これ、とチョコを見せる。
「理沙子からだろ?俺が食べたいっていってたやつ。その…ありがと。」
「別に、樹はモテモテだからいらないだろうけど。」
ちょっとバツが悪そうに顔を背ける理沙子の目元が少し赤い。
「…こないだの、その、意地張って悪かった、だから、」
「私こそごめん」
顧客に下げるのと同じぐらい、直角に頭を下げた理沙子に思考が停止した。
「え」
「……樹に甘えて八つ当たりした。」
理沙子の長い髪が、その表情を隠す。
「Ⅰ課の糞部長に嫌味言われて。女子営業だかなんだか知らないけど、どうせ努力でとったんじゃないんだろ、みたいな言われ方して。」
ああ、と納得する。昔からそういう理不尽には敏感なやつだ、こいつは。もともと仕事が大好きってわけでもないくせに、馬鹿にされて悔しくてここまでのし上がってきた女だ。
「樹が努力してないわけじゃないって今はちゃんとわかってる。顧客のこととか、商品情報とか、要領よく回してるように見えるけど、リサーチも念入りだし丁寧。分かってた、はずなのに、なんか、悔しくて、八つ当たりした。」
「…わかってんよ。」
声に涙がにじみ始めるのに、耐えられなくて、樹は思わず、その体を抱きしめた。
呆れるほどの負けず嫌いで、まっすぐな努力家。だから放っておけない。ちょっと何かあったら折れてしまいそうな、その頼りなさにぐっと来てしまう。同僚からは物好きと言われることも多いが、樹にとってはこの女の強さも、弱さも愛おしくて仕方がない。
「理沙子…俺たち、もう仲直りだろ?今夜はうち、泊ってけよ。」
「ん、」
わかった、と返事があって唇を寄せようとした瞬間、ごほん、とわざとらしい咳払いがした。
「あー……二人とも悪い。ちょっとそこは、目立つというか、あの、な。」
言いづらそうに、頭を掻く尾瀬の姿をみて、ようやくここがどこか思い出す。
「きゃっ」
樹より一足先に気が付いた理沙子が悲鳴を上げて、腕からするりと抜けた。
「なんだよ、理沙子、ちょっとそれはないだろ。」
「馬鹿、職場よ」
慌てて髪を整える理沙子が可愛い。
「じゃあ、この後俺の家な。」
「あんた残業あんじゃないの?」
「本気出せば30分で終わらせる。家で待ってて。」
「そういうとこが腹立つのよねー」
なんて言いつつ、了解、とひらひらと手をふる理沙子にがぜんやる気がわいてきた。
「よしっ!」
「お前ら……すげぇな。さすが、営業二課の名物カップル。」
「まぁな。」
尾瀬のからかいを含んだ言葉に、樹は得意げに胸をはった。
「……あーあ、お前、さっき彼女のいない先輩達がガン切れしてたから、明日注意しろよ。多分、結構ちくちくあるぞ。」
「大丈夫、愛の力があればなんとかなる!」
「さすがだわ……」
その日、樹は普段の仕事の倍をこなし、予定通り30分で仕事を仕上げて、愛しい彼女の待つ自宅へと帰宅したのだった。
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