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6 看板娘と彼との喧嘩
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騎士団の馬車ではなく貸し馬車に揺られて連れて来られたのは、球技や武術、馬術競技の練習が行える公園だった。別に遊びに来ているわけではないので不満はないが、マリスはここでは目立つのではないかと心配になる。
何故ならば、騎士ディオンは制服ではないものの、仕立てが良くとても格好がいい私服だったからだ。動きやすいように背中に切れ込みが入った腰丈の上着は、筋肉質な身体にぴったりで、これまたぴったりとしたズボンは……正直目のやり場に困る。ちなみに、マリスの服装は、伸縮性のあるシャツにベスト、スカートの下にはピタリとした薄手のズボンを履いていた。少し暑いが、運動するので仕方がない。
女性であるマリスに配慮してか、ディオンは茂みの多い場所に陣取った。それから二人で軽く準備運動をすると、早速護身術講座が始まる。
「緊張しているのか?」
「少しだけ」
「大丈夫だ、痛いことはしない。全て私に任せてくれ」
「は、はい」
「では簡単なものから……そうだな、手を掴まれた場合を教えよう」
そういうと、ディオンは左手を突き出した。
「手首を握ってみてくれ」
「こうですか?」
「うむ、そのまま力を込めておいてくれ」
言うが早いか、掴んでいたはずのディオンの手首が手からするりと離れる。そのあまりの素早さに、マリスはいったい何が起こったのかよくわからなかった。
「え? どうして外れたんですか? まさか力技?」
目を丸くしてキョトンとするマリスに、ディオンが小さく笑う。
「もう一度力一杯掴んでくれ。今度はゆっくり説明しよう」
ディオンの手首は太いのでマリスの指は回らない。お望みの通りに力一杯握った彼女の手首を起点にして、彼が自分の手首を入れ込んで外側にくるりと回す。するとあっけなく彼女の手が離れた。ゆっくり見ても、まるで手品のようだ。
「力技じゃなく、これは君でもできる。私が握っても?」
「どうぞ」
半信半疑で手を差し出したマリスは、がっちりとして少しカサついたディオンの手が触れたことにドキッとする。
(そういえば今日は手袋じゃないんだ……あっ、あの黒子)
ディオンの示指の付け根には、小さな黒子が二つ並んでいる。これはギオにもあるもので、新たに見つけた共通点に自然と顔がほころんだ。
「マリス嬢、その手を私の手の上から外側に回してみてくれ」
「えっと……こう! ですか……あ」
マリスの手首を掴んでいたディオンの手が、あっさりと離れる。
「別に力を抜いたわけじゃない。不意に手を掴まれた時は、引っ張ると逆に相手も力を入れて逃げられなくなるんだ。だが、ここを起点にして回すことで力を入れずとも逃れられる」
「咄嗟の時に私にできるかな……」
「練習が必要だな。我々騎士も日々訓練をして習得するんだ」
「日々訓練」
「そう。ちなみにこれを利用して、相手を地面に倒すこともできる……が、この方法は痛いので後日騎士団の訓練場で見せてあげよう」
ディオンの立派な体躯は訓練の賜物なのだ。初めて出逢った日に酔っ払いを取り押さえたのも、そういった技の一つなのだろう。それからしばらくの間、しっとりと汗を掻くまで練習を続けたマリスは、彼の真摯な指導に応えたいと本格的に護身術を習う旨を告げる。
「あの、せっかく教わるんですから、何か一つでも習得したいです! 私、頑張ります!」
「そ、そうか。では、もう少し有効な技を教えよう。もう一度手首を掴んでも?」
「はい、先生!」
「先生?! いや、悪くはないが、できればディオンと呼んではくれないだろうか」
「とんでもない、騎士様を呼び捨てにはできません」
「騎士といっても私自身は君と同じ市井の民だ。だから」
ディオンの青い目が細められ、マリスは射すくめられたようにピタリと動きを止める。掴まれた手首の内側を彼の親指が撫で、そこから止めようのない熱が身体中に広がっていくような錯覚に包まれた。
「駄目だろうか、マリス嬢」
狙ったのか何なのか、やけに低く掠れたような声で名前を呼ばれたマリスはごくりと生唾を飲む。ディオンの目が探るように彼女の目を捉え、喉がカラカラになった。
「私のことも、マリスと呼んでくださるのであれば」
「…………そうか。ではマリス。これでどうだ」
「わ、わかりました、ディオン、さん」
「ん、素直でよろしい」
打って変わってガラリと雰囲気を変えたディオンは、マリスの手首をしっかりと掴むと、グイッと自分の方に引き寄せる。いきなりのことでなす術もなく、手首を返す暇すらない。ほとんど抵抗することもなく、彼の懐にすっぽりと入ってしまった。さらにそのまま胸にすがりついてしまい、彼の体温と香りに目が回りそうなくらいに気が動転してしまう。
「こ、この場合、どうすれば、どうすればいいんですかっ?!」
「さあ、どうしようか。私には悪意はないのだが、抵抗する必要はあると思うか、マリス?」
揶揄うような楽しげな声が耳の直近で聞こえ、マリスの身体はカチカチに固まった。
「べべべ別に、いえ、でも万が一こんな風に、捕らえられたら、どうすれば」
「君は中々に優秀な生徒だな……こうなってしまえば方法は二つ」
さらに腰に腕を回されて、驚いたマリスがディオンを見上げる。そこには、蕩けるような極上の笑みをたたえた彼が、熱い目で彼女を見ていた。
「素直に言うことを聞くか、魔符を使うか、君はどちらがいいかな?」
これから何が起こるのか考えただけで怖くなる一方で、期待する心を止められない。マリスはゆっくりと瞬きをすると、突っぱねていた手から力を抜く。すると益々身体が密着し、魔法にかかったかのように吸い寄せられた。
「マリス……」
「ディオン、さん、あ」
「嫌なら、その胸元の魔符を使うんだ」
「嫌、じゃ」
「ん?」
「い、あ、はっ、くしゅん!」
緊張のし過ぎか、汗で冷えてしまったのか、マリスはくしゃみを連発する。そしてぶるりと身体を震わせると、ディオンが慌てたように背中に手を当てて唸った。
「すまない、身体が冷えている。つい調子に乗ってしまった」
「いえ、お気になさらくしゅっ!」
「練習はここまでだ。風邪を引く前に急いで帰ろう」
「慣れてなくてすみません」
ディオンはすぐさま身体を離し、持ってきたふかふかの汗手拭を差し出す。ぎこちなくも受け取ったマリスは、くるりと後ろを向いて汗を拭いた。
(びっくりした、びっくりした、びっくりした!)
運悪く、とでも言うのだろうか。くしゃみのせいで雰囲気が壊されてしまったが、あのまま黙っていたらどうなっていたのだろう。
(嫌じゃなかった……でも、何故?)
ディオンよりもずっと前に知り合って仲良くなったギオの姿ではなく、何故騎士の姿でこんなことをするのか。夜の食堂で働いているマリスは、男女の駆け引きのなんたるかくらいは間近で見てきているので多少のことは知っている。
間違いなく、先ほどのディオンの目には、隠しきれない欲望が灯っていた。
突き放したいのなら放って置けばいいのに、騎士姿の彼が、マリスが憧れた恋人のような戯れを仕掛けてきたのはどうしてか。嫌じゃないけど腑に落ちない。
(ねぇ、教えてよ……ギオさん)
切ない胸の内にしまった秘密のせいで、これ以上どうしていいのかわからなくなる。しかし、今ここでディオンとギオの秘密を知っていると告げたら、二人ともマリスの前からいなくなってしまいそうで怖かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それからマリスとディオンは、都合がつく限り毎週末に護身術の練習をするようになった。
最初の日のような接触はなくなりがっかりしたものの、ひと月目が終わる頃には一緒に食事をしたりお茶を飲んだりする仲にまで発展した。
ギオの時とは違い、騎士ディオンは気さくに話をしてくれる。騎士団のことはもちろん、家族についてまで話が及んだ時には、マリスとしても正直嬉しかった。しかし彼が街に出れば、女性たちの視線が自然と集まってくるのは居心地が悪い。
マリスの気持ちを知ってか知らずか、ディオンは紳士的に相手をしてくれる。もちろん、少しばかり良い雰囲気になることもあり、そんな時は彼女ものらりくらりとはぐらかしていた。
「マリス、私はいつでも準備万端なのだが」
「何のことですか? あ、今度ある護身術の大会に師弟で参加させてくれるんですか?!」
「君が出たいなら……」
「なんて。ディオンさんはおもてになりますからね。周りの女性たちの視線が痛くてとてもとても」
「私が心から優しくするのは君だけなんだが」
「随分と口が上手くなりましたね、ディオンさん」
「そして君は意地悪だ」
マリスが邪気のない顔でにこりと笑えば、ディオンはいつも諦めたように苦笑して溜め息をつくのだ。
公園でのひと幕の後、彼は何かが吹っ切れたかのように甘い言葉でマリスを誘ってくるようになった。毎週末に渡される花束も、実用的なものからまるで恋人へと渡すような花束へと変化している。狙っているのか、最近では花束をくくっている紐が美しい髪紐になっていた。
そこまでされると、誰とも付き合ったことのないマリスでも意味はわかる。しかし、本当は真剣に考えたいが、彼がギオについて話してくれるまでは応えたくても我慢だと心を引き締めるのだ。
その一方で、夜の食堂にやってくるギオは、むっつりだんまりだ。マリスの護衛よろしく酔っ払いを追い払うくせに、彼女に対してどこか冷たい。そしてある夜、あまりにもツンケンするので問い詰めたところ、放って置くように言われてついに喧嘩になってしまった。
「そんなしかめっ面でご飯を食べないでくださいよ」
「あ? 虫の居所が悪くてな」
「……何か、あったんですか?」
マリスの質問には答えず、ギオは睨みつけるように彼女を見る。不機嫌な理由はわかりようもないが、八つ当たりされる筋合いもない。
(騎士ディオンの時はあんなに優しいのに)
お互い睨み合い、ギオが舌打ちをしながら目を逸らす。マリスが引かないと思ったのか、彼は乱暴に懐に手を突っ込むと、いつものように可愛らしいお菓子を出してきた。
「何ですか」
「何だ、いらないのか」
「いりません」
「あ?」
「いりません、と言ったんです!」
お菓子で何とかなるとでも思っているようなギオに、ついにマリスは爆発した。
ギオは、いつまでたっても何も話してくれない。
客と給仕という間柄から、いつまでたっても抜け出せない。
脈がないなら、中途半端に優しくしないで欲しい。
私をいったいどうしたいのか、説明して欲しい。
色々な感情がごちゃごちゃになって、鼻がツンと痛くなる。いつだって彼の前では笑顔でいたかったのに、今日はそれができそうにない。マリスは溢れそうになる涙を袖口で拭い、ギオをキッと睨みつける。
「私、何も悪いことなんてしてません」
「……そうだな」
「このところ、いつもいつも、おかしいのはギオさんじゃないですか」
「……ああ」
「迷惑なら、迷惑だって言ってください」
「……」
「私、そこまで馬鹿じゃないから言われたらわかります」
「……」
厨房からは、マリスを呼ぶ声が聞こえる。最早返事すらしてくれなくなったギオに、マリスは静かに告げた。
「貴方なんてもう知らない……馬鹿、大嫌い」
何故ならば、騎士ディオンは制服ではないものの、仕立てが良くとても格好がいい私服だったからだ。動きやすいように背中に切れ込みが入った腰丈の上着は、筋肉質な身体にぴったりで、これまたぴったりとしたズボンは……正直目のやり場に困る。ちなみに、マリスの服装は、伸縮性のあるシャツにベスト、スカートの下にはピタリとした薄手のズボンを履いていた。少し暑いが、運動するので仕方がない。
女性であるマリスに配慮してか、ディオンは茂みの多い場所に陣取った。それから二人で軽く準備運動をすると、早速護身術講座が始まる。
「緊張しているのか?」
「少しだけ」
「大丈夫だ、痛いことはしない。全て私に任せてくれ」
「は、はい」
「では簡単なものから……そうだな、手を掴まれた場合を教えよう」
そういうと、ディオンは左手を突き出した。
「手首を握ってみてくれ」
「こうですか?」
「うむ、そのまま力を込めておいてくれ」
言うが早いか、掴んでいたはずのディオンの手首が手からするりと離れる。そのあまりの素早さに、マリスはいったい何が起こったのかよくわからなかった。
「え? どうして外れたんですか? まさか力技?」
目を丸くしてキョトンとするマリスに、ディオンが小さく笑う。
「もう一度力一杯掴んでくれ。今度はゆっくり説明しよう」
ディオンの手首は太いのでマリスの指は回らない。お望みの通りに力一杯握った彼女の手首を起点にして、彼が自分の手首を入れ込んで外側にくるりと回す。するとあっけなく彼女の手が離れた。ゆっくり見ても、まるで手品のようだ。
「力技じゃなく、これは君でもできる。私が握っても?」
「どうぞ」
半信半疑で手を差し出したマリスは、がっちりとして少しカサついたディオンの手が触れたことにドキッとする。
(そういえば今日は手袋じゃないんだ……あっ、あの黒子)
ディオンの示指の付け根には、小さな黒子が二つ並んでいる。これはギオにもあるもので、新たに見つけた共通点に自然と顔がほころんだ。
「マリス嬢、その手を私の手の上から外側に回してみてくれ」
「えっと……こう! ですか……あ」
マリスの手首を掴んでいたディオンの手が、あっさりと離れる。
「別に力を抜いたわけじゃない。不意に手を掴まれた時は、引っ張ると逆に相手も力を入れて逃げられなくなるんだ。だが、ここを起点にして回すことで力を入れずとも逃れられる」
「咄嗟の時に私にできるかな……」
「練習が必要だな。我々騎士も日々訓練をして習得するんだ」
「日々訓練」
「そう。ちなみにこれを利用して、相手を地面に倒すこともできる……が、この方法は痛いので後日騎士団の訓練場で見せてあげよう」
ディオンの立派な体躯は訓練の賜物なのだ。初めて出逢った日に酔っ払いを取り押さえたのも、そういった技の一つなのだろう。それからしばらくの間、しっとりと汗を掻くまで練習を続けたマリスは、彼の真摯な指導に応えたいと本格的に護身術を習う旨を告げる。
「あの、せっかく教わるんですから、何か一つでも習得したいです! 私、頑張ります!」
「そ、そうか。では、もう少し有効な技を教えよう。もう一度手首を掴んでも?」
「はい、先生!」
「先生?! いや、悪くはないが、できればディオンと呼んではくれないだろうか」
「とんでもない、騎士様を呼び捨てにはできません」
「騎士といっても私自身は君と同じ市井の民だ。だから」
ディオンの青い目が細められ、マリスは射すくめられたようにピタリと動きを止める。掴まれた手首の内側を彼の親指が撫で、そこから止めようのない熱が身体中に広がっていくような錯覚に包まれた。
「駄目だろうか、マリス嬢」
狙ったのか何なのか、やけに低く掠れたような声で名前を呼ばれたマリスはごくりと生唾を飲む。ディオンの目が探るように彼女の目を捉え、喉がカラカラになった。
「私のことも、マリスと呼んでくださるのであれば」
「…………そうか。ではマリス。これでどうだ」
「わ、わかりました、ディオン、さん」
「ん、素直でよろしい」
打って変わってガラリと雰囲気を変えたディオンは、マリスの手首をしっかりと掴むと、グイッと自分の方に引き寄せる。いきなりのことでなす術もなく、手首を返す暇すらない。ほとんど抵抗することもなく、彼の懐にすっぽりと入ってしまった。さらにそのまま胸にすがりついてしまい、彼の体温と香りに目が回りそうなくらいに気が動転してしまう。
「こ、この場合、どうすれば、どうすればいいんですかっ?!」
「さあ、どうしようか。私には悪意はないのだが、抵抗する必要はあると思うか、マリス?」
揶揄うような楽しげな声が耳の直近で聞こえ、マリスの身体はカチカチに固まった。
「べべべ別に、いえ、でも万が一こんな風に、捕らえられたら、どうすれば」
「君は中々に優秀な生徒だな……こうなってしまえば方法は二つ」
さらに腰に腕を回されて、驚いたマリスがディオンを見上げる。そこには、蕩けるような極上の笑みをたたえた彼が、熱い目で彼女を見ていた。
「素直に言うことを聞くか、魔符を使うか、君はどちらがいいかな?」
これから何が起こるのか考えただけで怖くなる一方で、期待する心を止められない。マリスはゆっくりと瞬きをすると、突っぱねていた手から力を抜く。すると益々身体が密着し、魔法にかかったかのように吸い寄せられた。
「マリス……」
「ディオン、さん、あ」
「嫌なら、その胸元の魔符を使うんだ」
「嫌、じゃ」
「ん?」
「い、あ、はっ、くしゅん!」
緊張のし過ぎか、汗で冷えてしまったのか、マリスはくしゃみを連発する。そしてぶるりと身体を震わせると、ディオンが慌てたように背中に手を当てて唸った。
「すまない、身体が冷えている。つい調子に乗ってしまった」
「いえ、お気になさらくしゅっ!」
「練習はここまでだ。風邪を引く前に急いで帰ろう」
「慣れてなくてすみません」
ディオンはすぐさま身体を離し、持ってきたふかふかの汗手拭を差し出す。ぎこちなくも受け取ったマリスは、くるりと後ろを向いて汗を拭いた。
(びっくりした、びっくりした、びっくりした!)
運悪く、とでも言うのだろうか。くしゃみのせいで雰囲気が壊されてしまったが、あのまま黙っていたらどうなっていたのだろう。
(嫌じゃなかった……でも、何故?)
ディオンよりもずっと前に知り合って仲良くなったギオの姿ではなく、何故騎士の姿でこんなことをするのか。夜の食堂で働いているマリスは、男女の駆け引きのなんたるかくらいは間近で見てきているので多少のことは知っている。
間違いなく、先ほどのディオンの目には、隠しきれない欲望が灯っていた。
突き放したいのなら放って置けばいいのに、騎士姿の彼が、マリスが憧れた恋人のような戯れを仕掛けてきたのはどうしてか。嫌じゃないけど腑に落ちない。
(ねぇ、教えてよ……ギオさん)
切ない胸の内にしまった秘密のせいで、これ以上どうしていいのかわからなくなる。しかし、今ここでディオンとギオの秘密を知っていると告げたら、二人ともマリスの前からいなくなってしまいそうで怖かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それからマリスとディオンは、都合がつく限り毎週末に護身術の練習をするようになった。
最初の日のような接触はなくなりがっかりしたものの、ひと月目が終わる頃には一緒に食事をしたりお茶を飲んだりする仲にまで発展した。
ギオの時とは違い、騎士ディオンは気さくに話をしてくれる。騎士団のことはもちろん、家族についてまで話が及んだ時には、マリスとしても正直嬉しかった。しかし彼が街に出れば、女性たちの視線が自然と集まってくるのは居心地が悪い。
マリスの気持ちを知ってか知らずか、ディオンは紳士的に相手をしてくれる。もちろん、少しばかり良い雰囲気になることもあり、そんな時は彼女ものらりくらりとはぐらかしていた。
「マリス、私はいつでも準備万端なのだが」
「何のことですか? あ、今度ある護身術の大会に師弟で参加させてくれるんですか?!」
「君が出たいなら……」
「なんて。ディオンさんはおもてになりますからね。周りの女性たちの視線が痛くてとてもとても」
「私が心から優しくするのは君だけなんだが」
「随分と口が上手くなりましたね、ディオンさん」
「そして君は意地悪だ」
マリスが邪気のない顔でにこりと笑えば、ディオンはいつも諦めたように苦笑して溜め息をつくのだ。
公園でのひと幕の後、彼は何かが吹っ切れたかのように甘い言葉でマリスを誘ってくるようになった。毎週末に渡される花束も、実用的なものからまるで恋人へと渡すような花束へと変化している。狙っているのか、最近では花束をくくっている紐が美しい髪紐になっていた。
そこまでされると、誰とも付き合ったことのないマリスでも意味はわかる。しかし、本当は真剣に考えたいが、彼がギオについて話してくれるまでは応えたくても我慢だと心を引き締めるのだ。
その一方で、夜の食堂にやってくるギオは、むっつりだんまりだ。マリスの護衛よろしく酔っ払いを追い払うくせに、彼女に対してどこか冷たい。そしてある夜、あまりにもツンケンするので問い詰めたところ、放って置くように言われてついに喧嘩になってしまった。
「そんなしかめっ面でご飯を食べないでくださいよ」
「あ? 虫の居所が悪くてな」
「……何か、あったんですか?」
マリスの質問には答えず、ギオは睨みつけるように彼女を見る。不機嫌な理由はわかりようもないが、八つ当たりされる筋合いもない。
(騎士ディオンの時はあんなに優しいのに)
お互い睨み合い、ギオが舌打ちをしながら目を逸らす。マリスが引かないと思ったのか、彼は乱暴に懐に手を突っ込むと、いつものように可愛らしいお菓子を出してきた。
「何ですか」
「何だ、いらないのか」
「いりません」
「あ?」
「いりません、と言ったんです!」
お菓子で何とかなるとでも思っているようなギオに、ついにマリスは爆発した。
ギオは、いつまでたっても何も話してくれない。
客と給仕という間柄から、いつまでたっても抜け出せない。
脈がないなら、中途半端に優しくしないで欲しい。
私をいったいどうしたいのか、説明して欲しい。
色々な感情がごちゃごちゃになって、鼻がツンと痛くなる。いつだって彼の前では笑顔でいたかったのに、今日はそれができそうにない。マリスは溢れそうになる涙を袖口で拭い、ギオをキッと睨みつける。
「私、何も悪いことなんてしてません」
「……そうだな」
「このところ、いつもいつも、おかしいのはギオさんじゃないですか」
「……ああ」
「迷惑なら、迷惑だって言ってください」
「……」
「私、そこまで馬鹿じゃないから言われたらわかります」
「……」
厨房からは、マリスを呼ぶ声が聞こえる。最早返事すらしてくれなくなったギオに、マリスは静かに告げた。
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