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第10話 男同士積もる話もあんのよ
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日和とのデートは、成功した。
日和が、一年ぶりに外出した。その事実だけでも嬉しいことなのに、日和は家に着いてから、
「お外に出るのは久しぶりでしたけど、楽しかったのです。もっと、お出かけしてみたいのです」
と言ってくれた。
それは俺が予想していた結果を良い意味で、完全に裏切っていた。
「ま、そんな訳で。お陰様で成功しました」
「それは何よりです。貴一坊ちゃん」
今日は日曜日。日和とのデートの翌日。
学校では模試があり、それが高二の一学期の初めに行う大規模なものだったので、終わる頃には日が暮れていた。
駅に向かって歩いている時に佐藤さんに出くわし、今に至る。
篠塚は一緒ではなかった。
生まれて初めて、バーなるものに来た。少し埃っぽい店内は薄暗く、燻った木のような香りが漂っている。
カフェとかで流れてるのとはまた違う、ジャズ成分多めの音楽が店内の空気を心地よく揺らす。
座っているカウンター席は木でできており、所々についている傷がこのバーの長い歴史を語っている。
まばらに居る客は背広を着た物憂げなサラリーマン風の人ばかりだ。
明日からまた始まる労働を案じ、グラスの酒をころがす。
そんな空間で高校の制服のままの俺は完全に浮いていた。
「坊ちゃんは何をお飲みになりますか?」
「えっと、何があるかとかよく分からないけど·····烏龍茶で」
「分かりました」
佐藤さんは指を慣らして、初老のマスターを呼び、注文を伝える。
「烏龍茶とバーデンを」
いつもスーツでビシッと決めている佐藤さん。こういう雰囲気の店にすごくお似合いだ。
「今日は篠塚の送り迎えとか無かったんですか?」
「はい。休日の送り迎えは他の者がやることになっております」
「へー」
「椋薇様がいらっしゃらないので、ガッカリしましたか?」
「そ、そんなわけないじゃないですかっ。あんな、騒がしいやつ·····」
俺は少し狼狽する。
「佐藤さま。ご注文の品でございます」
マスターが頼んだ烏龍茶を俺の前にコースターを敷いて置いてくれた。
佐藤さんも頼んでいたお酒を手渡しで貰った。
「ありがとう」
マスターにチップを渡し、そう言った。
大人の男って感じがして格好いい。
酒が入ったグラスを佐藤さんが回す。氷がグラスに当たるカラカラという音が心地よく俺の耳に入る。
「騒がしい·····ですか。それは佐藤にとっては喜ばしいことです」
俺の方は向かず、カウンターの方を見つめながら、そう言った。
「騒がしくて嬉しいって、どういう事ですか?」
俺の方を向くことなく、その問いに答える。
「私は、椋薇さまがお生まれになった時からずっと、椋薇様のお世話をしております。その中で特に椋薇様が生き生きとしていらっしゃる時期が二つございます」
「その時期って?」
「幼稚園に通っていらっしゃった時期と、そして今でございます」
「それって·····」
「はい。どちらも貴方様がお近くにいらっしゃる時期です」
少しだけ酒を喉に流して、佐藤さんは続ける。
「私が初めて貴一坊ちゃんの名を知ったのは、椋薇様が幼稚園に通い初め、3ヶ月ほど経った時でした。
送迎のお車の中で椋薇様が『ねえ。さとう。りょーびね、きーくんとけっこんするのっ』と仰り、佐藤に婚約書をお見せになったのです。
とても驚きましたが、
その時の椋薇様の嬉しそうな笑みは瞼に焼き付いています。
幼稚園を卒園なさり、離れ離れになってからも、椋薇様は貴一坊ちゃんの事を忘れることはありませんでした。
小学生の時はランドセルにいつも貴一坊ちゃんと交わした婚約書を入れていらっしゃいました。
そうそう、小学三年生の時には一度その婚約書を無くし、泣きながら探すなんて事もありました·····」
「そんなことが·····」
「椋薇様は何かつらい事がある度に、あの婚約書を見て、元気を出していました。良家のお嬢様なので数々の苦労がありました。
それを乗り越えられたのも、あの婚約書のおかげだったと佐藤は思っております」
佐藤さんの瞳が潤む。声も少し震えていた。
「あの婚約書をそんなに大事にしていたのか·····。幼稚園の時、相当仲の良い友達だったんだろうな」
「覚えていないのですか?」
「はい。幼稚園の事はあんまり·····。篠塚の事も覚えていません」
佐藤さんは手に持ったグラスを覗きながら、
「やはりそうでしたか。幼稚園の時はとても仲が良かった様なので、高校で再会したのに、椋薇様の正式な婚約を申し込みを断ったのは、妙だと思っていました」
「あれが、正式な婚約申し込みだったんですか?!」
それらしい事は言ってたけど、正式なものだとは微塵も思っていなかった。
「はい。もちろんです」
もちろん·····?
いきなり婚約申し込みって·····佐藤さんはしっかりしているように見えるけど、さすが篠塚の使用人だけあって肝心なところで頭のネジが二本ぐらい飛んでるみたいだな。
良家のお嬢様が、「私、幼稚園の時に婚約した人と正式に婚約申し込んでくるから」と言い出したら、一般的な使用人なら絶対に止めさせるだろ!
「あの、ほら、椋薇様って胸が豊かじゃないですか」
いきなり何言ってんだ。この人?
もしかして、その量の酒で酔ってんの?
「まあ、客観的に判断すると、篠塚の胸の豊かさは偏差値65をゆうに超えているでしょうね」
俺も何言ってんだろ。しかし、俺はオタク。いわば女性の容姿を愛でることに関しては専門家だ。
発言しない訳には行かなかった。
「今どきの男子高校生なんて、胸でしか女性を見てませんから、婚約を断られたりしないと思ったのですが·····」
「誤解ですよ。俺は二の腕の方が好きです」
「私はほっぺが好みですね」
「ほっぺですか·····分かります」
「ですよね·····」
いつの間にか自分のフェチズムに話題が切り替わってしまった。
それから、酔い始めた佐藤さんと色々な話で盛り上がった。
篠塚の昔話とか、佐藤さんが昔はプレイボーイだった話とか。
そんな他愛ない話。
ひとしきり話して、俺は何気なく時計を見た。
そろそろ家に帰らなければ行けない時間が来ていることに気づいた。家に帰って日和に晩御飯作ってやらないと·····。
「佐藤さん。誘って頂いて申し訳ないですが·····あと十分ぐらいでここを出ないといけなくて·····」
俺は頭を下げる。背負っているリュックサックが後頭部に当たる。
「いえ。とんでもないです。頭上げてください。一方的に誘ったのは私の方ですので·····」
「今日はごちそうさまでした」
俺は話をしながらパフェをご馳走になった。
「こちらこそ、お付き合い頂き、ありがとうございました」
そう言って佐藤さんは深深と頭を下げる。
頭を下げてしばし静止していたが、何かを思い出したように、ビクッと起き上がった。
「話が楽しくて今日の本題を話すのを忘れていました!」
「え? 今日何か話したい事があって俺を誘ったんですか?」
「今日、貴一坊ちゃんをお招きしたのは、日和様との外出が成功したのかと·····」
「それは話しましたね」
「·····はい。それと、成功したなら、次の段階について相談しようと思いまして」
「次の段階って、日和が外に出れるようになったから、次は学校に行きやすくなるように予め友達を作っておくってやつですよね?」
「はい。その通りです。その予め友達になるお方をどうしようかという相談がしたかったのです」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。あてがあります」
「本当ですか?」
「はい。一年の女子で一人頼めそうな人がいます。まだ俺は面識ないですけど·····」
「そうでしたか。それでは何がございましたら、私にお言い下さい。できる限り、お力になります」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、俺は扉を開け、バーから出た。
春だと言うのに、夜はまだ少し肌寒い。
今晩は満月。
駅まで続く桜並木の葉桜が光を受けながら、風に枝をゆらす。
さて、今晩の夕食は何にしようかな·····
日和が、一年ぶりに外出した。その事実だけでも嬉しいことなのに、日和は家に着いてから、
「お外に出るのは久しぶりでしたけど、楽しかったのです。もっと、お出かけしてみたいのです」
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それは俺が予想していた結果を良い意味で、完全に裏切っていた。
「ま、そんな訳で。お陰様で成功しました」
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駅に向かって歩いている時に佐藤さんに出くわし、今に至る。
篠塚は一緒ではなかった。
生まれて初めて、バーなるものに来た。少し埃っぽい店内は薄暗く、燻った木のような香りが漂っている。
カフェとかで流れてるのとはまた違う、ジャズ成分多めの音楽が店内の空気を心地よく揺らす。
座っているカウンター席は木でできており、所々についている傷がこのバーの長い歴史を語っている。
まばらに居る客は背広を着た物憂げなサラリーマン風の人ばかりだ。
明日からまた始まる労働を案じ、グラスの酒をころがす。
そんな空間で高校の制服のままの俺は完全に浮いていた。
「坊ちゃんは何をお飲みになりますか?」
「えっと、何があるかとかよく分からないけど·····烏龍茶で」
「分かりました」
佐藤さんは指を慣らして、初老のマスターを呼び、注文を伝える。
「烏龍茶とバーデンを」
いつもスーツでビシッと決めている佐藤さん。こういう雰囲気の店にすごくお似合いだ。
「今日は篠塚の送り迎えとか無かったんですか?」
「はい。休日の送り迎えは他の者がやることになっております」
「へー」
「椋薇様がいらっしゃらないので、ガッカリしましたか?」
「そ、そんなわけないじゃないですかっ。あんな、騒がしいやつ·····」
俺は少し狼狽する。
「佐藤さま。ご注文の品でございます」
マスターが頼んだ烏龍茶を俺の前にコースターを敷いて置いてくれた。
佐藤さんも頼んでいたお酒を手渡しで貰った。
「ありがとう」
マスターにチップを渡し、そう言った。
大人の男って感じがして格好いい。
酒が入ったグラスを佐藤さんが回す。氷がグラスに当たるカラカラという音が心地よく俺の耳に入る。
「騒がしい·····ですか。それは佐藤にとっては喜ばしいことです」
俺の方は向かず、カウンターの方を見つめながら、そう言った。
「騒がしくて嬉しいって、どういう事ですか?」
俺の方を向くことなく、その問いに答える。
「私は、椋薇さまがお生まれになった時からずっと、椋薇様のお世話をしております。その中で特に椋薇様が生き生きとしていらっしゃる時期が二つございます」
「その時期って?」
「幼稚園に通っていらっしゃった時期と、そして今でございます」
「それって·····」
「はい。どちらも貴方様がお近くにいらっしゃる時期です」
少しだけ酒を喉に流して、佐藤さんは続ける。
「私が初めて貴一坊ちゃんの名を知ったのは、椋薇様が幼稚園に通い初め、3ヶ月ほど経った時でした。
送迎のお車の中で椋薇様が『ねえ。さとう。りょーびね、きーくんとけっこんするのっ』と仰り、佐藤に婚約書をお見せになったのです。
とても驚きましたが、
その時の椋薇様の嬉しそうな笑みは瞼に焼き付いています。
幼稚園を卒園なさり、離れ離れになってからも、椋薇様は貴一坊ちゃんの事を忘れることはありませんでした。
小学生の時はランドセルにいつも貴一坊ちゃんと交わした婚約書を入れていらっしゃいました。
そうそう、小学三年生の時には一度その婚約書を無くし、泣きながら探すなんて事もありました·····」
「そんなことが·····」
「椋薇様は何かつらい事がある度に、あの婚約書を見て、元気を出していました。良家のお嬢様なので数々の苦労がありました。
それを乗り越えられたのも、あの婚約書のおかげだったと佐藤は思っております」
佐藤さんの瞳が潤む。声も少し震えていた。
「あの婚約書をそんなに大事にしていたのか·····。幼稚園の時、相当仲の良い友達だったんだろうな」
「覚えていないのですか?」
「はい。幼稚園の事はあんまり·····。篠塚の事も覚えていません」
佐藤さんは手に持ったグラスを覗きながら、
「やはりそうでしたか。幼稚園の時はとても仲が良かった様なので、高校で再会したのに、椋薇様の正式な婚約を申し込みを断ったのは、妙だと思っていました」
「あれが、正式な婚約申し込みだったんですか?!」
それらしい事は言ってたけど、正式なものだとは微塵も思っていなかった。
「はい。もちろんです」
もちろん·····?
いきなり婚約申し込みって·····佐藤さんはしっかりしているように見えるけど、さすが篠塚の使用人だけあって肝心なところで頭のネジが二本ぐらい飛んでるみたいだな。
良家のお嬢様が、「私、幼稚園の時に婚約した人と正式に婚約申し込んでくるから」と言い出したら、一般的な使用人なら絶対に止めさせるだろ!
「あの、ほら、椋薇様って胸が豊かじゃないですか」
いきなり何言ってんだ。この人?
もしかして、その量の酒で酔ってんの?
「まあ、客観的に判断すると、篠塚の胸の豊かさは偏差値65をゆうに超えているでしょうね」
俺も何言ってんだろ。しかし、俺はオタク。いわば女性の容姿を愛でることに関しては専門家だ。
発言しない訳には行かなかった。
「今どきの男子高校生なんて、胸でしか女性を見てませんから、婚約を断られたりしないと思ったのですが·····」
「誤解ですよ。俺は二の腕の方が好きです」
「私はほっぺが好みですね」
「ほっぺですか·····分かります」
「ですよね·····」
いつの間にか自分のフェチズムに話題が切り替わってしまった。
それから、酔い始めた佐藤さんと色々な話で盛り上がった。
篠塚の昔話とか、佐藤さんが昔はプレイボーイだった話とか。
そんな他愛ない話。
ひとしきり話して、俺は何気なく時計を見た。
そろそろ家に帰らなければ行けない時間が来ていることに気づいた。家に帰って日和に晩御飯作ってやらないと·····。
「佐藤さん。誘って頂いて申し訳ないですが·····あと十分ぐらいでここを出ないといけなくて·····」
俺は頭を下げる。背負っているリュックサックが後頭部に当たる。
「いえ。とんでもないです。頭上げてください。一方的に誘ったのは私の方ですので·····」
「今日はごちそうさまでした」
俺は話をしながらパフェをご馳走になった。
「こちらこそ、お付き合い頂き、ありがとうございました」
そう言って佐藤さんは深深と頭を下げる。
頭を下げてしばし静止していたが、何かを思い出したように、ビクッと起き上がった。
「話が楽しくて今日の本題を話すのを忘れていました!」
「え? 今日何か話したい事があって俺を誘ったんですか?」
「今日、貴一坊ちゃんをお招きしたのは、日和様との外出が成功したのかと·····」
「それは話しましたね」
「·····はい。それと、成功したなら、次の段階について相談しようと思いまして」
「次の段階って、日和が外に出れるようになったから、次は学校に行きやすくなるように予め友達を作っておくってやつですよね?」
「はい。その通りです。その予め友達になるお方をどうしようかという相談がしたかったのです」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。あてがあります」
「本当ですか?」
「はい。一年の女子で一人頼めそうな人がいます。まだ俺は面識ないですけど·····」
「そうでしたか。それでは何がございましたら、私にお言い下さい。できる限り、お力になります」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、俺は扉を開け、バーから出た。
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