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3章:静かなる祈り
祈るということ
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それから、しばらくたったある日の朝、クラリスたちは、エルバの家に呼ばれていた。ただ、この日のエルバの様子は、以前とは違っていた。ただの痛みとは思えない様子で、腹部を抑えて苦しそうに背中を丸めている。
そのエルバの様子にクラリスは茫然としていた。
呼吸は浅く、その虚空にある視線も、何かをとらえているのか、いないのか、もはや誰にもわからなかった。
ただ、確実に、その時が迫っていることは誰の目にも明らかだった。
「エルバさん……」
クラリスは、どうしてよいかわからずその老女の名を呼んでいた。
「ずっと、夜中から唸っていて……見ていて辛くて……でも、加護師なんて呼ばないでいいって……」
納屋までクラリスを呼びに来た少女が泣きじゃくりながらそういった。
クラリスは、ただ見ていることしかできなかった。加護は完ぺきだった、そう思っていた。なのに──
セラヴィアは、軽く眉間にしわを寄せ、しばらくエルバの様子を見ていたが、やがて少女の方に向き直ると、優しい目をして言った。
「大丈夫、任せて……」
枕元へと歩み寄り、少し前かがみになった。痛みをこらえるようにしているエルバの両手に、そっと自分の手を添えると、優しく子守唄を歌うように耳元で何かを囁く。
セラヴィアの手が、薄い光に包まれた。光はエルバの呼吸に合わせて、その輝きを強めたり、弱めたりしている。やがて、その呼吸が穏やかになると、光も消えた。
「おばあ、ちゃん……?」
先ほどまでの様子とはうって変わり、ゆったりとした顔で、静かにまぶたを閉じているエルバの顔を見て、不安そうに、少女が声をかける。
「心配ないわ……今は、寝ているだけだから……でも……」
セラヴィアはためらうように口を噤んだ。
「……はい、わかっています。もう、長くはないと。皆でそう話していましたから……」
エルバの娘だろうか。すすり泣く少女の頭を優しくなでながら、中年の女性が答えた。
「そうね……加護で、よく眠れるようにはしたから……でも、たぶん明日までは……」
セラヴィアが言葉を濁すようにそう言うと、女性は小さくため息をつく。
「……セラヴィアさん。母を看てくださってありがとうございました」
エルバの娘は深々と頭を下げた。
「エルバ婆は……あ、……エルバさんは……『無駄な加護はやめてくれ』って、言っていたんだけど……」
セラヴィアは、ちらりと、少女を見た。
「孫のためなら……って……許してくれるかしらね……」
わずかに涙を含んだ声で、少女の母が答える。
「……だと思いますよ。ほら、見てください……あの顔」
気づけば、少女がエルバの枕元で、何かを話しかけている。
その寝顔は、うっすらと笑みを浮かべているかのようだった。
──帰り道、ぽつりと、セラヴィアは言った。
「足だけじゃなかったのかもね……」
クラリスははっとした。
「私、歩けないって聞いて……それで……それに、加護を当てたあとは、元気そうにお話しされていたのに……」
クラリスは、まだ何も考えられなかった。あの時、気付いてれば、もう少し何かできていたかもしれなかったのに――なんでもできるような気になっていた自分を責める。
「まあ、そんなときもあるわ……それに言ったでしょ、私。……エルバ婆はもう……って。加護じゃ逝くものまでは救えない──」
クラリスはセラヴィアの言葉に、顔を上げることができなかった。
村にそよぐ風が、二人の髪を寂しげに揺らす。
「できることを……したんだ……十分にね……わたしも、あなたも」
少し掠れた声で、セラヴィアが言った。
「セラヴィアさん……」
クラリスは、セラヴィアの背中に声をかけた。
反応は無かったが、その背中は、「聞いているよ」、と言っているかのようだった。
「加護って、あんな風にもできるんですね。何も治していないのに──でも、エルバさんも落ち着いて、家族のみんなもよかったって……」
加護とは、苦しみを取り除き、人を救う力。けれど、今セラヴィアが使った加護は、治すものではなかった。死を前にした者に、ただ安らぎを与えるための祈り。
セラヴィアは少し歩を緩めた。そして振り返って言った。
「……ああいうのは……数えきれないくらい見てきたから……」
セラヴィアは寂しそうに笑った。
これから、死に向かおうとするものに、何もできないのであればせめてと、これまでもそう願い、力を使い続けてきたのだろうか。その祈りには、『無駄なことを』と言い放つ者もいたに違いない。
クラリスは、彼女の加護の放つ、柔らかな光を思い出した。誰をも愛し、包み込むような光。
「……私も、どうすればセラヴィアさんのようにできるでしょうか……」
セラヴィアは少し考えるふうに頬に指をやる。
「……私のようにしなくたっていい……きっと、あなたには、あなたのやり方がある」
「でも──」
何かを言いかけたクラリスのその口を、セラヴィアの人差し指が塞いだ。
「……それでいいんじゃない……?」
セラヴィアは、悪戯っぽくそう言うと、また歩き出していた。
その夜──
エルバは、穏やかな顔のまま、永遠の眠りについた。
そのエルバの様子にクラリスは茫然としていた。
呼吸は浅く、その虚空にある視線も、何かをとらえているのか、いないのか、もはや誰にもわからなかった。
ただ、確実に、その時が迫っていることは誰の目にも明らかだった。
「エルバさん……」
クラリスは、どうしてよいかわからずその老女の名を呼んでいた。
「ずっと、夜中から唸っていて……見ていて辛くて……でも、加護師なんて呼ばないでいいって……」
納屋までクラリスを呼びに来た少女が泣きじゃくりながらそういった。
クラリスは、ただ見ていることしかできなかった。加護は完ぺきだった、そう思っていた。なのに──
セラヴィアは、軽く眉間にしわを寄せ、しばらくエルバの様子を見ていたが、やがて少女の方に向き直ると、優しい目をして言った。
「大丈夫、任せて……」
枕元へと歩み寄り、少し前かがみになった。痛みをこらえるようにしているエルバの両手に、そっと自分の手を添えると、優しく子守唄を歌うように耳元で何かを囁く。
セラヴィアの手が、薄い光に包まれた。光はエルバの呼吸に合わせて、その輝きを強めたり、弱めたりしている。やがて、その呼吸が穏やかになると、光も消えた。
「おばあ、ちゃん……?」
先ほどまでの様子とはうって変わり、ゆったりとした顔で、静かにまぶたを閉じているエルバの顔を見て、不安そうに、少女が声をかける。
「心配ないわ……今は、寝ているだけだから……でも……」
セラヴィアはためらうように口を噤んだ。
「……はい、わかっています。もう、長くはないと。皆でそう話していましたから……」
エルバの娘だろうか。すすり泣く少女の頭を優しくなでながら、中年の女性が答えた。
「そうね……加護で、よく眠れるようにはしたから……でも、たぶん明日までは……」
セラヴィアが言葉を濁すようにそう言うと、女性は小さくため息をつく。
「……セラヴィアさん。母を看てくださってありがとうございました」
エルバの娘は深々と頭を下げた。
「エルバ婆は……あ、……エルバさんは……『無駄な加護はやめてくれ』って、言っていたんだけど……」
セラヴィアは、ちらりと、少女を見た。
「孫のためなら……って……許してくれるかしらね……」
わずかに涙を含んだ声で、少女の母が答える。
「……だと思いますよ。ほら、見てください……あの顔」
気づけば、少女がエルバの枕元で、何かを話しかけている。
その寝顔は、うっすらと笑みを浮かべているかのようだった。
──帰り道、ぽつりと、セラヴィアは言った。
「足だけじゃなかったのかもね……」
クラリスははっとした。
「私、歩けないって聞いて……それで……それに、加護を当てたあとは、元気そうにお話しされていたのに……」
クラリスは、まだ何も考えられなかった。あの時、気付いてれば、もう少し何かできていたかもしれなかったのに――なんでもできるような気になっていた自分を責める。
「まあ、そんなときもあるわ……それに言ったでしょ、私。……エルバ婆はもう……って。加護じゃ逝くものまでは救えない──」
クラリスはセラヴィアの言葉に、顔を上げることができなかった。
村にそよぐ風が、二人の髪を寂しげに揺らす。
「できることを……したんだ……十分にね……わたしも、あなたも」
少し掠れた声で、セラヴィアが言った。
「セラヴィアさん……」
クラリスは、セラヴィアの背中に声をかけた。
反応は無かったが、その背中は、「聞いているよ」、と言っているかのようだった。
「加護って、あんな風にもできるんですね。何も治していないのに──でも、エルバさんも落ち着いて、家族のみんなもよかったって……」
加護とは、苦しみを取り除き、人を救う力。けれど、今セラヴィアが使った加護は、治すものではなかった。死を前にした者に、ただ安らぎを与えるための祈り。
セラヴィアは少し歩を緩めた。そして振り返って言った。
「……ああいうのは……数えきれないくらい見てきたから……」
セラヴィアは寂しそうに笑った。
これから、死に向かおうとするものに、何もできないのであればせめてと、これまでもそう願い、力を使い続けてきたのだろうか。その祈りには、『無駄なことを』と言い放つ者もいたに違いない。
クラリスは、彼女の加護の放つ、柔らかな光を思い出した。誰をも愛し、包み込むような光。
「……私も、どうすればセラヴィアさんのようにできるでしょうか……」
セラヴィアは少し考えるふうに頬に指をやる。
「……私のようにしなくたっていい……きっと、あなたには、あなたのやり方がある」
「でも──」
何かを言いかけたクラリスのその口を、セラヴィアの人差し指が塞いだ。
「……それでいいんじゃない……?」
セラヴィアは、悪戯っぽくそう言うと、また歩き出していた。
その夜──
エルバは、穏やかな顔のまま、永遠の眠りについた。
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