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第一章:兄上は、僕が嫌いですか?
プロローグ
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兄上を、愛していた。
その言葉を口に出せば、滑稽だと誰かが笑うかもしれない。
呪いに蝕まれた兄の手を、汚れたと罵る者もいた。
白く色の抜けた髪を見ては、魔族の落とし子だと陰で囁く声も、僕は知っている。
でも、兄上はとても美しかった。
どんな宝石より、どんな絵画よりも、僕には兄上が一番、綺麗に見えた。
触れられないその手も、睨まれれば凍りつきそうなその瞳も、
それでも僕にとっては、ずっと……ずっと、憧れだった。
──だから、好きになってしまったんだ。
血のつながった兄であろうと、
呪われた魔人のような存在だと言われようと、
僕にとって兄上は、世界で一番大切な人だった。
けれど。
兄上は、僕のことが大嫌いだった。
明るくて、誰にでも笑顔を向ける僕が疎ましかったのだろう。
僕を見つけるたび、兄上は冷たく視線を逸らし、歩幅を速めて逃げていった。
それでも、僕はその背中を追いかけ続けた。
「兄上、待って。僕も一緒に……!」
そのたびに、氷のような声が振り払う。
「鬱陶しい。近寄るな」
胸が軋んだ。けれど、嬉しかった。兄上が僕を“見た”ことが。
ほんの一瞬でも、言葉をくれたことが。
それだけで、僕の世界はまわっていた。
──でも、それも今日で終わりだ。
夜の図書室は、冷たく、静かだった。
炎の灯りがほのかに揺れ、長い影を作っている。
僕の目の前には、重く、黒い表紙の書があった。
その名は、《アル=アエノス》。
かつて世界を滅ぼしかけた魔術師が残した、封印された禁術書。
本来、触れてはならないはずの書物。
だけど僕は、誰にも見つからないよう鍵を盗み、何度も読み込んできた。
この呪いを解くためには、“対価”がいる。
それは命か、記憶か、魂か――あるいはすべて。
「それでもいい」
口に出すと、言葉がすっと体に馴染んだ。
胸の奥にある迷いが、すっと霧散していくのを感じた。
「兄上が……自由になれるのなら」
書の中心、ページの隙間に隠された術式の構文。
手に刻むべき印。血を媒介とした詠唱。
そして、心に思い描くべき“救いたい者の姿”。
兄上の顔が、はっきりと思い浮かぶ。
手を伸ばせば、届きそうなくらいに。
けれど、その幻に触れることはできない。
兄上に触れようとした人は、みんな傷ついた。
誰もが離れていった。
それでも僕は、兄上のそばにいた。
……でも、そばにいるだけでは、救えなかった。
――なら、変わるしかない。
僕が人でなくなってもいい。
この手が魔に染まっても、記憶を失っても、感情が削がれても。
兄上の呪いさえ解けるなら、それでいい。
「兄上……」
呟くように名前を呼ぶ。
もしかしたらそれが“兄上”と呼べる最後になるかもしれないことに、僕は気づいていた。
でも、それでもいい。
触れたかったんだ、兄上の髪に。
手に、胸に、頬に。
一度でいいから、名前を呼ばれてみたかったんだ。
「……好きでした」
部屋の奥で、風がそっとページを捲った。
蝋燭の火が一瞬だけ揺れ、僕の影が魔術陣の縁に重なる。
心臓が、高鳴っていた。
怖くないと、思っていた。
でも本当は――とても、怖い。
兄上が僕を忘れてしまったら。
僕自身が兄上を、思い出せなくなってしまったら。
それでも、
それでも、僕は――
手にナイフを握る。
詠唱を、胸の奥で反芻する。
最後に目を閉じたとき、浮かんだのは――
いつものように背を向けて歩いていく兄上の、後ろ姿だった。
その言葉を口に出せば、滑稽だと誰かが笑うかもしれない。
呪いに蝕まれた兄の手を、汚れたと罵る者もいた。
白く色の抜けた髪を見ては、魔族の落とし子だと陰で囁く声も、僕は知っている。
でも、兄上はとても美しかった。
どんな宝石より、どんな絵画よりも、僕には兄上が一番、綺麗に見えた。
触れられないその手も、睨まれれば凍りつきそうなその瞳も、
それでも僕にとっては、ずっと……ずっと、憧れだった。
──だから、好きになってしまったんだ。
血のつながった兄であろうと、
呪われた魔人のような存在だと言われようと、
僕にとって兄上は、世界で一番大切な人だった。
けれど。
兄上は、僕のことが大嫌いだった。
明るくて、誰にでも笑顔を向ける僕が疎ましかったのだろう。
僕を見つけるたび、兄上は冷たく視線を逸らし、歩幅を速めて逃げていった。
それでも、僕はその背中を追いかけ続けた。
「兄上、待って。僕も一緒に……!」
そのたびに、氷のような声が振り払う。
「鬱陶しい。近寄るな」
胸が軋んだ。けれど、嬉しかった。兄上が僕を“見た”ことが。
ほんの一瞬でも、言葉をくれたことが。
それだけで、僕の世界はまわっていた。
──でも、それも今日で終わりだ。
夜の図書室は、冷たく、静かだった。
炎の灯りがほのかに揺れ、長い影を作っている。
僕の目の前には、重く、黒い表紙の書があった。
その名は、《アル=アエノス》。
かつて世界を滅ぼしかけた魔術師が残した、封印された禁術書。
本来、触れてはならないはずの書物。
だけど僕は、誰にも見つからないよう鍵を盗み、何度も読み込んできた。
この呪いを解くためには、“対価”がいる。
それは命か、記憶か、魂か――あるいはすべて。
「それでもいい」
口に出すと、言葉がすっと体に馴染んだ。
胸の奥にある迷いが、すっと霧散していくのを感じた。
「兄上が……自由になれるのなら」
書の中心、ページの隙間に隠された術式の構文。
手に刻むべき印。血を媒介とした詠唱。
そして、心に思い描くべき“救いたい者の姿”。
兄上の顔が、はっきりと思い浮かぶ。
手を伸ばせば、届きそうなくらいに。
けれど、その幻に触れることはできない。
兄上に触れようとした人は、みんな傷ついた。
誰もが離れていった。
それでも僕は、兄上のそばにいた。
……でも、そばにいるだけでは、救えなかった。
――なら、変わるしかない。
僕が人でなくなってもいい。
この手が魔に染まっても、記憶を失っても、感情が削がれても。
兄上の呪いさえ解けるなら、それでいい。
「兄上……」
呟くように名前を呼ぶ。
もしかしたらそれが“兄上”と呼べる最後になるかもしれないことに、僕は気づいていた。
でも、それでもいい。
触れたかったんだ、兄上の髪に。
手に、胸に、頬に。
一度でいいから、名前を呼ばれてみたかったんだ。
「……好きでした」
部屋の奥で、風がそっとページを捲った。
蝋燭の火が一瞬だけ揺れ、僕の影が魔術陣の縁に重なる。
心臓が、高鳴っていた。
怖くないと、思っていた。
でも本当は――とても、怖い。
兄上が僕を忘れてしまったら。
僕自身が兄上を、思い出せなくなってしまったら。
それでも、
それでも、僕は――
手にナイフを握る。
詠唱を、胸の奥で反芻する。
最後に目を閉じたとき、浮かんだのは――
いつものように背を向けて歩いていく兄上の、後ろ姿だった。
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