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第十章

第三話 ナナミと転生馬

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「ナナミ」

 聞き覚えのある声が聞こえ、そちらに顔を向ける。すると、そこには研究所に居た時に、一緒に過ごしていたナナミが立っていた。

 彼女はその後、無言となってこちらに近付くと、俺の前に佇んだ。

「お前、ナナミではないな。姿形は一緒でも、身に纏うオーラと言うか、雰囲気が違う」

 俺に手を離せと言ったあの時、彼女の身に纏うオーラのような雰囲気が一変していた。当時は衝撃的な出来事だったので、頭の中が真っ白になっていたが、冷静さを取り戻した今なら、目の前にいるこの子がナナミであって、ナナミではないと言うことが理解できる。

『ほう、流石ナナミが敬愛している変態シスコン野郎であるな。まさか2度目の再会で見破るとは。では、改めて自己紹介をしようかのう。妾の名はカレンニサキホコル。異世界転生馬じゃ』

「異世界……転生馬……だと」

『そうじゃ。こちらの世界では、以前地球の人間が転生した歴史があるらしいではないか。その馬版だと思って頂ければ良い』

 カレンニサキホコルと名乗った人物? 人馬? いや、見た目はナナミだ。とりあえずは人として扱っておくか。彼女の言っていることは分かっている。けれど、脳がそれを理解するのを拒んでいた。

 無言でいると、彼女は再び口を開き、言葉を連ねた。

『お主が聞きたいことは大体分かる。どうして妾がナナミの肉体を使っているのかを離す前に、妾の経緯を話そうではないか。先程転生馬と言ったように、生前は異世界の競走馬として様々なレースに出走しておった。引退し、繁殖牝馬になった後も交配し、子を産み、老衰でこの世を去った。魂になった妾は、気が付くと見知らぬ場所に居った。そして目の前には競馬神と名乗る牝馬が居った』

 カレンニサキホコルの言葉は、まるで転生者物語を聞かされているような感覚になるほど、現実味を帯びていない。

『彼女は妾にこう言った【あなたはもう輪廻転生をすることはありません。何せあなたが輪廻転生をする頃には、馬は存在していない世界になっているからです。ですが、安心してください。あなたの魂は霊馬界に留まり、霊馬召喚で縁が結ばれれば、霊馬としてもう一度活躍することができるでしょう】その言葉を言うと、妾の前から消えた。妾はその女が言っている意味が何一つわからなかった』

 うん、俺もお前の言っている意味が分からない。霊馬界? 霊馬召喚? 何を言っているんだ?

『そんなある日、妾は何者かに呼ばれているような気がすると、体が少しずつ消えて行った。しかし恐怖と言う感情はなかった。その時の妾は【なるほど、これがあのメスが言っていた霊馬召喚と言うやつか】と思った。気が付くと妾は見知らぬ場所におったのだ。この時の妾は、霊馬召喚により召喚されたと思っておったよ。だから月並であるが妾はこう言った【問いましょう。あなたが妾の騎手であるか】と。しかし妾の前に居た男たちは、妾の言葉を聞いた途端に意味が分からないと言いたげな表情をしておった』

 次々と語り出すカレンニサキホコルだが、俺の理解が追い付いていかない。

 どうやら、1から10まで話さないと気がすまないタイプのようだ。

『その後、妾は自身の体を見て驚いた。肉体が馬ではなく、人の姿になっていたのだ。その後、色々と調べていると分かったのだ。この肉体は被験体ナンバー0773、ナナミと呼ばれる少女の者であること。彼女を最高の走者とするために、転生者物語を利用して異世界の名馬の魂を宿すと言う実験を行っていたのだと言うことが分かった』

 彼女の言葉を聞き、心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 つまり目の前の女の子はナナミのそっくりさんではなく、ナナミそのものなのだ。

「おい、ナナミはどうなっているんだ! 無事なんだよな! だって、俺と再会したときは普通に話していたんだ!」

 思わず立ち上がり、彼女の肩を掴む。

『妾に触れるではない!』

 カレンニサキホコルが足を上げて蹴り上げてきた。このままでは股間を蹴られると判断し、咄嗟に後方に下がろうとするも、後方にはベンチがあったので避けることができない。

 バランスを崩してしまった俺は再びベンチに座る形となってしまった。しかしそれが功を生したようで、彼女の蹴りは外れた。

『妾に触れて良いのは認めた霊馬騎手のみじゃ』

 後方に下がり、彼女は俺との距離を開いた。

『安心せい。本来なら妾の魂がナナミの魂を消滅させるはずらしかったのだが、実験は半分失敗したらしい。この肉体には、2つの魂が宿っていることになっておる。妾が眠れば、代わりにナナミが目覚めるであろう』

 ナナミが無事であることに安堵しつつも、研究所が行っている研究に怒りを覚える。

 異世界の魂を呼び寄せて、こちらの世界の人間に魂の移植をするとかふざけている。そんなものは、人間が行って良い領域ではないはずだ。

『ふぅ、しかしこの肉体には慣れないのぉ。二本足で立つのは正直に言ってきつい』

 愚痴を漏らすと、カレンニサキホコルは両手を地面に置いて四つん這いになる。

「ナナミの姿でそんな格好をするな!」

『別に良いではないか。お前さん以外人が居ないのだから』

「確かにそうだが、俺が見たくない! ちゃんと人間らしく二本足で立て」

『人間らしくって、今は妾が表に出ておる。中身は馬じゃぞ。人間らしくと言われても、そんなことをしてやる義理はないではないか』

 屁理屈を言うカレンニサキホコルに対して、ちょっとした苛立ちを覚える。軽く小突きたいが、肉体がナナミである以上、そんなことはできない。

『おや? 妾に言われて反撃もできないのか? あ、そうか。お主はこの肉体の持ち主を大切にしているのだな。やーい、シスコン! 変態! 下ネタ番号!』

 挑発する彼女の言葉をグッと堪える。もし、ここにアイリンが居たのであれば、代わりに彼女を小突いていたかもしれない。

 怒りの矛先を失っていると、カレンニサキホコルは額に手を置く。

『どうやらそろそろナナミが目覚めそうだ。目覚めた瞬間にお主の前に居させる訳にもいかぬ。では、さらばじゃ。もし、何かの機会があれば再び会おうではないか』

 カレンニサキホコルが踵を返すと、この場から走り去る。

「待ってくれ」

 彼女の背中に声をかけるも、当然ながら立ち止まることがなかった。
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