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【第10部】東の島国・トヨノクニ開国(物理)編 ~悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきます
第087話 収穫祭:お米の名は「タカニシキ」。……そして明かされる、前世の「最期」の記憶
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夜の帳が下りると、死に絶えていたはずの寒村は、かつてない熱気と歓喜に包まれた。
村の中央広場で焚かれた巨大な松明の炎が、人々の紅潮した顔を照らし出す。
乾燥してひび割れていた大地は、今は豊かな水と、何よりも「人の活気」で満ちていた。
「炊けたぞォォォッ!!」
誰かの叫び声と共に、広場の中央に据えられた、ミリア愛用の巨大な『焦げ付かぬ鍋』の蓋が開けられた。
ボワァッ……!
立ち上る濃厚な湯気。そして、風に乗って広がる甘く芳醇な香り。
それはただの穀物の匂いではない。大地と水と太陽、そしてアリスの聖なる魔力とミリアの執念が凝縮された、「生命」そのものの香りだ。
「こ、これが……おらたちの田の米……?!」
「光ってる……! 米粒が、宝石みてぇに光ってるぞ!」
村人たちが鍋を取り囲み、涙を流して拝んでいる。
飢餓に苦しみ、泥水を啜って生きてきた彼らにとって、この白く輝く穀物は、黄金よりも尊い救済の象徴だった。
ミリアとアリスが、休む間もなくしゃもじを振るい、竹の皮に乗せた握り飯を次々と配っていく。
具などない。海苔もない。ただの塩むすびだ。
咀嚼が難しいほど衰弱している者には粥が配られる。
けれど、今の彼らにとって、これ以上の御馳走はこの世に存在しない。
「うめぇ……! うめぇよぉ……!」
「母ちゃん、食ってくれ……! 生き返ってくれぇ……!」
ハフハフと熱い米を頬張る音。咀嚼するたびに溢れる嗚咽。
それは、地獄の底から這い上がった者たちによる、生への賛歌だった。
その光景を見ているだけで、胸の奥が熱くなる。
わたしは一人、その喧騒から少し離れた、村はずれの静かな丘の上へと足を運んだ。
眼下に広がる祭りの明かりを見下ろす場所に、腰を下ろす。
カエデは警備を兼ねてどこかの木の上に潜んでいるのだろう。
「……レヴィーネ様」
背後から、遠慮がちな声がかかった。
振り返ると、配膳を村の女性たちに任せてきたのだろう、ミリアとアリスが立っていた。
ミリアの手には、湯気を立てる二つのおにぎりが乗った皿がある。
「……ここにおられましたか」
「ええ。少し、酔ってしまったみたい。お米の匂いにね」
わたしは苦笑して、隣の地面をポンと叩いた。二人が並んで座る。
しばらくの間、無言の時間が流れた。
ただ、炎の音と、遠くから風に乗って聞こえる村人たちの笑い声だけが響く。
心地よい静寂だった。けれど、そこには昼間の「言い間違い」によって生じた、わずかな緊張感が漂っていた。
「……ミリア。昼間のことだけれど」
わたしが切り出すと、ミリアは膝の上で手をギュッと握りしめ、緊張した面持ちで顔を上げた。
その瞳には、不安と、それ以上の「知りたい」という強い意志が宿っていた。
「はい。……お待ちしておりました」
わたしは、自分の胸に手を当てた。
ドクン、ドクン。そこにある、強く脈打つ心臓。
けれど、記憶の奥底には、いつ止まるとも知れなかった、弱々しい鼓動の記憶が焼き付いている。
「隠していたわけじゃないの。ただ……信じてもらえるか分からなかったし、言う必要もないと思っていたから」
わたしは薪を一本、火にくべた。パチリ、と火の粉が舞い上がり、満天の星空へと消えていく。
「わたしにはね、前世の記憶があるの。『ニホン』という国で生まれた……向こうでの名前は、『鷹乃』といったわ」
わたしは、もう二度と名乗ることはないと思っていたその名を、口にした。
口に出した瞬間、当時の消毒液の匂いや、無機質な機械音がフラッシュバックする。
「今のわたしとは似ても似つかない、ただの病弱な小娘だった。生まれつき身体が弱くてね、学校にも行けず、病室の白い天井ばかり見て過ごしていた」
ミリアが息を呑む気配がする。
岩をも砕く最強の筋肉を持つ主人の口から語られる、「弱者」としての過去。それは彼女にとって想像を絶するものだろう。
「ベッドの上で寝返りを打つことさえ必死だった。……唯一の楽しみは、画面の向こうで戦うプロレスラーたちの姿を見ること。彼らの強靭な肉体、不屈の闘志に憧れて……いつか自分もあんな風に自由に動きたいと願いながら、若くして生涯を閉じたの」
そこまでは、アリスにも話したことがあったかもしれない。
けれど、ここから先は、誰にも言えなかった「痛み」だ。
「最期の日々は……もう、食事をすることさえできなかった」
わたしの声が、わずかに震える。
「喉を通らないの。飲み込む力さえ残っていなかった。点滴という管で、ただ生かされているだけ。……お腹が空いているのかどうかも分からない。ただ、魂が干からびていくような感覚だけがあった」
脳裏に浮かぶ光景がある。
白い病室。消毒液の匂い。そして、面会に来た母の姿。
彼女はいつも泣き腫らした目を隠すように笑っていた。
『鷹乃。……お母さんね、今日、早起きしておにぎり握ってきたの』
母が取り出したのは、ラップに包まれた小さなおにぎりだった。
コンビニのじゃない。歪で、不格好で、でも温かいおにぎり。中身は大好きな鮭だったはずだ。
『一口でいいから……お母さんが握ったのよ。ね?』
母の震える手が、おにぎりを私の口元へ運ぶ。
海苔の香り。ご飯の香り。
食べたい。本当は食べたい。お母さんのご飯を食べて、「美味しいね」って笑いたい。
――でも、体が拒絶する。
匂いを嗅いだだけで、吐き気がせり上がってくる。飲み込むための筋肉が、動いてくれない。
わたしは、首を横に振ることしかできなかった。
あのおにぎりを残してしまった時の、母の悲しそうな顔。震える手でそれを片付ける母の背中。
「ごめんね、無理させてごめんね」と、謝っていたのは母の方だった。
それが、わたしの前世最大の後悔。
最後の親不孝。
「だから、わたしは『強さ』と『食』に執着するの。……二度と、あんな惨めな思いをしたくないから」
わたしは拳を強く握りしめた。爪が食い込むほどに。
「自分の足で立ち、自分の手で掴み、自分の歯で噛み砕いて飲み込む。……それができることが、今のわたし……いいえ、かつての『鷹乃』にとっての、一番の願いだったのよ」
沈黙が落ちた。
ミリアは、袖で目元を拭っていた。何度も、何度も。
彼女はまっすぐにわたしを見ていた。憐れみではない。共感と、深い敬愛の眼差しで。
「……そう、だったのですね。レヴィーネ様が時折見せる、どこか遠くを見るような寂しい目。そして、誰もが諦めるような運命に、あんなにも激しく立ち向かう理由が……」
彼女の中で、これまでのわたしの行動の点と線が繋がっていくのがわかった。
なぜ、あれほどまでに健康にこだわるのか。
なぜ、飢えという理不尽を許さないのか。
その根源にあるのが、英雄的な正義感などではなく、個人的で切実な「痛み」の記憶だったことに、彼女は深く納得したようだった。
わたしが話し終えると、隣にいたアリスも小さく手を挙げた。
「……私にも、あるんだ」
アリスは膝を抱え、焚き火を見つめながら寂しげに笑った。
「私にも前世があるの。レヴィちゃんと同じ、『ニホン』っていう国で生まれて、育って……死んだ記憶が」
「アリスさんも……」
「時代はね、全然違うと思う。でもね、やっぱり似ているんだ、この国は。私たちの遠い遠い、故郷の空気に。お米の匂いも、人の優しさも。……だから、放っておけないんだよ。この国が『悲劇』で終わるなんて、絶対に見たくない」
アリスの言葉に、わたしも頷いた。
そうだ。ここは異世界だ。けれど、わたしたちの魂のルーツと共鳴する場所。
味噌の香り、醤油の味、そして白米の湯気。それらは単なる食料ではなく、わたしたちがかつて失った「日常」の象徴なのだ。
「ミリア。わたしがこの国にこだわる理由。……それは、ここがわたしの『魂のふるさと』だからなの」
やがて、ミリアはゆっくりと立ち上がり、わたしの正面に座り直した。
そして、深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます、レヴィーネ様。話してくださって」
顔を上げたミリアの瞳は、涙で濡れていたが、そこには揺るぎない決意の炎が燃えていた。
「私、やっと腑に落ちました。貴女様の強さの根源も、優しさの意味も。……そして、私がなすべきことも」
ミリアは、持っていた皿を恭しく差し出した。
湯気を立てる、二つの塩むすび。
具も海苔もない。ただ、ミリアが魂を込めて開発し、アリスが命を吹き込み、わたしが汗を流して育てた、結晶。
「どうぞ。……これが、レヴィーネ様の魂が求めていた味になっているか、確かめてください」
わたしはおにぎりを受け取った。
熱い。炊きたての熱が、指先から伝わってくる。
震える手で、それを口元へ運ぶ。
あの日の母の手の温もりが、重なる気がした。
「……いただきます」
ガブリ。
一口、大きく頬張る。
――瞬間。
口の中に、優しい宇宙が広がった。
噛み締めた瞬間に弾ける、お米の甘みと粘り。一粒一粒が立ち、口の中で踊るようだ。
喉を通る瞬間の、確かな質量。胃袋に落ちた瞬間に広がる、熱い活力。
拒絶はない。吐き気もない。
ただ、全身の細胞が歓喜している。
失っていたパズルのピースが、カチリとハマる音がした。
(……ああ。これだ)
わたしの目から、自然と涙がこぼれ落ちた。
悔し涙でも、怒りの涙でもない。
ただ、満たされたことへの感謝の涙。
「食べられる」ということが、こんなにも幸せなことだったなんて。
お母さん。わたし、今、食べてるよ。
美味しいよ。すごく、美味しいよ。
あの時残してしまったおにぎりの味、やっとわかった気がするよ。
「……本当に美味しいわ。ミリア」
涙が止まらなかった。
前世の母に、「美味しかったよ」と伝えられなかった後悔が、今、この味を通じて浄化されていく気がした。
あの時食べられなかったおにぎりを、今、別の形で受け取り、命に変えることができた。
「レ、レヴィーネ様……」
ミリアがもらい泣きをして、鼻をすする。アリスも目を潤ませて、自分のおにぎりを齧っている。
「……このお米に、名前をつけましょう」
わたしは涙を拭い、食べかけのおにぎりを愛おしそうに見つめて微笑んだ。
「トヨノクニの飢えを満たし、新しい活力となる、このお米に。……名を残す価値があるわ」
すると、ミリアが真剣な眼差しで、おずおずと提案した。
「……それなら……『タカニシキ』はどうでしょう?」
「え?」
「先ほど教えていただいた、レヴィーネ様の前世のお名前……『タカノ』様。……その魂の記憶を、このお米にいただけないでしょうか?」
ミリアは、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。
「空を舞う鷹のように高く飛び、故郷に錦を飾る。……そして、過去の悲しみを乗り越えて、未来を生きる糧にする。そんな願いを込めて」
タカニシキ。
わたしの過去と、未来を繋ぐ名前。
前世のわたしへの鎮魂歌であり、今世のわたしへの応援歌。
これ以上ない名前だ。
「……フフッ。最高ね。採用よ」
わたしは心からの笑顔で頷いた。
三人の心が、本当の意味で一つになった夜だった。
わたしは、タカニシキのおにぎりをもう一口頬張った。
塩気が、涙の味と混ざって、しょっぱくて、最高に甘かった。
――そして、その光景を。
村はずれの巨木の梢から、静かに見つめる影があった。
カエデだ。
彼女は、荒れ果てた村が黄金色に染まる奇跡と、異国の令嬢が見せた涙を、その目に焼き付けていた。
それは、ただの異邦人の気まぐれではない。
この国の根幹に関わる、巨大な情熱の奔流だと、忍びの勘が告げていた。
「……なんと。……鬼神の如き強さと、菩薩の如き慈悲。……これは、ただ事ではない」
カエデは懐から一羽の小さな鳥を取り出した。伝書鳩ならぬ、忍鳥だ。
彼女は震える手で文をしたため、鳥の足に結びつけた。
『主君、急がれたし。……この国を変える風が、今まさに吹き始めました』
カエデが手を放すと、鳥は一直線に、夜空へと舞い上がった。
目指すは中央、オワリの方角。
この一通の文が、眠れる獅子を呼び覚ますことになる。
村の中央広場で焚かれた巨大な松明の炎が、人々の紅潮した顔を照らし出す。
乾燥してひび割れていた大地は、今は豊かな水と、何よりも「人の活気」で満ちていた。
「炊けたぞォォォッ!!」
誰かの叫び声と共に、広場の中央に据えられた、ミリア愛用の巨大な『焦げ付かぬ鍋』の蓋が開けられた。
ボワァッ……!
立ち上る濃厚な湯気。そして、風に乗って広がる甘く芳醇な香り。
それはただの穀物の匂いではない。大地と水と太陽、そしてアリスの聖なる魔力とミリアの執念が凝縮された、「生命」そのものの香りだ。
「こ、これが……おらたちの田の米……?!」
「光ってる……! 米粒が、宝石みてぇに光ってるぞ!」
村人たちが鍋を取り囲み、涙を流して拝んでいる。
飢餓に苦しみ、泥水を啜って生きてきた彼らにとって、この白く輝く穀物は、黄金よりも尊い救済の象徴だった。
ミリアとアリスが、休む間もなくしゃもじを振るい、竹の皮に乗せた握り飯を次々と配っていく。
具などない。海苔もない。ただの塩むすびだ。
咀嚼が難しいほど衰弱している者には粥が配られる。
けれど、今の彼らにとって、これ以上の御馳走はこの世に存在しない。
「うめぇ……! うめぇよぉ……!」
「母ちゃん、食ってくれ……! 生き返ってくれぇ……!」
ハフハフと熱い米を頬張る音。咀嚼するたびに溢れる嗚咽。
それは、地獄の底から這い上がった者たちによる、生への賛歌だった。
その光景を見ているだけで、胸の奥が熱くなる。
わたしは一人、その喧騒から少し離れた、村はずれの静かな丘の上へと足を運んだ。
眼下に広がる祭りの明かりを見下ろす場所に、腰を下ろす。
カエデは警備を兼ねてどこかの木の上に潜んでいるのだろう。
「……レヴィーネ様」
背後から、遠慮がちな声がかかった。
振り返ると、配膳を村の女性たちに任せてきたのだろう、ミリアとアリスが立っていた。
ミリアの手には、湯気を立てる二つのおにぎりが乗った皿がある。
「……ここにおられましたか」
「ええ。少し、酔ってしまったみたい。お米の匂いにね」
わたしは苦笑して、隣の地面をポンと叩いた。二人が並んで座る。
しばらくの間、無言の時間が流れた。
ただ、炎の音と、遠くから風に乗って聞こえる村人たちの笑い声だけが響く。
心地よい静寂だった。けれど、そこには昼間の「言い間違い」によって生じた、わずかな緊張感が漂っていた。
「……ミリア。昼間のことだけれど」
わたしが切り出すと、ミリアは膝の上で手をギュッと握りしめ、緊張した面持ちで顔を上げた。
その瞳には、不安と、それ以上の「知りたい」という強い意志が宿っていた。
「はい。……お待ちしておりました」
わたしは、自分の胸に手を当てた。
ドクン、ドクン。そこにある、強く脈打つ心臓。
けれど、記憶の奥底には、いつ止まるとも知れなかった、弱々しい鼓動の記憶が焼き付いている。
「隠していたわけじゃないの。ただ……信じてもらえるか分からなかったし、言う必要もないと思っていたから」
わたしは薪を一本、火にくべた。パチリ、と火の粉が舞い上がり、満天の星空へと消えていく。
「わたしにはね、前世の記憶があるの。『ニホン』という国で生まれた……向こうでの名前は、『鷹乃』といったわ」
わたしは、もう二度と名乗ることはないと思っていたその名を、口にした。
口に出した瞬間、当時の消毒液の匂いや、無機質な機械音がフラッシュバックする。
「今のわたしとは似ても似つかない、ただの病弱な小娘だった。生まれつき身体が弱くてね、学校にも行けず、病室の白い天井ばかり見て過ごしていた」
ミリアが息を呑む気配がする。
岩をも砕く最強の筋肉を持つ主人の口から語られる、「弱者」としての過去。それは彼女にとって想像を絶するものだろう。
「ベッドの上で寝返りを打つことさえ必死だった。……唯一の楽しみは、画面の向こうで戦うプロレスラーたちの姿を見ること。彼らの強靭な肉体、不屈の闘志に憧れて……いつか自分もあんな風に自由に動きたいと願いながら、若くして生涯を閉じたの」
そこまでは、アリスにも話したことがあったかもしれない。
けれど、ここから先は、誰にも言えなかった「痛み」だ。
「最期の日々は……もう、食事をすることさえできなかった」
わたしの声が、わずかに震える。
「喉を通らないの。飲み込む力さえ残っていなかった。点滴という管で、ただ生かされているだけ。……お腹が空いているのかどうかも分からない。ただ、魂が干からびていくような感覚だけがあった」
脳裏に浮かぶ光景がある。
白い病室。消毒液の匂い。そして、面会に来た母の姿。
彼女はいつも泣き腫らした目を隠すように笑っていた。
『鷹乃。……お母さんね、今日、早起きしておにぎり握ってきたの』
母が取り出したのは、ラップに包まれた小さなおにぎりだった。
コンビニのじゃない。歪で、不格好で、でも温かいおにぎり。中身は大好きな鮭だったはずだ。
『一口でいいから……お母さんが握ったのよ。ね?』
母の震える手が、おにぎりを私の口元へ運ぶ。
海苔の香り。ご飯の香り。
食べたい。本当は食べたい。お母さんのご飯を食べて、「美味しいね」って笑いたい。
――でも、体が拒絶する。
匂いを嗅いだだけで、吐き気がせり上がってくる。飲み込むための筋肉が、動いてくれない。
わたしは、首を横に振ることしかできなかった。
あのおにぎりを残してしまった時の、母の悲しそうな顔。震える手でそれを片付ける母の背中。
「ごめんね、無理させてごめんね」と、謝っていたのは母の方だった。
それが、わたしの前世最大の後悔。
最後の親不孝。
「だから、わたしは『強さ』と『食』に執着するの。……二度と、あんな惨めな思いをしたくないから」
わたしは拳を強く握りしめた。爪が食い込むほどに。
「自分の足で立ち、自分の手で掴み、自分の歯で噛み砕いて飲み込む。……それができることが、今のわたし……いいえ、かつての『鷹乃』にとっての、一番の願いだったのよ」
沈黙が落ちた。
ミリアは、袖で目元を拭っていた。何度も、何度も。
彼女はまっすぐにわたしを見ていた。憐れみではない。共感と、深い敬愛の眼差しで。
「……そう、だったのですね。レヴィーネ様が時折見せる、どこか遠くを見るような寂しい目。そして、誰もが諦めるような運命に、あんなにも激しく立ち向かう理由が……」
彼女の中で、これまでのわたしの行動の点と線が繋がっていくのがわかった。
なぜ、あれほどまでに健康にこだわるのか。
なぜ、飢えという理不尽を許さないのか。
その根源にあるのが、英雄的な正義感などではなく、個人的で切実な「痛み」の記憶だったことに、彼女は深く納得したようだった。
わたしが話し終えると、隣にいたアリスも小さく手を挙げた。
「……私にも、あるんだ」
アリスは膝を抱え、焚き火を見つめながら寂しげに笑った。
「私にも前世があるの。レヴィちゃんと同じ、『ニホン』っていう国で生まれて、育って……死んだ記憶が」
「アリスさんも……」
「時代はね、全然違うと思う。でもね、やっぱり似ているんだ、この国は。私たちの遠い遠い、故郷の空気に。お米の匂いも、人の優しさも。……だから、放っておけないんだよ。この国が『悲劇』で終わるなんて、絶対に見たくない」
アリスの言葉に、わたしも頷いた。
そうだ。ここは異世界だ。けれど、わたしたちの魂のルーツと共鳴する場所。
味噌の香り、醤油の味、そして白米の湯気。それらは単なる食料ではなく、わたしたちがかつて失った「日常」の象徴なのだ。
「ミリア。わたしがこの国にこだわる理由。……それは、ここがわたしの『魂のふるさと』だからなの」
やがて、ミリアはゆっくりと立ち上がり、わたしの正面に座り直した。
そして、深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます、レヴィーネ様。話してくださって」
顔を上げたミリアの瞳は、涙で濡れていたが、そこには揺るぎない決意の炎が燃えていた。
「私、やっと腑に落ちました。貴女様の強さの根源も、優しさの意味も。……そして、私がなすべきことも」
ミリアは、持っていた皿を恭しく差し出した。
湯気を立てる、二つの塩むすび。
具も海苔もない。ただ、ミリアが魂を込めて開発し、アリスが命を吹き込み、わたしが汗を流して育てた、結晶。
「どうぞ。……これが、レヴィーネ様の魂が求めていた味になっているか、確かめてください」
わたしはおにぎりを受け取った。
熱い。炊きたての熱が、指先から伝わってくる。
震える手で、それを口元へ運ぶ。
あの日の母の手の温もりが、重なる気がした。
「……いただきます」
ガブリ。
一口、大きく頬張る。
――瞬間。
口の中に、優しい宇宙が広がった。
噛み締めた瞬間に弾ける、お米の甘みと粘り。一粒一粒が立ち、口の中で踊るようだ。
喉を通る瞬間の、確かな質量。胃袋に落ちた瞬間に広がる、熱い活力。
拒絶はない。吐き気もない。
ただ、全身の細胞が歓喜している。
失っていたパズルのピースが、カチリとハマる音がした。
(……ああ。これだ)
わたしの目から、自然と涙がこぼれ落ちた。
悔し涙でも、怒りの涙でもない。
ただ、満たされたことへの感謝の涙。
「食べられる」ということが、こんなにも幸せなことだったなんて。
お母さん。わたし、今、食べてるよ。
美味しいよ。すごく、美味しいよ。
あの時残してしまったおにぎりの味、やっとわかった気がするよ。
「……本当に美味しいわ。ミリア」
涙が止まらなかった。
前世の母に、「美味しかったよ」と伝えられなかった後悔が、今、この味を通じて浄化されていく気がした。
あの時食べられなかったおにぎりを、今、別の形で受け取り、命に変えることができた。
「レ、レヴィーネ様……」
ミリアがもらい泣きをして、鼻をすする。アリスも目を潤ませて、自分のおにぎりを齧っている。
「……このお米に、名前をつけましょう」
わたしは涙を拭い、食べかけのおにぎりを愛おしそうに見つめて微笑んだ。
「トヨノクニの飢えを満たし、新しい活力となる、このお米に。……名を残す価値があるわ」
すると、ミリアが真剣な眼差しで、おずおずと提案した。
「……それなら……『タカニシキ』はどうでしょう?」
「え?」
「先ほど教えていただいた、レヴィーネ様の前世のお名前……『タカノ』様。……その魂の記憶を、このお米にいただけないでしょうか?」
ミリアは、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。
「空を舞う鷹のように高く飛び、故郷に錦を飾る。……そして、過去の悲しみを乗り越えて、未来を生きる糧にする。そんな願いを込めて」
タカニシキ。
わたしの過去と、未来を繋ぐ名前。
前世のわたしへの鎮魂歌であり、今世のわたしへの応援歌。
これ以上ない名前だ。
「……フフッ。最高ね。採用よ」
わたしは心からの笑顔で頷いた。
三人の心が、本当の意味で一つになった夜だった。
わたしは、タカニシキのおにぎりをもう一口頬張った。
塩気が、涙の味と混ざって、しょっぱくて、最高に甘かった。
――そして、その光景を。
村はずれの巨木の梢から、静かに見つめる影があった。
カエデだ。
彼女は、荒れ果てた村が黄金色に染まる奇跡と、異国の令嬢が見せた涙を、その目に焼き付けていた。
それは、ただの異邦人の気まぐれではない。
この国の根幹に関わる、巨大な情熱の奔流だと、忍びの勘が告げていた。
「……なんと。……鬼神の如き強さと、菩薩の如き慈悲。……これは、ただ事ではない」
カエデは懐から一羽の小さな鳥を取り出した。伝書鳩ならぬ、忍鳥だ。
彼女は震える手で文をしたため、鳥の足に結びつけた。
『主君、急がれたし。……この国を変える風が、今まさに吹き始めました』
カエデが手を放すと、鳥は一直線に、夜空へと舞い上がった。
目指すは中央、オワリの方角。
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この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
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