悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~

みやもと春九堂@月館望男

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【第10部】東の島国・トヨノクニ開国(物理)編 ~悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきます

第086話 寒村の奇跡:泥水を啜る少女は見過ごせない。私の「秘蔵コレクション(肥料)」で大地を蘇らせます!

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 カエデの案内で山を越えた先にあったのは、地図には「豊かな穀倉地帯」と記されているはずの場所だった。
 だが、現実は残酷だった。

 峠から見下ろしたその村は、まるで巨大な何かに精気を吸い尽くされた抜け殻のように、灰色に沈んでいた。
 水田は干上がり、亀の甲羅のように無惨にひび割れている。あぜ道には枯れた雑草だけが茂り、風が吹くたびに乾いた土埃が舞い上がる。
 家々の屋根は落ち、壁は崩れかけている。

 そして何より、音がなかった。
 人の話し声も、家畜の鳴き声も、生活の音が一切しない。ただ、乾燥した風がヒューと吹き抜ける音だけが、耳障りに響いている。死の静寂だ。

「……ひどい。ここ、人が住んでいるの?」
 アリスが不安そうに声を震わせる。
「生き物の気配が……薄すぎます」
 ミリアもリュックのベルトを握りしめ、表情を曇らせる。

 わたしたちが村の広場に入ると、ようやく人の姿が見えた。
 だが、それは「生きている」というよりは、「死んでいないだけ」の存在だった。

 骨と皮だけになった老人たちが、軒先で虚ろな目を空に向けて座り込んでいる。彼らの体は枯れ木のように細く、呼吸をしているのかどうかも怪しい。
 泥と垢にまみれた子供たちが、動かなくなった母親らしき女性の側で、力なく座り込んでいる。
 彼らの目は、わたしたちを見ても反応しない。
 希望も絶望も通り越した、感情のない「無」の瞳。今日を生き延びることすら諦め、ただ終わりの時を待つだけの目だ。

 その中の一人、まだ五歳にも満たないであろう幼い少女が、地面を這うようにして井戸の方へ近づいていた。
 しかし、井戸のつるべは壊れ、中を覗いても枯れ果てているのは明らかだ。
 少女は諦めず、その横にある、雨水が溜まった水桶に手を伸ばした。
 中には、ボウフラが湧き、藻が浮いた濁った泥水がわずかに残っているだけだ。

 少女は震える手でその泥水を掬い、乾いた唇に運ぼうとしている。

「……っ!」

 わたしの心臓が、早鐘を打った。
 脳裏に、鮮烈なフラッシュバックが走る。

 ――真っ白な病室。無機質な天井。
 喉が渇いても、水を飲むことさえ許されなかった日々。
 点滴の管に繋がれ、ただ「生かされている」だけの時間。

 『お水……飲みたい……』
 『だめよ鷹乃ちゃん、誤嚥しちゃうから……唇を湿らせるだけにしましょうね』

 看護師さんの優しくも残酷な言葉。
 渇き。圧倒的な渇き。
 生きるために必要なものを取り込めない、根源的な恐怖と無力感。

 胸が締め付けられる。
 この子は、戦ってすらいない。戦うためのリングに上がる前に、大人の都合で、国の都合で、理不尽に命を削られている。
 こんなことが、許されていいはずがない。

 わたしは馬から飛び降りた。
 ドレスの裾が汚れるのも構わず、疾風のように駆け寄って少女の腕を掴む。

「ダメよ! そんなものを飲んだら体を壊すわ!」

 少女はビクリと震え、怯えた目でわたしを見上げた。
 その瞳には、光がない。ただ、飢えと渇きへの本能的な恐怖だけがある。

「……みず……のみたい……」

 カサカサの声。枯れ枝のような腕。
 その感触が、わたしの記憶を鋭利な刃物のようにえぐる。

「ミリア! 清潔な水と、おじやを! 今すぐ!」

 わたしの悲痛な叫びに、ミリアは即座に反応した。
 彼女もまた、サン・ルーチャでの経験から、飢餓状態の子供への対応を心得ている。

「はいッ! 直ちに!」

 ミリアが巨大リュックを下ろし、手早く水筒と、保存していた温かい流動食を取り出す。
 アリスが駆け寄り、少女の背中をさすりながら、優しく治癒魔法をかける。

「大丈夫だよ。……ゆっくり飲んで。もう怖くないから」
 アリスの聖なる光が、少女の痩せた体を包み込む。

「……ああ……」
 少女の喉が鳴り、命の水が染み渡っていく。瞳に、わずかに生気が戻る。
 それを見ていた周囲の村人たちも、のろのろと顔を上げ、信じられないものを見る目でこちらを見つめ始めた。

 その時だった。
 ドカドカと、静寂を切り裂く乱暴な足音が近づいてきた。

「おいコラ! 何をサボっている! 年貢の米はまだか!」

 村の奥から現れたのは、立派な着物を着た代官の手下たちだった。
 この飢饉の中で、彼らだけが不自然なほど丸々と太り、肌は脂ぎっている。手には革鞭を持ち、腰には立派な刀を差している。
 その後ろには、村長らしき老人が土下座をして泣いていた。

「お、お代官様……ご慈悲を……。もう、種籾たねもみしか残っておりませぬ……。これ以上持っていかれたら、来年は種を撒くことすらできず、村は全滅してしまいます……」

 老人の額が割れ、血が流れている。何度も地面に頭を擦り付けたのだろう。

「知ったことか! 将軍様の命令だ! 武力と食糧はすべて献上せよとな!」

 手下のリーダー格の大男が、老人の頭を足蹴にする。
 その足には、新しい革の草履が履かれている。裸足の子供たちの前で。

「米がないなら金を出せ! 金がないなら……そうだな、そこのガキを連れて行け!」

 男が指差したのは、水を飲んで少し落ち着いたばかりの、あの少女だった。

「人買いに売れば、多少の金にはなるだろう。……ほら、よこせ!」

 男がズカズカと歩み寄り、少女の髪を乱暴に掴もうとする。
 少女は悲鳴を上げる気力もなく、されるがままになっている。アリスが守ろうと立ちはだかるが、男はアリスをも突き飛ばそうとした。

 ――ビキビキッ。

 わたしのこめかみに青筋が浮かぶ。この国に来てからというもの不快なことばかりだ。
 だが、その中でもずば抜けて許しがたい。

 生きることは、尊い。
 食べることは、生きることそのものだ。
 それを奪う? 子供を売る? 種籾という未来さえ奪い取る?

 それは政治じゃない。統治でもない。
 ただの「殺戮」だ。
 しかも、自分たちは安全圏で腹を膨らませながら行う、最も卑劣な殺戮。

 わたしは知っている。
 食べたくても食べられなかった苦しみを。
 生きたくても生きられなかった無念を。
 その願いを踏みにじる奴は――誰であろうと、絶対に許さない。

「……離しなさい」

 わたしの声は、絶対零度のように冷たく、そして地獄の底から響くように重かった。
 周囲の空気が、ピリリと凍りつく。
 カエデが息を呑み、リョウマが「おっと」と言って一歩下がる。

「あぁ? なんだ貴様は。……部外者はすっこんでろ! 怪我するぞ!」

 男が鬱陶しそうに、持っていた鞭をわたしに向けて振り上げた。威嚇ではない。本気で顔を打つつもりだ。

 ヒュンッ!

 鞭が風を切る。
 だが、わたしの肌に触れることはなかった。

 パシィッ。

 乾いた音が響く。
 わたしは振り下ろされた鞭の先端を、素手で掴み取った。
 ピクリとも動かない。男が慌てて引こうとするが、万力で固定されたように微動だにしない。

「な、なんだこの女!? 離せ! 力が……!」

「離せと言ったり、よこせと言ったり……忙しい男ね」

 わたしは鞭を掴んだまま、一歩、踏み込んだ。
 ドォン、と地面が揺れる。
 わたしの内側から、制御しきれない魔力と怒りが噴出する。
 ドレスの下で、筋肉が怒張し、血管が浮き上がる。

「お米の国の危機ですって? 種籾まで奪い、あまつさえ子供を売ろうとする? ……許せないわね」

 わたしの背後に、ゆらりとドス黒いオーラが立ち上る。
 それは物理的な圧力プレッシャーとなって、男たちを押し潰す。

「ひ、ひぃッ!? なんだこの殺気は!?」
「ば、化け物……!」

 男たちが後ずさる。本能が告げているのだ。目の前の「これ」は、決して触れてはいけないタブーだと。
 生物としての格が違う。捕食者と被食者の関係だ。

「いいえ、化け物じゃないわ。……地獄からの『監査官』よ」

 わたしは鞭を強く引いた。
 男の体がバランスを崩し、こちらへ飛んでくる。
 無防備になったその顔面めがけて、わたしは鉄扇を持っていない左手の拳を――正確に、慈悲深く、全力で叩き込んだ。

「ご退場願いますわッ!!」

 ドゴォォォォォンッ!!!

 人体を殴った音ではない。岩盤を砕いたような音が響いた。
 顔面が陥没する感触。鼻骨が砕け、歯が飛び散る。
 男は悲鳴を上げる間もなく、人間砲弾となって後方の仲間たちを巻き込みながら吹き飛んだ。
 まるでボウリングのピンのように手下たちが弾け飛び、民家の壁を三枚ほど突き破り、遥か彼方の林の中へと消えていく。

「あ、兄貴ぃッ!?」
「て、てめぇ! 公儀に逆らう気か! 殺せ!」

 残った手下たちが刀を抜く。
 錆びついたなまくら刀。手入れもされていない、魂のない鉄屑。

 わたしはニヤリと笑い、鉄扇を広げた。

「逆らう? いいえ、これは『害虫駆除』よ。……衛生環境を整えるのも、淑女の嗜みですもの」

 そこからは、一方的な暴力の時間だった。
 斬りかかってくる刀を鉄扇でへし折り、蹴りで内臓を揺らし、ビンタで回転させる。
 身体強化を使ったわたしにとって、彼らの動きは止まって見える。
 ものの数分で、代官の手下たちは全員、地面に埋まるか、空の星になった。

 土煙の中、わたしは鉄扇を一振りして埃を払った。
 村長たちが、腰を抜かして震えている。

「お、おしまいじゃ……。お代官様に手を上げては、もうこの村は……」

「……終わり? 何を言っているの」

 わたしは村の中央に立ち、痩せ細った村人たちを見回した。

「あなたたち、諦めるにはまだ早いわよ。……腹が減っているなら、飯を食えばいい。米がないなら、作ればいい」

「む、無理じゃ……。この土地はもう死んでおる……」

 ミリアが『賢者アスケンの眼鏡』で土壌を分析し、悲痛な声を上げる。
「レヴィーネ様……この土地、呪われています。地脈から生気が吸い上げられ、普通の作物では育ちません。回復には数年はかかります……!」

 絶望的な事実。
 だが、わたしは不敵に笑った。

「数年? 気が長すぎて欠伸が出るわ」

 わたしは一歩前に出ると、足元の影を大きく広げた。
 闇魔法の応用、亜空間収納「暗闇の間」。
 そこには、相棒である『漆黒の玉座』だけでなく、これまでの旅で集め、溜め込んできた膨大な「戦利品」が眠っている。
 貧乏性? いいえ、備えあれば憂いなしと言うのよ。いつか役に立つと思って拾っておいたガラクタたちが、今こそ火を噴く時だ。

「ミリア、アリス。準備はいい? ……ここからは総力戦よ」

 わたしは影の中に手を突っ込み、次々とアイテムを放り出した。

 ドサッ! ガラガラッ! ズシンッ!

 村人たちが「何事か!?」と悲鳴を上げて逃げ惑う中、田んぼのあぜ道に、異様な物体の山が築かれていく。

「こ、これは……!?」
 ミリアが目を丸くする。

 そこにあるのは、わたしの旅の軌跡そのものだった。

 ・極寒の地「獣の穴」周辺で狩った、氷点下でも活動する魔獣「フロスト・ベア」の強靭な骨と皮。
 ・ラノリア王国の地下迷宮で採取した、純度100%に近い高密度の魔力結晶。
 ・ゴールド・ベガスのカジノで、裏取引されていた精力増強剤の原料、希少なマンドラゴラの根。
 ・サン・ルーチャのジャングルで見つけた、切っても切っても再生する生命力の塊のような蔦植物。
 ・無人島の古代ダンジョンで回収した、ラベルの読めない「超・成長促進剤(怪しい緑色の液体)」。
 ・そして、旅の途中で食べてきた、世界各地の米(長粒種や雑穀、古代米)の予備。

「レヴィーネ様の『秘蔵コレクション』!? いつの間にこんなに……!」
 ミリアが驚愕する。

「全開放よ。……使えるものはなんでも使いなさい!」

 わたしは山積みになった素材を指差し、二人に無茶苦茶なオーダーを出した。

「美味しくて、食べれば活力が湧いて、病気にも強くて、呪いに負けない生命力があって、一粒で茶碗一杯分くらいの栄養があって、なおかつ今すぐたくさん収穫できる……そんな『最強の新品種』を作るのよ!」

「えええええっ!? そ、そんなのさすがに植物の限界を超えていますよ!?」
「遺伝子情報の書き換えどころか、新しい種の創造レベルだよレヴィちゃん!? 神様に怒られない!?」

 ミリアとアリスが悲鳴を上げる。

 わかっている。無茶なことを言っているのは百も承知だ。
 前世の記憶にある、あの白く輝く美味しいお米だって、何代にも渡る品種改良を重ね、数え切れない失敗と、農家の人々の血と汗の結晶の上に成り立っていたはずだ。
 それをたった数時間で、しかも異世界のマテリアルを混ぜてやろうなんて、神への冒涜に近いかもしれない。

 ――でも。
 この世界には「魔法」がある。
 ここには、わたしの自慢の仲間たちがいる。
 そして何より、今のわたしたちには「空腹」という最強のモチベーションがある。

「できるわ。……ミリア、あなたにはダンジョンで手に入れた『賢者アスケンの眼鏡』と、何より農家の娘としての執念があるでしょう?」

 わたしはミリアの肩をガシッと掴んだ。

「素材の特性を見極め、最適な配合を導き出しなさい。……あなたの知識と勘なら、パズルのピースは埋まるはずよ。この国を救う『最初の一粒』を、あなたが作るの」

 ミリアの瞳が揺れる。
 しかし、すぐにその目に力強い光が宿った。
 彼女の中で、職人マイスターとしてのスイッチが入ったようだ。

「……ッ! はい!」

 ミリアが眼鏡の位置をクイと直し、目の色を変えて素材の山に飛びついた。
 その手つきは、もはや料理人ではない。マッドサイエンティストだ。

「魔獣の骨粉でカルシウムと耐久性を強化……古代薬液で成長速度をブースト……サン・ルーチャの蔦の再生能力を根に組み込めば、地脈からの搾取に対抗できる……いけます、理論上は!」

 彼女がブツブツと高速で呟きながら、すり鉢と鍋を取り出して調合を始める。
 すり潰されるマンドラゴラ。砕かれる魔石。それらがミリアの手によって、未知の肥料へと変わっていく。

「アリス、あなたには『星光の聖杖』と、聖女の祈りがある。ミリアが組み合わせた種に、命を吹き込みなさい。……遺伝子の壁なんて、神の奇跡でねじ伏せるのよ」

「もう! レヴィちゃんってば人使いが荒いんだから! ……でも、やるよ! ここでやらなきゃ女が廃るってもんだよね! 最高のお米、作ってみせる!」

 アリスが杖を構え、膨大な光の魔力を練り上げる。
 彼女の背後に、光の粒子が舞う。

 二人の背中を見て、わたしは深く頷いた。
 世界を回ってきた全ての経験が、素材が、そして絆が、きっと何とかしてくれる。
 わたしは、彼女たちを信じる。

品種改良マッドサイエンスは任せたわ。……わたしは、その『最強の米』が育つための血管水路を引いてくるわ」

 わたしは「漆黒の玉座」を取り出し、展開した。
 ただし、座るためではない。
 背もたれを下にして、脚をハンドルに見立てて、地面に突き立てた。
 ズブッ、と黒鋼が乾いた大地に食い込む。

「さあ、行くわよ相棒。……泥仕事はわたしたちの領分よ!」

 わたしは玉座の脚をガッチリと掴み、前傾姿勢をとった。
 目指すは数キロ先の山中にある水源。そこまでのルート上には、硬い岩盤もあれば、鬱蒼とした林もある。
 村人たちが人力で掘れば数ヶ月かかる距離だ。

 だが、関係ない。
 わたしの進む道が、そのまま水路になるのだから。

「――『耕運機ダッシュ・開墾モード』ッッ!!!」

 ドォンッ!!

 爆発的なスタートダッシュ。
 わたしは玉座を地面に押し付けたまま、猛烈な勢いで走り出した。

 ズガガガガガガガガガッ!!!

 凄まじい音が響き渡る。
 土が爆ぜる。岩が砕ける。根が断ち切られる。
 わたしの筋肉が、相棒の重みが、荒れ果てた大地に生命線水路を刻んでいく。
 土煙を上げて爆走するその姿は、傍から見れば暴走機関車そのものだろう。

 数十分後。
 わたしが村に戻ってきた時、あたりは既に夕闇に包まれ始めていた。
 しかし、村の田んぼだけが、異様な輝きを放っていた。

 水が引かれたばかりの黒々とした土。
 そこには、さっきまで影も形もなかったはずの稲が、青々と茂り――いや、既に黄金色に色づいて、重たげに頭を垂れていた。
 その一粒一粒が、内側から魔力の光を放ち、宝石のように輝いている。

「……できたのね」

 わたしは息を呑んだ。
 予想以上だ。これはもはや、ただの米ではない。「神米」とでも呼ぶべき代物だ。

 あぜ道には、ミリアとアリスが倒れ込んでいた。

「は、はい……なんとか……」
 ミリアが煤だらけの顔でへたり込んでいる。髪はボサボサで、目の下には隈ができているが、その表情は達成感に満ちている。
「もう無理……魔力空っぽだよぉ……お腹すいたぁ……」
 アリスも大の字になって伸びている。杖の輝きが消えかかっている。聖女の魔力を全て注ぎ込んだようだ。

 二人の奮闘の跡だ。
 わたしは田んぼに駆け寄り、泥だらけの手で稲穂を愛おしげに撫でた。

 ずしりとした重み。
 殻の隙間から覗く、透き通るような白さ。
 そして、風に乗って漂う、微かな甘い香り。

(……これだ)

 記憶の中にある風景と、目の前の光景が重なる。
 点滴の管に繋がれたまま、窓の外に見えることもない田園風景を想像していた、あの日々。
 『いつか、お腹いっぱい白いご飯が食べたい』
 そう願って、叶わなかった最期の夢。
 それが今、ここにある。

「すごいわ……! これなら、間違いない! わたしの求めていた『お米』よ!」

 わたしは稲穂に頬ずりせんばかりの勢いで、食い入るように見つめ続けた。
 自然と口角が上がり、涙が滲んでくるのを止められない。
 愛おしい。ただただ、愛おしい。

 わたしがあまりにも必死な顔で、まるで長年連れ添った恋人と再会したかのような目で稲穂を見つめているからだろうか。
 横で休んでいたアリスが、半目でこちらを見て、からかうように言った。

「レヴィちゃんってば、本当にお米のことになると目の色変わるよねぇ。……南国でお肉食べてた時より必死じゃない?」

 その言葉に、わたしはふと力が抜けた。
 張り詰めていた糸が緩み、前世からの渇望がふと言葉になってこぼれ落ちた。

「仕方ないじゃない。……前世の『最期』だって、体が悪くてろくに食べられなくなっていたんだから」

「……え?」

 アリスの動きが止まる。
 彼女は、わたしが前世持ちであることを知っている。だが、その「最期」の詳細までは話していなかった。
 場の空気が、一瞬で変わる。

 そして。
 それまで黙って稲刈りの準備をしていたミリアが、ビクリと肩を震わせた。

「レヴィーネ様……? 今、『最期』と……?」

 ミリアが振り返る。
 その瞳が揺れていた。
 「昔」という言葉。そして「最期」という、明らかに今のレヴィーネの年齢にはそぐわない、死を連想させる言葉。
 彼女は聡明だ。それが単なる言い間違いや比喩ではないことを、瞬時に悟ったのだろう。

 わたしはハッとして口をつぐんだ。
 しまった。気が緩んでいた。
 このお米の完成に、魂が昂りすぎていたのだ。

「あ、いや……その……」

 わたしは言葉を濁した。
 アリスが気まずそうに視線を逸らす。
 ミリアは、しばらくわたしの顔をじっと見つめていたが、やがて静かに視線を落とした。

「……いえ。なんでもありません」

 彼女はそれ以上、追求しなかった。
 ただ、わたしとアリスの間には、彼女の知らない、踏み込んではいけない「過去」があるのだという事実を、静かに、そして寂しげに察したようだった。

 ミリアは何も言わず、ただ黙々と鎌を手に取り、収穫の準備を始めた。
 その背中が、いつもより小さく、孤独に見えた。
 まるで、自分だけが蚊帳の外に置かれた子供のような背中。

(……いけないわね)

 わたしは拳を握りしめた。
 これでは、わたしが一番嫌いな「仲間はずれ」じゃないか。
 ここまでついてきてくれた彼女には、知る権利があるはずだ。
 わたしの我儘に付き合わせ、海を渡り、無人島を開拓し、ここまで尽くしてくれた彼女に、隠し事をしたまま「美味しいご飯」を食べるなんて、不誠実にも程がある。
 最高の食事は、隠し事なしで食べてこそ美味いのだ。

 わたしは決意した。
 今日、このお米を一緒に食べる時。
 全てを話そう。

「……ミリア」

 わたしは彼女の背中に声をかけた。

「あとで、少し話があるの。……収穫祭の火を囲みながら、聞いてくれるかしら」

 わたしの言葉に、ミリアの手が一瞬止まる。
 彼女は一度だけ振り返り、どこか安堵したような、しかし緊張した面持ちで、静かに頷いた。

「はい。……お待ちしております」

 夕日が完全に沈み、黄金色の稲穂が夜の闇に浮かび上がる。
 今夜は、トヨノクニの歴史が変わる夜になるだろう。
 そして、わたしたちの絆が、本当の意味で結ばれる夜になるはずだ。

「さあ、刈り取るわよ! 一粒残らずね!」

 わたしは感傷を振り払い、村人から鎌を受け取るとそう宣言した。
 まずは腹を満たすことだ。話はそれからだ。
 村人たちが歓声を上げて田んぼへ駆け込んでくる中、わたしは最初の一束を力強く刈り取った。
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