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【第16部】グランドフィナーレ・物理帝国編 ~神様、残業代(寿命)はいりません。この世界は最高に退屈しませんもの!~
第180話 最終話:悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器です ~大団円:食卓の風景と、永遠の伝説~
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【第一部:それから数年後 ~世界一騒がしい食卓~】
「――だめえぇぇぇッ!! それはノアのぉぉぉッ!!」
ドガァァァァァァァァンッッ!!!!!
平和なはずの週末の朝。ヴィータヴェン・アクシス連邦皇国の皇城、そのダイニングルームの壁が、物理的に粉砕された。
舞い上がる粉塵。飛び散る瓦礫。
そして、その中心で仁王立ちしているのは、金髪碧眼の愛らしい少女――ではなく、小さな破壊神だった。
エレノア・ヴィータヴェン・ガルディア。
通称「ノア」。今年で五歳になる、我が国の第一皇女だ。
彼女の小さな手には、飴細工のようにひしゃげたミスリル製のスプーンが握られている。いや、握りしめすぎて指の形にめり込んでいる。
「……はぁ」
わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは、読みかけの新聞(イリス編集・世界経済版)を置き、優雅に、しかし深く溜息をついた。
「ノア。……食事中に壁を壊してはいけませんと、何度言ったら分かりまして?」
「だってぇ! ソレンおじさまが、ノアの『からあげ』を横取りしようとしたんだもん!」
ノアが頬を膨らませて抗議する。その視線の先には、瓦礫の山から這い出してくる屈強な青年――弟のソレンがいた。
20歳になり、開拓旅団の団長として逞しく成長したソレンだが、五歳の姪っ子の一撃には敵わなかったらしい。
「い、痛ってぇ……。冗談だよノア、冗談……。ちょっとからかっただけじゃないか」
「食べ物の恨みは怖いのよ、ソレン。教育的指導として、瓦礫の撤去はあなたに任せますわよ」
わたしは弟をたしなめつつ、娘に向き直った。
「ノア。唐揚げを守る気概はよろしい。……ですが、力の加減を覚えなさい。スプーンを曲げるのは『幼児の嗜み』ですが、壁を砕くのは『工事』です。……我が家は毎日リフォームする予定はありませんのよ?」
「むぅ……。はい、お母様」
ノアがしょんぼりと変形したスプーンを見る。
その顔立ちは、夫のアレクセイに似て知的で整っているのに、中身と筋肉密度は完全にわたし(ヴィータヴェン家)のそれだ。神様の「健やかに」という祝福は、これでもかというほど効いているらしい。
「ははは! 元気でいいじゃないか。……ほらノア、新しいスプーンだよ。こっちはドワーフのガンテツ親方特製、オリハルコンとヒヒイロカネの合金製だから簡単には曲がらないぞ」
そこへ、エプロン姿のアレクセイが、湯気の立つ大皿を運んでくる。
かつての「氷の皇子」は今や、公務の合間に娘と料理を作ることを至上の喜びとする「親バカ王配」になっていた。
「パパありがとー! ……んッ! 硬い! これなら全力で握っても大丈夫!」
「おいおい、試すな試すな。……食事の前に、お客様が到着するぞ」
アレクセイが苦笑した瞬間、廊下の向こうから賑やかな声と足音が近づいてきた。
「おーい! レヴィちゃーん! ノアちゃーん! 来たよー!」
「ノブナガ様! 廊下を走らないでください! マラグ様も、柱で拳を鍛えない! 皇城の柱はサンドバッグではありません!」
「カッカッカ! 堅いことを言うなミリア! 孫の顔を見るのに遅れてたまるか!」
「お主は義理の祖父といったところじゃろう! こっちは血の繋がった孫とひ孫じゃぞ! 先を譲れい!」
ドヤドヤと部屋に入ってきたのは、この世界を動かす「家族」たちだ。
先頭を切って飛び込んできたのは、永遠の若さを保つ我が親友、アリス。
両手いっぱいに、エルフの里から届いたばかりの果物と野菜を抱えている。
「アリスおばちゃーん!」
「ノアちゃん! うりうり、また筋肉増えた? 上腕二頭筋がカチカチだよー!」
アリスがノアを抱き上げ、高い高いをする。五歳児とは思えない密度の体重を、アリスは強化魔法なしで軽々と支えている。彼女もまた、この数年で農作業によりフィジカルが仕上がっているのだ。
続いて、ラノリアからは「週末婚」で通ってきている国王夫妻――ギルベルトとミリアが入室する。
「やあ、レヴィーネ姐さん! 今日のメインディッシュは、ラノリア牛の最高級サーロインを持ってきたぞ!」
「野菜もバランスよく摂ってくださいね。……それとレヴィーネ様、先月の壁修繕費の請求書ですが……ああもう、また新しい箇所が増えてるじゃないですか! イリス、即座に見積もりを!」
ミリアが砕けた壁を見て悲鳴を上げるが、その顔はどこか楽しそうだ。
彼女の薬指には、ラノリア王家の証である指輪が光っている。二人の「姉弟国」経営は順調そのもので、V&C商会の株価は天井知らずだという。
そして、好々爺モード全開の二人の英雄。
トヨノクニのノブナガと、北のマラグお祖父様。
「おお、ノア! ワシのひ孫よ! 今日は『特注ダンベル』を持ってきたぞ! 五キロじゃ!」
「いやいや、そこは『鉄扇』じゃろう! ほれノア、これで『是非もなし』と言ってみせい!」
二人の老人が、五歳児におもちゃを貢いでいる。
「まったく……。騒がしい食卓ですこと」
わたしは呆れながらも、口元が緩むのを止められなかった。
西からは肉とワイン。
東からは米と魚。
北からはキノコと山菜。
南からはスパイスと果実。
大きなテーブルの上には、世界中の「美味しいもの」が所狭しと並べられている。
かつては国境という壁に阻まれ、輸送コストという距離に阻まれていた食材たちが、今はこうして一つの食卓に当たり前のように同居している。
それは、わたしたちが「道」を作り、守ってきた平和の証だ。
「さあ、全員揃いましたわね。……席につきなさい」
わたしの号令で、世界最強の面々が椅子(特注強化品)を引く。
アレクセイがワインを注ぎ、ミリアがサラダを取り分ける。
「では、日々の糧と、騒がしい家族に感謝して」
わたしはグラスを掲げた。
「「「いただきます!!」」」
カチャカチャと食器の音が響く。
「んまー! このコロッケ最高! 中身はずんだ!?」
「アリス殿、それはトヨノクニの新作じゃ! 合うじゃろう?」
「ソレン、野菜も食え。筋肉にならんぞ」
「分かってますよギル義兄上! でも肉が美味すぎて……!」
「ママ! パパ! このお肉、口の中で溶けちゃうよ!」
「ふふ、よく噛んでお食べ。……レヴィーネ、君も」
アレクセイが、わたしの皿に切り分けたステーキを乗せてくれる。
わたしはそれを口に運んだ。
噛み締める。
肉汁が溢れる。
スパイスの香りが抜ける。
そして、みんなの笑い声が聞こえる。
「……ん。美味しい」
わたしは目を細めた。
かつて、病室の白い天井を見上げていた少女は、こんな未来を想像できただろうか。
悪役令嬢として転生し、物理で壁を壊し、道を作り、国を作り。
そして今、愛する人たちに囲まれて、最高のご飯を食べている。
(退屈しない人生……。ええ、満点ですわ)
わたしは、隣で幸せそうに笑う夫の手を、テーブルの下でそっと握った。
彼もまた、強く握り返してくる。
窓の外には、鉄道が走り、飛空船が舞う、発展した皇都の街並み。
この世界は、まだまだ面白くなる。
ノアが大きくなる頃には、もっと遠くへ、もしかしたら星の外へだって行けるかもしれない。
「……楽しみですわね」
「何か言ったかい?」
「いいえ。……おかわりを所望しただけですわ!」
「ははっ、了解だ、我が女帝陛下」
賑やかな笑い声は、いつまでも、いつまでも響いていた。
◆◆◆
そして。
時は流れる。
人の命は有限であり、物語には必ず「終わり」が訪れる。
けれど。
想いは、形を変えて残り続ける。
鋼鉄のレールのように。
大樹の年輪のように。
そして、語り継がれる伝説のように。
◆◆◆
【第二部:数百年後 ~永遠の伝説~】
皇都アクシス。
かつて「大断裂帯」と呼ばれた場所の上に築かれたこの都は、数百年という時を経て、摩天楼が立ち並ぶ未来都市へと変貌を遂げていた。
空には、反重力魔導機関を搭載したエアカーが行き交い、地上には何層にも重なった立体高速鉄道が走っている。
街角の大型ビジョンには、遠く離れたトヨノクニや西方連邦のニュースがリアルタイムで流れている。
科学と魔法が完全に融合した、ハイブリッド文明の到達点。
行き交う輸送船やビルの壁面には、一つのロゴマークが誇らしげに掲げられている。
『V&Cホールディングス』。
かつて一人の貧乏男爵令嬢が、「大好きな人を世界一幸せな悪役令嬢にする」ために興した商会は、今や世界経済の根幹を支える巨大企業となっていた。
その都市の中心にある「中央広場」に、一つの巨大な銅像が立っていた。
ドレスを纏い、不敵な笑みを浮かべ、肩に「パイプ椅子」を担いだ女性の像。
台座には、こう刻まれている。
『建国の母にして、物理の女神 ――初代女帝レヴィーネ・ヴィータヴェン』
その像の足元で、子供たちが一人の少女を取り囲んでいた。
「ねえねえ、お姉ちゃん! レヴィーネ様の話、もっと聞かせて!」
「どうして椅子を持ってるの? なんで剣じゃないの?」
「本当にドラゴンを素手で殴ったの? 歴史の授業だと『伝説』だって習ったけど……」
子供たちにせがまれているのは、透き通るような翠色の髪と、宝石のような瞳を持つ少女だ。
彼女の姿は、10代半ばにしか見えない。
けれど、その纏う空気は、この都市の誰よりも古く、そして深い。
彼女は――アリスは、懐かしそうに銅像を見上げた。
「ふふ。……剣じゃ、すぐに折れちゃうからだよ。あの人はね、誰よりも力が強くて、誰よりもご飯を食べるのが好きで……そして、誰よりも『壊す』のが上手な人だったんだよ」
「壊すの? 悪い人なの?」
「ううん。……悪いものを、壊すの。意地悪な壁とか、寂しい距離とか、退屈な常識とかね。ぜーんぶ、その椅子と拳で『どきなさい!』ってへし折っちゃうの」
アリスは子供たちの目線に合わせてしゃがみこみ、悪戯っぽく笑って指を折ってみせた。
「聞いて驚かないでね? あの人がへし折ってきた『理不尽』の数々を」
子供たちがゴクリと唾を飲む。
アリスは、遠い記憶の彼方にある、愛しい日々のアルバムをめくるように語り始めた。
「最初はね、ある女の子を縛り付けていた『運命』を、金網デスマッチでぶっ壊して助け出したの。……おかげでその女の子は、今もとっても幸せなんだよ」
それは、アリス自身のこと。かつてゲームのシステムに囚われていた自分を、レヴィーネが物理で救い出したあの日。
「次は、人を数字だけで判断する『鑑定プレート』っていう意地悪な鏡を、粉々に砕いちゃった」
ケビンとの決闘。数値至上主義という欺瞞を、鍛え上げた筋肉で凌駕した瞬間。
「それから、借金で人を縛る悪いカジノの金庫をこじ開けて、悪い薬で縛られていた国も叩き直しちゃった。それから巨大なイカは丸焼きにして食べちゃったし、悲劇を押し付ける『脚本家』もプロレス技で退場させちゃったの」
「ええっ!? クラーケンを食べちゃったの!?」
「うん、美味しかったよー。……それだけじゃないよ? 空を飛ぶ『伝説のドラゴン』は椅子で叩いてタクシー代わりにしちゃったし、世界を分けていた『大断裂帯』には、空飛ぶ都市を落っことして橋にしちゃったの」
「す、すげえ……! めちゃくちゃだ!」
子供たちが目を輝かせる。
現代では教科書の中の出来事、あるいはファンタジーとされる偉業の数々。
けれど、アリスの語り口は、まるで昨日の夕飯の話をするかのように鮮明だ。
「極めつけはね……」
アリスは声を潜め、秘密を明かすように言った。
「最後には、この世界を作った『神様』まで、リングの上でぶん投げちゃったんだよ」
「ええええええええええっ!?」
子供たちが一斉にのけぞる。
「うそだぁ! 神様だよ!? バチが当たるよ!」
「うそじゃないよ。……だって、神様も『痛いけど楽しかった』って笑って、ご馳走を食べて帰っていったんだもん」
アリスはクスリと笑った。
あの日、あの時。
最強の悪役令嬢が、創造主をジャーマンスープレックスで投げ飛ばし、世界に「健やかさ」をもたらした瞬間。
「これが、初代皇帝レヴィーネ様の伝説……ううん、『史実』だね」
アリスは胸を張って断言した。
「だって、私はずっと隣で見てきたから。……彼女が笑って、怒って、食べて、世界を変えていくのを、一番近くで見てきたんだから!」
その言葉には、千年の時を経ても色褪せない、圧倒的な「真実の重み」があった。
子供たちは、ポカンとした後、爆発したように歓声を上げた。
「すっげえええええ!!」
「レヴィーネ様、最強じゃん!!」
「神様投げるとか、意味わかんないけどカッコいい!!」
興奮して銅像の周りを走り回る子供たち。
その無邪気な姿を見ながら、アリスは目を細めた。
数百年。
途方もない時間が過ぎた。
レヴィーネも、アレクセイも、ミリアも、ギルベルトも。
ソレンも、ノブナガも、マラグも。
愛おしい仲間たちは皆、寿命を全うし、星へと還っていった。
寂しくないと言えば、嘘になる。
一人残された「境界の存在」である彼女は、何度も見送る辛さを味わった。
けれど。
「お姉ちゃんは、寂しくないの? ずっと一人なんでしょ?」
一人の男の子が、心配そうに尋ねる。
アリスは、ニカっと笑って首を横に振った。
「ううん! 全然!」
彼女は、広場の向こう、皇城の方角を指差した。
そこには、今の皇帝――レヴィーネから数えて十数代目の子孫が住んでいる。
「だって、あの人の『呪い』は、まだ解けてないんだもん」
『アリスお姉ちゃんを一人にするな! 全力で構い倒せ!』
レヴィーネが遺した、ヴィータヴェン家の絶対の家訓。
その言葉通り、歴代の皇帝たちは、事あるごとにアリスの元へやってくる。
悩み相談、恋愛相談、あるいはただの宴会の誘い。
昨日も、若き皇太子が「アリス様! 新作のスイーツを持ってきました! 曽祖母様のレシピを再現したんです!」と飛び込んできたばかりだ。
彼らの顔には、彼らの仕草には、あの日々の面影が確かに息づいている。
アレクセイの知性が、ソレンの無鉄砲さが、ミリアの計算高さが、そしてレヴィーネの強さが。
「それにね。……この街を見てごらん」
アリスは両手を広げた。
走り抜ける列車。
レストランで食事を楽しむ人々。
違う国の人同士が、当たり前のように笑い合っている姿。
「みんな、ご飯を食べて笑ってるでしょ? ……あれ全部、あの人たちが遺した『宝物』なんだよ」
道が繋がり、食が繋がり、心が繋がった世界。
ふと、アリスの視線が広場のベンチに向けられた。
そこには、時代遅れのヨレヨレのスーツを着た、猫背の男が座っている。
彼は手に持った「ずんだシェイク」を美味しそうに啜りながら、膝の上の「駅弁」を広げていた。
(……ふふ、神様もまだ、残業の合間にサボりに来てるんだ)
世界を見守る管理者は、満足げに駅弁の唐揚げを頬張り、アリスと目が合うと、悪戯っぽくウインクをした。
「美味しい世界」は、神様にとっても居心地が良いらしい。
「だから、私は寂しくないよ。……この世界そのものが、あの子たちからの『手紙』みたいなものだもん」
アリスの言葉に、子供たちは目を輝かせた。
その中の一人、泥だらけのスカートを履いた、勝ち気そうな女の子が前に出た。
彼女は、銅像のレヴィーネの左手を指差した。
「ねえ、お姉ちゃん。……どうしてこの指輪だけ、ちょっと古くてボコボコしてるの?」
レヴィーネの銅像の左手薬指。
そこには、絢爛なドレスには似つかわしくない、無骨な金属の輪が嵌められている。
それは銅像の一部ではなく、本物の指輪だった。
かつて東の樹海で、一人の男が掘り出し、削り出し、愛する女に捧げた、世界で一番頑丈な約束の証。
アリスは目を細めた。
「それはね……世界で一番強くて優しい男の人が、命がけで見つけた『宝物』だからだよ。……どんな宝石よりも、あの人にとっては価値があるものなの」
その指輪だけは、数百年経っても錆びることなく、鈍い輝きを放っている。
二人の愛が、今もここで輝き続けているように。
少女は、それを聞いて何かを決意したように、銅像と同じポーズで仁王立ちした。
「私、決めた! ……私もなる!」
「え? 何になるの?」
「レヴィーネ様みたいな、カッコいい『悪役』になるの!」
少女は拳を握りしめた。
「それで、意地悪なヤツをぶっ飛ばして、みんなにお腹いっぱいご馳走してあげるの! ……どうかな? なれるかな!?」
その瞳にある光。
無鉄砲で、純粋で、そしてどこまでも熱い光。
アリスは、一瞬だけ息を呑んだ。
そして、懐かしさに胸がいっぱいになりながら、最高の笑顔で答えた。
「――うん、なれるよ!」
アリスは少女の頭を撫でた。
「だって……君の中にも、同じ『熱』があるもの」
血は薄まっても。時は流れても。
魂の形は、こうして受け継がれていく。
「頑張ってね、未来の悪役令嬢さん。……応援してるよ!」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」
子供たちが笑いながら駆け出していく。
その背中は、未来への希望に満ちていた。
アリスは一人、銅像の前に残った。
風が吹く。
大陸を西から東へ、東から西へと駆け抜ける、自由な風。
アリスは空を見上げた。
雲ひとつない青空。突き抜けるような、無限の青。
アリスの脳裏に、かつてレヴィーネが語った言葉が蘇る。
『前の人生では、私の世界は四角い天井だけでしたの』
病室のベッド。動かない体。限られた景色。
けれど今、アリスの視界を遮るものは何もない。
「……ねえ、レヴィちゃん」
アリスは空に向かって呟いた。
「今の空は広いよ。……もう貴女を遮る天井なんて、世界のどこにもないんだよ」
風が、アリスの翠色の髪を優しく揺らす。
その風の中に、懐かしく、力強い声が聞こえた気がした。
『当たり前ですわ。……誰が作ったと思っているんですの?』
パチン。
鉄扇を開くような、小気味よい音が響く。
アリスは空に向かって、ピースサインを掲げた。
「またね、私の最高の相棒。……これからも、ずっと見守っているからね」
永遠の少女は、踵を返して歩き出した。
その足取りは軽い。
彼女もまた、まだ見ぬ明日へと続く、旅の途中なのだから。
悪役令嬢の伝説は、終わらない。
彼女が愛した「物理」と「食」と「自由」がある限り、この世界はいつだって、最高に退屈しない場所であり続けるのだ。
風に乗って、最後の言葉が世界中に響き渡るような気がした。
――退屈しない、いい世界でしょう?
伝説は終わらない。
ゴングが鳴る限り、悪役令嬢たちの戦いは続いていくのだ。
いつだって。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器です。
そしてその輝きは、世界を照らす希望の光そのものなのです。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です(完)
* * *
【完結御礼】
『悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です』
最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
二十歳そこそこの頃に小説家を夢見て挫折し、三十年。
中年を過ぎた歳になった今、こうして「自分の生み出したキャラクターたち」を、
最高のハッピーエンドまで連れてくることができました。
悪役令嬢レヴィーネの物語は、私自身の「人生へのリベンジ」でもありました。
彼女がパイプ椅子で理不尽をへし折るたびに、
私自身も救われるような気持ちで書いていました。
もし、この物語が皆様の日々のストレスを少しでも吹き飛ばし、
明日への活力になったのなら、これ以上の喜びはありません。
――追伸。
本編の物語は、ここで「完全に完結」です。
ただ、書いているうちに少しだけ、
本編では描ききれなかった日常や裏側も残ってしまいまして。
明日から数話だけ、短い外伝を投稿する予定です。
結末には一切影響しませんので、
「読み終わった後のデザート」として、気が向いた方だけ覗いていただければ幸いです。
最後に一つだけ、厚かましいお願いがあります。
この作品を「面白かった!」「スカッとした!」と思ってくださった方。
もしよろしければ、下の【24hポイント】や【お気に入り登録】で
最後の応援をいただけますと、作者冥利に尽きます。
皆様の応援があれば、この物語は「書籍」という形で、
もっと遠くまで届くかもしれません。
レヴィーネたちの旅路を見守ってくださり、
本当にありがとうございました!
人生、まだまだ捨てたもんじゃないですね!
「――だめえぇぇぇッ!! それはノアのぉぉぉッ!!」
ドガァァァァァァァァンッッ!!!!!
平和なはずの週末の朝。ヴィータヴェン・アクシス連邦皇国の皇城、そのダイニングルームの壁が、物理的に粉砕された。
舞い上がる粉塵。飛び散る瓦礫。
そして、その中心で仁王立ちしているのは、金髪碧眼の愛らしい少女――ではなく、小さな破壊神だった。
エレノア・ヴィータヴェン・ガルディア。
通称「ノア」。今年で五歳になる、我が国の第一皇女だ。
彼女の小さな手には、飴細工のようにひしゃげたミスリル製のスプーンが握られている。いや、握りしめすぎて指の形にめり込んでいる。
「……はぁ」
わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは、読みかけの新聞(イリス編集・世界経済版)を置き、優雅に、しかし深く溜息をついた。
「ノア。……食事中に壁を壊してはいけませんと、何度言ったら分かりまして?」
「だってぇ! ソレンおじさまが、ノアの『からあげ』を横取りしようとしたんだもん!」
ノアが頬を膨らませて抗議する。その視線の先には、瓦礫の山から這い出してくる屈強な青年――弟のソレンがいた。
20歳になり、開拓旅団の団長として逞しく成長したソレンだが、五歳の姪っ子の一撃には敵わなかったらしい。
「い、痛ってぇ……。冗談だよノア、冗談……。ちょっとからかっただけじゃないか」
「食べ物の恨みは怖いのよ、ソレン。教育的指導として、瓦礫の撤去はあなたに任せますわよ」
わたしは弟をたしなめつつ、娘に向き直った。
「ノア。唐揚げを守る気概はよろしい。……ですが、力の加減を覚えなさい。スプーンを曲げるのは『幼児の嗜み』ですが、壁を砕くのは『工事』です。……我が家は毎日リフォームする予定はありませんのよ?」
「むぅ……。はい、お母様」
ノアがしょんぼりと変形したスプーンを見る。
その顔立ちは、夫のアレクセイに似て知的で整っているのに、中身と筋肉密度は完全にわたし(ヴィータヴェン家)のそれだ。神様の「健やかに」という祝福は、これでもかというほど効いているらしい。
「ははは! 元気でいいじゃないか。……ほらノア、新しいスプーンだよ。こっちはドワーフのガンテツ親方特製、オリハルコンとヒヒイロカネの合金製だから簡単には曲がらないぞ」
そこへ、エプロン姿のアレクセイが、湯気の立つ大皿を運んでくる。
かつての「氷の皇子」は今や、公務の合間に娘と料理を作ることを至上の喜びとする「親バカ王配」になっていた。
「パパありがとー! ……んッ! 硬い! これなら全力で握っても大丈夫!」
「おいおい、試すな試すな。……食事の前に、お客様が到着するぞ」
アレクセイが苦笑した瞬間、廊下の向こうから賑やかな声と足音が近づいてきた。
「おーい! レヴィちゃーん! ノアちゃーん! 来たよー!」
「ノブナガ様! 廊下を走らないでください! マラグ様も、柱で拳を鍛えない! 皇城の柱はサンドバッグではありません!」
「カッカッカ! 堅いことを言うなミリア! 孫の顔を見るのに遅れてたまるか!」
「お主は義理の祖父といったところじゃろう! こっちは血の繋がった孫とひ孫じゃぞ! 先を譲れい!」
ドヤドヤと部屋に入ってきたのは、この世界を動かす「家族」たちだ。
先頭を切って飛び込んできたのは、永遠の若さを保つ我が親友、アリス。
両手いっぱいに、エルフの里から届いたばかりの果物と野菜を抱えている。
「アリスおばちゃーん!」
「ノアちゃん! うりうり、また筋肉増えた? 上腕二頭筋がカチカチだよー!」
アリスがノアを抱き上げ、高い高いをする。五歳児とは思えない密度の体重を、アリスは強化魔法なしで軽々と支えている。彼女もまた、この数年で農作業によりフィジカルが仕上がっているのだ。
続いて、ラノリアからは「週末婚」で通ってきている国王夫妻――ギルベルトとミリアが入室する。
「やあ、レヴィーネ姐さん! 今日のメインディッシュは、ラノリア牛の最高級サーロインを持ってきたぞ!」
「野菜もバランスよく摂ってくださいね。……それとレヴィーネ様、先月の壁修繕費の請求書ですが……ああもう、また新しい箇所が増えてるじゃないですか! イリス、即座に見積もりを!」
ミリアが砕けた壁を見て悲鳴を上げるが、その顔はどこか楽しそうだ。
彼女の薬指には、ラノリア王家の証である指輪が光っている。二人の「姉弟国」経営は順調そのもので、V&C商会の株価は天井知らずだという。
そして、好々爺モード全開の二人の英雄。
トヨノクニのノブナガと、北のマラグお祖父様。
「おお、ノア! ワシのひ孫よ! 今日は『特注ダンベル』を持ってきたぞ! 五キロじゃ!」
「いやいや、そこは『鉄扇』じゃろう! ほれノア、これで『是非もなし』と言ってみせい!」
二人の老人が、五歳児におもちゃを貢いでいる。
「まったく……。騒がしい食卓ですこと」
わたしは呆れながらも、口元が緩むのを止められなかった。
西からは肉とワイン。
東からは米と魚。
北からはキノコと山菜。
南からはスパイスと果実。
大きなテーブルの上には、世界中の「美味しいもの」が所狭しと並べられている。
かつては国境という壁に阻まれ、輸送コストという距離に阻まれていた食材たちが、今はこうして一つの食卓に当たり前のように同居している。
それは、わたしたちが「道」を作り、守ってきた平和の証だ。
「さあ、全員揃いましたわね。……席につきなさい」
わたしの号令で、世界最強の面々が椅子(特注強化品)を引く。
アレクセイがワインを注ぎ、ミリアがサラダを取り分ける。
「では、日々の糧と、騒がしい家族に感謝して」
わたしはグラスを掲げた。
「「「いただきます!!」」」
カチャカチャと食器の音が響く。
「んまー! このコロッケ最高! 中身はずんだ!?」
「アリス殿、それはトヨノクニの新作じゃ! 合うじゃろう?」
「ソレン、野菜も食え。筋肉にならんぞ」
「分かってますよギル義兄上! でも肉が美味すぎて……!」
「ママ! パパ! このお肉、口の中で溶けちゃうよ!」
「ふふ、よく噛んでお食べ。……レヴィーネ、君も」
アレクセイが、わたしの皿に切り分けたステーキを乗せてくれる。
わたしはそれを口に運んだ。
噛み締める。
肉汁が溢れる。
スパイスの香りが抜ける。
そして、みんなの笑い声が聞こえる。
「……ん。美味しい」
わたしは目を細めた。
かつて、病室の白い天井を見上げていた少女は、こんな未来を想像できただろうか。
悪役令嬢として転生し、物理で壁を壊し、道を作り、国を作り。
そして今、愛する人たちに囲まれて、最高のご飯を食べている。
(退屈しない人生……。ええ、満点ですわ)
わたしは、隣で幸せそうに笑う夫の手を、テーブルの下でそっと握った。
彼もまた、強く握り返してくる。
窓の外には、鉄道が走り、飛空船が舞う、発展した皇都の街並み。
この世界は、まだまだ面白くなる。
ノアが大きくなる頃には、もっと遠くへ、もしかしたら星の外へだって行けるかもしれない。
「……楽しみですわね」
「何か言ったかい?」
「いいえ。……おかわりを所望しただけですわ!」
「ははっ、了解だ、我が女帝陛下」
賑やかな笑い声は、いつまでも、いつまでも響いていた。
◆◆◆
そして。
時は流れる。
人の命は有限であり、物語には必ず「終わり」が訪れる。
けれど。
想いは、形を変えて残り続ける。
鋼鉄のレールのように。
大樹の年輪のように。
そして、語り継がれる伝説のように。
◆◆◆
【第二部:数百年後 ~永遠の伝説~】
皇都アクシス。
かつて「大断裂帯」と呼ばれた場所の上に築かれたこの都は、数百年という時を経て、摩天楼が立ち並ぶ未来都市へと変貌を遂げていた。
空には、反重力魔導機関を搭載したエアカーが行き交い、地上には何層にも重なった立体高速鉄道が走っている。
街角の大型ビジョンには、遠く離れたトヨノクニや西方連邦のニュースがリアルタイムで流れている。
科学と魔法が完全に融合した、ハイブリッド文明の到達点。
行き交う輸送船やビルの壁面には、一つのロゴマークが誇らしげに掲げられている。
『V&Cホールディングス』。
かつて一人の貧乏男爵令嬢が、「大好きな人を世界一幸せな悪役令嬢にする」ために興した商会は、今や世界経済の根幹を支える巨大企業となっていた。
その都市の中心にある「中央広場」に、一つの巨大な銅像が立っていた。
ドレスを纏い、不敵な笑みを浮かべ、肩に「パイプ椅子」を担いだ女性の像。
台座には、こう刻まれている。
『建国の母にして、物理の女神 ――初代女帝レヴィーネ・ヴィータヴェン』
その像の足元で、子供たちが一人の少女を取り囲んでいた。
「ねえねえ、お姉ちゃん! レヴィーネ様の話、もっと聞かせて!」
「どうして椅子を持ってるの? なんで剣じゃないの?」
「本当にドラゴンを素手で殴ったの? 歴史の授業だと『伝説』だって習ったけど……」
子供たちにせがまれているのは、透き通るような翠色の髪と、宝石のような瞳を持つ少女だ。
彼女の姿は、10代半ばにしか見えない。
けれど、その纏う空気は、この都市の誰よりも古く、そして深い。
彼女は――アリスは、懐かしそうに銅像を見上げた。
「ふふ。……剣じゃ、すぐに折れちゃうからだよ。あの人はね、誰よりも力が強くて、誰よりもご飯を食べるのが好きで……そして、誰よりも『壊す』のが上手な人だったんだよ」
「壊すの? 悪い人なの?」
「ううん。……悪いものを、壊すの。意地悪な壁とか、寂しい距離とか、退屈な常識とかね。ぜーんぶ、その椅子と拳で『どきなさい!』ってへし折っちゃうの」
アリスは子供たちの目線に合わせてしゃがみこみ、悪戯っぽく笑って指を折ってみせた。
「聞いて驚かないでね? あの人がへし折ってきた『理不尽』の数々を」
子供たちがゴクリと唾を飲む。
アリスは、遠い記憶の彼方にある、愛しい日々のアルバムをめくるように語り始めた。
「最初はね、ある女の子を縛り付けていた『運命』を、金網デスマッチでぶっ壊して助け出したの。……おかげでその女の子は、今もとっても幸せなんだよ」
それは、アリス自身のこと。かつてゲームのシステムに囚われていた自分を、レヴィーネが物理で救い出したあの日。
「次は、人を数字だけで判断する『鑑定プレート』っていう意地悪な鏡を、粉々に砕いちゃった」
ケビンとの決闘。数値至上主義という欺瞞を、鍛え上げた筋肉で凌駕した瞬間。
「それから、借金で人を縛る悪いカジノの金庫をこじ開けて、悪い薬で縛られていた国も叩き直しちゃった。それから巨大なイカは丸焼きにして食べちゃったし、悲劇を押し付ける『脚本家』もプロレス技で退場させちゃったの」
「ええっ!? クラーケンを食べちゃったの!?」
「うん、美味しかったよー。……それだけじゃないよ? 空を飛ぶ『伝説のドラゴン』は椅子で叩いてタクシー代わりにしちゃったし、世界を分けていた『大断裂帯』には、空飛ぶ都市を落っことして橋にしちゃったの」
「す、すげえ……! めちゃくちゃだ!」
子供たちが目を輝かせる。
現代では教科書の中の出来事、あるいはファンタジーとされる偉業の数々。
けれど、アリスの語り口は、まるで昨日の夕飯の話をするかのように鮮明だ。
「極めつけはね……」
アリスは声を潜め、秘密を明かすように言った。
「最後には、この世界を作った『神様』まで、リングの上でぶん投げちゃったんだよ」
「ええええええええええっ!?」
子供たちが一斉にのけぞる。
「うそだぁ! 神様だよ!? バチが当たるよ!」
「うそじゃないよ。……だって、神様も『痛いけど楽しかった』って笑って、ご馳走を食べて帰っていったんだもん」
アリスはクスリと笑った。
あの日、あの時。
最強の悪役令嬢が、創造主をジャーマンスープレックスで投げ飛ばし、世界に「健やかさ」をもたらした瞬間。
「これが、初代皇帝レヴィーネ様の伝説……ううん、『史実』だね」
アリスは胸を張って断言した。
「だって、私はずっと隣で見てきたから。……彼女が笑って、怒って、食べて、世界を変えていくのを、一番近くで見てきたんだから!」
その言葉には、千年の時を経ても色褪せない、圧倒的な「真実の重み」があった。
子供たちは、ポカンとした後、爆発したように歓声を上げた。
「すっげえええええ!!」
「レヴィーネ様、最強じゃん!!」
「神様投げるとか、意味わかんないけどカッコいい!!」
興奮して銅像の周りを走り回る子供たち。
その無邪気な姿を見ながら、アリスは目を細めた。
数百年。
途方もない時間が過ぎた。
レヴィーネも、アレクセイも、ミリアも、ギルベルトも。
ソレンも、ノブナガも、マラグも。
愛おしい仲間たちは皆、寿命を全うし、星へと還っていった。
寂しくないと言えば、嘘になる。
一人残された「境界の存在」である彼女は、何度も見送る辛さを味わった。
けれど。
「お姉ちゃんは、寂しくないの? ずっと一人なんでしょ?」
一人の男の子が、心配そうに尋ねる。
アリスは、ニカっと笑って首を横に振った。
「ううん! 全然!」
彼女は、広場の向こう、皇城の方角を指差した。
そこには、今の皇帝――レヴィーネから数えて十数代目の子孫が住んでいる。
「だって、あの人の『呪い』は、まだ解けてないんだもん」
『アリスお姉ちゃんを一人にするな! 全力で構い倒せ!』
レヴィーネが遺した、ヴィータヴェン家の絶対の家訓。
その言葉通り、歴代の皇帝たちは、事あるごとにアリスの元へやってくる。
悩み相談、恋愛相談、あるいはただの宴会の誘い。
昨日も、若き皇太子が「アリス様! 新作のスイーツを持ってきました! 曽祖母様のレシピを再現したんです!」と飛び込んできたばかりだ。
彼らの顔には、彼らの仕草には、あの日々の面影が確かに息づいている。
アレクセイの知性が、ソレンの無鉄砲さが、ミリアの計算高さが、そしてレヴィーネの強さが。
「それにね。……この街を見てごらん」
アリスは両手を広げた。
走り抜ける列車。
レストランで食事を楽しむ人々。
違う国の人同士が、当たり前のように笑い合っている姿。
「みんな、ご飯を食べて笑ってるでしょ? ……あれ全部、あの人たちが遺した『宝物』なんだよ」
道が繋がり、食が繋がり、心が繋がった世界。
ふと、アリスの視線が広場のベンチに向けられた。
そこには、時代遅れのヨレヨレのスーツを着た、猫背の男が座っている。
彼は手に持った「ずんだシェイク」を美味しそうに啜りながら、膝の上の「駅弁」を広げていた。
(……ふふ、神様もまだ、残業の合間にサボりに来てるんだ)
世界を見守る管理者は、満足げに駅弁の唐揚げを頬張り、アリスと目が合うと、悪戯っぽくウインクをした。
「美味しい世界」は、神様にとっても居心地が良いらしい。
「だから、私は寂しくないよ。……この世界そのものが、あの子たちからの『手紙』みたいなものだもん」
アリスの言葉に、子供たちは目を輝かせた。
その中の一人、泥だらけのスカートを履いた、勝ち気そうな女の子が前に出た。
彼女は、銅像のレヴィーネの左手を指差した。
「ねえ、お姉ちゃん。……どうしてこの指輪だけ、ちょっと古くてボコボコしてるの?」
レヴィーネの銅像の左手薬指。
そこには、絢爛なドレスには似つかわしくない、無骨な金属の輪が嵌められている。
それは銅像の一部ではなく、本物の指輪だった。
かつて東の樹海で、一人の男が掘り出し、削り出し、愛する女に捧げた、世界で一番頑丈な約束の証。
アリスは目を細めた。
「それはね……世界で一番強くて優しい男の人が、命がけで見つけた『宝物』だからだよ。……どんな宝石よりも、あの人にとっては価値があるものなの」
その指輪だけは、数百年経っても錆びることなく、鈍い輝きを放っている。
二人の愛が、今もここで輝き続けているように。
少女は、それを聞いて何かを決意したように、銅像と同じポーズで仁王立ちした。
「私、決めた! ……私もなる!」
「え? 何になるの?」
「レヴィーネ様みたいな、カッコいい『悪役』になるの!」
少女は拳を握りしめた。
「それで、意地悪なヤツをぶっ飛ばして、みんなにお腹いっぱいご馳走してあげるの! ……どうかな? なれるかな!?」
その瞳にある光。
無鉄砲で、純粋で、そしてどこまでも熱い光。
アリスは、一瞬だけ息を呑んだ。
そして、懐かしさに胸がいっぱいになりながら、最高の笑顔で答えた。
「――うん、なれるよ!」
アリスは少女の頭を撫でた。
「だって……君の中にも、同じ『熱』があるもの」
血は薄まっても。時は流れても。
魂の形は、こうして受け継がれていく。
「頑張ってね、未来の悪役令嬢さん。……応援してるよ!」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」
子供たちが笑いながら駆け出していく。
その背中は、未来への希望に満ちていた。
アリスは一人、銅像の前に残った。
風が吹く。
大陸を西から東へ、東から西へと駆け抜ける、自由な風。
アリスは空を見上げた。
雲ひとつない青空。突き抜けるような、無限の青。
アリスの脳裏に、かつてレヴィーネが語った言葉が蘇る。
『前の人生では、私の世界は四角い天井だけでしたの』
病室のベッド。動かない体。限られた景色。
けれど今、アリスの視界を遮るものは何もない。
「……ねえ、レヴィちゃん」
アリスは空に向かって呟いた。
「今の空は広いよ。……もう貴女を遮る天井なんて、世界のどこにもないんだよ」
風が、アリスの翠色の髪を優しく揺らす。
その風の中に、懐かしく、力強い声が聞こえた気がした。
『当たり前ですわ。……誰が作ったと思っているんですの?』
パチン。
鉄扇を開くような、小気味よい音が響く。
アリスは空に向かって、ピースサインを掲げた。
「またね、私の最高の相棒。……これからも、ずっと見守っているからね」
永遠の少女は、踵を返して歩き出した。
その足取りは軽い。
彼女もまた、まだ見ぬ明日へと続く、旅の途中なのだから。
悪役令嬢の伝説は、終わらない。
彼女が愛した「物理」と「食」と「自由」がある限り、この世界はいつだって、最高に退屈しない場所であり続けるのだ。
風に乗って、最後の言葉が世界中に響き渡るような気がした。
――退屈しない、いい世界でしょう?
伝説は終わらない。
ゴングが鳴る限り、悪役令嬢たちの戦いは続いていくのだ。
いつだって。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器です。
そしてその輝きは、世界を照らす希望の光そのものなのです。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です(完)
* * *
【完結御礼】
『悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です』
最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
二十歳そこそこの頃に小説家を夢見て挫折し、三十年。
中年を過ぎた歳になった今、こうして「自分の生み出したキャラクターたち」を、
最高のハッピーエンドまで連れてくることができました。
悪役令嬢レヴィーネの物語は、私自身の「人生へのリベンジ」でもありました。
彼女がパイプ椅子で理不尽をへし折るたびに、
私自身も救われるような気持ちで書いていました。
もし、この物語が皆様の日々のストレスを少しでも吹き飛ばし、
明日への活力になったのなら、これ以上の喜びはありません。
――追伸。
本編の物語は、ここで「完全に完結」です。
ただ、書いているうちに少しだけ、
本編では描ききれなかった日常や裏側も残ってしまいまして。
明日から数話だけ、短い外伝を投稿する予定です。
結末には一切影響しませんので、
「読み終わった後のデザート」として、気が向いた方だけ覗いていただければ幸いです。
最後に一つだけ、厚かましいお願いがあります。
この作品を「面白かった!」「スカッとした!」と思ってくださった方。
もしよろしければ、下の【24hポイント】や【お気に入り登録】で
最後の応援をいただけますと、作者冥利に尽きます。
皆様の応援があれば、この物語は「書籍」という形で、
もっと遠くまで届くかもしれません。
レヴィーネたちの旅路を見守ってくださり、
本当にありがとうございました!
人生、まだまだ捨てたもんじゃないですね!
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