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第4章

【止まった時計】

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エイミーが塀を跨いだその先には、点々とオレンジの灯りが灯っていた。
ただ、空は相変わらず真っ暗だった。
誰もいない。
辺りを見渡すと、ところどころに店があるようだ。

「ここには、朝が来ないんだ」

ふと、ジャックが口を開く。

「そのようね。私がここに来てから随分と時間が経っているはずよ。
人間界にはもう朝が来ているのかしら?
今、何時なのかももう確かめようがないわ。ほら」

そう言ってエイミーはひび割れて動かなくなった腕の時計を残念そうにジャックに見せた。

「0時00分か……。
この辺りには時計屋がある。
人間界の時間が知りたいならそこの時計屋にその時計を修理して貰おう」

それを聞いてエイミーは目を輝かせた。

「それは助かるわ。早く修理して貰わないと……。
私、お婆ちゃんと2人暮らしなの。
きっと私を心配しているわ。
例え夢でも、心配させる訳にはいかないものね」

「ああ、じゃあまずは時計屋をナビゲートするよ」

そう言うとジャックはバサッと音を立て、翼を広げて先の方へ飛んで行った。

「あ、ちょっと待って!」

エイミーはその姿を追いかけ、走り出した。
しばらくジャックの姿を追いかけていると、ジャックが突然曲がり角を曲がったので、エイミーはその曲がり角を同じように曲がった。

ジャックは消えていた。
エイミーが見渡すと、そこにはぐにゃぐにゃの黒文字で《clock》と文字の書いた看板が掛かった怪しげな店があった。
きっとジャックはこの店の中に消えたのだろう。
ショーウインドウをのぞいてみると、見るからに古いボロボロの掛け時計や不思議な形の置き時計、腕時計など様々な時計が飾ってあった。
ただ、分厚い紫色のカーテンが掛かっており、店の中が全く見えない。

エイミーは意を決してカーテンのその先に入った。
その店の中は、天井が極端に低く、端から端までふかふかな紅色の絨毯が敷き詰められており、まるで迷路のような通路に沢山の掛け時計がチックタックと音を鳴らして掛かっていた。
外がとても寒かったので、店の中の暖かさにエイミーは思わずため息をついた。
そしてひそひそ声でジャックを呼んだ。

「ねえジャック、どこへ行ったの?
急に消えたらびっくりするじゃないの」

しかし、ジャックは姿を現さず、返事もしない。
もっと店の奥にいるのだろう。
エイミーは時計にぶつからないように慎重に店の奥に足を進める。
この店の主はどこにいるのだろうか。

「すみませーん、だれかいませんか?」

エイミーは少し声を大きくして、奥に向かって言った。

すると、

「……誰だね?」

店の奥から、しわがれた低い声が聞こえてきた。
エイミーは答えた。

「私、人間界の者です。修理してほしい時計があるのですが」

「……ちょいと、お待ちを」

低い声がまた聞こえ、
しばらくするとミシ、ミシ、と奥から誰かがやってくる音がした。
現れた時計屋の主は、背の小さい小太りのお爺さんだった。
この暖かい部屋の中、毛糸のマフラーに
ニット帽を被り、毛布にくるまっている。
ふさふさの白い髭を見て、エイミーはサンタクロースを連想した。
時計屋はゆっくりと丸い縁の眼鏡をずらすと上目遣いでエイミーをじろりと見た。

「……どこかで見た顔だね。
……まあいい。人間界の者よ。
時計が壊れたのかい?見せてみよ」

「ええ、ここに来る途中で強くぶつけてしまったみたいで」

エイミーは答えながら腕の時計を外し、時計屋に手渡した。
時計屋は目を細めてじっくりと時計を観察して、少し目を丸くして言った。

「おや?ちょうど、0時00分で動かなくなったのかい?」

「ええ…それが何か?」

「修理は可能だ。ただし時間がかかる。
そしてこの時計が動き出したその時は、ここに迷い込んだ記憶が全て消え、君は人間界に戻されることになる」

「……」

時計屋の言った言葉を聞いて、エイミーはふとさっきのジャックの言葉を思い出した。
…エイミー?あのエイミーなのか?…
…やっぱり、あのエイミーだ…

記憶?記憶が消える?
人間界に戻される?
ジャックはまるで以前から私を知っていたようだったわ。
ということは、私は以前にもここへ迷い込んだことがあるとでも……?
おかしいわね。そんなはずはないわ。
ほんとに複雑で、よくできた夢ね。

エイミーが考えを巡らせていると、頭上から聞き覚えのある声がした。

「おい、ロン。それなら修理はちょっと待ってくれないか?この娘をみんなに会わせたいんだ」

見上げると、ジャックだった。

「ジャック!どこにいたのよ!」

「さっきから君の頭の上を飛んでいた、そっちこそ何故気付かない」

ジャックは片目を歪めて怪訝そうに言った。

「そうなの?呼んだのに答えがなかったから気付かなかったわ、ごめんなさい」

エイミーは、謝りながらもツンとした表情でジャックに言った。
それを見ていた時計屋のロンが、割り込むように話し出した。

「まあまあお二人さん、よくお聞き……人間界の時計となると、修理するのにかなりの時間と労力がかかる。
それに急いで修理し出さないと、最悪完全に針が動かなくなって、その娘が人間界に戻れなくなる可能性もある。
わしゃ、今から修理し出すことをお勧めするよ。
時計の修理が終わるまでに、再びここに来てくれると約束しておくれ」

ジャックはエイミーの頭上で少しばかり不満気な表情をしていたが、エイミーは頷いた。

「わかったわ。でも、いつ頃終わるのかしら?合図みたいなものを作っておかないと」

エイミーが案を出すと、ロンは深く考えながら答えた。

「ああ、それじゃ、合図を決めよう。
予定だと多分……修理に丸五日ほどはかかるだろう。
この世界には朝が来ない。
だからこの世界では一日の区切りとして、毎日塔の鐘が一回鳴るんだ。
その鐘はどこにいても聞こえるから、それは大丈夫だ。
5度目の鐘が鳴る前には必ず戻って来ておくれ」

「ええありがとう。頼んだわ、ロン。
……それでジャック、私に会わせたいそのみんなって誰なの?少し興味があるわ」

エイミーが爛々とした目でジャックに問うと、ジャックは少し呆れた顔でエイミーに言った。

「君は昔から呆れるほどファンタジックなことが好きで好奇心旺盛なんだな……
やっぱりあのエイミーだ。
今からまたナビゲートを開始するからついて来な。ロン、時計のことは任せた」


エイミーとジャックは共に店から出ようとロンに背を向け歩き出した。
そして入り口のカーテンに手をかけた。
後ろからそれを見ていたロンが、静かにエイミーに聞いた。

「娘さんや、長くなってすまないね。
最後に確認の為もう一度、君の名を教えてくれないかい?」

エイミーはロンを振り返り、微笑みながら答えた。

「エイミー、よ」

「……エイミー、か。良い名だな」

ロンはエイミーに微笑み返した。
その表情はどことなく懐かしいものを見ているようだった。

エイミーはロンに一礼して再びカーテンに手をかけ、先に外に出て行ったジャックを追いかけ小走りに駆け出した。

時計屋のロンは、しばらくぼんやりと揺れるカーテンの先を見つめていた。

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