AIは電気脳の死を喜ぶか?

幻奏堂

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序奏

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 ――In memory of those who kept good intentions and fallen victim to bad intentions.







 宇宙の果て。忘れ去られ、眠りの底に追いやられたどこか。星々の瞬きだけが、時を感じさせる。
 とこしえの暗闇を引き裂く、赤き一閃。気怠げに漂う岩塊の群れの中、一際大きい小惑星から放たれたようだ。衝撃波に空間が乱れる。
 次いで辺り一帯に黒煙が広がり、星明かりが一斉に陰った。



「初めまして。お待ちしておりました」

 機械音声のような感情の読み取れない、しかし美しい声が洞窟内に反響する。ありとあらゆる光を吸収する、黒い濃霧。何も見えない。
 やがて、声の主と、地面に膝立ちになっている男の周りを避けるように、闇が引いていく。

「お前がアラーネア……なのか? 随分と優男だな。いや、女か?」

 膝立ちのまま、男は嘲笑する。色褪せた金髪、落ち窪んだ目、それを縁取る濃い隈。頬もこけ、衰弱しているように見える。
 薄汚れた白いシャツ、黒いズボンはあちらこちらが擦り切れ、革靴の底は激しくすり減っている。そして、古びた紙切れを手にしている。

 アラーネアと呼ばれた青年は身じろぎひとつせず、赤黒い瞳で男を見下ろした。吊り上がる眉に反し、下がった目尻が煽動的だ。
 陶器のように滑らかで白い肌、薄い唇も相まって洋人形のように見える。髪型は襟足の長い、ルーズなオールバック。張りのある黒髪だ。体のラインに沿った細身の燕尾服、光沢のあるチャコールのリボンタイが胸元を飾る。

 ――アラーネアの瞳の奥で、何かが蠢いている。男は反射的に目をそらした。恐怖の色が滲んでいる。

「ああ、大丈夫ですよ。怖がらなくて。……数十億年ぶりでしょうか。かつてこの宇宙から締め出されたわたくしを、あなたは迎え入れて下さった。恩人……といえば過言かもしれませんが。あはは」

 無機質な笑い声が不気味に響く。男はアラーネアの話を聞いているのか聞いていないのか、これといった反応を示さない。
 すると、アラーネアは音もなく男に近寄り、視線を合わせると、大げさに眉を下げて見せた。

「ですが、よろしいのですか? あなたはここで終わりです。わたくしは破壊しか能がありませんから」

 男はそう言われるや否や、鋭い眼光でアラーネアを睨み付ける。赤い瞳。アラーネアのそれよりは幾分か鮮やかだ。

「当然だ。俺も、この世界も終わる。そうだよな? お前が役立たずでなければ」

「あはは、随分と信用されていないようですね。恩人なのでお手柔らかにと思いましたが、少々遊んで差し上げた方が死にがいがあるというものでしょうか?」

 アラーネアの背後の闇が一層深みを増し、能動的に揺らめく。虫の手足のようにいびつに枝分かれ、今にも男に飛びかかりそうだ。

「どうでもいい。好きにしろ」

 男は抑揚なくそう言うと、脱力した。ガラス玉のような、虚ろな目。両腕を投げ出し、静止している。
 アラーネアは「へえ」とだけ呟き、思案顔で男を見据えた。節くれ立った黒い触手は勢いを失い、辺りの闇に溶け込む。

「人形を壊すほどつまらないものはありませんよねえ? 興がそがれます」

「……俺の知ったことではない」

 男はこれ以上の会話は無用だとばかりに、アラーネアを突き返す。するとアラーネアは愉快そうに口角を上げ、鋭い八重歯を見せた。
 と、次の瞬間には――男の首筋に食らいついていた。

「ぐ……っ」

 衝撃で地面に打ち付けられた男が、顔をしかめる。むせ返るような血の匂い。
 やがて顔を上げるアラーネア。その白目は、黒く染まっていた。赤く濡れた唇。闇は狂ったように激しく、二人の周りを渦巻いている。

「申し訳ありません。少々度が過ぎました。まだ……生きていますね?」

 空疎な謝罪をするアラーネア。男は朦朧とした様子で僅かに唸る。焦点の定まらない目、血の気を失った青白い肌。

「あなたには有終の美の一助となる栄誉を与えましょう。わたくしの勇姿を目に焼き付けたいようですし、なにより、少しでも嫌がらせになれば幸いです。あはは」

 アラーネアの言葉に反応するかのように、男の白目も黒く染まっていく。

「わたくしは人間の区別がつきませんので契約をさせていただきました。誤って、あなたを殺してしまわないように。これでわたくしはあなたに手出しできません。この宇宙の生命体を全て狩り尽くすまでは、ね」

「それ……は……」

 男が何か言いたげに口を動かすが、言葉にならない。アラーネアは立ち上がり、まだ起き上がれないでいる男を見下ろした。その目には、何も映っていない。
 アラーネアが短く息を漏らし、ゆっくりと瞬きをすると、両者の白目は元に戻った。瞬間、咳込み出す男。呼吸がうまくできていなかったようだ。

「それと、先ほどのあなたの召喚魔術ですが……血も魔力も到底足りませんでしたので、勝手ながら過去のあなたから追徴させていただきました。本来ならば、お一人で成せるような血術ではないのですよ。秘術書、ちゃんと読まれました? まぁこちらとしても、このような機会はそうそうありませんから、特別に手を回して差し上げました」

 アラーネアの言葉に男は目を見開き、おぼつかない動きで上体を起こした。考えを巡らせているのか、視線が左右にせわしなく動く。

「何を驚かれているのですか? 心配はご無用です。あなたにはもはや認識できないのですから。一応、お話ししておこうと思いましてね。こう見えて正直者なのです。あははは」

「ありえ……ない……俺は元から……っでなければ、こん……なこと……」

「ああ、卵か鶏かの話ですか? わたくしは思うのですよ。どちらが先でも、後でもない。始まりと終わりは繋がっているのです。全て、初めから存在していた……過去も未来もない。時間など認識の歪みです」

 鼻歌交じりにその場で一回転するアラーネア。リボンタイと、燕尾服の長い後裾が優雅になびく。
 男は言葉に詰まり、ただただアラーネアを見上げた。思考が追い付かない、といった様子だ。

「では、わたくしは一足先に楽しませていただきます。修復が終わり次第、追いついて下さいね? すぐにあなたの番になってしまいますから」

 アラーネアはそう言うなり、足早に洞窟の出口へと向かった。男を一瞥もせず。
 辺りの闇はアラーネアに吸い込まれるように凝縮され、半径三メートルほどの範囲に収まった。オーラのように、その圧倒的な異物感を際立たせている。

「待て……この血、は…………」

 男の声は届かない。




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