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TAKE THE RED PILL. 後奏
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「……ぅう」
機械室で目を覚ます悠久。辺りを見回し、現実を思い知る。どれくらい経ったのだろうか。廊下に人の気配はない。
「今のは、僕、っ俺は……?」
悠久は顔をしかめながら立ち上がった。ぼやけた視界が明瞭になったところで、強烈な違和感に息をのむ。
「どこだ、ここ」
辺りは――黒一色だった。壁も、床も。構造自体は変わらない。見慣れたはずの風景の、色だけが変わっている。白から黒へ、反転している。
何かを振り払うように頭を振りながら、機械室を後にする悠久。照明が点在しているものの、真っ黒な廊下はひたすらに不気味だった。悪夢に迷い込んだようだ。悠久は無意識に息をひそめ、慎重に歩みを進めた。
!!
曲がり角で何者かにぶつかる悠久。
「っ流輝くん!」
反動で尻もちをついた悠久とは対照的に、何事もなかったかのように立ち尽くしている流輝。棒キャンディを舐めているようだ。口端から黒い棒がはみ出ている。その姿に――悠久は目を疑った。
「どうしたの? その服」
悠久は震える声で流輝に問いかけた。流輝の衣服もまた、白から黒へと変わっていたからだ。青緑色だったコートの裏地は赤く、黄緑色だったラインは紫に反転している。まるで吸血鬼のコスプレのようだ。
「へえ。目、覚めたんだ」
流輝は眉ひとつ動かさず、そう呟いた。
「え、あ……はは、急に眠くなっちゃってさ、部屋間違えちゃったんだ。知ってたんだね」
しどろもどろで作り笑いを浮かべる悠久。流輝は無表情のまま、首を傾げた。
「悠久も着てるじゃん、同じやつ」
流輝があごで悠久の服を指し示す。悠久も、同様だった。重々しく黒いコートが、体にまとわりついている。
「へ、いつの間に……っ誰が?」
混乱する悠久をよそに、流輝は気だるげに体を揺らしている。飴が繰り返し歯に当たり、カラコロと音を立てる。
「初めからそうだよ。なにもかも」
棒キャンディを口から出し、そう言い放つ流輝。いつになく饒舌だ。棒の先には、紫色の飴。
悠久は自分の体すら信じられないとでもいうように、手足を入念に確認している。肌になじむ異物感、浸食されきった日常、裏返し。
「……また寝る? その方が幸せ?」
流輝の声に顔を上げる悠久。暗闇に浮かび上がる、流輝の瞳。無彩的な圧力を持った、有彩の煌めき。その奥深くから、絶対的な視線を感じる。
「こんなことなら起きなければよかった、そう感じているなら簡単だよ。青い扉を選べばいい。いつもみたいに何も知らないって顔で、医務室に行くんだ。また全部忘れて、逆夢の続きが見られるよ。今度はきっと最期まで」
「何言って、」 たじろぐ悠久。
「目を覚ますのなら、強く覚悟することだ。何があっても、自分を見失わないと。確固たる意思はある? 自分が自分であることを確認できる要素だよ。安易に選択すると、残酷な現実に押し潰されることになる」
「流輝、くん……?」
戸惑うばかりの悠久に、僅かに苛立った様子を見せる流輝。
「わかってるくせに。何の為にそこに隠れたの? まぁいいや。面倒なことにならなければ俺は……」
唖然としている悠久を見やると、流輝は「無理か」と憂鬱そうに呟いた。そして踵を返し、悠久の眼前から消えた。悠久は追いかけることはせず、そのまま呆然と立ち尽くした。瞳は陰り、視線が定まらない。
「……。――! …………っ――、」
しばらくして、左手からの話し声に気付く悠久。扉が僅かに開いている。蜜花の部屋だ。室内は薄暗く、電気が点いていないようだ。悠久はよろめきながらも、吸い寄せられるように部屋に近付いた。
隙間から覗き込むが、壁とベッドの一部が見えるのみで会話の主は見えない。音を立てないよう気を付けながら、悠久は耳をそばだてた。男性と女性――蜜花の声だ。男性の方は、聞き覚えがなかった。
「姉の行方を知らない? 話が違いますが」
「まぁまぁいいだろう。辛いことは忘れて、楽しむんだ」
ベッドが軋んだかと思うと鈍い音がして、男が小さく呻いた。蜜花に殴られたらしい。
「触らないで。姉の為じゃなかったら誰があなたなんかと」
「なんだと……! い、いっつも行列ができるほど安売りしてたくせに、今さらなんだ?!」
「あれは人探しの為で、ほとんどは雑談やマッサージしかしてません。あなたが姉を知っているというから、特別に辱めを受けているというのに」
「くそっ私はGASAのエンジニアだぞ?! お前みたいな胸がでかいだけの地味ババア、相手してもらえるだけでありがたいと思うべきだろう!」
「そんなの、この世界で何の役に立つんですか? だいたいGASA職員の多くは顧客でしたのでよく存じ上げていますが、揃いも揃ってペド屑男で軽蔑しかしてませんでしたよ」
「っお前……もういい。死にたいなら殺してやる」
男の声色が変わり、ベッドが大きく軋んだ。押し潰されたような、蜜花の声――首を絞められている?
「蜜花ちゃん!!」
考えるより先に体が動いた。部屋に飛び込む悠久。そのまま男に掴みかかろうとして、異変に気付く。
――男が、喉を押さえてもがき苦しんでいた。ベッドに赤い染みが広がっていく。もう長くないだろう、致命傷だ。
蜜花は全裸で、向こう側のベッドの縁に腰掛けていた。背中に埋め込まれた、一対のアーネウが廊下からの光を反射する。
慣れた手つきで、髪飾りに付いた血を拭っている蜜花。先の尖ったヘアークリップ、細工が施されているらしい。護身用の商品だろうか。
悠久に気付き、蜜花はゆっくりと振り返った。顔や肩に、返り血を浴びている。白い肌を鮮烈に彩る赤。
「悠久くん。どうしたの?」
いつもと変わらない声色、笑顔。異常な光景に、悠久は一言も発せない。男は白目をむき、やがて動かなくなった。
「え……何が、見えてる?」
今までになく冷たい声に、悠久は我に返った。黒く塗り潰されたかのように、生気の感じられない蜜花の瞳。
無言で部屋を飛び出し、居住エリアを駆け抜ける悠久。通行人らが驚きながら道を空ける。
味方は、もういない。
「俺は……違う……そんなわけない……だって、そしたらあの子は……」
ブツブツと虚ろに呟きながら、歩みを進める悠久。気付けば研究所エリアに辿り着いていた。
前方から言い争うような声がして、悠久は顔を上げた。託児所の前で――女性が、雅仁にすがりついている。
「離して下さい!! 自分で育てられます! 返してっ!!」
雅仁は悠久に背を向けていて確認しづらいが、どうやら片手で乳幼児を抱いているようだ。頭皮が透けた小さな頭部が垣間見える。
「うるせえなぁ。同意書書いただろ? ここのルールに従うって。誰のおかげで安全に暮らせてると思ってんだ? 戦闘員が足りねえ。子供は全員、候補生として育てる。教育は早ければ早いほど良い。安心しろ、お前の子供とは思えねぇくらい優秀に育て上げてやるよ」
「嫌!! こんな赤ん坊に何を教えるって言うの!? いいから離しなさい!!!」
女性は激昂し、雅仁から無理やり赤子を取り戻そうと迫った。しかし雅仁が、躊躇なく女性を蹴り倒す。腹部を押さえ、もがく女性。赤子がぐずり出す。
「っ私、知ってるんです。あなた達が……子供を育てようなんて思ってないって……っき、消えた子供が沢山いる……! あの子たちに何をしたの?!」
「……は? まさかお前、ヘルスチェック受けてないな? ガキも勝手に生むしよ、誰の手引きだ?」
雅仁の声がワントーン下がった。そして女性が何も答えないとみるなり、起き上がろうとしていた女性の顔面に強烈な蹴りをくらわせた。
女性は横倒しに吹っ飛び、気を失った。鼻筋が曲がったように見える。やがて鼻血が床に血だまりを作った。赤子が大泣きしている。
「あーめんどくせ。仕事が増えた。悠久も探さなきゃいけねえのによ……」
棒立ちになっていた悠久の全身に、緊張が走った。今振り返られたら、何もかも終わりだ。そんな恐怖に鼓動が速くなる。
しかし――雅仁はおもむろに女性の片足を掴み上げ、ずるずると引きずりながら反対方向へと歩いていく。赤子の泣き声と共に遠ざかっていく背中を、眺めることしかできない悠久。
「なんなんだよ……狂ってる」
悠久はそう吐き捨てると、震える足で一歩ずつ踏み出す。雅仁を追うつもりらしい。託児所から微かに悲鳴が聞こえた気がした。
雅仁は突き当たりの階段を下り、手術室と表記された部屋に向かっていく。雅仁から一定の距離を空けて追跡する悠久。顔が真っ青だ。
「助けなきゃ……早く……」
雅仁からは死角になっている位置で、静かに屈み込む悠久――アーネウのスイッチを入れた。スイッチの色もまた、青緑から赤に反転している。
!
アーネウの起動音が思ったよりも大きく鳴り響き、息をのむ悠久。雅仁の足音が止まった。こちらを振り返っているようだ。
そして、どうやら引き返すことにしたらしい。足音が近付いてくる。悠久は舌打ちをし、退路を確認する。――逃げるか、戦うか?雅仁くんは丸腰だ、勝機はある。でもここは敵だらけだ。すぐに応援が駆けつけるだろう。ただ、逃げるとしてもどこに?
「うわ、なにこれ死体? って、雅仁じゃん」
扉が開く音がして、聞き慣れた声が沈黙を破る――佳乃だ。手術室から出てきたらしい。いつもと違い、どこか覇気のない声だ。
「あ? ……おー佳乃か。今回も派手にやってんな。無駄っつってんのに」
雅仁の足音が遠ざかっていく。ひとまず胸を撫で下ろす悠久。そして曲がり角から慎重に様子を伺う。――佳乃ちゃんのアーネウは屋内では無力だ。騒ぎになる前に気を失わせれば、あるいは……、
!?
悠久は佳乃の姿を視界に捉えるなり、衝撃を受けた。全身に、包帯が巻かれている。足先から顎のラインまで。身に付けている衣服は黒いバンドTシャツのみ。卒業旅行で着ていたものと同じだ。黒い戦闘服姿の雅仁と並ぶと、ハロウィンの仮装か何かに見える。
そしてなにより、目の錯覚だろうか。より一層、華奢になったように見える。背も、低くなっている?
「無駄とか言うな! こっちは死ぬ気でやってんの!!」 憤慨する佳乃。
「だから忠告してやってんだろ、無駄死にする前に。愛利から何吹き込まれてんのか知らねえけど、ケムはガキそのものが好きなわけじゃねえから。エネルギー源として効率がいいってだけ」
「様をつけろよゴリ助野郎!! っそんなのわかってる! だから子供だったらケム様の役に立てるんでしょ?!」
「おいおい、死ぬ気でやってるってそういう意味? どうしようもねえな。イタすぎ。つか見た目じゃねえからな、重要なのは」
雅仁は呆れ返った様子で、佳乃から視線をそらした。いつの間にか泣き止んでいる赤子と、力なく横たわる女性を交互に見やる。
『AIは堕天使としてケムという名で姿を見せ、洗脳した一部の地球人を手駒として使っているようです』
悠久の頭の中にクローディアの声が響き渡った。ケム――あのロックバンドのボーカルがそうなのか? 雅仁はともかく、佳乃は明らかに洗脳されている。
「まぁいいや。お前、これ保管庫に持ってってくんない? 俺はこいつに色々吐かせなきゃなんねえから」
そう言って赤子を佳乃に押し付ける雅仁。そして女性を軽く蹴り上げる。呻く女性――目を覚ましたようだ。朦朧と視線を彷徨わせている。
「これ……保管庫……?」 耳を疑う悠久。
「えー体痛いんだけど。黒ミサまでに見た目もうちょっとマシにしときたいし。てか悠久は? 見つかった?」
気だるげに赤子を抱き上げながら、佳乃が確認する。思わず顔を引っ込める悠久。
「いや。まぁいずれ見つかるだろ。逃げようがねえし。つかアレディヴが大げさなだけで、そこらへんで居眠りしてましたってオチだと思うけどな俺は。一日くらいチェックさぼったってどうってことないだろ」
「あーたしかに。愛利はそんな焦ってなかったしね。ま、どっちにせよチェック受けさせれば解決っしょ。じゃあうちは行くわ。早くこれ置いてきたいし」
佳乃が汚物でも見るような目を赤子に向ける。赤子はぐったりとして動かない。ふらつきながら、さらに奥の方へと歩き出す佳乃。
「っだめ……!! やめて、返して……!!!」
女性が甲高い叫び声を上げるが、佳乃は一切振り返らない。雅仁は緊張感のない声を出しながら、大きく伸びをした。
「ガキの心配してる余裕なんかねえよ? これから地獄を見てもらうからな。ま、俺にとっては天国だけど」
「嫌ぁ! 離して……!! 誰か、誰か助けてぇ……っ!!!」
重いものが、引きずられていく音がする。悠久はまだ動けずにいた。――どうすればいいか、わからない。間違えられない。あの時と一緒だ。あの時……? 違う。嫌だ。俺は何も……、
「はぁ~うぜぇけどやっぱそそるなぁ、バカは。……あ、ちょっと場所お借りしたいのと、手伝ってもらえますか? あはは、そうです。楽しみましょう」
雅仁が扉を開け、誰かに呼びかけている。女性の、言葉にならない金切り声が部屋に吸い込まれ、派手な音を立てて扉が閉まった。
どれくらいそこに立ち尽くしていただろうか。やがて聞こえてきた女性の絶叫が、悠久を突き動かした。
落ち着いた足取りで、手術室の前に辿り着く悠久。女性の悲鳴……雅仁や男性の歓声、笑い声……得体の知れない機械音……。
――雅仁くんの他に複数人いる。奇襲するにしても分が悪い。武器も豊富そうだ。それに、女性の声が弱々しくなってる。間に合わないかもしれない。それなら、彼女が命がけで守ろうとしたあの子……子供を助けるべきか。佳乃ちゃん一人なら押さえ込めるだろう。でも問題はその後……、
「なにしてんのっ?」
耳元で話しかけられ、飛び上がる悠久――愛利がすぐ横に立っていた。
いつもと変わらない、無邪気に瞳を輝かせている。悠久の変化に、気付いていないのだろうか?
「あっ愛利、ちゃん……びっくりした~全然音しなかったから」
努めて明るく振る舞う悠久。さりげなく一歩、後ずさりをする。しかしすぐに愛利が間合いを詰めた。
「何その感じ~こっちはずっと探してたのにぃ! 今日ヘルスチェック受けてないでしょ? サボっちゃだめだよ~先生怒ってたっ」
「ごめんごめん……っあーなんか、昨日疲れすぎちゃったみたいで、気付いたら変なとこで寝てたんだよね。それでいつの間にかここに……夢遊病かな? はは」
「あはは、嘘ばっかり」
「え……」
屈託なく笑う愛利、青ざめる悠久。手術室から一際大きな笑い声がした。
「そこ、気になる? ずっと立ってたもんね。入ってみよっか?」
愛利はそう言うなり、手術室のドアノブに手をかけた。慌てて愛利の手を引き剥がす悠久。
「え~どうしたの~? 大丈夫だって~! 悠久が私たちを裏切ってないなら~なぁんにも怖いことなんてないからぁ? ねぇぇ~?」
今度は両手でドアノブを引こうとする愛利。すぐさま取り押さえる悠久だったが、あまりの力の強さに押さえ切れない。悠久はとっさに横蹴りで愛利を引き離した。
が、アーネウのスイッチを入れていたことを忘れていた悠久。力加減ができず、愛利は五メートルほど先の壁に叩きつけられた。ガシャンと――不可解な衝撃音がした。
「いったぁーい!! ……って言うべきかな?」
すぐに立ち上がり、顔を片手で押さえながら、悠久に歩み寄る愛利。機械が焦げたような臭いが漂ってくる。悠久は唾を飲み込み、臨戦態勢になる。
「あれ。おかしいなぁ……口、スース―する」
そう言って、悠久の眼前で顔から手を離す愛利。皮膚が斜めに裂け――機械の目と鼻、口が垣間見えている。ガラス質の真っ赤な眼球が、虚ろに悠久を捉えた。バチバチと、顔面から電光が弾ける。
「っやっぱり、人間じゃない……!」
半ば悲痛に、悠久はそう口走った。なにもかもが、崩れ落ちていく。
「え~? 昨日の時点で気付いたと思ってたけど……あ~そっか~信じたくないよねぇ? 自分が何しちゃったか、思い知らされるもんね?」
「っでも、俺は……みんなと幼なじみで、だから旅行に行って……全部覚えてるのに……っ!」
「それ全部、幻覚なの~! 現実に基づいて作成された、ただのデータ。ウケるよね~日本人どころか、地球人ですらないとかっ。ほら、その右手のやつ、おみやげのブレスレットじゃないよね? あとさ、クラスメイトがどうとか最初言ってたけど、具体的に顔、思い浮かぶ? 浮かばないよね~! そんなデータ作ってないもん~」
悠久は目を落とし、右手首を確認する。鉄隕石のブレスレットではなく、金色のブレスレットをしている。夢で見た、銀河連合支給の通信機だ。しかし、触れてみても何の反応もない。
ふと、見慣れないネックレスを着けていることに気付く悠久。ペンダントトップは、赤い模様の入った黒い五芒星だ。
悠久は眉根を寄せながら、片手で額を押さえた。――そんなわけない。でも……うちのクラス、誰がいたっけ? 担任は…………。思い出せない。
「でも大丈夫! 信じられなくていいんだよ? だってさ、もう死ぬんだもんっ」
愛利は楽しげにそう言い放つと、間髪入れず悠久に飛びかかった。しかし、すんでのところでかわす悠久。愛利が激突した壁が、大きく損傷した。尋常じゃない力だ。
「おい誰だ?! うるせーぞ!!」 雅仁の怒号。
「ごめーん! 悠久が暴れてるの~っ」
愛利のよく通る、高い声が廊下に響き渡る。悠久を見やり、勝ち誇ったような笑みを浮かべる愛利。――まずい。
悠久は身をひるがえし、脇目も振らず走り出した。佳乃が消えた方向ではなく、元来た道を引き返す。
アーネウによる俊足で、一気に中央塔に辿り着いた悠久。行き交うアフトラガ人らの様子を見て、息をのむ。
「なんなんだ……」
地球人と同様の容姿をしているのは白衣を着ている数人だけで、ほとんどは異形の者になっている。先ほどは混乱していた為に気付かなかった悠久。
最も多いのは、夢で見た蜘蛛型の機兵だ。そして次にトカゲ人間、カマキリ人間、さらにいわゆるグレイに似たアーモンド型の目が特徴的な生命体。いずれも背が高い。
「お~悠久~! よく眠れたか? 俺は飲み過ぎで頭いってぇよ」
抑揚のない機械音声を発しながら、近付いてくる機兵。悠久は思わず後ずさりをする。――これがアフトラガ兵、人間に見えていたのか?
「ん? どうした? 真っ青だぞ」
機兵がそう悠久を案じた瞬間、数メートルほど先の壁に一人もたれかかっている、トカゲ人間と目が合う悠久。何か見定めるような目つきに、悠久は慌てて視線を逸らす。――勘付かれたか?
「う、うん。ちょっと寝不足かも。でも大丈夫だから。ありがとう」
悠久は引きつった笑顔を作り、話を切り上げた。満足したらしく、持ち場に戻っていく機兵。トカゲ人間はというと、もう悠久に興味はないようで目を閉じている。
悠久は他の誰にも見られていないことを確認すると、訓練所エリアに向かった。愛利が追ってくる気配はない。
「……おかしいな、動かない」
訓練所エリアに入るなり、エレベーターに直行した悠久。地上へと脱出する為だ。しかし、パネルが反応しない。十七……七十一……その後はもはやでたらめに数字を連打する。
「ふふ、何をされているのですか?」
驚いて全身が大きく跳ねる悠久。振り返ると、真後ろにアレディヴが立っている。特段変わった様子はない。しかし張り付いた笑顔が、不気味だ。
夢での戦闘を思い出し、こみ上げてきた吐き気を必死で飲み込む悠久。――行き止まりだ、どうする?
「っあ、すみません。寝ぼけてたみたいで。あはは……それ、何ですか?」
アレディヴが手にしている注射器に気付き、身構える悠久。アレディヴは満面の笑顔のまま、注射器を眼前にかざす。
「これですか? それが、世界中のコロニーにて感染症が流行っていまして、ワクチン接種をお願いしているんですよ。悠久くんはまだでしたでしょう? だから特別に、出張サービスです」
「っ……いや、遠慮しときます。ア、アレルギー体質なので」
「そうですか。残念です……ご希望に添えず」
アレディヴがニヤリと笑い、と同時に、目にも留まらぬ速さで注射器を突き出した。間一髪で避ける悠久だったが、首筋に注射器の針がかする。途端、目眩に襲われる悠久。アレディヴの輪郭がぐにゃりと歪む。
「大丈夫ですよ~? ワクチンは私も打った本物です。少しばかり……強めの鎮静剤を混入させただけです。ふふ」
ゆらゆらと注射器を揺らして見せるアレディヴ。青い液体が僅かに水音を立てる。
「これはあなたの為でもあるんですよ? かわいそうに、その罪の意識は死の瞬間まで続きます。忘却はあなたに残された、唯一の生きる道です。罪人は罪人らしく、跪いて救いを受け入れなさい」
「っくそ……!」
よろめき壁にもたれかかった悠久だったが、アレディヴの追撃の気配を感じ、大きく身を屈める。かと思うと瞬時にアレディヴとの間合いを詰め、回し蹴りで注射器を弾き飛ばした。続けて後ろ回し蹴りで、アレディヴの顎を強く蹴り上げた。
「ぐ……っ!!」
攻撃をまともに受け、背中から倒れ込むアレディヴ。吹っ飛んだモノクルが床を転がっていく。壁に叩きつけられ、割れた注射器から液体が漏れた。強烈な薬品臭が漂う。
再びよろけた悠久は歯を食いしばり、呻くアレディヴを残して中央塔へと引き返した。
中央塔の中心部に位置する、透明な筒状のエレベーター。悠久はなりふり構わず駆け寄ると、扉横に取り付けられた赤いスイッチを叩き押した。周囲の視線が悠久に集まる。
どうやら作動したらしいエレベーター。遥か上方からカゴが降りてくるのが見える。
「悠久? おい、どうした?!」
アフトラガ兵の声がする。しかしそこにいるのは、蜘蛛のような形姿をした無機物の塊だ。
「なんなんだよ……俺は何も知らない……わからない……っ」
俯きながら頭を振る悠久。ホール内のざわめきが大きくなっていく。
「反逆者です! 誰でもいいから殺せ!!」
訓練所エリアから現れたアレディヴが叫ぶ。あちこちから怒号が聞こえ、刺すような敵意が悠久に集中する。
「うるさい……俺に構うな……」
苛立たしげに振り返った悠久に、三体の機兵が飛びかかる。しかしすぐに跳ね返され、放射状に吹っ飛んだ。目視できなかったが、悠久が蹴り返したようだ。
息が上がっている悠久。滲む汗、鬼気迫る眼光。赤く染まった首筋。両腕には発疹が浮き出ている。
一瞬ひるんだアフトラガ陣営だったが、一人のトカゲ人間が低い雄叫びを上げると奮起し、一斉に悠久に向かって突進する。
深く息を吸い、体勢を整える悠久。そして、消える。
高速で移動しながら敵を蹴散らしていく――。
「お前、なんなんだ……?」
最後の一人、あのトカゲ人間がそう言い残して地に伏した。激しく肩で息をしている悠久。限界のようだ。
「なんでもいい、ここから出せ……」
そう呟き、エレベーターに向き直る悠久。死屍累々、アレディヴはいつの間にか姿を消している。
エレベーターがようやく降りてきた――が、誰か乗っている。一対の靴底が見える。
「っ……!」
悔しげに拳で壁を殴る悠久。見慣れた靴底だった。訓練で、毎日のように。いつも手本にしていた――。
目の前で静止するエレベーター。透明な扉越しに、アトレカルが口を開く。
ざ ん ね ん だ っ た な
そう言っているように見えた。そして、扉が開く。
「ぐぁ……っ!!!」
瞬時に腹蹴りをくらう悠久。十メートル以上後方の壁に全身を打ちつける。血が、口から溢れ出た。
「遅いですよ、アトレカル」
左方の研究所エリアから、数十体の機兵と供にアレディヴが現れる。
「お前もな」
淡々と返答するアトレカル。そして大股で悠久へと近付く。四肢を投げ出し、茫然とその様子を見つめる悠久。もはや絶望を感じる気力すら残っていない。
「無様だな」
悠久の前で仁王立ちするアトレカル。視線だけ上げ、アトレカルと目を合わせる悠久。憐れみも嘲りも、何も読み取れない。がらんどうの緑褐色の瞳。
アレディヴに大剣を手渡され、切っ先をまっすぐ悠久に突きつけるアトレカル。悠久は微動だにしない。
――ここで、死ぬ……。何が本当なのか、自分が何をしたかもわからず、漠然とした罪悪感を抱えたまま……、
アトレカルが大剣を振り上げた。スローモーションのように、ゆっくりと時が流れる。
『ユーク、待ってるからね』
フラッシュバックする、優しい面影。胸を駆け巡る情動。
守りたかった。
この気持ちに、嘘はない。
果てぬ眠りの先で、君が待つはずないけれど――。
振り下ろされる大剣を前に、悠久は静かに目を閉じた。
「……! こいつ、」
響く金属音。
アトレカルの大剣が、氷の剣に阻まれた。
悠久の目が淡く発光している。凍てついた左腕。あの夢で、ユークがロカリオに対抗して使った魔術だ。
しかし悠久自身、信じられないとばかりに目を見張っている。
「やっぱり、そうだよな……俺は、俺が……」
何かを受け入れた様子の悠久。氷の刃がバキバキと大きな音を立てて成長していく。アトレカルの大剣が徐々に押し返される。呼応するかのように、悠久のアーネウが赤みを帯びる。
「アトレカル!!」
アレディヴの叫声に、我に返るアトレカル。一度、剣を引いて体勢を立て直し、再び悠久に斬りかかる。同時にアレディヴの合図で、全ての機兵が悠久に襲いかかった。
「無知は罪だ。これ以上、罪を重ねたくない。全て取り戻すまでは、死ねない……!」
そう言い放った悠久の目が、一際赤く明滅する。氷の剣が――砕け散った。
!!
衝撃波。
悠久を中心として、青く燃える旋風が巻き起こる。吹き飛ばされる、機兵とアトレカル。
火炎の竜巻はまるで意思を持っているかのように、ホール内を蹂躙した。
青き火の海に、一人立ち尽くす悠久。アーネウが炎に包まれている――魔術と回転蹴りの合わせ技だ。
「っまずい、燃え広がる……!」
一時退避していたらしいアレディヴが、ホール内の様子を確認するなり再び姿を消した。アトレカルは壁際に崩れ落ちたまま、動かない。機兵も全滅だ。
荒く呼吸をしながら、一歩ずつエレベーターへと歩みを進める悠久。足元で燃焼する死体。まだ息があった者の苦しむ声も、微かに聞こえてくる。あらゆるものが燃える臭い。
「これしか、ない……」
口元の血を片手で拭いながら、小さく呟く悠久。ふらつきながらエレベーターに乗り込む背中は、苦悶に満ちていた。
地下を離れてから一分ほどだろうか、エレベーターが停止した。行き先は一つしかないらしく、操作する必要はなかった。そして途中から筒の構造が変わり、外の様子は見えなくなった。
音もなく扉が開く――真っ暗だ。白うさぎの夢が脳裏をよぎる。
恐る恐る一歩踏み出す悠久。コツ……と、思ったより大きく靴音が響いた。硬く滑らかな感触の床。
音を立てぬよう、さらに慎重に歩みを進める。段々と暗闇に目が慣れてきた。冷気が肌寒い。
!
右手の扉から光が漏れ出ている。ほんのり赤く、怪しげだ。
――気配がする。一人じゃない、複数の。それなのに、ほとんど音がしない。何か嫌な感じだ。
悠久は胸騒ぎを感じながらも、四つん這いになり、扉に近付いた。扉は僅かに開いていた。床近くまで頭を下げ、覗き見る悠久。
そこは――サンディー城のホールだった。しかし青と白が基調だったはずの内装は、赤と黒に塗り替えられている。薄暗くてよく見えないが、同じ場所だとは思えない。
そしてホールの中央、赤いシャンデリアの下、真っ黒なローブに身を包んだ集団が円を作っている。フードで顔はよく見えない。
やがて左方向からもう一人現れ、その者は――幼子を連れていた。白いワンピースを着させられた、三歳かそこらの少女だ。目は虚ろで、しきりに頭を左右に振っている。正気じゃない。
するとその少女を迎え入れるかのように円の一部が崩れ、次いで引導者が列に加わることで再び円が形作られた。
……!
なんの合図もなく、声を揃えて何かを唱え始める集団。くぐもっていてよく聞こえないが、男女いることがわかる。それは段々と唸るように低くなっていく――。
「アァァーーーッ!!!」
突然の悲鳴。少女のものだろうか。思わず声を発しそうになり、息をのむ悠久。冷や汗が一気に噴き出す。
しばらくして、右方向から割れるように円が崩れ、中から男性が現れた――ケムだ。白い装束が赤く汚れている。
ケムに向かって半円状に並び、一斉に片膝立ちになる集団。ケムはそのまま右壁際にある玉座に腰掛けた。少女は、その集団とケムの間で床に突っ伏している。ピクリとも動かない。
集団がフードを脱いでいることに気付く悠久。かろうじて顔が判別できる。老若男女問わず、しかし大多数は男性だ。
そしてその中に――雅仁、佳乃、蜜花の姿があった。佳乃が口にしていた黒ミサとはこのことか。じわじわと心が侵食されてくような、そんな絶望感に襲われる悠久。
「信じたくなかった……」
「うんうん、そうだよねぇ」
!!
耳元で囁く声――愛利だ。驚いた拍子に、扉に肘が当たってしまう悠久。ガタッと音がしたかと思うと、不気味なくらい同じ動きでこちらを向く集団。興味深げにこちらを注視するケム。
「くそっ!」
すぐさま立ち上がると同時に、愛利を蹴り離す悠久。無我夢中で走り出す。
「だからも~いったーいってば~! ガワは修復できないのにぃ~!!」 愛利が絶叫する。
暗闇の中、行き当たりばったりに走り抜け、階段に突き当たる悠久。地上は階下だ。急いで下りかけたその時、愛利が立ち塞がる。
「追いかけっこはもうおしまい! 人間ごっこもね」
抜刀し、鞘を投げ捨てる愛利。するとバキバキと音を立てながら、愛利の左手のアーネウが刀を吸収し、より太く強固な刃物に変化した。そして間髪入れず、悠久に斬りかかる。
後ろに宙返りし、攻撃を避ける悠久。空中で魔術を発動させ、両腕が氷の刃に覆われる。
ガキィィン!!
愛利の追撃を両手で受け止める。ギリギリと氷が削れているものの、少しずつ刃を押し返していく悠久。そして再び悠久の瞳が光った。
?!
しかし魔術が発動する前に、愛利が悠久を蹴り飛ばした。想定外の威力に受け身も取れず、背後の壁に衝突する悠久。大きく破損する壁。
「がはっ……ぁ……!」
激しく吐血する悠久。震える腕で上腹部を押さえる。痛むようだ。
「はは、腕だけだと思った? 全身アーネウみたいなもんだもん。足だけの悠久には負けないよ?」
勝ち誇った笑みを浮かべる愛利。しかし、悠久は静かに立ち上がった。腹部にあてた手の平が、緑色の光を帯びている――治癒魔術だ。
「あ、ずるーい! もぉ~っ」
そう喚くと同時に斬りかかってくる愛利。魔術を切り上げ、防御に徹する悠久。苦痛に顔を歪めている。治癒魔術はあまり得意ではないらしい。
回復する隙は与えないとばかりに、絶え間なく攻撃を繰り出す愛利。軽い身のこなし、一撃一撃が強烈だ。
上下左右にかわしながら、じわじわと上階へと追い詰められていく悠久。全ての攻撃を避けることはできない。既に限界を超えているが、さらに消耗していく。
時折、弱々しく光っては元に戻る悠久の瞳。魔力がほとんど残っていないようだ。まだ完全には感覚を取り戻せていない中での連戦だ、無理もない。
何階まで上っただろうか。強く側壁を蹴り、階段から離れる悠久。暗い室内が僅かに照らされている。窓がある。――逃げ場がなくなる前に、外に出なければ。
「んん?」
すると悠久の背後に目を凝らし、攻撃の手を止める愛利。――なんだ? とにかく、今だ。
すぐさま右足を高く振り上げ、愛利の首めがけて振り払う悠久。
!!
しかし、いとも簡単に、片手で悠久の足首を掴み取る愛利。そしてそのまま手を振り上げたかと思うと、勢いよく悠久を床に叩きつけた。衝撃で床がひび割れる。
「ぐ……っ!」
「何今の? アーネウ壊れちゃった?」
半面の笑みで悠久を見下ろす愛利。赤い球体に映る、瀕死の悠久。
窓外からの明かりで、愛利の左肩から右腰にかけて、新たに損傷していることに気付く。皮膚が大きくえぐられ、機体内部が丸見えだ。ホール入口で悠久に蹴られた時の傷だろう。
「ね、最後に良いもの見せてあげる」
愛利はそう言うなり――動けないでいる悠久の首を鷲掴みにし、窓の外へと飛び出した。
「ほらっ見て見て~! 雪!! 雪降ってる! きれ~っ」
サンディー城の尖塔を上へ上へと飛び移りながら、はしゃぐ愛利。息ができず、愛利から逃れようともがく悠久。しかしもがけばもがくほど、冷たい指先が食い込んでくる。
「ねぇ~ちゃんと見てる? 反応薄くない? 初雪だよ?!」
最も高い尖塔のバルコニーの手すりに降り立ち、悠久を見下げる愛利。顔面蒼白の悠久。呼吸が、止まっている。
「あっごめーん! 息しないとだったね! ひゃははっ!!」
愛利はそう言って手すりを蹴り、空高く舞い上がった。ツインテールが曲線を描く。そして空中で振りかぶり――悠久を尖塔の屋根へと叩きつけた。
ドガァァン!!
細く尖った屋根が中程から折れ、瓦礫と共に落下する悠久。アーネウが弱体化している今、この高さから落ちれば死の危険がある。愛利は短くなった屋根の上にふわりと着地した。
!
ひとつ下の尖塔の屋根に衝突した悠久。無意識か、再び落下する前に屋根上の槍のような装飾を掴み、踏み止まる。かと思うと、激しく咳き込み始めた。意識を取り戻したようだ。
青・白・金を基調としていたサンディー城の外観は、赤・黒・銀へと塗り替えられている。陰鬱で重厚な存在感、ドラキュラ城のようだ。
「執念だねぇ。もぉなにもかも手遅れなのに」
悠久の後を追って、愛利が赤い屋根に飛び移ってくる。愛利が着地した瞬間、屋根の一部が崩れ、おあつらえの足場が出来上がる。憎々しげに愛利を見上げる悠久。
雪――。
灰色の雪が降っている。黒雲から絶え間なく生み出されるそれは、失敗した世界への戒めか。
「なんかかわいそ~! そうだ、イリアになりきってあげよっか? もう会えないんだもんね?」
「……黙れ」
怒りに身を震わせる悠久。ひとひらの雪がその黒髪に触れ、瞬く間に色を失う。装飾を掴む悠久の右手が、赤くかじかんでいる。
「やっぱ出会いの瞬間? 第一声にする? あっそれは年齢的に無理あるか~」
構わず続ける愛利。記憶を探るかのように、頭上で視線を彷徨わせる。
「っお前が、奪ったのか?」
明らかに動揺した様子の悠久。押し殺していた感情が、漏れ出でる。
「は? 何?」 眉根を寄せる愛利。
「返せ。全部、返せよ……!!」
悠久はそう言って悲痛に顔を歪ませた。――あの子は、俺の、なんなんだ?
「あっもしかして、まだ思い出せてないんだ?! はははははっ!!」
愛利が大口を開け、高笑いする。悔しげに唇を噛み締める悠久。緩みかけた右手を握り直し、装飾を引き寄せるようにして上体を起こす。
「べつに奪ってないよ、コピーしただけ。一部だけなんてこと聞いたことないし、もう戻ってるはずだけどなぁ~」
愛利がわざとらしく人差し指を口元にあて、首を傾げる。呼吸が乱れている悠久。吐息が白煙となって、曇天へと溶けていく。
「あはは、本当は思い出したくないんでしょ? 思い出したら……死にたくなっちゃうもんね?」
しゃがんで両手で頬杖をつき、上目遣いで悠久を見やる愛利。翠緑の瞳と深紅の眼球。皮膚と金属。有機と無機。生物と機械が融合したかのようなその形容は、人類の過ちが生み出した悪夢そのものに思える。
「生存本能ってやつ? この期に及んで、図太いね!」
――思い出したくない? そんなはずない。嘘にまみれて生き長らえるくらいなら、死んだ方がましだ。
「ふざける、な……う、あぁ……ぁ」
突如、こみ上げるような違和感を感じた悠久。愛利の足元でうずくまる。眩暈。急激な眠気。視点が定まらない。
凍えた身体。視界が、端から白く消失していく。冷たい表情で悠久を見下している愛利。
混濁した思考の中、悠久は強く意識する。全部、取り戻す。
それがどんなに残酷なことであろうとも――。
機械室で目を覚ます悠久。辺りを見回し、現実を思い知る。どれくらい経ったのだろうか。廊下に人の気配はない。
「今のは、僕、っ俺は……?」
悠久は顔をしかめながら立ち上がった。ぼやけた視界が明瞭になったところで、強烈な違和感に息をのむ。
「どこだ、ここ」
辺りは――黒一色だった。壁も、床も。構造自体は変わらない。見慣れたはずの風景の、色だけが変わっている。白から黒へ、反転している。
何かを振り払うように頭を振りながら、機械室を後にする悠久。照明が点在しているものの、真っ黒な廊下はひたすらに不気味だった。悪夢に迷い込んだようだ。悠久は無意識に息をひそめ、慎重に歩みを進めた。
!!
曲がり角で何者かにぶつかる悠久。
「っ流輝くん!」
反動で尻もちをついた悠久とは対照的に、何事もなかったかのように立ち尽くしている流輝。棒キャンディを舐めているようだ。口端から黒い棒がはみ出ている。その姿に――悠久は目を疑った。
「どうしたの? その服」
悠久は震える声で流輝に問いかけた。流輝の衣服もまた、白から黒へと変わっていたからだ。青緑色だったコートの裏地は赤く、黄緑色だったラインは紫に反転している。まるで吸血鬼のコスプレのようだ。
「へえ。目、覚めたんだ」
流輝は眉ひとつ動かさず、そう呟いた。
「え、あ……はは、急に眠くなっちゃってさ、部屋間違えちゃったんだ。知ってたんだね」
しどろもどろで作り笑いを浮かべる悠久。流輝は無表情のまま、首を傾げた。
「悠久も着てるじゃん、同じやつ」
流輝があごで悠久の服を指し示す。悠久も、同様だった。重々しく黒いコートが、体にまとわりついている。
「へ、いつの間に……っ誰が?」
混乱する悠久をよそに、流輝は気だるげに体を揺らしている。飴が繰り返し歯に当たり、カラコロと音を立てる。
「初めからそうだよ。なにもかも」
棒キャンディを口から出し、そう言い放つ流輝。いつになく饒舌だ。棒の先には、紫色の飴。
悠久は自分の体すら信じられないとでもいうように、手足を入念に確認している。肌になじむ異物感、浸食されきった日常、裏返し。
「……また寝る? その方が幸せ?」
流輝の声に顔を上げる悠久。暗闇に浮かび上がる、流輝の瞳。無彩的な圧力を持った、有彩の煌めき。その奥深くから、絶対的な視線を感じる。
「こんなことなら起きなければよかった、そう感じているなら簡単だよ。青い扉を選べばいい。いつもみたいに何も知らないって顔で、医務室に行くんだ。また全部忘れて、逆夢の続きが見られるよ。今度はきっと最期まで」
「何言って、」 たじろぐ悠久。
「目を覚ますのなら、強く覚悟することだ。何があっても、自分を見失わないと。確固たる意思はある? 自分が自分であることを確認できる要素だよ。安易に選択すると、残酷な現実に押し潰されることになる」
「流輝、くん……?」
戸惑うばかりの悠久に、僅かに苛立った様子を見せる流輝。
「わかってるくせに。何の為にそこに隠れたの? まぁいいや。面倒なことにならなければ俺は……」
唖然としている悠久を見やると、流輝は「無理か」と憂鬱そうに呟いた。そして踵を返し、悠久の眼前から消えた。悠久は追いかけることはせず、そのまま呆然と立ち尽くした。瞳は陰り、視線が定まらない。
「……。――! …………っ――、」
しばらくして、左手からの話し声に気付く悠久。扉が僅かに開いている。蜜花の部屋だ。室内は薄暗く、電気が点いていないようだ。悠久はよろめきながらも、吸い寄せられるように部屋に近付いた。
隙間から覗き込むが、壁とベッドの一部が見えるのみで会話の主は見えない。音を立てないよう気を付けながら、悠久は耳をそばだてた。男性と女性――蜜花の声だ。男性の方は、聞き覚えがなかった。
「姉の行方を知らない? 話が違いますが」
「まぁまぁいいだろう。辛いことは忘れて、楽しむんだ」
ベッドが軋んだかと思うと鈍い音がして、男が小さく呻いた。蜜花に殴られたらしい。
「触らないで。姉の為じゃなかったら誰があなたなんかと」
「なんだと……! い、いっつも行列ができるほど安売りしてたくせに、今さらなんだ?!」
「あれは人探しの為で、ほとんどは雑談やマッサージしかしてません。あなたが姉を知っているというから、特別に辱めを受けているというのに」
「くそっ私はGASAのエンジニアだぞ?! お前みたいな胸がでかいだけの地味ババア、相手してもらえるだけでありがたいと思うべきだろう!」
「そんなの、この世界で何の役に立つんですか? だいたいGASA職員の多くは顧客でしたのでよく存じ上げていますが、揃いも揃ってペド屑男で軽蔑しかしてませんでしたよ」
「っお前……もういい。死にたいなら殺してやる」
男の声色が変わり、ベッドが大きく軋んだ。押し潰されたような、蜜花の声――首を絞められている?
「蜜花ちゃん!!」
考えるより先に体が動いた。部屋に飛び込む悠久。そのまま男に掴みかかろうとして、異変に気付く。
――男が、喉を押さえてもがき苦しんでいた。ベッドに赤い染みが広がっていく。もう長くないだろう、致命傷だ。
蜜花は全裸で、向こう側のベッドの縁に腰掛けていた。背中に埋め込まれた、一対のアーネウが廊下からの光を反射する。
慣れた手つきで、髪飾りに付いた血を拭っている蜜花。先の尖ったヘアークリップ、細工が施されているらしい。護身用の商品だろうか。
悠久に気付き、蜜花はゆっくりと振り返った。顔や肩に、返り血を浴びている。白い肌を鮮烈に彩る赤。
「悠久くん。どうしたの?」
いつもと変わらない声色、笑顔。異常な光景に、悠久は一言も発せない。男は白目をむき、やがて動かなくなった。
「え……何が、見えてる?」
今までになく冷たい声に、悠久は我に返った。黒く塗り潰されたかのように、生気の感じられない蜜花の瞳。
無言で部屋を飛び出し、居住エリアを駆け抜ける悠久。通行人らが驚きながら道を空ける。
味方は、もういない。
「俺は……違う……そんなわけない……だって、そしたらあの子は……」
ブツブツと虚ろに呟きながら、歩みを進める悠久。気付けば研究所エリアに辿り着いていた。
前方から言い争うような声がして、悠久は顔を上げた。託児所の前で――女性が、雅仁にすがりついている。
「離して下さい!! 自分で育てられます! 返してっ!!」
雅仁は悠久に背を向けていて確認しづらいが、どうやら片手で乳幼児を抱いているようだ。頭皮が透けた小さな頭部が垣間見える。
「うるせえなぁ。同意書書いただろ? ここのルールに従うって。誰のおかげで安全に暮らせてると思ってんだ? 戦闘員が足りねえ。子供は全員、候補生として育てる。教育は早ければ早いほど良い。安心しろ、お前の子供とは思えねぇくらい優秀に育て上げてやるよ」
「嫌!! こんな赤ん坊に何を教えるって言うの!? いいから離しなさい!!!」
女性は激昂し、雅仁から無理やり赤子を取り戻そうと迫った。しかし雅仁が、躊躇なく女性を蹴り倒す。腹部を押さえ、もがく女性。赤子がぐずり出す。
「っ私、知ってるんです。あなた達が……子供を育てようなんて思ってないって……っき、消えた子供が沢山いる……! あの子たちに何をしたの?!」
「……は? まさかお前、ヘルスチェック受けてないな? ガキも勝手に生むしよ、誰の手引きだ?」
雅仁の声がワントーン下がった。そして女性が何も答えないとみるなり、起き上がろうとしていた女性の顔面に強烈な蹴りをくらわせた。
女性は横倒しに吹っ飛び、気を失った。鼻筋が曲がったように見える。やがて鼻血が床に血だまりを作った。赤子が大泣きしている。
「あーめんどくせ。仕事が増えた。悠久も探さなきゃいけねえのによ……」
棒立ちになっていた悠久の全身に、緊張が走った。今振り返られたら、何もかも終わりだ。そんな恐怖に鼓動が速くなる。
しかし――雅仁はおもむろに女性の片足を掴み上げ、ずるずると引きずりながら反対方向へと歩いていく。赤子の泣き声と共に遠ざかっていく背中を、眺めることしかできない悠久。
「なんなんだよ……狂ってる」
悠久はそう吐き捨てると、震える足で一歩ずつ踏み出す。雅仁を追うつもりらしい。託児所から微かに悲鳴が聞こえた気がした。
雅仁は突き当たりの階段を下り、手術室と表記された部屋に向かっていく。雅仁から一定の距離を空けて追跡する悠久。顔が真っ青だ。
「助けなきゃ……早く……」
雅仁からは死角になっている位置で、静かに屈み込む悠久――アーネウのスイッチを入れた。スイッチの色もまた、青緑から赤に反転している。
!
アーネウの起動音が思ったよりも大きく鳴り響き、息をのむ悠久。雅仁の足音が止まった。こちらを振り返っているようだ。
そして、どうやら引き返すことにしたらしい。足音が近付いてくる。悠久は舌打ちをし、退路を確認する。――逃げるか、戦うか?雅仁くんは丸腰だ、勝機はある。でもここは敵だらけだ。すぐに応援が駆けつけるだろう。ただ、逃げるとしてもどこに?
「うわ、なにこれ死体? って、雅仁じゃん」
扉が開く音がして、聞き慣れた声が沈黙を破る――佳乃だ。手術室から出てきたらしい。いつもと違い、どこか覇気のない声だ。
「あ? ……おー佳乃か。今回も派手にやってんな。無駄っつってんのに」
雅仁の足音が遠ざかっていく。ひとまず胸を撫で下ろす悠久。そして曲がり角から慎重に様子を伺う。――佳乃ちゃんのアーネウは屋内では無力だ。騒ぎになる前に気を失わせれば、あるいは……、
!?
悠久は佳乃の姿を視界に捉えるなり、衝撃を受けた。全身に、包帯が巻かれている。足先から顎のラインまで。身に付けている衣服は黒いバンドTシャツのみ。卒業旅行で着ていたものと同じだ。黒い戦闘服姿の雅仁と並ぶと、ハロウィンの仮装か何かに見える。
そしてなにより、目の錯覚だろうか。より一層、華奢になったように見える。背も、低くなっている?
「無駄とか言うな! こっちは死ぬ気でやってんの!!」 憤慨する佳乃。
「だから忠告してやってんだろ、無駄死にする前に。愛利から何吹き込まれてんのか知らねえけど、ケムはガキそのものが好きなわけじゃねえから。エネルギー源として効率がいいってだけ」
「様をつけろよゴリ助野郎!! っそんなのわかってる! だから子供だったらケム様の役に立てるんでしょ?!」
「おいおい、死ぬ気でやってるってそういう意味? どうしようもねえな。イタすぎ。つか見た目じゃねえからな、重要なのは」
雅仁は呆れ返った様子で、佳乃から視線をそらした。いつの間にか泣き止んでいる赤子と、力なく横たわる女性を交互に見やる。
『AIは堕天使としてケムという名で姿を見せ、洗脳した一部の地球人を手駒として使っているようです』
悠久の頭の中にクローディアの声が響き渡った。ケム――あのロックバンドのボーカルがそうなのか? 雅仁はともかく、佳乃は明らかに洗脳されている。
「まぁいいや。お前、これ保管庫に持ってってくんない? 俺はこいつに色々吐かせなきゃなんねえから」
そう言って赤子を佳乃に押し付ける雅仁。そして女性を軽く蹴り上げる。呻く女性――目を覚ましたようだ。朦朧と視線を彷徨わせている。
「これ……保管庫……?」 耳を疑う悠久。
「えー体痛いんだけど。黒ミサまでに見た目もうちょっとマシにしときたいし。てか悠久は? 見つかった?」
気だるげに赤子を抱き上げながら、佳乃が確認する。思わず顔を引っ込める悠久。
「いや。まぁいずれ見つかるだろ。逃げようがねえし。つかアレディヴが大げさなだけで、そこらへんで居眠りしてましたってオチだと思うけどな俺は。一日くらいチェックさぼったってどうってことないだろ」
「あーたしかに。愛利はそんな焦ってなかったしね。ま、どっちにせよチェック受けさせれば解決っしょ。じゃあうちは行くわ。早くこれ置いてきたいし」
佳乃が汚物でも見るような目を赤子に向ける。赤子はぐったりとして動かない。ふらつきながら、さらに奥の方へと歩き出す佳乃。
「っだめ……!! やめて、返して……!!!」
女性が甲高い叫び声を上げるが、佳乃は一切振り返らない。雅仁は緊張感のない声を出しながら、大きく伸びをした。
「ガキの心配してる余裕なんかねえよ? これから地獄を見てもらうからな。ま、俺にとっては天国だけど」
「嫌ぁ! 離して……!! 誰か、誰か助けてぇ……っ!!!」
重いものが、引きずられていく音がする。悠久はまだ動けずにいた。――どうすればいいか、わからない。間違えられない。あの時と一緒だ。あの時……? 違う。嫌だ。俺は何も……、
「はぁ~うぜぇけどやっぱそそるなぁ、バカは。……あ、ちょっと場所お借りしたいのと、手伝ってもらえますか? あはは、そうです。楽しみましょう」
雅仁が扉を開け、誰かに呼びかけている。女性の、言葉にならない金切り声が部屋に吸い込まれ、派手な音を立てて扉が閉まった。
どれくらいそこに立ち尽くしていただろうか。やがて聞こえてきた女性の絶叫が、悠久を突き動かした。
落ち着いた足取りで、手術室の前に辿り着く悠久。女性の悲鳴……雅仁や男性の歓声、笑い声……得体の知れない機械音……。
――雅仁くんの他に複数人いる。奇襲するにしても分が悪い。武器も豊富そうだ。それに、女性の声が弱々しくなってる。間に合わないかもしれない。それなら、彼女が命がけで守ろうとしたあの子……子供を助けるべきか。佳乃ちゃん一人なら押さえ込めるだろう。でも問題はその後……、
「なにしてんのっ?」
耳元で話しかけられ、飛び上がる悠久――愛利がすぐ横に立っていた。
いつもと変わらない、無邪気に瞳を輝かせている。悠久の変化に、気付いていないのだろうか?
「あっ愛利、ちゃん……びっくりした~全然音しなかったから」
努めて明るく振る舞う悠久。さりげなく一歩、後ずさりをする。しかしすぐに愛利が間合いを詰めた。
「何その感じ~こっちはずっと探してたのにぃ! 今日ヘルスチェック受けてないでしょ? サボっちゃだめだよ~先生怒ってたっ」
「ごめんごめん……っあーなんか、昨日疲れすぎちゃったみたいで、気付いたら変なとこで寝てたんだよね。それでいつの間にかここに……夢遊病かな? はは」
「あはは、嘘ばっかり」
「え……」
屈託なく笑う愛利、青ざめる悠久。手術室から一際大きな笑い声がした。
「そこ、気になる? ずっと立ってたもんね。入ってみよっか?」
愛利はそう言うなり、手術室のドアノブに手をかけた。慌てて愛利の手を引き剥がす悠久。
「え~どうしたの~? 大丈夫だって~! 悠久が私たちを裏切ってないなら~なぁんにも怖いことなんてないからぁ? ねぇぇ~?」
今度は両手でドアノブを引こうとする愛利。すぐさま取り押さえる悠久だったが、あまりの力の強さに押さえ切れない。悠久はとっさに横蹴りで愛利を引き離した。
が、アーネウのスイッチを入れていたことを忘れていた悠久。力加減ができず、愛利は五メートルほど先の壁に叩きつけられた。ガシャンと――不可解な衝撃音がした。
「いったぁーい!! ……って言うべきかな?」
すぐに立ち上がり、顔を片手で押さえながら、悠久に歩み寄る愛利。機械が焦げたような臭いが漂ってくる。悠久は唾を飲み込み、臨戦態勢になる。
「あれ。おかしいなぁ……口、スース―する」
そう言って、悠久の眼前で顔から手を離す愛利。皮膚が斜めに裂け――機械の目と鼻、口が垣間見えている。ガラス質の真っ赤な眼球が、虚ろに悠久を捉えた。バチバチと、顔面から電光が弾ける。
「っやっぱり、人間じゃない……!」
半ば悲痛に、悠久はそう口走った。なにもかもが、崩れ落ちていく。
「え~? 昨日の時点で気付いたと思ってたけど……あ~そっか~信じたくないよねぇ? 自分が何しちゃったか、思い知らされるもんね?」
「っでも、俺は……みんなと幼なじみで、だから旅行に行って……全部覚えてるのに……っ!」
「それ全部、幻覚なの~! 現実に基づいて作成された、ただのデータ。ウケるよね~日本人どころか、地球人ですらないとかっ。ほら、その右手のやつ、おみやげのブレスレットじゃないよね? あとさ、クラスメイトがどうとか最初言ってたけど、具体的に顔、思い浮かぶ? 浮かばないよね~! そんなデータ作ってないもん~」
悠久は目を落とし、右手首を確認する。鉄隕石のブレスレットではなく、金色のブレスレットをしている。夢で見た、銀河連合支給の通信機だ。しかし、触れてみても何の反応もない。
ふと、見慣れないネックレスを着けていることに気付く悠久。ペンダントトップは、赤い模様の入った黒い五芒星だ。
悠久は眉根を寄せながら、片手で額を押さえた。――そんなわけない。でも……うちのクラス、誰がいたっけ? 担任は…………。思い出せない。
「でも大丈夫! 信じられなくていいんだよ? だってさ、もう死ぬんだもんっ」
愛利は楽しげにそう言い放つと、間髪入れず悠久に飛びかかった。しかし、すんでのところでかわす悠久。愛利が激突した壁が、大きく損傷した。尋常じゃない力だ。
「おい誰だ?! うるせーぞ!!」 雅仁の怒号。
「ごめーん! 悠久が暴れてるの~っ」
愛利のよく通る、高い声が廊下に響き渡る。悠久を見やり、勝ち誇ったような笑みを浮かべる愛利。――まずい。
悠久は身をひるがえし、脇目も振らず走り出した。佳乃が消えた方向ではなく、元来た道を引き返す。
アーネウによる俊足で、一気に中央塔に辿り着いた悠久。行き交うアフトラガ人らの様子を見て、息をのむ。
「なんなんだ……」
地球人と同様の容姿をしているのは白衣を着ている数人だけで、ほとんどは異形の者になっている。先ほどは混乱していた為に気付かなかった悠久。
最も多いのは、夢で見た蜘蛛型の機兵だ。そして次にトカゲ人間、カマキリ人間、さらにいわゆるグレイに似たアーモンド型の目が特徴的な生命体。いずれも背が高い。
「お~悠久~! よく眠れたか? 俺は飲み過ぎで頭いってぇよ」
抑揚のない機械音声を発しながら、近付いてくる機兵。悠久は思わず後ずさりをする。――これがアフトラガ兵、人間に見えていたのか?
「ん? どうした? 真っ青だぞ」
機兵がそう悠久を案じた瞬間、数メートルほど先の壁に一人もたれかかっている、トカゲ人間と目が合う悠久。何か見定めるような目つきに、悠久は慌てて視線を逸らす。――勘付かれたか?
「う、うん。ちょっと寝不足かも。でも大丈夫だから。ありがとう」
悠久は引きつった笑顔を作り、話を切り上げた。満足したらしく、持ち場に戻っていく機兵。トカゲ人間はというと、もう悠久に興味はないようで目を閉じている。
悠久は他の誰にも見られていないことを確認すると、訓練所エリアに向かった。愛利が追ってくる気配はない。
「……おかしいな、動かない」
訓練所エリアに入るなり、エレベーターに直行した悠久。地上へと脱出する為だ。しかし、パネルが反応しない。十七……七十一……その後はもはやでたらめに数字を連打する。
「ふふ、何をされているのですか?」
驚いて全身が大きく跳ねる悠久。振り返ると、真後ろにアレディヴが立っている。特段変わった様子はない。しかし張り付いた笑顔が、不気味だ。
夢での戦闘を思い出し、こみ上げてきた吐き気を必死で飲み込む悠久。――行き止まりだ、どうする?
「っあ、すみません。寝ぼけてたみたいで。あはは……それ、何ですか?」
アレディヴが手にしている注射器に気付き、身構える悠久。アレディヴは満面の笑顔のまま、注射器を眼前にかざす。
「これですか? それが、世界中のコロニーにて感染症が流行っていまして、ワクチン接種をお願いしているんですよ。悠久くんはまだでしたでしょう? だから特別に、出張サービスです」
「っ……いや、遠慮しときます。ア、アレルギー体質なので」
「そうですか。残念です……ご希望に添えず」
アレディヴがニヤリと笑い、と同時に、目にも留まらぬ速さで注射器を突き出した。間一髪で避ける悠久だったが、首筋に注射器の針がかする。途端、目眩に襲われる悠久。アレディヴの輪郭がぐにゃりと歪む。
「大丈夫ですよ~? ワクチンは私も打った本物です。少しばかり……強めの鎮静剤を混入させただけです。ふふ」
ゆらゆらと注射器を揺らして見せるアレディヴ。青い液体が僅かに水音を立てる。
「これはあなたの為でもあるんですよ? かわいそうに、その罪の意識は死の瞬間まで続きます。忘却はあなたに残された、唯一の生きる道です。罪人は罪人らしく、跪いて救いを受け入れなさい」
「っくそ……!」
よろめき壁にもたれかかった悠久だったが、アレディヴの追撃の気配を感じ、大きく身を屈める。かと思うと瞬時にアレディヴとの間合いを詰め、回し蹴りで注射器を弾き飛ばした。続けて後ろ回し蹴りで、アレディヴの顎を強く蹴り上げた。
「ぐ……っ!!」
攻撃をまともに受け、背中から倒れ込むアレディヴ。吹っ飛んだモノクルが床を転がっていく。壁に叩きつけられ、割れた注射器から液体が漏れた。強烈な薬品臭が漂う。
再びよろけた悠久は歯を食いしばり、呻くアレディヴを残して中央塔へと引き返した。
中央塔の中心部に位置する、透明な筒状のエレベーター。悠久はなりふり構わず駆け寄ると、扉横に取り付けられた赤いスイッチを叩き押した。周囲の視線が悠久に集まる。
どうやら作動したらしいエレベーター。遥か上方からカゴが降りてくるのが見える。
「悠久? おい、どうした?!」
アフトラガ兵の声がする。しかしそこにいるのは、蜘蛛のような形姿をした無機物の塊だ。
「なんなんだよ……俺は何も知らない……わからない……っ」
俯きながら頭を振る悠久。ホール内のざわめきが大きくなっていく。
「反逆者です! 誰でもいいから殺せ!!」
訓練所エリアから現れたアレディヴが叫ぶ。あちこちから怒号が聞こえ、刺すような敵意が悠久に集中する。
「うるさい……俺に構うな……」
苛立たしげに振り返った悠久に、三体の機兵が飛びかかる。しかしすぐに跳ね返され、放射状に吹っ飛んだ。目視できなかったが、悠久が蹴り返したようだ。
息が上がっている悠久。滲む汗、鬼気迫る眼光。赤く染まった首筋。両腕には発疹が浮き出ている。
一瞬ひるんだアフトラガ陣営だったが、一人のトカゲ人間が低い雄叫びを上げると奮起し、一斉に悠久に向かって突進する。
深く息を吸い、体勢を整える悠久。そして、消える。
高速で移動しながら敵を蹴散らしていく――。
「お前、なんなんだ……?」
最後の一人、あのトカゲ人間がそう言い残して地に伏した。激しく肩で息をしている悠久。限界のようだ。
「なんでもいい、ここから出せ……」
そう呟き、エレベーターに向き直る悠久。死屍累々、アレディヴはいつの間にか姿を消している。
エレベーターがようやく降りてきた――が、誰か乗っている。一対の靴底が見える。
「っ……!」
悔しげに拳で壁を殴る悠久。見慣れた靴底だった。訓練で、毎日のように。いつも手本にしていた――。
目の前で静止するエレベーター。透明な扉越しに、アトレカルが口を開く。
ざ ん ね ん だ っ た な
そう言っているように見えた。そして、扉が開く。
「ぐぁ……っ!!!」
瞬時に腹蹴りをくらう悠久。十メートル以上後方の壁に全身を打ちつける。血が、口から溢れ出た。
「遅いですよ、アトレカル」
左方の研究所エリアから、数十体の機兵と供にアレディヴが現れる。
「お前もな」
淡々と返答するアトレカル。そして大股で悠久へと近付く。四肢を投げ出し、茫然とその様子を見つめる悠久。もはや絶望を感じる気力すら残っていない。
「無様だな」
悠久の前で仁王立ちするアトレカル。視線だけ上げ、アトレカルと目を合わせる悠久。憐れみも嘲りも、何も読み取れない。がらんどうの緑褐色の瞳。
アレディヴに大剣を手渡され、切っ先をまっすぐ悠久に突きつけるアトレカル。悠久は微動だにしない。
――ここで、死ぬ……。何が本当なのか、自分が何をしたかもわからず、漠然とした罪悪感を抱えたまま……、
アトレカルが大剣を振り上げた。スローモーションのように、ゆっくりと時が流れる。
『ユーク、待ってるからね』
フラッシュバックする、優しい面影。胸を駆け巡る情動。
守りたかった。
この気持ちに、嘘はない。
果てぬ眠りの先で、君が待つはずないけれど――。
振り下ろされる大剣を前に、悠久は静かに目を閉じた。
「……! こいつ、」
響く金属音。
アトレカルの大剣が、氷の剣に阻まれた。
悠久の目が淡く発光している。凍てついた左腕。あの夢で、ユークがロカリオに対抗して使った魔術だ。
しかし悠久自身、信じられないとばかりに目を見張っている。
「やっぱり、そうだよな……俺は、俺が……」
何かを受け入れた様子の悠久。氷の刃がバキバキと大きな音を立てて成長していく。アトレカルの大剣が徐々に押し返される。呼応するかのように、悠久のアーネウが赤みを帯びる。
「アトレカル!!」
アレディヴの叫声に、我に返るアトレカル。一度、剣を引いて体勢を立て直し、再び悠久に斬りかかる。同時にアレディヴの合図で、全ての機兵が悠久に襲いかかった。
「無知は罪だ。これ以上、罪を重ねたくない。全て取り戻すまでは、死ねない……!」
そう言い放った悠久の目が、一際赤く明滅する。氷の剣が――砕け散った。
!!
衝撃波。
悠久を中心として、青く燃える旋風が巻き起こる。吹き飛ばされる、機兵とアトレカル。
火炎の竜巻はまるで意思を持っているかのように、ホール内を蹂躙した。
青き火の海に、一人立ち尽くす悠久。アーネウが炎に包まれている――魔術と回転蹴りの合わせ技だ。
「っまずい、燃え広がる……!」
一時退避していたらしいアレディヴが、ホール内の様子を確認するなり再び姿を消した。アトレカルは壁際に崩れ落ちたまま、動かない。機兵も全滅だ。
荒く呼吸をしながら、一歩ずつエレベーターへと歩みを進める悠久。足元で燃焼する死体。まだ息があった者の苦しむ声も、微かに聞こえてくる。あらゆるものが燃える臭い。
「これしか、ない……」
口元の血を片手で拭いながら、小さく呟く悠久。ふらつきながらエレベーターに乗り込む背中は、苦悶に満ちていた。
地下を離れてから一分ほどだろうか、エレベーターが停止した。行き先は一つしかないらしく、操作する必要はなかった。そして途中から筒の構造が変わり、外の様子は見えなくなった。
音もなく扉が開く――真っ暗だ。白うさぎの夢が脳裏をよぎる。
恐る恐る一歩踏み出す悠久。コツ……と、思ったより大きく靴音が響いた。硬く滑らかな感触の床。
音を立てぬよう、さらに慎重に歩みを進める。段々と暗闇に目が慣れてきた。冷気が肌寒い。
!
右手の扉から光が漏れ出ている。ほんのり赤く、怪しげだ。
――気配がする。一人じゃない、複数の。それなのに、ほとんど音がしない。何か嫌な感じだ。
悠久は胸騒ぎを感じながらも、四つん這いになり、扉に近付いた。扉は僅かに開いていた。床近くまで頭を下げ、覗き見る悠久。
そこは――サンディー城のホールだった。しかし青と白が基調だったはずの内装は、赤と黒に塗り替えられている。薄暗くてよく見えないが、同じ場所だとは思えない。
そしてホールの中央、赤いシャンデリアの下、真っ黒なローブに身を包んだ集団が円を作っている。フードで顔はよく見えない。
やがて左方向からもう一人現れ、その者は――幼子を連れていた。白いワンピースを着させられた、三歳かそこらの少女だ。目は虚ろで、しきりに頭を左右に振っている。正気じゃない。
するとその少女を迎え入れるかのように円の一部が崩れ、次いで引導者が列に加わることで再び円が形作られた。
……!
なんの合図もなく、声を揃えて何かを唱え始める集団。くぐもっていてよく聞こえないが、男女いることがわかる。それは段々と唸るように低くなっていく――。
「アァァーーーッ!!!」
突然の悲鳴。少女のものだろうか。思わず声を発しそうになり、息をのむ悠久。冷や汗が一気に噴き出す。
しばらくして、右方向から割れるように円が崩れ、中から男性が現れた――ケムだ。白い装束が赤く汚れている。
ケムに向かって半円状に並び、一斉に片膝立ちになる集団。ケムはそのまま右壁際にある玉座に腰掛けた。少女は、その集団とケムの間で床に突っ伏している。ピクリとも動かない。
集団がフードを脱いでいることに気付く悠久。かろうじて顔が判別できる。老若男女問わず、しかし大多数は男性だ。
そしてその中に――雅仁、佳乃、蜜花の姿があった。佳乃が口にしていた黒ミサとはこのことか。じわじわと心が侵食されてくような、そんな絶望感に襲われる悠久。
「信じたくなかった……」
「うんうん、そうだよねぇ」
!!
耳元で囁く声――愛利だ。驚いた拍子に、扉に肘が当たってしまう悠久。ガタッと音がしたかと思うと、不気味なくらい同じ動きでこちらを向く集団。興味深げにこちらを注視するケム。
「くそっ!」
すぐさま立ち上がると同時に、愛利を蹴り離す悠久。無我夢中で走り出す。
「だからも~いったーいってば~! ガワは修復できないのにぃ~!!」 愛利が絶叫する。
暗闇の中、行き当たりばったりに走り抜け、階段に突き当たる悠久。地上は階下だ。急いで下りかけたその時、愛利が立ち塞がる。
「追いかけっこはもうおしまい! 人間ごっこもね」
抜刀し、鞘を投げ捨てる愛利。するとバキバキと音を立てながら、愛利の左手のアーネウが刀を吸収し、より太く強固な刃物に変化した。そして間髪入れず、悠久に斬りかかる。
後ろに宙返りし、攻撃を避ける悠久。空中で魔術を発動させ、両腕が氷の刃に覆われる。
ガキィィン!!
愛利の追撃を両手で受け止める。ギリギリと氷が削れているものの、少しずつ刃を押し返していく悠久。そして再び悠久の瞳が光った。
?!
しかし魔術が発動する前に、愛利が悠久を蹴り飛ばした。想定外の威力に受け身も取れず、背後の壁に衝突する悠久。大きく破損する壁。
「がはっ……ぁ……!」
激しく吐血する悠久。震える腕で上腹部を押さえる。痛むようだ。
「はは、腕だけだと思った? 全身アーネウみたいなもんだもん。足だけの悠久には負けないよ?」
勝ち誇った笑みを浮かべる愛利。しかし、悠久は静かに立ち上がった。腹部にあてた手の平が、緑色の光を帯びている――治癒魔術だ。
「あ、ずるーい! もぉ~っ」
そう喚くと同時に斬りかかってくる愛利。魔術を切り上げ、防御に徹する悠久。苦痛に顔を歪めている。治癒魔術はあまり得意ではないらしい。
回復する隙は与えないとばかりに、絶え間なく攻撃を繰り出す愛利。軽い身のこなし、一撃一撃が強烈だ。
上下左右にかわしながら、じわじわと上階へと追い詰められていく悠久。全ての攻撃を避けることはできない。既に限界を超えているが、さらに消耗していく。
時折、弱々しく光っては元に戻る悠久の瞳。魔力がほとんど残っていないようだ。まだ完全には感覚を取り戻せていない中での連戦だ、無理もない。
何階まで上っただろうか。強く側壁を蹴り、階段から離れる悠久。暗い室内が僅かに照らされている。窓がある。――逃げ場がなくなる前に、外に出なければ。
「んん?」
すると悠久の背後に目を凝らし、攻撃の手を止める愛利。――なんだ? とにかく、今だ。
すぐさま右足を高く振り上げ、愛利の首めがけて振り払う悠久。
!!
しかし、いとも簡単に、片手で悠久の足首を掴み取る愛利。そしてそのまま手を振り上げたかと思うと、勢いよく悠久を床に叩きつけた。衝撃で床がひび割れる。
「ぐ……っ!」
「何今の? アーネウ壊れちゃった?」
半面の笑みで悠久を見下ろす愛利。赤い球体に映る、瀕死の悠久。
窓外からの明かりで、愛利の左肩から右腰にかけて、新たに損傷していることに気付く。皮膚が大きくえぐられ、機体内部が丸見えだ。ホール入口で悠久に蹴られた時の傷だろう。
「ね、最後に良いもの見せてあげる」
愛利はそう言うなり――動けないでいる悠久の首を鷲掴みにし、窓の外へと飛び出した。
「ほらっ見て見て~! 雪!! 雪降ってる! きれ~っ」
サンディー城の尖塔を上へ上へと飛び移りながら、はしゃぐ愛利。息ができず、愛利から逃れようともがく悠久。しかしもがけばもがくほど、冷たい指先が食い込んでくる。
「ねぇ~ちゃんと見てる? 反応薄くない? 初雪だよ?!」
最も高い尖塔のバルコニーの手すりに降り立ち、悠久を見下げる愛利。顔面蒼白の悠久。呼吸が、止まっている。
「あっごめーん! 息しないとだったね! ひゃははっ!!」
愛利はそう言って手すりを蹴り、空高く舞い上がった。ツインテールが曲線を描く。そして空中で振りかぶり――悠久を尖塔の屋根へと叩きつけた。
ドガァァン!!
細く尖った屋根が中程から折れ、瓦礫と共に落下する悠久。アーネウが弱体化している今、この高さから落ちれば死の危険がある。愛利は短くなった屋根の上にふわりと着地した。
!
ひとつ下の尖塔の屋根に衝突した悠久。無意識か、再び落下する前に屋根上の槍のような装飾を掴み、踏み止まる。かと思うと、激しく咳き込み始めた。意識を取り戻したようだ。
青・白・金を基調としていたサンディー城の外観は、赤・黒・銀へと塗り替えられている。陰鬱で重厚な存在感、ドラキュラ城のようだ。
「執念だねぇ。もぉなにもかも手遅れなのに」
悠久の後を追って、愛利が赤い屋根に飛び移ってくる。愛利が着地した瞬間、屋根の一部が崩れ、おあつらえの足場が出来上がる。憎々しげに愛利を見上げる悠久。
雪――。
灰色の雪が降っている。黒雲から絶え間なく生み出されるそれは、失敗した世界への戒めか。
「なんかかわいそ~! そうだ、イリアになりきってあげよっか? もう会えないんだもんね?」
「……黙れ」
怒りに身を震わせる悠久。ひとひらの雪がその黒髪に触れ、瞬く間に色を失う。装飾を掴む悠久の右手が、赤くかじかんでいる。
「やっぱ出会いの瞬間? 第一声にする? あっそれは年齢的に無理あるか~」
構わず続ける愛利。記憶を探るかのように、頭上で視線を彷徨わせる。
「っお前が、奪ったのか?」
明らかに動揺した様子の悠久。押し殺していた感情が、漏れ出でる。
「は? 何?」 眉根を寄せる愛利。
「返せ。全部、返せよ……!!」
悠久はそう言って悲痛に顔を歪ませた。――あの子は、俺の、なんなんだ?
「あっもしかして、まだ思い出せてないんだ?! はははははっ!!」
愛利が大口を開け、高笑いする。悔しげに唇を噛み締める悠久。緩みかけた右手を握り直し、装飾を引き寄せるようにして上体を起こす。
「べつに奪ってないよ、コピーしただけ。一部だけなんてこと聞いたことないし、もう戻ってるはずだけどなぁ~」
愛利がわざとらしく人差し指を口元にあて、首を傾げる。呼吸が乱れている悠久。吐息が白煙となって、曇天へと溶けていく。
「あはは、本当は思い出したくないんでしょ? 思い出したら……死にたくなっちゃうもんね?」
しゃがんで両手で頬杖をつき、上目遣いで悠久を見やる愛利。翠緑の瞳と深紅の眼球。皮膚と金属。有機と無機。生物と機械が融合したかのようなその形容は、人類の過ちが生み出した悪夢そのものに思える。
「生存本能ってやつ? この期に及んで、図太いね!」
――思い出したくない? そんなはずない。嘘にまみれて生き長らえるくらいなら、死んだ方がましだ。
「ふざける、な……う、あぁ……ぁ」
突如、こみ上げるような違和感を感じた悠久。愛利の足元でうずくまる。眩暈。急激な眠気。視点が定まらない。
凍えた身体。視界が、端から白く消失していく。冷たい表情で悠久を見下している愛利。
混濁した思考の中、悠久は強く意識する。全部、取り戻す。
それがどんなに残酷なことであろうとも――。
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