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トラック6
I wouldn't have nothing if I didn't have you. 後奏
しおりを挟む――寒い。どこだ、ここは……?
ハッとして顔を上げる悠久。無表情の愛利と目が合う。しゃがみ込んだまま、意識を失っていたようだ。崩れかけた屋根の上に、はらはらと雪が降り注いでいる。
「今度は何? 片頭痛?」
愛利が子馬鹿にした態度で口角を上げる。どうやら気を失っていたのはほんのひと時らしい。
――僕、俺は……魔術師の息子で、父さんが死んで銀河連合に入って……それで、あの子……イリア、の弟を助ける為に地球に……それで失敗して、記憶を改変されて……戦った……、
「っうあ……ぁああ……!!」
ひどい頭痛に両手で頭を抱え、悶え始める悠久。愛利は身動き一つせず、その様子を眺めている。
「う……っぐ……っ」
奇妙なことが起きた。愛利が僅かに目を見張る。
苦しむ悠久の黒い髪が――根元から少しずつ、金色に変わっていく。
「なにそれ! どうなってんの? すっごーい!」
囃し立てる愛利。やがて完全に金髪になった悠久が、ゆっくりと顔を上げる。愛利を睨み付けるその目は――赤く染まっていた。ユークそのものだ。
――俺は、ずっと……銀河連合と戦っていた……そもそも俺が失敗したせいで、全部……
「え、じゃあもしかして、記憶が戻ったとか?」
考えを巡らせているユークの顔を、愛利が覗き込む。無反応のユーク。青白い肌。
――沢山、敵を殺した。仲間の為に。仲間じゃなかった、敵じゃなかった。……イリア……、
「ねーちょっと聞いてんのっ?」
痺れを切らした愛利がユークを蹴り飛ばす。ユークはされるがまま、赤い屋根から投げ出された。
「っ……」
落下途中で外壁の縁を片手でつかみ、ぶら下がるユーク。半ば無意識だったらしく、ユークは不可解とばかりに自らの手を見つめた。
――この手で、イリアを殺した。みんなも……。なのに、俺は助かろうとしている……何の為に……? 誰が、望む?
ユークの手が、外壁から離れる。
「あはっだから言ったじゃん! バイバイッ」
屋根から顔を出し、満足そうな笑顔を浮かべる愛利。
雪片と共に背中から落ちていく、ユーク。悲しみに歪みながらも、どこか安堵したような表情。アーキンが、湖に落ちていく様と重なる。黒い五芒星が、ユークの眼前で揺れている。
――うまく生きられなかった。俺には、無理だったよ。
「父、さん……」
ユークはそう呟き、静かに目を閉じた。硬い石畳が迫る――。
!!
落下点に魔術陣が現れ、ユークの体は石畳に沈み込んだ。かと思うと、石畳はゴムのように反発し、衝撃を吸収した。
無傷で地面に横たわるユーク。目を開けると――杖を片手に、隊服姿のロカリオが駆け寄ってくるところだった。
「どうして魔術を使わない!? 死ぬところだったんだぞ!!」
ロカリオの姿を見て、懐かしさに目が潤むユーク。しかしすぐに、表情が消え失せる。
「ごめん、なさい……」
ユークはそう口走った。ロカリオは言葉を失い、やがて怒りに体を震わせる。
「っ勝手に、終わらせようとすんな……!!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ユークは虚空を見つめ、何度も謝罪を繰り返す。赤い瞳は深く陰っている。
「やめろ!! 黙れ。っ返せよ……っイリアを、返せ……!!!」
ロカリオは鼻を真っ赤にしながら、絞り出すように悲痛な声を上げた。そびえ立つ、黒きシャンデリア城。
「わぁ、出たよ~自己満正義マン! 悠久がかわいそ~~死なせてあげなよ~?」
いつの間にか、ロカリオの背後に愛利が立っていた。すぐさま振り向き、戦闘態勢に入るロカリオ。
「チッ、クソ人形が。その喋り方やめろよ。死ぬほど苛つく」
「え、似てるでしょ? みんな大好き、イリアちゃんだよぉ~!!」
愛利が人差し指で唇に触れながら、ウインクをする。というか、むき出しの赤い右目にはもはや瞼がない。
「微塵も似てねえ。二度と喋れないようにしてやる」
鋭い眼光で愛利を見据え、杖を突き付けるロカリオ。真っ白で、重量感のある杖。愛利は可笑しそうに吹き出し、悠久を見やった。
「悠久~ちょっと待っててねぇ? この鬱陶しいの挽肉にしたら、すぐに殺してあげるからっ」
愛利はそう言って、左手と同化した刀を舌先で舐め上げる。ユークは力なく横たわったままだ。
「スクラップになるのはお前だ」
そう言い終わるや否や、ロカリオの杖先が眩い光を放った。愛利の足元に魔術陣が現れ、太い氷の刃が突き出る。寸前に地面を蹴り、宙返りをして軽々とかわす愛利。しかし着地点にも魔術陣が出現する。
再び突出した刃を今度は蹴り上げ、さらに後ろに宙返りする愛利。間髪入れず繰り出される連撃を、同様にかわしていく。
「くそ……っ目障りな」
ロカリオが一瞬、攻撃の手を緩めたかと思うと、愛利は不敵な笑みを浮かべた。身をひるがえし、猛スピードでロカリオに向かって走り出す。
すぐさま攻撃を再開するロカリオだったが、あまりの速さに追いつけない。ロカリオの眼前で大きくジャンプし、刀を振りかぶる愛利。
ガキィィィン!!
ロカリオが杖で愛利の一撃を受け止める。想像以上の衝撃に、ロカリオの立つ石畳に亀裂が走る。
ロカリオが大きく杖を振るい、愛利を跳ね返した。反動で割れ、盛り上がる石畳。ロカリオが跳び上がり、空中に投げ出された愛利に追撃しようと迫る。
「ロカリオやめて!!」
ロカリオが杖を振りかぶったところで、顔色と声色を変え、そう叫ぶ愛利。思わず躊躇してしまうロカリオ。それを見て愛利がニヤリと笑う。
「ちょろ~いっ!」
愛利は着地するなり再びジャンプし、まだ空中にいるロカリオに迫る。頭を振り、杖を握り直すロカリオ。しかし――遅い。
!!!
愛利の一閃がロカリオの顔面を切り裂いた。
「ぐぁ……っ」
両手で額を押さえながらも、なんとか着地するロカリオ。ぼたぼたと、指の間から血が流れ落ちる。
ロカリオの杖は後方に投げ出され、横たわるユークの近くまで転がった。ぼんやりとそれを眺めるユーク。
「さっきのお返しっ! ま、やったのは悠久だけど」
上機嫌に微笑む愛利。しかしロカリオの手が緑色に発光し始めたのを見て、膨れっ面になる。
「も~だからそれずるいってぇ!!」
そう抗議しながら跳ね上がり、ロカリオに斬りかかる愛利。寸前で出現した魔術陣が盾となり、愛利の攻撃を阻んだ。
構わず連撃する愛利。回復を諦め、顔を上げたロカリオだったが、流れる血で視界を奪われている。愛利の正確な位置が把握できないようで、何度か攻撃をくらってしまう。同時に多数の盾を出すことでカバーしている為、魔力の消耗も激しい。
「ロカリオ、わたしだよ……っやめてよぉ……!」
イリアの声真似をしながら、攻撃の手を早める愛利。盾の生成が追い付かず、傷だらけになっていくロカリオ。
「くそが……っ!!」
ロカリオはそう吐き捨てると、魔術陣の盾から刺々しい鎖を放射する。いくつもの鎖は愛利を捉えようと、縦横無尽に動き回る。
「あぁ~もうめんどくさいなぁ!! お前はあとでいいや! そもそも悠久さえ殺せれば任務完了だしっ」
愛利はロカリオを大きく飛び越え、ユークへと向かう。ユークは未だ放心状態だ。
「ユーク!! 戦え!!!」
ロカリオは絶叫し、高速で魔術を発動させる。連なる氷の刃が愛利を追うが、捉えられない。ユークの位置がわからない為、これ以上の攻撃は危険だ。無我夢中で走り出すロカリオ。
「戦わなくてもいい!! 杖があるだろ?! 防げ!! ユーク!!!」
ロカリオの必死の呼びかけも虚しく、ユークは微動だにしない。愛利が着地と共にロカリオの杖を踏み割り、不敵な笑みを浮かべた。
「ォ、ャスミ……」
ユークを見下ろし、機械音声のような声を出す愛利。ユークの脳裏にフラッシュバックする光景。卒業旅行の悪夢。――これも、きっと夢だ。悪い夢。
「ユーク!!!!!」
刀が、振り下ろされる。ユークの目尻から涙が零れ落ちた。
――?
ユークに刀の切っ先を突き付けたまま、硬直している愛利。当惑の表情。
一度刀を引き、もう一度攻撃を試みるが、どうしても振り切ることができない。ユークは不思議そうにその様子を見つめている。
「な……に」
愛利がそう発したところで、追い付いたロカリオが愛利を横殴りにした。受け身も取れず、地面に叩き付けられる愛利。
「はぁっ……はぁ、っ大丈夫か、ユーク……っ」
手探りでユークに触れるロカリオ。ユークはそれに応えるように、震える手をロカリオの額にかざした。淡い緑色の光に照らされ、滴り落ちていたロカリオの血が止まった。傷は癒えていない。
「ごめん……でも、俺……、」
そう言いかけたユークだったが、激しい空気の振動音にかき消される。ハッとして顔を上げるロカリオ――母船だ。銀河連合の母船が目前に着陸した。
「ロカリオ、ユーク、帰船してください」
聞き覚えのある声がしたかと思うと、母船の底部が滑らかに動き、スロープ式の出入り口が現れる。
「っ行くぞ!!」
ロカリオがユークに肩を貸し、立ち上がらせる。ユークは僅かに抵抗を示したが、ロカリオが半ば引きずるように連れて行く。
ユークが後ろを振り返ると、愛利は静止したまま、何かを口走っている。大きく見開かれた真っ黒な瞳。
ロカリオとユークが辿り着くなり、スロープを収納しながら母船が発進する。スロープは司令室に繋がっており、頼もしい後ろ姿が二人を出迎えた――振り向く、クローディア。
「おかえりなさい、ユーク。よくやりましたね、ロカリオ」
「はい、ありがとうございます」
ロカリオが落ち着いた声色で応える。ユークは何も返すことができなかった。クローディアと目を合わせることもできない。全身の、震えが止まらない。
優しい表情でユークを見つめていたクローディアが、無言でユークを抱き寄せる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何度も謝罪するユークに、クローディアは頭を振る。ユークから手を離し、その目を真っすぐに見据える。
「ユーク、何も謝るようなことはありません。全て私が判断したことで、責任は私にあります。記憶を改変されていたあなたに落ち度はありません。私でも同じことをしたでしょう。……そもそもあなたは両足を失うという、充分すぎる代償を負いました。辛い役目を引き受けていただき、心から感謝申し上げます」
顔面蒼白のユーク。クローディアの言葉を否定するように、何度も頭を振った。嗚咽が漏れるが、涙は出ない。ロカリオは複雑な表情で唇を噛んだ。
「……それに、あなたの潜入は成功していました。同じグリッドの綻びから送り込んだ援軍が察知され、AIの報復を受けたのです。原因不明ですが、どちらにせよ私の判断ミスです。申し訳ありません」
クローディアの声に後悔が滲む。ユークはただただ繰り返し、頭を振った。声にならない、悲痛な思い。戻らない過去。失われた未来。
銀河連合は白がシンボルカラーであり、隊服はもちろん船内も真っ白だ。その中で黒い戦闘服に身を包んだユークの姿は、周囲との隔たりを体現しているかのようだ。
「よく生きて帰ってきてくれました。それが一番大事なことです。みな、あなたの帰りを心待ちにしていたのですよ」
クローディアが振り返ると、操縦席に座っていた隊員らがユークを見据え、力強く頷いた。
ユークは少しだけ隊員らを見やったが、苦しそうに顔を歪ませると、深く俯いてしまう。それを見て、隊員らの表情も僅かに陰った。
「っおい! ユーク、見ろ!!」
司令室は壁や床がモニターになっており、船体の各方位に取り付けられたカメラと繋がっている。まるで透明な船に乗っているかのようだ。足下に映る地上を眺めていたロカリオが、驚いた様子でユークを呼び寄せる。
母船はまだ地上からそう離れていない。複数の人影が確認できた。こちらを見上げている――気だるげな雅仁、無表情の蜜花、不機嫌そうな加乃、
それと――もう一人。
「父……さん……?」
ユークは目を疑った。かつての仲間に紛れて、そこには確かにアーキンが立っていた。気難しそうな表情。懐かしさに鳥肌が立つ。
「ったく、どうなってんだよ……っ」
ロカリオがため息混じりに頭をかいた。ユークは小さくなっていく肉親の姿から、目を離せなかった。
「ロカリオ、まずはユークと共に治療を受けてください。その後、ユークをイリアのところへ」
地球から脱出したところでクローディアが切り出す。四方八方を星々に囲まれ、宇宙空間に浮かんでいるかのような錯覚に陥る。
俯いたユークの瞳が、虚ろに陰った。それを見て、クローディアは素早くロカリオに目を移した。
「まさかロカリオ……伝えていないのですか? イリアは生きていると」
弾かれたように顔を上げるユーク。ロカリオがばつが悪そうに目をそらす。
「あんなの……死んでるも同然だろ」
そう吐き捨てたロカリオの目は、悲痛に満ちていた。クローディアが小さくため息をつく。
「イリアは眠っています。治療は成功しましたが、意識が戻りません」
淡々とクローディアが説明する。ユークは遠慮がちにロカリオを見やると、険しい表情で視線を落とした。
「……俺、いいです。会う資格ありません」
絞り出すように、そう申し出るユーク。するとロカリオは鋭い視線をユークに向けた。
「そうやって逃げる気か? ……イリアは洗脳されたお前を、一切傷付けなかった。どんなに敵意を向けられようと、ひたすら心配して、きっともうすぐ帰ってきてくれるって、信じ続けて……っそれをお前は! 会う資格がないとかくだらねえ理由付けて、裏切る気かよ!!?」
「っ俺は……、」
何か言いかけたユークだったが、すぐに口をつぐみ、悲しげに目を伏せた。痛々しい沈黙が流れる。
「来いよ。ちゃんと向き合え」
ロカリオが力強くそう言い放ち、歩き出す。少し間を置いて、後に続くユーク。
「あっ、まずは医療部ですからね~?」
クローディアが慌てて声をかけるが、聞こえていないのか二人はそのまま司令室を出て行った。
「私も治療が必要でしょうか。胸が痛いです……」
やさぐれるクローディアを、操縦席の隊員らが優しく慰めた。
ロカリオに連れられ、イリアの私室に案内されたユーク。ドアが開くなり――ベッドに横たわるイリアの姿が目に飛び込んでくる。
医療器具などには一切繋がれていない。本当に眠っているだけのように見える。穏やかな表情、身体にも傷ひとつない。真新しい隊服を身に付けている。片側だけに付けられた、リボンの髪飾り。
「どうした? 入れよ」
入口で立ち止まったままのユークを見やり、ロカリオが入室を促す。イリアの姿に釘付けになっていたユークは、ためらいがちに一歩、踏み出した。背後でドアが自動で閉まる。
イリアのベッド近くの壁には、二本の刀が立てかけられていた。イリアのものと、ゼロのものだ。二つの持ち手は、幾重もの天色の糸で繋がっている。
「宙馬のたてがみだ。イリアが結んだ。宙馬は一生を群れで過ごすことから、そのたてがみは家内安全の縁起物とされている。ゼロが神降村に残していった刀を、村人がイリアに託してくれたんだ」
ユークの視線に気付き、ロカリオが説明する。イリアの切なる願いを感じ取り、暗然たる思いに沈むユーク。――俺は、何もできなかった。ゼロの手がかりさえつかめずに、それどころか……、
「……俺は少し休む。お前は医療部に行けよ。場所わかるよな?」
「え、ロカリオは……」
「これくらい、血が止まっていればそれでいい」
そう言うが早いか退室するロカリオ。気を遣ったのだろうか。イリアと二人、部屋に残されたユーク。抑えていた思いが、溢れ出す。
「っ……ごめん……、イリア……! ごめ、なさい……っ」
その場に泣き崩れるユーク。涙が心を潤すように、感情を呼び覚ましていく。激しい胸の痛みが悲哀に叫んでいる。
イリアは依然、眠り続けている。少し悲しげな表情に見えるのは、気のせいだろうか。
ユークは戦闘服のポケットから、レースのリボンを取り出した。改めて眺め、それが自分が作った方のリボンだと気付く。そしてあの時、イリアが落としたリボンだ。乱雑にしまったせいで、ところどころに折り目が付いてしまっている。
震える手で、綺麗に結われたイリアの髪に触れ、リボンを結ぶユーク。不格好なリボンが、イリアの元へと戻った。
ユークは気が抜けたように膝を折り、おぼつかない動きで床に倒れ込んだ。ユークの頭が触れたことでバランスを崩し、眼前に転がり込む二本の刀。ユークは何気なく、一方の刀に手を伸ばした。
?!
ユークの脳内に、鮮明な映像が浮かび上がる。間近で地球を見ている映像、堕天進歩主義者らしき戦闘員らが茫然自失としている映像、――神降村を散策している映像。
「これは、ゼロの……?」
動揺するユーク。走馬灯のように、断続的な映像が脳裏を駆け抜けていく。うっすらとだが、ゼロの思考までも伝わってくる。
ユークは刀をしっかりと握り直し、ぎゅっと目を閉じた。僅かな情報も、取りこぼさないように――。
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