鬼神百鬼

咲 カヲル

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4話

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本部に戻って早々、時雨は、部屋で、報告書を作成した。
だが、紅華にやり直しを命じられ、一騎に見せると、笑われながら返された。
何回やり直しても、返されてしまい、観念した時雨は、二人に作り方を聞きながら、報告書を作成していた。

「…何故、ここなんですか?」

デスクに手を着き、見下ろす紅華に聞いたはずが、一騎が答えた。

「仕方ないですよ。自由に使えるのは、ここしかないんですから」

安部寮には、個々の部屋に、備え付けのパソコンがあるが、利用制限があり、長時間の使用が出来ない。
その為、二人は、碧井に頼み、情報課のパソコンを使っていた。

「まぁ。紅華は、その辺、厳しいから、慣れるまでは、ここのを使えばいいよ」

優しく微笑む碧井に、時雨が、申し訳なさそうな顔をすると、紅華が、後頭部を軽く叩いた。

「ちゃんと見てやり」

モニターに視線を戻し、育成所通りに書こうとする。

「違う」

また、紅華が、軽く頭を叩く。

「すみません」

時雨は、頭を擦りながら直す。
そんな事を繰り返す二人を見て、碧井と一騎は、クスクスと笑う。

「だから違う」

「紅華。確認いいですか?」

紅華が離れ、一騎と書類を見ながら、何かを話を始める中、時雨は、黙々と報告書を作り続けた

「ここ。また言われるよ?」

碧井が、モニターに指差すと、時雨は、その部分を削除して、キーボードを叩いた。

「違う違う。それじゃ、また言われるから、ここは…」

隣に座り、モニターを指差しながら、碧井が、ゆっくりと教える。
それを素直に聞き、時雨は、少しずつ作業を進めた。
二人が、密かに微笑み、それぞれで、仕事を始めたると、それを確認した碧井は、真剣に作業をする時雨に視線を戻した。

「紅華と上手くいきそう?」

時雨は、紅華をチラッと見た。

「分かりません。でも辞めません。黒田さんを知るまで頑張ります」

呆然としていた碧井が笑うと、時雨は、首を傾げた。

「何かおかしいですか?」

「違うよ?本当に素直なんだなって思ってね」

優しく微笑んだ碧井の顔を見つめ、頬が、急に赤くなり、時雨は、手で顔を覆い、下を向いた。

「どうしたの?具合悪い?」

時雨は、暫く黙っていたが、ボソボソと何か言い始めた。

「なに?なに?」

碧井が、時雨に顔を近付けると、その言葉が、微かに聞こえた。

「…黒田さんが…気になる…じゃなくて…ただ…僕は…純粋に…知りたいだけで…だから…見つめられた…なんて事…確かに…その瞳…凄く澄んでて…綺麗…そりゃ…吸い込まれそ…思い…けど…惚れる…事…あり得なくて…それに…それに…」

「と…藤堂君?」

碧井が、肩に触れると、時雨は、ガタンと、椅子から転げ落ちた。
その音に驚いて、二人も近付いた。

「どうしたの?」

「大丈夫ですか?」

碧井に、引き上げられ、時雨が、下を向いたまま、立ち上がる。

「大丈夫です。何でもありません」

椅子に座り直し、作成の続きを始めたのを見て、碧井が、溜め息をついた。

「まぁ。大丈夫だから。二人も早く終わらせろよ」

二人が離れたのを確認し、碧井も、椅子に座り直した。

「何かされた?」

時雨は、真剣な顔で、首を大きく振ると、碧井は、優しく微笑んだ。

「何かあったら言ってね?」

モニターを見たまま、時雨が、小さく頷き、2人で、報告書を作成した。

「…完璧。やれば出来るじゃん」

試行錯誤しながら、やっと完成した報告書を見せると、紅華が、親指を立てて見せた。
時雨は、碧井とハイタッチした。

「兄弟みたいですね」

二人を見て、一騎の素直な感想に、報告書の束を整理しながら、紅華も頷いた。

「私も思った」

時雨と顔を見合わせると、碧井が、照れくさそうに笑った。

「困っちゃうな」

真剣な顔をして、時雨が首を傾げた。

「何故ですか?」

碧井の表情が、困った顔になった。

「だって、こんな優秀な弟がいたら、俺の立場がなくなっちゃうから」

「それでしたら、僕の方が、困ってしまいます」

真剣な顔で、視線を落とし、うつ向いた時雨に、一騎が首を傾げた。

「何故ですか?」

時雨は、照れたように、頬を赤らめた。

「優しく微笑まれると、甘えてしまいそうで、困ります」

三人が固まり、時雨は、首を傾げた。

「どうかしましたか?」

「いや…そんな事、初めて言われたよ。有難う。藤堂君」

照れ笑いを浮かべ、ポリポリと、頬を掻く碧井を見つ、時雨は、恥ずかしそうに視線を下げた。

「あの…名前で呼んで下さい。黒田さんや、龍崎さんと同じように。お願いします」

うつ向く時雨から視線を反らし、二人を見ると、ニコニコしながら、碧井を見ていた。
視線を戻し、まだ下を向いたままの時雨に、微笑みを向けた。

「分かった。じゃ、時雨君って呼ぶよ」

嬉しそうに笑い、今朝とは、別人のような時雨の幼い笑顔に、碧井も、微笑みを返した。
三人は、まだ仕事が残ってた為、時雨だけが部屋に戻った。
シャワーを浴び、普段着になって、何もする事がなく、ベットに寝転がった。
ボーッと、天井を見つめていると、通信機から呼び出し音が鳴った。
その音に、驚いた時雨は、ビクッと体を縮め、平常を装い、通信機に触れた。

「ハイ」

「どうした~?声震えてるぞぉ~?」

通信機からは、間の抜けたような紅華の声と雑音が聞こえた。

「そうですか?」

「ん~?まぁ~い~や。時雨さぁ。今からマサムネに来てぇ。じゃ」

「はい?黒田さん?」

聞き返した時には、通信が切れていた。
暫く、唖然としていたが、我に返り、ジャケットを持って、寮を出てから立ち止まった。
通信機に触れ、紅華に連絡したが、全く応答しない。
時雨は、寮のプライベート用出入口の前で、立ち尽くしていた。

「時雨君?」

振り返ると、私服に着替えた碧井がいた。

「どうしたの?」

心配したような顔で、近付く碧井に、時雨が真剣な顔を向けた。

「黒田さんに、マサムネに来いって言われたんですが、何処にあるか、分からなくて」

「紅華は?」

「さっきから、呼び出してるのですが」

通信機を見せると、碧井は、大きなため息をついた。

「仕方ない。俺も行くから、一緒に行こう」

「碧井さんも、黒田さんに呼ばれたんですか?」

「俺は、一騎に呼ばれたんだ。二人だけで、寂しくなったんだろう」

時雨は、何度も頷き、碧井と並んで、二人の元に向かった。
マサムネは、歩いて三十分の所にある居酒屋だった。
個室のように区切られ、通路側には、カーテンが引かれているだけのシンプルな造り。
声が駄々漏れで、中にいる客層が、ある程度分かる。
客の大半は、安部が、占めているらしく、通信機の音が、微かに聞こえた。
通常は、プライベート用に支給された携帯で、連絡をするのだが、寮内や任務中は、常に、通信機を使う為、携帯を持ち歩く習慣がなく、ほとんどが、通信機で連絡してる。
因みに、情報課の碧井にも、両方、支給されている。

「やっと来た」

少し大きめの個室に、紅華と一騎と向かい合うように座っていた。
紅華は、もうだいぶ飲んでいたようで、既に出来上がっているようにも見える。
碧井が、一騎の隣に座ると、時雨が、紅華の隣に座った。
紅華は、時雨に視線を向けると、ムクッと、体を起こして指差した。

「おほい!」

時雨が驚いた顔をしていると、碧井が苦笑いした。

「これでも、早く来たし。それより紅華。時雨君から通信あっただろ?」

紅華は、グラスを傾けた。

「ひらない」

「あー。零してるから」

喋りながら飲もうとして、紅華の口から、流れ落ちるのを手で、ゴシゴシと拭く。
時雨が、慌てて、おしぼりを手渡すと、紅華は、膝に落ちたカクテルを拭き、また、口を着けるのを見つめ、二人は、苦笑いしていた。

「いつから飲んでたんですか?」

時雨の質問に、一騎は、ポリポリと、頬を掻きながら、苦笑いを浮かべた。

「あの後すぐだから、かれこれ、二時間くらいかな」

紅華を見ると、ムッとしながら、ポテトをかじり、碧井が、軽く肘を着いた。

「なんかあったのか?」

紅華は、またカクテルを飲みながら答えた。

「べふに」

「また、こぼしてますから。飲むか、喋るか、どっちかにして下さい」

紅華の世話を焼く時雨を見て、一騎が、微笑んでいると、碧井が、横目で、その横顔を見つめた。

「お役御免かい?」

一騎が、ビールジョッキを持って、苦笑いしながら答えた。

「そうなりゃ、いいんだけどな」

時雨が、二人を見ていると、紅華は、二人を指差した。

「もうこどもじゃないぞ」

クスクス笑いながら、碧井が反論した。

「十分、子供だと思うけど?」

紅華が、いつもより、細くなった目で睨み、唐揚げを口に放り込む。

「んじゃよ。4しゃいも、しちゃにゃくしぇしてさ」

「何言ってっか分かんないぞ」

モゴモゴと、口を動かしながら、喋る紅華に、時雨は、目を大きくして、一騎を見つめた。
それに気付いた碧井が、何かを思い付いたように笑った。

「時雨君は、一騎が、こんな奴だと思わなかっただろ?」

「え?あ。はい…じゃなくて…え~っと…あの…その…えっと…あの~…」

しどろもどろになる姿を見て、三人が笑うと、時雨は、頬を赤らめ、コップの中身も、確認せず、一気に飲んだ。

「あ!紅華!!」

「へ?あ!」

すでに飲み切ってしまい、二人が苦笑すると、碧井が、首を傾げて聞いた。

「なに?」

紅華は、視線を反らしながら、時雨の持つコップを指差した。

「焼酎」

時雨の体が、グラッと揺れ、紅華の方に傾いた。

「ヤバい!!」

小皿や料理を碧井が寄せ、そのまま倒れる時雨の手から、一騎が、コップを取り上げた。
頭をぶつけないように、紅華が手を出した。
ゴトンと、鈍い音を聞き付け、店員が来ると、三人は、恥ずかしそうに笑い、追加で、刺身やオニギリ、ビールなどと共に、おしぼりと水を注文した。
すぐにおしぼりと水が、運ばれ、紅華の膝に、時雨の頭を乗せ、仰向けに寝かせると、その額に、おしぼりを乗せて手で扇いだ。
しばらく、そうしていると、時雨の指が、ビクッと動いた。

「大丈夫か?」

碧井と一騎が、テーブル越しに覗こうとした時、追加注文が運ばれ、テーブルに置かれた。
店員が出ていくのを見送ると、時雨が、額に手を当てて体を起こした。

「大丈夫?」

時雨は、コクンと、小さく頷いた。

「無理すんなよ?」

時雨は、コクンコクンと頷いた。

「帰ろうか?」

時雨は、首を振った。

「お水、飲もうか?」

碧井が差し出し、コップを持とうと、時雨は、額に当てていた手を伸ばすが、持つ事が出来ず、何度も空振りした。
紅華が受け取って、持たせると、時雨は、一気に飲み干した。

「あ゛~~」

時雨が、オヤジみたいな息を吐き出し、三人は、驚きで顔を見合わせた。

「本当に大丈夫か?」

「ダイジョブ」

「何か食べたら?」

片言で呟き、時雨は、目の前にある料理を見てから、オニギリを食べ始めた。
完全に酒が抜けた紅華が、時雨の顔を覗き込む。

「無理しないでね?」

そんな紅華を見て、時雨が、視線を反らした。

「それ。やめて。ドキドキして困る」

「どうした?」

時雨は、目を細めて、一騎を見た。

「敬語じゃない一騎さんは、一騎さんじゃないみたい」

「時雨君?」

「ん?」

「どうしたの?」

二個目のオニギリにかぶり付き、碧井を見てたが、時雨は、視線を反らした。

「拓都さんは、笑うと、紅華さんみたい。それ見ると、車の事思い出して、ドキドキする」

碧井は、一瞬、驚いた顔をしたけど、すぐにニッコリ笑いながら、更に聞いた。

「うん。それで?」

「僕は、新人だし、今日の今日で、色んな事があって、色々、分からない事ばっかで、何か、二人に、試されてる気がして嫌」

「うん。うん」

「僕だって、名前で、呼びたいけど、新人だからって、ガマンしてた」

「そっか」

「僕だって、二人の役に立ちたいのに。それなのに、二人は、僕の事知らんぷりして」

「大変だったね」 

「僕は、僕で、必死に考えてるのに、バカにされたり、笑われたり、からかわれたり」

「うん」

「でも、それでも、いいから、彼女の事を知りたい」

「彼女って誰?」

「紅華さん」

「それは、好きだから?」

「好きなのか、純粋に、ただ知りたいのか、分からなくて、でも、それを話したら、また、バカにされそうで、誰にも話せなくて、考えてたら、どうしたらいいのか、分からなくて…」

オニギリを食べ終わって、眠くなったのか、テーブルに、うつ伏せになりながら、寄っ掛かり、徐々に声が小さくなっていく。

「僕、勝手に、紅華さんを支えてる、人を守るんだって、思ったけど、皆を、見てたら、自信なくなって。でも、出来れば、皆と、同じように、紅華さんから、頼りに、されたいし、支えたくて、それで、一騎さんが、羨ましいって、思ったけど、尊敬出来る、人だなって、思ったら、その辺にいるような、人だった、から、ガッカリして、皆は、僕の事、どう思ってるの?僕は、皆と同じに、なれるの?僕…どうし…たら…いい…の?ぼ…く…」

スースーと、静かな寝息が聞こえ、碧井は、二人に視線を向けた。

「何したの?」

碧井に睨まれ、二人が、小さくなりながら、一日の出来事を話すと、碧井は、大きく溜め息をついた。

「君たちはホントに。可哀想でしょうが」

「ごめんなさい」

「すみませんでした」

「謝るのは、俺じゃないでしょ」

二人は、静かに寝ている時雨を見つめた。

「ちゃんと謝るんだよ」

二人が頷くと、三人で、テーブルの上にある物を食べ、一騎が、時雨を背負って店を出た。
寮に帰る途中、碧井は、時雨を心配する二人を横目で見てた。

「あ~あ。未成年に、お酒飲ませちゃって。明日、総括に怒られるぞ」

二人が、ビクッと肩を揺らしたのを見て、碧井は、クスクスと笑いながら、三人から離れた。

「先に行くわ」

「え~」

「置いてくなよ~」

「二人の責任でしょ」

「拓都も同罪でしょ」

「俺は、知らんよ~」

碧井が早足に離れ、チラッと、後ろを振り返ると、時雨が起きたようで、二人は、アタフタと慌てていた。
だが、碧井は、止まる事なく、サッサと、部屋に戻り、コルクボードに飾ってある写真を見て呟いた。

「大丈夫だよな?信(シン)さん」 

写真には、一騎にそっくりな金髪の男性が、まだ若い一騎と紅華の肩を抱き、幼い碧井の肩に、二人が手を置いて微笑んでいた。
朝になり、時雨は、激しい頭痛と重たい体を引き摺るように、部屋を出た。
自動ドア付近で、一騎と紅華を見付けると駆け寄った。
二人は、時雨を見るなり、心配そうな顔をした。

「おはようございます」

「おはよ」

「おはようございます。大丈夫ですか?」

「何がですか?」

二人が、顔を見合わせていると、後ろから声を掛けられた。

「おはようございます」

振り返ると、そこにいたのは、笹谷慄(ササヤリツ)がいた。
二十五歳で、群青色の髪と瞳が、冷たい印象の彼は、髪型も体格も、時雨に似ていた。
身長も、時雨の方が、少し高いくらいで、そんなに変わらない。
冷酷で、法律に忠実。
何かと紅華をライバル視する保安A部隊の隊長。

「おはよう」

「おはようございます」

二人を無視し、時雨だけを見据え、口元だけに笑みを見せると、時雨は、視線を反らして挨拶した。

「おはようございます」

「君が、藤堂時雨だね?」

フルネームで呼ばれ、笹谷に視線を向けた。

「はい」

「そうか。SSが嫌になったら、いつでも、僕を頼ってくれ。歓迎するよ」

「はい。では失礼します」

時雨は、二人の腕を掴んで、引っ張るように、その場を立ち去った。
しばらく、足早に歩いていたが、総括室の前で立ち止まった。

「あの~時雨?」

紅華の声で、我に返ったように、ハッとした時雨は、総括室の扉をノックしようとした。

「わわちょい待ち!!」

紅華の声が、頭の中に響き、頭の奥が、ズキンと痛んだ。
時雨が、頭を押さえると、一騎は、慌てて、その肩を支えた。

「大丈夫ですか?」

頭を押さえながら、頷いて見せたが、時雨は、口元を手で覆い、壁に手を着き、しばらく、そのままでいた。

「完全に、二日酔いですね」

「だね」

二人が、小声で話していても、時雨は、その状態から動けない。

「何故ですか?」

「はい?」

時雨の声が掠れていて、紅華は、聞き取れなかった。
だが、一騎は、ちゃんと聞き取れていた。

「今日は、部隊朝礼の日ですよ」

時雨は、ハッとして、腕に巻いた通信機を見て、日付を確認した。

「なので、このままホールに行きますよ」

吐き気と頭痛が治まり、時雨が頷くと、二人に挟まれるようにして、ホールに向かった。
安部では、月に一回、朝礼と言う名の顔合わせが行われる。
MC内にある二十七の部隊が、一挙に、整列し、その中央を上位三部隊だけが通過する。
入れ替わりが、激しい安部では、こうして、上位にいる部隊の顔を覚え、そこに向かって、日々、精進する事を目的としている。

「こんな無意味な事、時間の無駄だよ」

「それでも、やらなきゃダメです」

「そうですね」

呼ばれるまでの間、僅かな、沈黙が訪れ、紅華が、ソワソワと、落ち着きなく、時雨の顔を見ては、下を向いてを繰り返していた。
その様子に、一騎が、シビレを切らした。

「早く言え」

ムッとしたが、すぐに、シュンと、落ち込んだように、肩を落とすと、紅華が、時雨の前に立った。

「ごめん」

手を顔の前で合わせ、上目遣いの紅華に、時雨が、顔をほんのりと赤らめ、一騎に、視線を向けた。

「何がですか?」

「昨日、時雨の事で、拓都に怒られたんだ」

時雨は、首を傾げて、紅華に視線を戻した。

「時雨が、そんなに悩んでるなんて思ってなくて、いっぱい意地悪しちゃって…それに、あんなに私の事、気にしてたなんて思ってなくて…それで…」

「ちょっと待って下さい」

時雨が手を挙げ、話を続けようとする紅華を止めた。

「覚えてないのですが、僕は、何を言ったのですか?」

二人は、キョトンとして顔を見合わせた。

「敬語じゃない一騎は、一騎じゃないとか、尊敬出来る人だって思ったのに、その辺にいる人と変わらなくて、ガッカリしたとか、拓都は、笑うと私みたいで、ドキドキするとか」

「新人だから、僕らに、試されてる気がして嫌とか、名前で、呼びたいけど、ガマンしてるとか、紅華の事を知りたいとか、皆と同じように紅華を支えたいとか、皆は、どう思ってるのかとか、皆と同じになれるかとか、どうしたらいいかとか」

時雨は、顔を真っ赤にした。

「あと、自分は、必死に考えてるのにバカにされるとか」

「からかわれるとか、それ以外にも、色々、言ってたよな?」

壁に手を着き、落ち込んだように、下を向く時雨を見て、二人は慌てた。

「でも、あれは、お酒が入ってたからだし」

「そう!そう!あれが、時雨の本音だなんて思ってないし」

時雨が、肩を落とすと、二人は、更にアタフタした。

「それに、拓都も、何か嬉しそうだったし、私たちも楽しかったよ?」

「何か悩んでるなら、ちゃんと聞くから話して欲しいな?ほら。僕ら、もう仲間なんだからさ」

「そうそう。仲間だよ?」

時雨が、未だに黙ったまま、下を向いていると、二人が、大人しくなった。

「昨日は、やり過ぎたと思ってるよ。だから…ごめん」

「僕も、いじり過ぎたと思ってる。ごめんな」

時雨は、恨めしそうな目で、二人を見上げた。

「本当に、そう思ってますか?」

二人が、何度も、大きく頷くと、時雨は、溜め息をついた。

「もういいですよ。お二人に、悪気があった訳じゃないんですから」

『SS部隊、入場準備をお願いします』

大きな扉の前に、三人で並び、前を見据えた。

「これからは、何でも話してね?」

「分かりました」

「それと、昨日みたいに名前で呼べよ」

二人が、時雨に顔を向け、ニッコリ笑った。

「その方が、拓都も喜ぶから」

「私も嬉しいし」

「分かりました。紅華さん。一騎さん」

大きな扉が開かれ、全部隊が整列している中に、歩き出すと、司会役の隊員の大きな声が聞こえた。

「特別保安部隊、SS部隊の入場です。局長兼隊長、黒田紅華。副局長兼副隊長、龍崎一騎。隊員、藤堂時雨」

並んで歩いていると、整列している他の部隊が、ヒソヒソと、話をしているのが聞こえた。

『あれが、不動のSS部隊だ』

『九年間も、SSなんだろ?』

『執行率一位って、本当なのかな?』

『噂だと、SS部隊を怒らせた隊員は、部隊から外されるらしいぜ』

『新人いじめが酷いらしいぜ』

『総括室で、新人に怒鳴ったのって、局長だろ?』

『可哀想だよな』

『まぁ、あの人が居れば、このMC局は、大丈夫だろ』

時雨の拳が揺れた。

「他人は他人。気にするな」

「私らは私ら。それでいいんだよ」

「…はい」

三人が、指定の位置に立つと、朝礼は、滞りなく進み、最後の局長の挨拶になった。

「それでは、最後に、局長より、ご挨拶をお願いします」

紅華は、壇上に上がると、いつもより、少し低い声で話した。

「本日は、これにて、終了となります。解散」

全部隊が、一斉に、ホールから出て行くのを見送り、最後に、三人もホールから出て、総括室に向かい、紅華が扉をノックした。

〈コンコンガチャ〉

返事を待たず、扉を開けた三人の前にA部隊がいた。
ストレートで長髪、黄色の瞳の彼は、砲井李駒(ツツイリク)。
短髪で群青色の瞳の彼は、月影璃樹(ツキカゲリキ)。
二人とも、笹谷の後ろに、控えるようにしている。
見た目は、一応、紅華たちと同い年くらいだろうが、あまり喋らない為、正確な年齢は分からない。
体格的には、一騎に負けてないくらい、大きいが、若干、一騎の方が大きい。

「あら。先客がいたの。なら食堂にでも行く?」

「ご心配なさらずに。もう終わりましたから」

A部隊が、三人の横をすり抜けるようにして出て行くのを見送り、扉が完全に閉まるのと、紅華は、大きな溜め息をついた。

「あんな睨まなくても、いいじゃんね」

「それだけ、君らを敵視してるという事だ」

三神が、三人に資料を渡す。

「まぁ、敵視と言うか、根に持ってるんじゃないか?」

「そんな酷い事してないけど?」

ホワイトボードから写真を取り除く伊野の背中を睨み、資料を捲り始めた紅華に、一騎は苦笑いした。

「そんな事言って…充分したでしょが」

顔を覗き込む時雨に、一騎は、ニッコリと笑ってみせた。

「局長のマジバトルって、伝説知ってる?」

時雨が首を振ると、一騎は、頬をポリポリと掻きながら、苦笑いした。

「あ~。まだ育成所にも入ってなかったか。紅華と笹谷は、手合わせというか、笹谷が、紅華に挑戦した事があるんだ」

「その時、笹谷を病院送りにした」

紅華は、ムッとした。

「骨折くらいで、騒ぎすぎ」

「骨折だけじゃないでしょ」

三神が、大きな溜め息をついた。

「肋にヒビ、左腕を骨折、額を四針、打撲が数ヶ所」

唖然として、時雨は、紅華の横顔を見た。

「それより、今日の任務は?」

また大きな溜め息をつき、三神が、伊野と視線を合わせて頷いた。
伊野が、ホワイトボードに、写真を貼って、詳細を簡単に書いた。

【囚人No.43、突加瑠々(トツカルル)】

現在四十三歳。
当時、隣の家に侵入、その家に住んでいた一家を斧や包丁で殺害。
逃走後、帰宅した次男の通報に寄り事件が発覚。

「殺人罪で、容疑者不在裁判により、四ヶ月前に死刑確定。以上」

黙って、三人が、総括室を出くのを見送り、パタンと、扉が閉まると、伊野は、また飴を口に放り込み、三神は、顔の前で、指を組んで目を閉じていた。
昨日と同じように、情報課のドアを開けると、資料が用意されていて、四人で、丸テーブルを囲んだ。

「拓都お願い」

「はい。はい」

碧井が、テーブルの上に置いた写真には、脇腹に刺傷がある中年女性が写っていた。
母親の久利弥沙兔(クリミサト)。
四十三歳主婦。
買い物から帰って来たところ、キッチンにあった包丁で、右脇腹を刺され死亡。
首に切傷がある若い男性。
長男の栄人(ヒデト)。
十六歳高校生。
自室で、首の左側面を包丁で切られ死亡。
首を斧で切られた若い女性が写っていた。
長女の樹弓(キク)。
十二歳中学生。
バスルームで、首を斧で切られ殺害。
頭、腕、足が、バラバラにされた中年男性。
父親の史崇(フミタカ)。
四十五歳会社員。
帰宅してすぐ、後頭部を殴られ、死亡した後、斧で、人体をバラバラにされた。

「以上かな」

碧井が、紅華に一枚の写真を渡した。
そこには、ボブショートで、栗色の髪と瞳の幼い男の子が写っていた。

「この子が、第一発見者」

次男の源陽(モトハル)。
八歳小学生。
塾から帰宅した時、父親の遺体を発見。
その場に座り込んでいた所を通り掛かった近所の不和二三歌(フワフミカ)に発見され、通報した張本人。

「今は施設にいる」

「不和の写真は?」

「はい」

写真には、所々、白髪が混ざったパーマがかけられた中年女性が映っていた。
絵に描いたような近所のおばさんだ。

「五十六歳の主婦」

紅華は、碧井に写真を返した。

「被害者と容疑者の関係は?」

碧井は、資料を持って読み上げた。

「突加には、一人息子がいたが、八年前に自殺。その後、離婚してから、突加の態度が一転。近所からの評判が悪く、被害者である久利弥沙兔と言い争っているのを近所の人が、よく目撃していた」

資料を読み終えると、三人は、頷き合い、ドアに向かって歩き出すと、時雨の背中に、碧井が声を掛けた。

「時雨君」

「はい」

「気を付けて、行ってらっしゃい」

時雨は、一瞬、驚いた顔をしたが、小さな微笑みを返した。

「行ってきます」

時雨の肩に、紅華と一騎が手を置いた。

「私には?」

「僕には?」

一瞬、驚いた碧井が、ニッコリ笑った。

「行って来い」

「何か雑~」

「やっぱり、弟は、可愛いんだよな」

「違いますから」

三人が、笑っているのを碧井は、鼻で軽く溜め息をついて、真剣な顔になった。

「ちゃんと帰って来い」

そんな碧井に、紅華が、笑顔を返した。

「了解」

時雨と一騎も頷いて、情報課から出て行くのを見送り、碧井は、資料を片付けて、自分のデスクに戻ると、パソコンの電源を点け、カタカタと、何かを調べ始めた。
地下駐車場に来て、運転席に近付く一騎に、時雨が駆け寄った。

「運転しちゃダメですか?」

トランクを開けて、乗り込もうとした紅華が、運転席側に、顔を覗かせながら時雨に聞いた。

「出来んの!?」

「はい」

振り向き、時雨が頷くと、紅華は、そっと車の陰に隠れた。

「これで、紅華だけが、運転出来ないんだな」

クスクス笑った一騎に、時雨が、紅華を見ながら聞いた。

「出来ないんですか?」

陰から、紅華の声だけが返って来た。

「女は運転しなくていいんだ!」

「苦しい言い訳」

「うっさい!!」

「でも、僕もそう思います」

紅華は、車の陰から顔を出した。

「完璧に、何でもこなされてしまったら、男の立つ瀬ないですよ」

二人が首を傾げると、時雨は、一騎の手から鍵を貰った。

「運転だと、やる事がなくならないから、やりたいだけです」

一騎がクスクス笑うと、時雨は、頬を少し赤らめて、眼鏡の縁を押し上げた。
紅華が、更に、首を傾げていると、時雨の肩を叩き、一騎がトランクから中に入り、時雨も、運転席に乗り込んだ。

「乗らないのか?」

一騎に言われ、慌てた紅華は、天井に頭をぶつけた。

「イタっ!」

一騎が笑うと、紅華は、ムッとして、背中合わせに座り、一人で、カタカタと、何かを調べてから、それを助手席のモニターに送った。
時雨が、それを確認すると、やがて、車は、静かに発進した。
一騎の運転だと、車体が大きく揺れる出入口も、揺れが少なく、紅華は感心した。

「上手…」

『大丈夫ですか?』

急に聞こえた時雨の声に、紅華の頬が、赤くなり、いつもとは違う所から声が出た。

「なにが?」

『どうかなと思いまして』

「あ~うん。ダイジョブ…です」

『そうですか。何かあったら言って下さいね』

時雨の声に、紅華の頬が、真っ赤になると、一騎は、クスクス笑った。

「…一騎のばぁ~か」

「何もしてないから。照れ隠しに遣うのやめてくれる?」

「うっさい。バーカバーカ」

耳まで赤くして、照れ隠しに、罵倒するのを一騎は、懐かしそうに目を細め、優しく微笑んでいた。
そんな時、顔の横に資料が出された。

「これ。お願い」

いつもの調子に戻った紅華が、後ろ手に資料を出していた。

「はいはい」

資料を受け取り、中身を確認し、一騎が紅華に聞いた。

「今回は別行動?」

キーボードを打つ手を止める事なく、紅華が答えた。

「うん。時雨は連れて行くから」

「珍しい」

「なにが?」

「新人の世話なんて、嫌じゃなかった?」

「うっさい。バカ。さっさとしな」

「はいはい」

「返事は一回」

「は~い」

「伸ばすな」

軽口を言い合いながらも、カタカタと、手を動かす二人を時雨は、声の様子だけで、簡単に、想像が出来た。
それは、昨日一日、二人に付いて歩いた成果なのかもしれない。
想像の中、軽口を言う二人に、時雨は、小さく微笑むと、ナビを見て、静かに右折した。
ナビ通りに運転していた時雨に、一騎が声を掛けた。

『時雨。次を曲がったら、一旦、停めて』

「分かりました」

言われた通り、角を曲がって、すぐに停車すると、トランクからバタンと聞え、助手席に紅華が乗り込んだ。
それを見ていた時雨の耳に、窓ガラスをノックする音が聞え、見ると、一騎が通信機を指差していた。
通信機を指差す仕草を真似て、時雨が起動すると、一騎の声が聞こえた。

『別行動になりますので、このままでお願いします』

「敬語になる基準ってなんですか?」

時雨の場違いとも言える発言に、二人は笑った。

『多分、気の持ちようじゃないかな』

「てか、この場面で、それは違うと思う」

二人が笑う理由を理解して、時雨は、再び一騎に聞いた。

「別行動って、どうしてですか?」

既に、一騎の姿はなくなっていて、時雨も、紅華が出したナビに従い、車を発進させた。

『今回、やる事が多いから、僕は、源陽や不和、近所の証言を確認するのをメインとして、聴き込みをする。時雨は、紅華と一緒に追跡をメインとして、そっちは、色々と調べる。だから、別行動でやる』

「分かりました。お気を付けて」

『了解。紅華、ちょっかい出すなよ?』

クスクスと笑っている一騎の一言で、紅華の顔が真っ赤になった。

「一騎のバカ!!」

一騎は、周りも気にせず、声を上げて笑い、時雨は、紅華を横目で、チラリと見て微笑んだ。
二人と別れてから、一騎は、久利の家に向かって歩いていた。
人通りの少ない路地を抜けた瞬間、一騎は、白地に青い縦縞のYシャツ、ベージュのジャケット、ベージュのチノパンに革靴を履いて、黒の大きめなショルダーバッグを肩から下げていた。
閑静な住宅街。
事件があった久利の家から、少し離れた所で、三人の女性が集まっている。
一騎は、その輪に向かって歩くと、警戒心を丸出しの女性たちに、ニッコリ笑って、架空の名刺を差し出した。

「私、ライターの伊東と申します」

三人に、それぞれ名刺を渡した。

「このご近所にお住まいなんですか?」

赤ん坊を抱えた若い女性が答えた。

「はい」

一騎は、笑みを絶やさなかった。

「先日、この近くで、起きた事件に関して、お話をお伺い…」

一騎の言葉を遮断して、ふくよかな中年女性が声を上げた。

「あぁ!突加さんの事件ね?」

「そうです」

ニッコリ笑いながら、一騎が答えると、周りの人たちも、納得したように頷いた。

「世の中、物騒で困っちゃうわよねぇ?」

細身の中年女性に同調したように、赤ん坊を抱えた女性が頷いた。

「ホントですよねぇ」

「でも、とうとうって感じよねぇ」

細身の中年女性に、ふくよかな中年女性が、頷きながら答えた。

「そうよねぇ」

「それは、どうしてですか?」

一騎が質問をすると、若い女性が答えた。

「突加さんと久利さん、日頃からよく、言い合いしてたんです」

「どんな事で、言い合っていたんですか?」

一騎が、バックの中から、小さめのメモ帳を取り出しながら聞くと、ふくよかな中年女性が答えた。

「テレビの音がうるさいとか、ゴミの日を守らないとか、お庭でゴミ燃やしてるのが煙たいとか、もう、ホントに、些細な事よ」

メモ帳に内容を書いている中で、細身な中年女性が続けた。

「それで、突加さんも、気が強い人だから、自分だって大きな音発てて、お隣の赤ちゃん泣かせてるとか、小学生の子供に、ゴミ出させてるくせにとか、掃除もろくにしないでとか、言っちゃうのよぉ~」

「もしかして、お二人は、久利さんと突加さんのお隣なんですか?」

赤ん坊の抱く若い女性とふくよかな中年女性に、ペンを持ったまま、手の平を見せる一騎に、女性たちは、ギョッとした顔をした。一騎は、不思議そうな顔をして、首を傾げた。

「おや?違いましたか?」

酷く警戒した細身の中年女性が聞いた。

「なんで、そう思うの?」

一騎は、キョトンとした。

「だって、お二人は、よく、その言い合いの現場に、居合わせたようでしたし、何よりも、僕ちゃんがいるから、てっきり、そう思ったんです」

一騎は、女性が抱えていた赤ん坊に、顔を近付けて、優しく笑い、ノートとペンを一緒に持って、手を出すと、赤ん坊が、一騎の指を掴んで笑った。
その光景に、そこにいた女性たちは、少しホッとしたように、ニッコリ笑った。

「実はそうなんです」

ふくよかな中年女性が、若い女性に手の平を向けた。

「彼女が、久利さんの隣で、私が突加さんの隣なの」

一騎は、赤ん坊に指を掴まれたまま、顔だけを上げた。

「しかし、その言い合いの内容は、果して、本当だったのでしょうか?」

若い女性が答えた。

「本当だと思います」

「何故ですか?」

一騎が聞くと、ふくよかな中年女性が答えた。

「突加さんのお庭から、煙が上がってるのを何回か見たわよ」

若い女性も答えた。

「よく大きな音がして、この子が泣いてた事があります」

細身の中年女性も答えた。

「よく突加さんが、ゴミの日じゃないのに出してたり、小学生の息子さんが泣きながら、ゴミを出してるとこを見たわよ」

一騎は、視線を下げ、赤ん坊の顔をじっと見つめていた。
それを見ていた女性たちが、首を傾げていると、一騎は、何かを思い付いたように顔を上げた。

「大きな音は、どんな感じの音だったんですか?」

若い女性が、記憶を探るようにしながら答えた。

「ん~?どんなって言われても…何かこ~、ドンっていうか、バンっていう感じで、たまに、ドサって、音も、聞こえたような気がしますけど」

「ドン、バン、ドサですか…因みに突加さんのお宅から上がる煙は、どんな色だったんですか?」

中年女性も、記憶を探るようにしながら答えた。

「確か…白だったわねぇ」

「お子さんが、泣きながらゴミを出した時は、変わった事はなかったですか?」

細身の女性が、腕組みして考える仕草をすると、何か思い出したように手を叩いた。

「そう言えば…その子が泣いてると、よく突加さんが、その子に話し掛けてたわね」

若い女性も、何か思い出したようだった。

「私も見ました。それに突加さんのお宅から出てくる所も」

「突加さんのお宅から…ですか?」

若い女性が、一騎に顔を向けた。

「はい。何かされてるのかなって、思ったんですけど、別に、何もなかったみたいですし、それに、突加さんの所から帰る時は、その子、いつも笑ってて、もしかしたら、そんなに悪い人じゃないのかな~って、思ってたんですけど、でも、周りの話を聞くと、やっぱり、そうでもないかなぁって」

ふくよかな中年女性も、何かを思い出したように続けた。

「そう言えば、その子のお兄さんが、亡くなった息子さんと、同級生で、クラスメイトじゃなかったかしら?」

中年女性に視線を向けて、確認するように聞いた。

「お兄さん…ですか」

ふくよかな中年女性が答えた。

「そう。でも、そのお兄さんが、ちょっと…ねぇ?」

「ちょっと?」

若い女性とふくよかな中年女性が、視線を合わせて、渋い顔をしたのを見て、一騎が首を傾げると、細身の中年女性が答えた。

「あまり、いい子じゃなかったわよ」

それに、ふくよかな中年女性が付け加えた。

「挨拶もしないし、こっちから挨拶しても知らん顔してたわ」

若い女性も、何度も頷いた。

「どっか暗い感じで、子供とか赤ちゃんを見ると、睨むように見てました」

「そうだったんですかぁ」

視線を移した一騎が、赤ん坊に顔を近付けて、優しく聞いた。

「君は、そんな事されてないか?されたら、俺がやっつけてやるからな?」

女性たちが、笑いながら聞いた。

「伊東さんも、お子さんいらっしゃるんですか?」

「いえ。ただ子供が好きなだけです」

「そんなに、子供が好きなの?」

「えぇ。仕事が休みの時は、近所の子供たちとよく遊ぶんです」

「あら~。いいわねぇ」

「でも、最近は、忙しくて、なかなか遊べなくて」

「淋しがってるんじゃない?」

「えぇ。だから、今度の休みは、めいっぱい遊ぼうと思いまして」

「いいですねぇ」

「ホントねぇ。伊東さんは、いい旦那さんになるわよ」

「そんな事ないですよ」

恥ずかしそうに、頭を掻いている一騎に、若い女性が聞いた。

「結婚の予定とかないんですか?」

「残念ながらありません」

「勿体無いわねぇ。恋人はいないの?」

「はい。淋しい独り身です」

「ますます、勿体無いわねぇ」

「早く、良い人が見付かると、いいですね?」

ニッコリ笑う女性たちに、少し間を置いてから、一騎は答えた。

「そう…ですね。でも、きっと僕は結婚しないです」

「なんでですか?」

一騎は、静かに目を閉じた。

「今の生活で、十分幸せですし、それに、僕には、幸せになる資格がありませんから」

淋しそうにニッコリ笑う一騎に、女性たちは、それ以上の事は、何も聞かなかった。

「ところで、亡くなった突加さんの息子さんは、どんな子だったんですか?」

女性たちは、顔を見合わせてから、渋い顔をして視線を反らした。
一騎が首を傾げると、ふくよかな中年女性が目を伏せながら答えた。

「それは、不和さんに聞いた方がいいわ」

「不和さん…ですか」

「そう」

ふくよかな中年女性が、振り向いて、久利の自宅の向かい側の家を指差した。

「あそこが、不和さん家よ。今、いるかどうか分からないけど、行ってみればいいわ」

一騎は、記憶の中にある情報と照らし合わせ、確認すると、三人の女性たちに向き直り、ニッコリ笑った。

「貴重なお話、有り難うございました」

軽く会釈をし合って、一騎は、大通りを渡り向かいに、移動すると、イヤホンから紅華の声が聞こえた。

『子供好きねぇ』

次に、時雨の声が聞こえた。

『伊東さんになりきってましたね』

『でも、やり過ぎ注意だよ。途中から、完全に溶け込んでたし』

『いい事じゃないんですか?』

『微妙だよ』

『何故ですか?』

『余計な事言って、こっちの正体が、バレたら面倒な事になるんだよね』

『そうなんですね。気を付けます』

『あ~。時雨は、やらなくていいよ?』

『何故ですか?』

『これは、一騎の専売特許だから』

『そうなんですか?』

『なんてたって、キラースマイルの持ち主ですから』

「そんな事より、さっきの会話は、聞こえてたの?」

『もちろん。バッチリ』

「では、丸投げします」

『え~。面倒』

「紅華」

『はいはい?』

「何の為に、僕が、こんな事してるのか分かってますよね?次は、ないと思って下さい」

『ごめんなさい!了解しましたぁ!!』

その後、紅華と時雨は、一騎の得た情報から、久利一家の事を調べ始めた。
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