鬼神百鬼

咲 カヲル

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5話

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それから、一騎が、不和宅のインターホンを鳴らしてみたが、誰も出て来なかった。
不在だったようだ。
仕方なく、一騎は、源陽がいる施設に向う為、タクシーに乗り込んだ。

「…そう言えば、私の同級生が、この近くに住んでたんですがね?そこで…」

偶然、運転手から突加の元夫の話が聞かされ、それを、二人に全て丸投げした。
施設から少し離れた所で、タクシーから降りると、出入口前に不和がいた。
不和は、施設の二階、カーテンが引いてある窓を見上げていた。
一騎の存在に気付き、会釈をすると、背を向けて立ち去る不和の背中を見つめた。

「時雨」

『はい』

「ちょっと、調べて欲しい事があるんだけど」

『なんでしょ?』

「不和の旦那と、突加の旦那に、接点があるかどうか」

『分かりました』

一騎は、一旦、同時通信機能を保留状態にして、別回線を繋ぎ、通信を始めた。

『はいはい?』

イヤホンから、碧井の声がすると、一騎は、カーテンの引かれた二階を見上げた。

「拓都。ちょっといいか?」

『あ~うん。何?』

「もしかして、源陽は、話が出来ないんじゃないか?」

『あ~うん』

「やっぱりか」

『なんか、医者が言うには、精神的なダメージが大きいらしい』

「先に言えよ」

『もしかして、もう行ったの?』

「まだ行ってないけど」

『なら、様子だけでも、確認すればいいじゃない?じゃ、僕、忙しいから』

通信を切られ、一騎は、溜め息をついて、同時通信機能の保留を解除し、施設に入って行った。
インターホンを押すと、すぐに、スピーカーから声が聞こえた。

『はい』

一騎は、作業着に着替えていて、さっきと違い、明るい口調で言った。

「MCから派遣された調査員の高橋です。経過の程を確認しに来ました」

『あ!中でお待ち下さい』

自動ドアが開かれ、中で待っていると、出てきた三十代後半くらいの男性が出て来た。

「お忙しい中、どうもすみません。久利源陽君の様子を確認に来ました」

「いえいえ。どうぞ」

差し出された許可証を受け取り、首から下げ、男性と並んで、目の前にあった階段を登る。

「その後、源陽君は、どんな様子ですか?」

階段を並んで登る男性が、渋い顔をしながら答えた。

「はい。来た時と変わらず、一切、話もせず、何かを考えているような様子なんですが、最近は、座っていたと思うと、急に、叫んで、泣き出してしまい、日に日に酷くなってるようでして」

「今は、どちらに?」

「こちらです」

階段を登り、目の前に現れたドアを細く開け、男性が指差し、一騎は、そっと中を覗いた。
そこは、窓にカーテンが引かれ、淡い緑色の絨毯が敷かれ、大きめのローテーブルに向かう久利源陽が見えた。
その表情は、どことなく、思い詰めているようにも見える。

「彼は、何してるんですか?」

一騎が質問をすると、男性は、小声で答えた。

「絵を描いているんです」

「何の絵ですか?」

男性は、視線を戻した。

「それが、分からないんです」

目を閉じて考えるように、しばらく、そのままでいたが、そっと目を開けてから、男性に視線を向けた。

「その絵、見せてもらえますか?」

「えぇ。どうぞ。こちらです」

子供の作品や賞状などが仕舞ってある保管室に行くと、源陽の作品を全て取り出した
それを受け取り、丁度、窓の前にあった棚の上に置いて、一つ一つを確認した。
周りが、真っ黒に塗りつぶされ、その真ん中に男の子が泣いている絵。
母親のような女性と手を繋いで笑い合う絵。
体の大きな男に指を差され泣く男の子の絵。
微笑んだ女性と一緒に何かを作りながら、男の子が笑っている絵。
女性同士が何かを言い合ってる絵。
二人の女性が背中に触れて、涙を流しながら、ニッコリしている男の子の絵。
女性と男性が並んで立ち、その前には、一人の女の子と青年が、腕組みをして、仁王立ちで、全員が、こちらを睨んでいるような絵。
女性が並んで立つ前に、男の子が立ち、三人とも、不安そうな顔をしている絵。
更に、全ての絵には、それぞれ、マルとバツが書かれている。
そして、最後に出てきた絵は、真っ黒に塗りつぶされただけだった。
一騎が、絵を確認する度に、胸ポポケットの小型カメラが内蔵されたボールペンに触れた。
画像を紅華たちの所に転送して絵を返した。
その時、廊下から奇声に似た叫び声と女性の声が聞こえ、男性が溜め息をついた。

「源陽君です」

そっと、ドアを細く開け、二人で覗くと、女性に抱きしめられた源陽が、泣いているのが見えた。
男性は、その状況を哀れむように、見ていたが、一騎は、源陽の口が動いているのをじっと見つめた。
しばらくして、落ち着いた源陽と女性が、また部屋に戻ったのを見届けて、一騎は、男性と階段を下りながら聞いた。

「源陽君の状況は、分かりました。それ以外に、何か気付いた点はありますか?」

階段を降りきると、男性は、腕組みをしてから、考え込み、何か思い付いたように手を叩いた。

「そういえば、ニュースで、犯人の写真が出た時、源陽君が笑ったような気がしました」

「突加のですか?」

「えぇ」

「そうですか…分かりました。本日は、お忙しい中、どうも有り難うございました」

「いえ。お疲れ様でした」

ニッコリ笑い、男性に許可証を返すと、男性も、笑いながら受け取り、互いに頭を下げて、一騎は、施設から出た。
施設が見えなくなってから、一騎は、通信機に呼び掛けた。

「紅華」

だが、紅華から返答はなく、代わりに時雨が答えた。

『今、何か調べてるみたいです』

一騎は、鼻から軽く溜め息をついた時、イヤホンから、時雨と紅華の声が聞こえた。

『呼ばれてます』

『いいよ。どうせ、また面倒な事だろうから』

『でも、保留くらい解除した方がいいですよ』

『大丈夫。大丈夫。時雨が聞こえてんだから問題なし』

『そんな事言って…また怒られても知りませんよ?』

『バレなきゃ大丈夫っしょ』

「時雨」

二人の会話を遮るように、一騎が時雨に声を掛けた。

『はい』

「もしかして、保留にしてる?」

『実は、さっきからずっとなんです』

「なら丁度いい」

『はい?』

「紅華には、内緒で、俺の小型カメラの画像を読み込んで、見てもらえる?」

時雨は、すぐに、小型カメラの画像を読み込んで、モニターに出てきた画像を見た。

「これは…何ですか?」

『源陽が施設で描いてる絵。その絵に描いてあるマルとバツの意味を何とかして分からないかな?』

「マルとバツの意味ですか…子供の事ですから良い、悪いって事ですかね?」

『そんな単純な事なんだろうか?』

「しかし、それ以外でしたら、何かありますかね?」

頭の中に絵を浮かべながら、不意に、両方が描かれていた絵があったのを思い出した。

「そう言えば一枚だけ、両方描いてあるのがあるよね?」

『確かに。女性が言い合いしてるみたいなのは、両方描いてありますね』

『これって、好きと嫌いじゃない?』

時雨の後ろから、紅華の声が、聞こえると、一騎の声色が変わった。

「通信機を保留にしてる人の言葉は、信じる価値なんかありませんよ」

『だそうですよ』

時雨の通信機から、微かに聞こえたらしく、慌てた様子で、紅華は、慌てて、通信機の保留を解除した。

『すみませんでした』

しょんぼりした様子の紅華の声に、一騎は、溜め息をついた。

「で?どうして、そう思うの?」

紅華は、いつもの調子に戻った。

『この絵の右側の女性は、マルだから好きで、左側の女性は、バツだから、嫌いって感じなら、他の絵も納得いくでしょ?』

それなら、全ての絵の意味の説明が出来る。
暗い中で泣くのは嫌い。
あの女性と手を繋ぐのは好き。
男に指を差されているのは嫌い。
女性と何か作るのは好き。
言い合いをしてる片方は好きで、片方は嫌い。
でも、そう考えると、少し矛盾した絵があるのに、一騎が気付くと、紅華と時雨の会話が聞こえた。

『それじゃ、この家族のような絵は、どうゆう事なんですか?』

『これは、この人たちは、嫌いって意味でしょ』

『家族なのにですか?』

『家族が嫌いな人もいるからね。その部類じゃない?』

その瞬間、一騎は、一つの可能性を見付けた。

「源陽を診た医者って分かるか?」

『なんで?』

「ちょっと確認したい事があるんだ」

『そこは、拓都に聞いた方が早いよ?』

「分かった。一旦、保留にする」

保留にし、一騎は、すぐに碧井に通信した。

『今度はなに?』

「源陽を診たのは誰だ?」

『はぁ?』

「早く教えろ」

しばらく紙を捲る微かな音が聞こえ、それが止むと、碧井が答えた。

『MC診療の渓矢(タニヤ)だな』

「サンキュー」

碧井との通信を切り、保留を解除した。

「渓矢の所に行くから、本部まで迎えに来てくれないか?」

『了解しました』

公衆トイレで、素早く、普段着に着替え、一騎は、タクシーに乗り、MCに向かった。
MCの前で降り、足早に廊下を進み、途中で、制服に着替え、一騎は、階段を素通りし、診療室に向かって、ひたすら真っ直ぐに歩いた。
診療室は、MC内でも、育成所の近くにある為、どうしても、生徒たちに会ってしまう。
途中で、何人かの生徒が近付こうとしたが、一騎は、手を上げて、それらを制し、診療室のドアをノックした。

「どうぞ」

診療室に入ると、白髪で、口髭を生やした五十代後半の男性、渓矢が、椅子に座ったまま、視線を向けた。

「おぉ。珍しいのが来たもんだ」

「ちょっと、お伺いしたい事があります」

「なんだ?」

一騎は、渓矢が座る椅子の横に立ち、デスクに寄っ掛かりながら聞いた。

「久利源陽なのですが、もしかして、虐待を受けていたんじゃないですか?」

渓矢は、足を組んで聞いた。

「どうして、そう思う?」

「さっき、源陽がいる施設に行って来たのですが、そこで、マルとバツが書かれた絵を見せてもらいました。マルは好きで、バツは嫌いとした時、その絵の中に、矛盾する絵がありました」

「ほぉ。どんな?」

「家族のような絵です。その絵は、バツが書かれていました。更に、紅華の家族が嫌いな人と聞いた時、もしかしたらと思ったんです」

渓矢は、目を閉じていたが、一騎は続けた。

「更に、二人の女性が、言い合いをしているような絵には、マルとバツの両方が書かれていました。つまり、彼には、母親ではない助けてくれる女性がいたのではないでしょうか?」

しばらく目を閉じていた渓矢が、静かに目を開けた。

「確かに、その通りだと思う。だが、それが誰なのかは分からない」

「それに関しては、もう見当はついてます。因みに、彼の体に痣はありましたか?」

「あぁ。真新しいのから古いのまでな。頭に切傷もあったぞ」

顎に指を添え、しばらく、床をじっと見つめていたが、一騎は、渓矢に向かって、ニッコリ笑った。

「ところで、先生は、源陽が叫んだ後、助けてと、口が動くのを知ってましたか?」

「いや?」

「そうですか。有り難うございました」

一騎は、渓矢に向かって、一礼をして背を向け、診療室を出た。
ドアが閉まるまで見送ると、渓矢は、大きく息をついた。
酷く疲れたように、背もたれに身を預け、天井を仰ぐと、静かに目を閉じた。

「凄い奴らだ」

外に出ると、向かい側に車が見え、トランクのドアを開けて、中に乗り込んだ。
紅華が、ムッとして、視線を向けると、一騎は、紅華の隣に座った。

「なんかした?」

紅華は、何も答えずに、目の前にあるモニターに、視線を向けていると、スピーカーから時雨の声が聞こえた。

『疲れたそうですよ』

「あらら。それは大変でしたね」 

「少しは労ってくんない?」

「それはお疲れ様でした」

「時雨に頼んだ事の資料」

一騎は、渡された資料に目を通していた。

「結果。二人の接点であるでしょう」

一騎は、紅華に資料を返した。

「突加と不和は、源陽の理解者だったみたいだよ」

紅華が驚いた顔をしていると、時雨が声を掛けた。

『何故ですか?』

一騎は、カタカタとキーボードを叩きながら答えた。

「さっき、渓矢に確認したんだけど、源陽には、虐待を受けていた形跡があるらしい」

紅華が、資料を捲った。

「じゃ、突加は、源陽を守ろうとして、源陽の家族を殺したの?」

プリンターを起動させ、印刷しながら、助手席のモニターに、ナビを送って、一騎が答えた。

「多分、違う」

モニターを確認して、車を発進させながら時雨が聞いた。

『どうゆう事ですか?』

一騎の代わりに、紅華が答えた。

「長男の犯行」

一騎が頷くと、紅華も頷いた。

「源陽の所に行こう」

『分かりました』

時雨は、施設に向かって、ハンドルを回した。
近くの駐車場に車を停め、三人は、それぞれ着替えてから、施設に向かい、インターホンを押した。

『はい』

紅華が、ニッコリ笑いながら答えた。

「すみません。久利源陽君に面会したいのですが」

『申し訳ございません。源陽君の面会は、一切お断りしております』

紅華の肩を叩いて、一騎が、インターホンの前に出た。

「先程もお伺いした者です。もう一度、中に入れてもらえませんか?」

『あぁそうでしたか。どうぞ』

三人は、中に入ると、そのまま階段を登り、さっき、一騎の対応をした男性が、途中まで降りて来ていた。
だが、それを無視して、二階に行き、目の前のドアを開けた。
そこには、さっきと同じように、テーブルに向かう源陽と女性がいた。
一騎は、そっと、源陽に近付き、テーブルの上に、さっき印刷した突加と不和が並んで、微笑んでいる写真を置いた。
それを見て、源陽は、勢い良く、振り返ると、紅華が優しく微笑んだ。

「私たちは安部です。ですが、源陽君が、心配している事はしません」

源陽の目が、開かれるのをじっと見つめ、紅華の横に屈み、一騎も、優しく微笑んだ。

「君の大切な人を僕らは奪いません。ですが、それには、源陽君や皆さんのお話が必要なんです」

テーブルの上に置いた写真をじっと見つめ、描いていた絵を見た源陽に、一騎と紅華の後ろから、時雨がいつもの調子で聞いた。

「何故そうなったのか。それが分からなかったら、誰も助けられないんです」

源陽が視線を向けると、時雨は、視線を合わせるように屈んだ。

「助けて欲しいなら、まず、助けてあげる事をしなければならないと思います」

源陽の肩に、手が置かれ、そちらに視線を向けると、一騎が微笑んでいた。

「君も男なら、女性は、守らなきゃ。ね?」

源陽は、何かを考えるようにして、テーブルに視線を戻すと、絵の続きを描き始めた。
三人が、じっと待っていると、源陽が、描き終わった絵を差し出した。
それを受け取り、三人で確認し、頷き合うと、源陽に、視線を戻し微笑んだ。

「有り難う」

紅華が立ち上がると、源陽が手を握った。
振り返り、首を傾げる紅華に、源陽は、言葉を紡いだ。

「ご…めん…なさい」

紅華は、切ない顔をして、源陽を抱き締め、耳元で囁いた。

「私たちこそ、怖い思いをさせて、ごめんなさい」

源陽は、目にいっぱいの涙を溜めて首を振り、紅華の肩に顔を埋めて、静かに泣いた。
三人が、泣き止むまで、そのままでいると、源陽が囁いた。

「あ…ありが…とう」 

源陽は、泣き疲れたように、眠ってしまった。
三人で、施設の外に出て、一騎は、振り返り、二階のカーテンが引かれた部屋に向かって呟いた。

「大丈夫」

それから、車に戻り、また制服に着替えた三人は、車を発進させた。
リニアやタクシーに乗って行く程、遠くにある公園。
その近くには、スーパーがあり、防波堤や砂浜がある。
そこで、女性の背中に、紅華が声を掛けた。

「不和さん」

ゆっくりと、不和二三歌が振り返った。

「あなたに、お願いがあります」

紅華を見つめた不和が聞いた。

「何でしょうか?」

「我々は、突加瑠々さんを助けたいと思います。協力して、頂けないでしょうか?」

不和は、一瞬、目を吊り上げたが、すぐに無表情になった。

「彼女を救って欲しいと、源陽君に頼まれました。しかし、我々の力だけでは、救う事は出来ません。お願いします。源陽君の為に」

不和は、水平線を見つめると、呟くように話し始めた。

「八年前、突加さんの息子さんが、自殺したのは、栄人からのいじめが原因でした」

だが、それに対して、久利からは、何の謝罪もなかった。
大切な一人息子を失ってしまい、突加の旦那も、見計らったように転勤が決まった。
旦那は、良い機会だからと説得していたが、彼女は、この場所から離れられなかった。
息子と一緒に過ごした場所から離れる事を嫌がり、そのすれ違いから、旦那との離婚が成立。

「彼女は、孤独と哀しみに苦しみながらも、強く生きてました。最近になり、定年退職した私の主人が、突加さんに、真実を打ち明けたのです。あの転勤は仕組まれたんだと」

不和は、振り返り、紅華を見つめた。

「史崇さんは、取引先の上層部に勤めていて、その取引先からの重圧に因るものでした」

それから、不和の旦那は、久利の家庭内事情も調べた。
母親と父親は、学力が全てだと思っている事、樹弓は、陰湿ないじめをしている事、栄人に、全ての主導権がある事、源陽君が、家庭内で孤立している事、それを聞いてから、突加は変わった。

「源陽君に話し掛け、それからは、よく三人で、一緒にいました。幸せでした。あの日までは」

不和が視線を落として、足元を見て続けた。

「あの日、源陽君の塾が終わるのを待って、三人で帰宅した時、玄関で、父親をバラバラにしている栄人と遭遇しました」

不和が、源陽君を抱え、外に出ると、突加さんは、二人を庇うように、前に立ち、栄人と揉み合いになった。
足を滑らせて、頭をぶつけた栄人は、気絶してしまい、どうする事も出来ずにいた。

「その時、彼女が言ったんです。私がやったの。私が裏口から出たら、通報しなさいと。その後、彼女は、栄人を抱え、家の中に入って行きました。私は、言われた通り、彼女が、大きな音を発てて、裏口から出て行ったのを確認し、源陽君に通報させました。申し訳ありません」

頭を深々と下げ、不和が謝罪をすると、紅華が近付いた。

「彼女が、今、何処にいるのかは…」

「大丈夫です」

不和の言葉を遮り、紅華は続けた。

「私の部隊の者が、今、保護に向かっています」

不和は、目を開き、微笑む紅華を見ると涙を溜めた。

「あ…有り難うございます…本当に…本当に有り難うございます」

そんな不和に、声を掛ける女性の声が聞こえた。

「不和さん」

顔を上げると、二人に、連れられた突加が立っていた。
不和は、突加に歩み寄り、二人は、肩を抱き合い、互いの無事を確認し合っているのを後目に、紅華たちは、歩き出そうとした。

「あの…」

振り返る三人に、突加が、不安そうな顔した。

「処刑しないんですか?」

三人は、顔を見合わせて微笑んだ

「しかし、残念でしたね」

「自首しちゃったんだから、仕方ないでしょ」

突加と不和は、驚いて顔を見合わせると、三人は歩き出していた。
突加は、三人の背中に、深々と頭を下げた。
本部に戻ると、紅華と一騎は、別の仕事に向かい、時雨は、部屋に戻り、またシャワーを浴び、着替えてから、ベットの上で、寝転がり、天井を見上げていた。

『え~、警察から、速報が入った』

伊野から通信が入り、突加が、不和に付き添われながら、自首した事を知り、また源陽が、突加の事件について、話をした事も聞いた。
この日の任務は、誰も傷付かなかった。
急に、携帯から、爆音が鳴り響き、時雨は、体を縮めてから、ベットの横にあるチェストに手を伸ばした。
携帯を取り、画面を確認すると、登録されていない番号だった。

「…はい」

通話ボタンを押し、いつもの調子で、携帯に出ると、紅華の声が聞こえた。

『電話も、そんな感じなんだ』

時雨の声が裏返った。

「紅華さん?どうしたんですか?」

クスクス笑いながら紅華が言った。

『飲み行こう』

「またですか?」

『今回は違う所。じゃ、地下で待ってるね』

「あ!…また…」

文句を言いつつ、ジャケットを手にして、部屋から出ると、駐車場に向かった。
駐車場に行くと、すでに、紅華が待っていた。

「それじゃ行こっか?」

私用に移動車を使うのは、良くないと思った時雨は、急いで、紅華に駆け寄った。

「ちょっと待って下さい」

助手席に乗ろうとした紅華の肩を掴んだ。

「僕の車出しますから、そっちで行きましょう」

「え!?車持ってるの?」

「はい。出入口の方に回すので、そっちで、待ってて下さい」

駐車場を出て行った時雨を紅華は、ただ呆然と見ていた。
紅華は、プライベート用出入口から、少し離れた門の横、壁に寄っ掛かり、待っていた。
角を曲がって、こちらに向かって来るヘッドライトの光が見え、紅華の前に停まった。
鮮やかなピンク色の軽自動車の運転席から、時雨が見え、紅華は、後部座席のドアに手を掛けると、時雨が窓ガラスを叩いた。
見ると、助手席を指差し、一瞬、戸惑ったが、紅華は、助手席に乗り込んだ。
シートに、黒いレザーカバーを着け、白いハンドルカバーがしてあり、片付いていて、こまめに掃除された車内は、とても綺麗だ。

「お邪魔します」

そんな紅華に、時雨が、クスっと笑った。

「そんなに、かしこまらないで下さい」

キョロキョロと、車内を見ていた紅華が、時雨に視線を向けたが、すぐに反らした。

「かしこまってなんかないもん」

更に、クスクス笑う時雨を横目で、見ながら、紅華は、ムッとした。

「早く行こ」

「はいはい。どちらへ向かうんですか?」

「旬鮮喜食りゅう」

車に搭載されていたナビを起動し、店名を打ち込んで、ルートを確認すると、発進させた。
しばらく走ってから、時雨は、オーディオを点けた。
流れ始めたメロディは、時雨に、似合わないポップな曲だった。
それのメロディに、紅華が、クスっと笑うと、時雨が、横目で見つめた。

「おかしいですか?」

紅華が慌てたように、時雨の横顔に視線を向かけた。

「違う違う!!ただ、普段の時雨とは、イメージ違うなぁ~って」

「妹の影響です」

時雨は、微笑んだまま、真っ直ぐ、前を見つめながら続けた。

「妹が好きで、よく聞かされてたんです。そしたら、いつの間にか、妹よりも詳しくなってました」

「へぇ。時雨も、そんな事あるんだ」

「結構あります。悪い事じゃなければ、人に影響されるのも、悪くないですよ?」

「私とは逆だね」

信号で停車すると、紅華は、少し淋しそうに笑った。

「相手が好きだった物とか、全部捨てちゃうんだよね」

信号が変わり、また車を発進させ、顔を前に向けたまま、チラチラと、紅華の横目を見た。

「何故ですか?」

「相手を思い出すから」

紅華は、窓の外に視線を向け、流れる景色を見ながら、更に続けた。

「淋しくて、淋しくて、どうしようもなくなるの。でも、会えなくて、哀しくなって、自分じゃ、それをどうする事も出来なくなる。だから、全部捨てる。そうすれば、少しは、楽になると思ったから」

店の近くの駐車場に、時雨は、バックで停め、サイドブレーキを引いた。

「淋しいですね」

車を降り、並んで歩き、小さな居酒屋に入った。 
モダンな内装に、カウンター席とテーブル席に、数人の客がいる。
白髪混じりの男性が、カウンターの中から声を掛けてきた。

「いらっしゃい。今日は、一騎はいないのか?」

それに対して、隣に引き寄せるように、時雨の袖を引いて、紅華が答えた。

「そう。新しい運転手」

軽く、お辞儀をした時雨を見て、カウンター席の男性が驚いた顔をした。

「ずいぶん若いな?」

「新人なの」

「未成年かい。紅ちゃんの運転手は、つれぇぞ?」

「余計な事言わなくていいから」

カウンター席の男性と笑い合う紅華の隣で、時雨は、カウンター内で、ニッコリ笑う白髪混じりの男性を見つめていた。
急に、紅華の顔が、目の前に出て来て、驚いて体を反らした。

「何したの?」

「あえっと…その…あの…誰かに似てらっしゃるなと」

そのままの体制で、また白髪の男性をチラリと見る。
紅華は、振り返り、カウンター内の男性を見て頷いた。

「当たり前だよ。一騎のお父さんだもん」

時雨が、また見ると、男性は、ニッコリ笑った。

「一騎が、お世話になってます」

頭を下げる一騎の父親に、時雨も慌てて頭を下げた。

「こちらこそ。いつも、お世話になっております」

そのお堅い口調に、客が笑い始め、時雨が、周りをキョロキョロと見渡していると、紅華が、袖を引っ張った。

「堅くならない」

「はい」

袖を引っ張られながら、カウンター席やテーブル席を素通りして、奥にあったカーテンの引かれた所に入った。
そこは、小上がりになっていて、小さなテーブルが、一つ、置いてあるだけだった。
靴を脱いで、畳に上がり、紅華と向かい合うようにして座ると、カーテンから顔を覗かせて、一騎の父親が聞いた。

「いつものでいいかい?」

「うん」

「そちらは?」

「何がありますか?」

時雨が聞くと、紅華が即答した。

「緑茶」

「でいいかな?」

「お願いします」

ニッコリ笑って頷いた一騎の父親が、いなくなると、時雨は、紅華に聞いた。

「ずいぶん、慣れてるんですね?」

「まぁね。ずっとお世話になってるからかな」

「いつからですか?」

「産まれてから」

「産まれてから?」

「うん。私、母子家庭だったから」

首を傾げながら、時雨が聞いた。

「お父さんは、安部でしたよね?」

「うん」

「何故、母子家庭なんですか?」

「私が産まれる前に離婚したの。それで、私は、産まれながらの母子家庭」

「すみません」

「いいよ。もう慣れ…」

「あの時の紅ちゃんは、可愛かったのよ?」

会話を遮断し、カーテンを開けて入って来た女性を見て、時雨は、紅華に小声で聞いた。

「もしかして…」

「一騎のお母さん」

一騎の母親は、ニッコリ笑った。

「いらっしゃい」

「いつもお世話になってます」

「いいえ。お口に合うかどうか、分からないけど、いっぱい食べてね」

紅華の前に、梅酒とおしぼり、時雨の前に、緑茶とおしぼりを置いて、メニューを手渡した。

「注文は後でいいね?」

「うん」

「じゃ、決まったら呼んでね」

一騎の母親が出て行ってから、時雨は、テーブルに、メニューを広げ、紅華にも見えるようにした。

「私はいいよ」

「何故ですか?」

「もう決まってるから。時雨が選ぶだけ」

時雨が、メニューに視線を走らせると、紅華が更に続けた。

「ゆっくりでいいよ」

メガネの位置を直して、改めて、メニューを見つめた。

「なんか、こんな風にしてると、昨日を思い出します」

紅華が、一瞬、肩を震わせて、時雨を見た。

「あの時は、すみませんでした」

「その…僕…酔っ払って、何か、色々と言ってしまったんですよね?」

紅華が首を傾げると、時雨が続けた。

「拓都さんから聞きました」

「あ~そうなんだ」

しばらくの間、黙っていると、カーテンを開けて、一騎の母親が顔を覗かせた。

「もういい?」

紅華が見ると、時雨は、メニューを捲った。

「はい。お願いします」

一騎の母親が、小上がりに膝を着き、割烹着のポケットからメモ帳とペンを取り出した。

「…えっと、玄米のおにぎりと、生海苔の味噌汁、あと…」

紅華が、先に注文するように促すと、時雨は、次々と注文した。

「紅ちゃんは?」

「いつもの」

「じゃ、ちょっと待っててね」

一騎の母親が出ていくと、おしぼりで、手を拭き、紅華が、梅酒の入ったグラスを時雨に差し出した。

「乾杯しましょ?」

時雨も、緑茶の入ったグラスを持って、紅華の持つグラスに、軽くぶつけた。

「お疲れ~」

「お疲れ様です」

グラスに口を着け、緑茶を一口飲んで、視線を向けると、紅華は、梅酒を一気に飲み干した。

「それって、一気に飲む物じゃないと思いますが」

「いいの」

肘をテーブルに着いて、見つめる紅華から、時雨は、視線を反らしながら、眼鏡の位置を直した。

「慣れた?」

頬を人差し指で、ポリポリと、掻きながら時雨が答えた。

「まだ、二日しか経ってないですから」

「驚いた?」

肘を着いたまま、紅華に、真顔で聞かれ、時雨も視線を合わせて、真顔で返した。

「かなり驚きました」

「楽しい?」

「それなりに楽しいです」

「充実してる?」

「それなりに充実してます」

「天職?」

「分かりません」

「一騎の事どう思う?」

「凄い方だと思います」

「私の事はどう思う?」

「もっと凄い方だと思います」

「それだけ?」

「はい」

互いに睨み合っていると、不意に、紅華が微笑んだ。

「悪い事じゃなければ、他人に影響されるのも悪くない?」

「はい」

「なら、一騎や拓都に、影響されてもいいと思う?」

時雨が首を傾げると、紅華は、空になったグラスに視線を向けた。

「二人は、私の事が好きだった」

時雨の頬が赤くなった。

「でも今は違う」

時雨の眉間に、シワが寄った。

「酔ってますか?」

「酔ってない。何となく分かるの。二人の態度が、昔と大きく違う。でも、最近は、また、昔みたいになってきた」

「じゃ、お二人は、紅華さんの事を…」

「好きじゃない。寧ろ嫌い」

時雨の言葉を遮り、紅華は、淡々と話し出した。

「可愛くて、お洒落で、明るくて、いつも笑ってた。所謂、普通の女の子。でも変わった。可愛くしない。お洒落もしない。明るくない。笑わない」

グラスを持って回し、氷が、グラスに当たり、カランカランと、高い音を発てる紅華を時雨は見つめた。

「だって、彼が好きだって言ったんだもん。可愛くて、お洒落で、明るくて、いつも笑ってる女の子が好きだって。だから、そうしてた。頑張ってたの。だから捨てた。全部捨てた。そしたら、変わっちゃった。その時に分かった。二人は、彼に恋してた私が好きだったんだなって」

グラスを握りしめる紅華の手を時雨の手が包み、視線を向けると、真剣な時雨の表情に、紅華の頬が赤くなった。

「そんな事ないと思います」

紅華が目を開くと、時雨が言葉を続けた。

「僕は、今の紅華さんしか知りません。だから、少なくとも、僕は違います」

しばらく、そのままでいたが、急に、紅華が、クスクス笑い出し、時雨は首を傾げた。

「おかしかったですか?」

またクスクス笑いながら、紅華は、時雨を見た。

「告白みたい」

「お待たせ~」

時雨の顔が、茹でダコのようになると、一騎の母親と父親が、料理を持って入って来た。
慌てて手を離し、二人から顔を反らして、眼鏡の位置を直しながら、手で顔を隠した。

「ごゆっくり」

二人が出て行くと、時雨は、視線をテーブルに向けた。
時雨の前には、煮物、刺身、生海苔の味噌汁、玄米のおにぎりが置かれ、紅華の前には、シーザーサラダ、ポタージュ、オムライスが置かれていた。

「大食い?」

時雨が箸を持って、手を合わせてから、味噌汁をすすった。

「いえ。普通です」

紅華は、ポタージュをスプーンで飲んで、フォークに持ち変えると、シーザーサラダを食べる。

「いつも、ご飯って、どうしてるの?」

「普段は、お腹が空いたら食べるって感じです」

「不規則」

「ふみまふえん」

おにぎりを頬張りながら、煮物を口に突っ込み、刺身に箸を向ける時雨の姿に、紅華が大笑いした。
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