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第三部
6.たったひとつの星
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壁一面の大きな窓は防音機能が備わっていて、外の物音がまったくしない。
窓から見えるのはまるで高級な偽物(つくりもの)のようなイルミネイションだ。
けど、その灯かりの群れの一つ一つには必ず誰かの生活がある。
あの灯かりの中の一つは誰かの部屋の窓から漏れるそれだろうし、また別の小さな灯かりは大切な人を迎えに行く誰かの車のヘッドライトかもしれない。
いつのまにか夜空を彩る無数の星の中から、自分の星を探すような気持ちで聖はそれを見ていた。
きっとこの灯かりのどこかに、それがある。
どんなときでも気がつけば心が勝手にそれを求めている。
自分の中の、たったひとつの星を。
背中から声をかけられて我に返って、聖は自分の諦めの悪さを嘲笑った。
「美神君、おいで」
返事をして、自分を呼んだ相手のテーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛けた。
「この間の件ね、社長に相談したんだけど」
テーブルの上に用意してあったワインをグラスに注ぎながら、聖の前に座った男は言った。
「高野君が契約を更新するなら、ツアーのこと前向きに考えてくれるって。ああ、それと新曲も約束してくれるそうだよ」
手渡されたワイングラスを受け取って聖は、そうですか、と気のない返事を返した。
「信じられない?まあ、この間のこともあるしね、君が疑うのもわかるけど。でも、なにしろ全員の契約書が揃わないことには事務所としても迂闊にテレビ局やレコード会社に売り込み出来ないわけ。それは、わかるよね」
「よほど高野を手放したくないんですね」
言外に、司の残留を説得する役目を押し付けられていることを正確に受け取って、唇の端で笑いながら聖は言った。
「なに高野君だけが必要ってわけじゃない。社長はむしろ後継者としては美神君に期待してるみたいだからね」
耳を塞ぐように聖はグラスの中の揺らめく赤い液体を一気に飲み干す。
冷たいワインが喉を通って、内臓に染みていく。
少しでも酔えば、楽になれる。
「美神君。君は、自分の価値を見誤ってるよ」
テーブル越しに身を乗り出して、聖の唇の端から零れたワインを指ですくい、目を細めて男は言った。
かつてはこの男もアイドル歌手として一線で活躍していたが、芸能界を引退した現在は事務所に残り、今は社長の片腕として働いている。
「オレには無理です。山下さんのようにはなれない」
「そんなことはないよ。君はライブの構成にも携わってきただろう。君のプロデュース能力はたいしたものだよ。そのうえ、リーダーシップも持ち合わせている。MUSEは君がリーダーでなければここまで成功しなかった。まあ、君ほどの容姿で裏方の仕事をするのももったいないけどね。ピンで俳優業に専念したいなら、それもいいんじゃないかな」
視線で舐めまわすような目は、品物を値踏みする目付きだと聖はいつも思う。
この目に映る自分に、今、どれくらいの価値があるのだろう。
「オレが好きですか」
男の指が唇を撫でるのを、身体を固くして耐えながら聞く。
「好きかって?夢中だよ、君に。君を手に入れるためにどれくらい辛抱したと思うんだい」
山下には随分誘われた。
今までは、この男と寝ても得るものがないと思っていたのでかわして来た。
「片思いってやつさ。こういう気持ち、君にはわからないと思うけど」
「いえ、わかりますよ」
「いるの?好きな人、とか。意外だよ。てっきりクールな美神君にはそういうのはないかと思っていた。じゃあ、こんなことしてたら、君の好きな人に悪いね」
指を唇に変えて、軽い口づけを交わしたあとで男は言った。
閉じた瞼をゆっくり開いて、聖はじっと男を見つめる。
「…どんなものとでも引き換えに出来る」
身体も、誇りも、何とでも。
何を犠牲にしても守ってみせる。
「え?」
自分の内に呟くように言った聖の言葉は、相手には届かなかった。
けれどそれは自分だけがわかっていればいいことだ。
おいで、と言われて聖は男の後についてリビングの奥の部屋に入った。
大切なものを守るために。
窓から見えるのはまるで高級な偽物(つくりもの)のようなイルミネイションだ。
けど、その灯かりの群れの一つ一つには必ず誰かの生活がある。
あの灯かりの中の一つは誰かの部屋の窓から漏れるそれだろうし、また別の小さな灯かりは大切な人を迎えに行く誰かの車のヘッドライトかもしれない。
いつのまにか夜空を彩る無数の星の中から、自分の星を探すような気持ちで聖はそれを見ていた。
きっとこの灯かりのどこかに、それがある。
どんなときでも気がつけば心が勝手にそれを求めている。
自分の中の、たったひとつの星を。
背中から声をかけられて我に返って、聖は自分の諦めの悪さを嘲笑った。
「美神君、おいで」
返事をして、自分を呼んだ相手のテーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛けた。
「この間の件ね、社長に相談したんだけど」
テーブルの上に用意してあったワインをグラスに注ぎながら、聖の前に座った男は言った。
「高野君が契約を更新するなら、ツアーのこと前向きに考えてくれるって。ああ、それと新曲も約束してくれるそうだよ」
手渡されたワイングラスを受け取って聖は、そうですか、と気のない返事を返した。
「信じられない?まあ、この間のこともあるしね、君が疑うのもわかるけど。でも、なにしろ全員の契約書が揃わないことには事務所としても迂闊にテレビ局やレコード会社に売り込み出来ないわけ。それは、わかるよね」
「よほど高野を手放したくないんですね」
言外に、司の残留を説得する役目を押し付けられていることを正確に受け取って、唇の端で笑いながら聖は言った。
「なに高野君だけが必要ってわけじゃない。社長はむしろ後継者としては美神君に期待してるみたいだからね」
耳を塞ぐように聖はグラスの中の揺らめく赤い液体を一気に飲み干す。
冷たいワインが喉を通って、内臓に染みていく。
少しでも酔えば、楽になれる。
「美神君。君は、自分の価値を見誤ってるよ」
テーブル越しに身を乗り出して、聖の唇の端から零れたワインを指ですくい、目を細めて男は言った。
かつてはこの男もアイドル歌手として一線で活躍していたが、芸能界を引退した現在は事務所に残り、今は社長の片腕として働いている。
「オレには無理です。山下さんのようにはなれない」
「そんなことはないよ。君はライブの構成にも携わってきただろう。君のプロデュース能力はたいしたものだよ。そのうえ、リーダーシップも持ち合わせている。MUSEは君がリーダーでなければここまで成功しなかった。まあ、君ほどの容姿で裏方の仕事をするのももったいないけどね。ピンで俳優業に専念したいなら、それもいいんじゃないかな」
視線で舐めまわすような目は、品物を値踏みする目付きだと聖はいつも思う。
この目に映る自分に、今、どれくらいの価値があるのだろう。
「オレが好きですか」
男の指が唇を撫でるのを、身体を固くして耐えながら聞く。
「好きかって?夢中だよ、君に。君を手に入れるためにどれくらい辛抱したと思うんだい」
山下には随分誘われた。
今までは、この男と寝ても得るものがないと思っていたのでかわして来た。
「片思いってやつさ。こういう気持ち、君にはわからないと思うけど」
「いえ、わかりますよ」
「いるの?好きな人、とか。意外だよ。てっきりクールな美神君にはそういうのはないかと思っていた。じゃあ、こんなことしてたら、君の好きな人に悪いね」
指を唇に変えて、軽い口づけを交わしたあとで男は言った。
閉じた瞼をゆっくり開いて、聖はじっと男を見つめる。
「…どんなものとでも引き換えに出来る」
身体も、誇りも、何とでも。
何を犠牲にしても守ってみせる。
「え?」
自分の内に呟くように言った聖の言葉は、相手には届かなかった。
けれどそれは自分だけがわかっていればいいことだ。
おいで、と言われて聖は男の後についてリビングの奥の部屋に入った。
大切なものを守るために。
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