HEAVENーヘヴンー

フジキフジコ

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【第三章】HEAVEN'S DOOR

16.人を愛するということ

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「……もう、いいよ。馨、ここで降ろして」
不破と暮らしていた部屋を出て10分ほど車を走らせたところで真理が言った。
血の気のない青白い顔には、けれど自分のやるべきことはすべてやったというような、どこか満足気な笑みが浮んでいた。

あの日、馨の前で倒れた真理は、自分は厄介な病気にかかってしまい、入院して治療に専念するように医師に言われたのでもう不破とは一緒にいられなくなった、と馨に打ち明けた。

「どうして?そんなこと別れる理由にならない」
不思議に思って馨が聞くと「不破は今大事なときだから、邪魔したくない」と言う。
「多分、長くかかるから―」
真理の悟りきった口調に、馨は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「病名は…真理?」
「骨髄性…」
白血病…現代の医学では治らない病気ではない。
けれど、そう聞いてもとても馨は安心できなかった。
真理の言うことにはひどく矛盾があった。

「不破には病気のことは言いたくない。だから、馨…」
おまえと一緒になることにして欲しい、と真理は言った。
「馬鹿なこと。不破を傷つけるよ」
けれど真理の決心は固かった。

なぜ、そうまでして不破から離れるのか、離れなければならないのか、馨に考えられるのはひとつのことだけだった。
真理はもう、自分の命の限界を知っているのではないか、と。

「降ろして、馨…」
「出来ないことを言うな。降ろせるわけがない。このままオレの知り合いがいる大学病院に入院してもらう」
怒ったような口調で馨は言った。

何もわかってない真理に腹が立つのか、真理をこんな目にあわせた運命に怒っているのか、自分でもわからない憤りに自分を見失っている。
こんな状況でいつもの冷静さを身につけるのは無理だった。

「…でも、馨に迷惑かける」
「迷惑?問題が違う」
きっぱり馨に言われた真理は、浮かせていた背中を、シートに預けた。
「わかった…馨の言うとおりにする」
素直というよりも、真理には事態に逆らう気力がないようだった。

このまま死んでもいいというような口調でそう言われても、不安が増すばかりだ。
「馨の言うとおりにする。オレ、いつも馨に助けられてばかりだね。馨がいないと、駄目なんだ」
静かにクスッと笑って言った。

そんな風に笑いながら言うなんて、まるで、二人の間にあった複雑な事情なんてなにもなくて、穏やかに日々を過ごしていたようじゃないか。
けれど、そうじゃない。
真理がこんなに穏やかなのは、諦めているからだ。
生きることを、諦めている。

案じていたことが確信になっていくようで、涙が溢れて、フロントガラスが曇る。
馨は首を振って涙を払った。
「そんな嘘は必要ない。オレはもう、ただ…」
オレはただ、君に生きていて欲しいだけだ。
生きて、存在してくれればそれでいい。
誰を愛していても構わない。
生きていて欲しい。
神様、こんな些細な望みがどうして叶わないのか。
失うと、真理を失うのだと、この瞬間に馨は確信した。

「真理…君は、残酷だよ」
残された時間だけを、自分にくれるという。
それがどんなに辛い時間になるか知らないで。



***



真理の病状は入院してから急速に悪化した。
馨は白血病の治療では有名な大学病院に真理を入院させ最高の医療チームを準備したが、医師の言葉は過酷だった。

「もうかなり白血球の数が少ない、完全に手遅れですよ。なぜもっと早く、治療しなかったんですか」
白血病はもはや不治の病ではない。
早期に適切な治療さえ受けていれば、こんなことにならなかったのに、そう思うと馨は悔いても悔い切れない。

けれど、自分は、どこで間違ったのだろうか。
真理を手放さなければよかったのか、それとも、不破から奪い返せばよかったのか。

結局、すべて真理が選んだことだと思うほかなかった。
真理にとっても不破にとっても自分にとっても、これが運命だったと。
そう、抗うこともやり直すことも出来ない、残酷な運命なのだ―。



***



「真理、散歩に行こう」
ほっておけば真理は1日中個室に閉じ篭って、一歩も外に出ない。
なるべく外に連れ出すようにしている馨がそう言うと、素直に頷く。

真理にはもうあまり意思がない。
まるで生きる気がないのに、仕方なく生きているようだ。
ベッドの上の真理を抱き上げて、車椅子に乗せるたびに身体が軽くなっていることがわかって、やりきれない。
目に入った首筋の白さも、痛々しかった。

外に出ると空気も風景も秋らしく、病院の中庭は落ち葉に埋もれていた。
「不破がね、映画に出ることになったよ」
「知ってる。テレビで、会見を見た」
「見たいだろう」

車椅子の上で手を伸ばして、上からひらひらと降ってくる葉を手のひらの上に拾う。
空を見上げる視線は、はるか遠くを見ているようだ。
「…いつ公開するの?」
「半年先、くらいかな」
「そうか」
半年―それは今の真理にとっては永遠と同じくらい長い。
「見られるかどうか、わかんないね」
そう言って俯いて静かに笑った。
「見なきゃ駄目だよ、真理は。そのために、不破と別れたんだろ」

「馨…ありがとう」
「なんのこと」
「おまえが、働きかけてくれたんだろ。馨はあの映画会社の社長とコネ、あったよね。前、店に一緒に来てた」
「口を利いただけだよ。あとは不破の力量次第だから」

舞台の仕事は出来ても、まだ映画やテレビの仕事は出来なかった不破が、最近やっとCMでも見られるようになって、テレビを通して不破を見ることは真理のただひとつの楽しみになっていた。
それが馨が裏で手を回したのだということはすぐにわかった。

「どうして馨はそんなに優しいんだろう。オレは、馨に酷いことばかりしたのに」
純粋に、馨の真意がわからないという口ぶりで聞く真理に、馨は苦笑する。
「真理、オレは君にひどいことをされたなんて思ってないよ。君にはとても、感謝している」
思いがけないことを言われ、真理は戸惑ったような顔をする。

馨は、車椅子の前にしゃがんで、真理の顔を見上げた。
「君はオレに、人を愛することの素晴らしさを教えてくれたんだ。君と出会ったことも、ROSYで一緒に活動したことも、二人で暮らした日々も、オレには大切な宝物だけど、なにより、君を愛したことを誇りに思っている。少しも、後悔していないよ」
「馨……」

不意に馨と過ごした日々が鮮やかに蘇って、ただ懐かしくて、真理は胸がつまった。
この優しい人に、同じだけの愛を返せなかった。
そう思うと、涙がこみ上げてきて、それを止めることは出来なかった。

「真理」
名前を呼びながら、馨は真理の手を握る。
「お願いだから、もう自分を責めないで。オレを愛せず、不破を愛したことに罪悪感なんか少しも感じる必要はないんだ。人は人を愛することで、充分報われるものだから。それを、君が教えてくれたんだよ。君のおかげでオレの人生には意味があったと思える。君と出会えて、本当に良かった」

真理は泣きながら、首を振った。
「違う…そうじゃない、馨。オレは、馨のことも、本当に、愛していたんだ。二人を、愛していたんだ。オレの罪は、二人の男を愛したことだ」
馨の目にも涙が浮かんだ。
「ありがとう、真理」
二人の間にはもう過去への拘りも感傷もなかった。
ただそこには静かで深い愛情があった。


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