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【番外編】結婚しようよ(独身編)
6.闇
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「小田切先生、今度はいつ、食事に連れていってくれるんですかあ」
パラリーガルの斉藤有紗が、身体がくっつくほど近づいて、言う。
雅治は、ファイルの並んだ棚の前にいて、探していたファイルに手を伸ばしたところだった。
有紗を見もしないで、「ごめん、なんか言った?」と返事をした。
「先生、忙しいのはわかりますけど、あんまりほっておかれると、有紗、浮気しちゃいますよ」
有紗は身体をくねらせながら言うが、雅治はやっぱり見ていない。
「恋人がいるって前にも言ったと思うけど…」
ファイルを開いて、文字を目で追いながら雅治はそれでも律義に返事をした。
「それ、嘘だと思うんです」
有紗にきっぱりとそう言われて、やっと雅治は有紗を見た。
くるんと丸まった長い睫毛に、均等にマスカラが塗られている。
アイシャドウは3色のグラデーション。
肩より少し長い髪の毛は、内側にカールしている。
この化粧とヘアスタイルを作るのにどれくらい時間がかかるんだろうと、雅治は考えた。
「なんで嘘だと思うの」
「だってえ、先生には女の匂いがしません。なんか、強引に押せばイケそうなんですよね」
有紗は雅治が顔を見てくれたことに喜んで、頬を染めながら言った。
「オレが?押せばいけそう?はじめて言われたよ、そんなこと」
「だって、先生は恋愛なんて面倒くさいってタイプじゃないですか。だったらさっさと結婚しちゃえばいいんです、有紗と」
有紗の言い草に、雅治はつい笑ってしまった。
「つまり君は結婚に恋愛は必要じゃない、ってこと?」
「はい。どうせ有紗は弁護士にはなれそうにないし、だったら弁護士の妻になれば、いっかって。相手が小田切先生なら、今まで有紗を馬鹿にした女たち、みんな見返してやれます」
まるで仮面のような隙のない化粧を施した顔が、一瞬だけ、醜く歪んだように見えた。
「意外だよ。斉藤さんにも、闇があるんだ」
有紗はにっこり微笑んだ。
「先生、女はみんな、心に闇を持ってるんですよ」
雅治は手にしていた厚いファイルをパタンと、音を立てて閉じた。
「男にだって闇はあるよ」
「まさか、先生にはないでしょう。人生、順風満帆で、なんでも持っているじゃないですかあ」
自分が他人からそんな風に思われていることは承知している。
雅治は、自嘲した。
「オレにも、手に入らないものはあるんだよ。それをなんとかして自分だけのものにしたいと思っている、強欲という闇がオレにはあるんだ。仕事に集中したり、たまに違う女性とデートしたりするのは、ダークサイドに落ちないための逃げ道なんだ」
有紗は大きな目をパチパチさせた。
「先生、それって熱烈な片思いをしてるってことですか」
「片思いとはちょっと違う。愛し合っているとは思う。だけど、愛し合っていたって、人はしょせん、自分以外の人間を自分のものには出来ない。心中でもしない限りはね」
「わあ、その考えはアブナイですね。先生もかなり病んでます」
雅治は有紗と顔を見合って笑った。
「でも、心中って、一緒に死ぬことでしょう?なら、一緒に生きることはそれと同じことじゃないですか。結婚って、そういうことですよね」
雅治は一瞬驚いたような顔をして、感心したように目を細めた。
「斉藤さんは、自分が思っているよりずっと賢い。きっと次の司法試験には受かるよ」
有紗は長い溜息を吐いた。
「有紗、先生の背中を押すような、余計なことを言っちゃったのかなあ。結婚式には呼んでくださいね」
「いや」
と雅治は言った。
「押されたわけじゃない。結婚しようって思ってた。ずっと前からね」
パラリーガルの斉藤有紗が、身体がくっつくほど近づいて、言う。
雅治は、ファイルの並んだ棚の前にいて、探していたファイルに手を伸ばしたところだった。
有紗を見もしないで、「ごめん、なんか言った?」と返事をした。
「先生、忙しいのはわかりますけど、あんまりほっておかれると、有紗、浮気しちゃいますよ」
有紗は身体をくねらせながら言うが、雅治はやっぱり見ていない。
「恋人がいるって前にも言ったと思うけど…」
ファイルを開いて、文字を目で追いながら雅治はそれでも律義に返事をした。
「それ、嘘だと思うんです」
有紗にきっぱりとそう言われて、やっと雅治は有紗を見た。
くるんと丸まった長い睫毛に、均等にマスカラが塗られている。
アイシャドウは3色のグラデーション。
肩より少し長い髪の毛は、内側にカールしている。
この化粧とヘアスタイルを作るのにどれくらい時間がかかるんだろうと、雅治は考えた。
「なんで嘘だと思うの」
「だってえ、先生には女の匂いがしません。なんか、強引に押せばイケそうなんですよね」
有紗は雅治が顔を見てくれたことに喜んで、頬を染めながら言った。
「オレが?押せばいけそう?はじめて言われたよ、そんなこと」
「だって、先生は恋愛なんて面倒くさいってタイプじゃないですか。だったらさっさと結婚しちゃえばいいんです、有紗と」
有紗の言い草に、雅治はつい笑ってしまった。
「つまり君は結婚に恋愛は必要じゃない、ってこと?」
「はい。どうせ有紗は弁護士にはなれそうにないし、だったら弁護士の妻になれば、いっかって。相手が小田切先生なら、今まで有紗を馬鹿にした女たち、みんな見返してやれます」
まるで仮面のような隙のない化粧を施した顔が、一瞬だけ、醜く歪んだように見えた。
「意外だよ。斉藤さんにも、闇があるんだ」
有紗はにっこり微笑んだ。
「先生、女はみんな、心に闇を持ってるんですよ」
雅治は手にしていた厚いファイルをパタンと、音を立てて閉じた。
「男にだって闇はあるよ」
「まさか、先生にはないでしょう。人生、順風満帆で、なんでも持っているじゃないですかあ」
自分が他人からそんな風に思われていることは承知している。
雅治は、自嘲した。
「オレにも、手に入らないものはあるんだよ。それをなんとかして自分だけのものにしたいと思っている、強欲という闇がオレにはあるんだ。仕事に集中したり、たまに違う女性とデートしたりするのは、ダークサイドに落ちないための逃げ道なんだ」
有紗は大きな目をパチパチさせた。
「先生、それって熱烈な片思いをしてるってことですか」
「片思いとはちょっと違う。愛し合っているとは思う。だけど、愛し合っていたって、人はしょせん、自分以外の人間を自分のものには出来ない。心中でもしない限りはね」
「わあ、その考えはアブナイですね。先生もかなり病んでます」
雅治は有紗と顔を見合って笑った。
「でも、心中って、一緒に死ぬことでしょう?なら、一緒に生きることはそれと同じことじゃないですか。結婚って、そういうことですよね」
雅治は一瞬驚いたような顔をして、感心したように目を細めた。
「斉藤さんは、自分が思っているよりずっと賢い。きっと次の司法試験には受かるよ」
有紗は長い溜息を吐いた。
「有紗、先生の背中を押すような、余計なことを言っちゃったのかなあ。結婚式には呼んでくださいね」
「いや」
と雅治は言った。
「押されたわけじゃない。結婚しようって思ってた。ずっと前からね」
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