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5.病名
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「進行性記憶喪失症?」
「あまり例のない、非常に特殊な病気です」
大学病院のドアプレートに「脳神経科」と書かれた部屋で、那智の代わりに検査の結果を聞くために、マネージャーの里美と一緒に、樫野は医師と向かい合っていた。
慣れない座り心地の椅子が落ち着かない。
「それはどんな病気なんでしょうか」
樫野の後ろに立っている里美が聞く。
「一言で言えば、段階的に記憶を失っていく病気です。病状はアルツハイマーに似ていますが、アルツハイマーに見られる脳の萎縮や細胞の変化がこれには見られない。外的には、なんら健康な人間と変わりありません。原因もまだわかってないのですが、精神的なショックやストレスといった、本人の内部に病因があるのではと言われています。症状は解離性障害と非常に似ているため、専門医は精神科です」
「精神科?あの、それでどうすれば治るんですか」
医師は同情的な目を里美と樫野に交互に向けて、首を横に振った。
「残念ながら、この病気が回復した例は非常に少ない。現在のところ、治療薬も治療法もありません。彼の場合はかなり進行もしている。もうずっと前から自覚症状はあったはずですよ」
「そんな…」
いつからだよ……樫野は膝の上に揃えた拳を握った。
「一度失った記憶を取り戻すことは出来ないと思います。これからも少しづつ、しかし確実に記憶をなくし、最後は経験を記憶することも出来なくなります。自分が誰であり、どこにいるかの認識も出来なくなるでしょう。最悪の場合には言葉も失います。仕事を続けることは不可能ですし、一人で生活することも出来ません。入院を勧めます。この病気に適した、静かで環境の良い病院を紹介しましょう」
「ちょっ、そんなこと…!」
動揺を隠せない樫野に、医師は持っていたペンとカルテを置いて、正面から樫野に向き直った。
「あなたは、彼の友人ですか」
なぜそんなことを聞かれるのかわからないまま、頷く。
「あ、はい」
肯定しながら、樫野は思う。
自分たちの関係が友人と呼べるだろうかと。
『なあ、オレたちって友達?』
そう聞くたびに、那智は笑いながら否定した。
那智が樫野に許したのは「FakeLipsのメンバー」という特別な枠。
『メンバーっていうのは、家族より、恋人より友達より大切な存在なんだ』
心を許したように言いながら那智は、メンバーという壁で距離を保とうとしていた。
「だったら力になってあげてください。彼にとって辛いのは今ですよ。自分が記憶を失くしているということを自覚している、今です。人間は自分で思っている以上に記憶に依存して生きている。現在持っている知識も人間関係も、これまで生きてきた記憶の上に成り立っているのですから。それを失っていくというのはかなり辛いですよ、足許がぐらつきます。いっそすべてを忘れてしまった方が本人は楽になれるのです」
だから、と医師は言葉を切って言った。
「力になってあげてください。彼がすべてを忘れるまで」
樫野の頭は真っ白になり、事実を宣告するその言葉だけが繰り返し響いた。
彼がすべてを忘れるまで。
「あまり例のない、非常に特殊な病気です」
大学病院のドアプレートに「脳神経科」と書かれた部屋で、那智の代わりに検査の結果を聞くために、マネージャーの里美と一緒に、樫野は医師と向かい合っていた。
慣れない座り心地の椅子が落ち着かない。
「それはどんな病気なんでしょうか」
樫野の後ろに立っている里美が聞く。
「一言で言えば、段階的に記憶を失っていく病気です。病状はアルツハイマーに似ていますが、アルツハイマーに見られる脳の萎縮や細胞の変化がこれには見られない。外的には、なんら健康な人間と変わりありません。原因もまだわかってないのですが、精神的なショックやストレスといった、本人の内部に病因があるのではと言われています。症状は解離性障害と非常に似ているため、専門医は精神科です」
「精神科?あの、それでどうすれば治るんですか」
医師は同情的な目を里美と樫野に交互に向けて、首を横に振った。
「残念ながら、この病気が回復した例は非常に少ない。現在のところ、治療薬も治療法もありません。彼の場合はかなり進行もしている。もうずっと前から自覚症状はあったはずですよ」
「そんな…」
いつからだよ……樫野は膝の上に揃えた拳を握った。
「一度失った記憶を取り戻すことは出来ないと思います。これからも少しづつ、しかし確実に記憶をなくし、最後は経験を記憶することも出来なくなります。自分が誰であり、どこにいるかの認識も出来なくなるでしょう。最悪の場合には言葉も失います。仕事を続けることは不可能ですし、一人で生活することも出来ません。入院を勧めます。この病気に適した、静かで環境の良い病院を紹介しましょう」
「ちょっ、そんなこと…!」
動揺を隠せない樫野に、医師は持っていたペンとカルテを置いて、正面から樫野に向き直った。
「あなたは、彼の友人ですか」
なぜそんなことを聞かれるのかわからないまま、頷く。
「あ、はい」
肯定しながら、樫野は思う。
自分たちの関係が友人と呼べるだろうかと。
『なあ、オレたちって友達?』
そう聞くたびに、那智は笑いながら否定した。
那智が樫野に許したのは「FakeLipsのメンバー」という特別な枠。
『メンバーっていうのは、家族より、恋人より友達より大切な存在なんだ』
心を許したように言いながら那智は、メンバーという壁で距離を保とうとしていた。
「だったら力になってあげてください。彼にとって辛いのは今ですよ。自分が記憶を失くしているということを自覚している、今です。人間は自分で思っている以上に記憶に依存して生きている。現在持っている知識も人間関係も、これまで生きてきた記憶の上に成り立っているのですから。それを失っていくというのはかなり辛いですよ、足許がぐらつきます。いっそすべてを忘れてしまった方が本人は楽になれるのです」
だから、と医師は言葉を切って言った。
「力になってあげてください。彼がすべてを忘れるまで」
樫野の頭は真っ白になり、事実を宣告するその言葉だけが繰り返し響いた。
彼がすべてを忘れるまで。
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