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8.過去
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那智はもうしばらく、仕事を続けることになった。
医者には今すぐにでもと入院を勧められたが、那智が、記憶がある間は、FakeLipsをやめたくないと言い、事務所はその意を組んで、引退は直前まで発表しない方針を固めた。
FakeLipsはレコーディングを済ませた新曲のリリースが予定されていたため、差し当たって新曲の振り付けを早急にする必要があった。
その後はリリースに合わせてプロモーションのための音楽番組への出演が待っている。
どこまで活動出来るかは本人にもわからない。
難色を示した事務所に、那智が気が済むまでFakeLipsとして活動を続けさせてやって欲しいと頼んだのは樫野だった。
今が過去になったら那智はそれを失う。
だから今を精一杯、生きさせてやりたい、フォローは自分がするからと樫野は言った。
病気のことがわかってからはじめてメンバーの前に顔を出したとき、那智は落ち着いていて、以前と少しも変わりがなかった。
「悪かったな、心配かけて」
ちょっと風邪をこじらせて休んでいただけだというように、笑顔を見せてそう言った。
◆◆◆
「精神的なショックやストレス?」
うな垂れて、「ああ」と樫野は返事をした。
仕事が終わって他のメンバーが帰ったあと、残った芳彦に樫野は言った。
「オレ、全然気がつかなかった。那智にそんなストレスがあったなんて。あいつ、そんなことなんにも話してくれなかったし、オレにはそれがショックだったよ。今だって相当無理してる。前の日に覚えても忘れるからって、スタジオ入りする何時間も前に起きて、朝出かける前に振り、頭に叩き込んで」
椅子に座って両手で頭を抱えるようにして、全身で悔しがっているような樫野の声が痛々しい。
「そう。那智は、ああいう人だから、自分のことは全部自分で背負い込んでしまうんだよ。それがもう癖みたいになっているんじゃないのかな」
芳彦がふとなにかを思い出したような表情を見せた。
滅多に感情を表に出さない芳彦の顔が、一瞬ひどく悲しそうに見えて樫野の心にひっかかった。
「おまえ…なんか、知ってんのか」
樫野の指摘に、芳彦の表情は誤魔化せない動揺を見せた。
「知ってるんだな、オレの知らないこと。なにが、あったんだ?那智に、なにがあった?言えよ、芳彦」
立ち上がって、腕を掴みながら詰めよる樫野に、芳彦は迷うように問う。
「……拓人。拓人は那智のことを、どう思っているの」
好奇心で聞いている目ではなかった。
けれど、聞かなければ話さないという目だ。
樫野は諦めたようにため息を吐いて、芳彦を見つめながら言った。
「そんなこと、知ってるだろ。オレは、那智のことを好きだよ。出会った頃から那智が好きだった」
那智が好きだということを樫野は自分自身にも、那智にも、芳彦たちにすら隠したつもりはない。
その気持ちに後ろめたさなどはない。
だから堂々と言った。
「那智と、寝たの」
けれど芳彦にそう聞かれて、虚をつかれたように一瞬戸惑い、静かに首を振って否定した。
自信家の樫野には、似合わない顔をした。
「それは、どうしてなのかな。誰が見てもわかる。那智も君のことを好きだよね。思いが通じあっているなら、普通のことじゃないかな」
「普通?普通じゃないだろ、オレら男同士だぜ」
「それは拓人の考え?」
「オレは別に、男同士だから駄目だとか思ってない。けど、那智が…」
「那智が、拒んだ?」
もう我慢出来ないというように、樫野の表情が険しくなる。
「芳彦、おまえ、何知ってんだよ!言えよ」
「……虐待」
「え?」
「那智、虐待されてたんだ」
思ってもいなかったことを聞かされて、樫野は驚いて声を失った。
那智の本当の父親は、那智がまだ小さい頃に交通事故で亡くなった。
母親が再婚したのは、那智が小学生の頃だった。
相手は母親が看護士として働いていた病院の医者だった。
その新しい父親に、那智は性的虐待を受けていたという。
「嘘だろ…そんなこと…。なに、言ってんだよ、おまえ」
「本当だよ。僕、偶然、見てしまったんだ」
思えば那智は、同じ年頃の少年たちとはいつもほんの少しだけ雰囲気が違った。
明るく、チャーミングで人を惹きつける魅力を持ちながら、時々、見間違いかと思うような哀しそうな顔をする。
明と暗が危ういバランスを保っていたのだと、あとになって芳彦にはわかった。
皮肉なことに、そのアンバランスさが、那智の最大の魅力だった。
「那智の家に、借りていたDVDを返しに行ったんだ。玄関のインターフォンを押そうとしたら、調度那智のお父さんが出てきて、那智なら居間にいるから、あがっていいって。何も知らない僕は居間にあがって、半裸で蹲っている那智を見た」
那智の義父は、そうなることをわかっていて自分を入れた。
那智の無残な姿を友人に晒すために。
通り過ぎたとき、口の端を歪めて笑ったのにはそういう意味があった。
「そのとき、那智は、気丈だった。パニックになったのは、僕の方だった。那智の暴力を受けて傷ついた体を目の当たりにして、怖くて、那智の前で震えていたんだ。こんなことなんでもない、慣れてるんだって、笑ったんだ、那智は」
那智を、強いと芳彦は思った。
けれど樫野から病気の原因を聞いて、すぐにそのことが思い浮かんだ。
那智は強かったんじゃない。
受けた傷を癒さず、そっと隠していただけだったのだろうか。
「母親は?母親はなんで、那智を助けなかったんだ!?」
怒りで身体を震わせながら、樫野は芳彦に向かって激昂した。
芳彦は頭を振った。
「那智のお母さんがそのことに気づいていたかどうか、確かなことは僕は知らないけど。でもその頃、那智のお母さんは体調を崩して、仕事が出来なかった。だから、もし知っていたとしても、生活するためには、あの人に頼るしかなかったのかもしれない」
「知ってて、見過ごしたってことか?!」
許せない、那智の義父も、母親も。
「僕だって、何も出来なかったよ。それを知ったあとも、那智を救うために、なにも出来なかった。那智のお母さんを責められない」
「なんでだよ、なんで…芳彦!」
「黙っていて欲しい、誰にも言わないで欲しい、それだけが那智の望みだったから」
その言葉に、樫野ははっとした。
「それって…いつまで、続いてたんだ」
「多分、デビューのあと、那智が家を出るまで」
愕然とした。
自分が那智と知り合ったあとも、那智はその暴力を受けていた?
「許さない、そいつ…殺してやる!」
樫野は側にあったテーブルを思い切り蹴った。
「殺してやる!」
芳彦は憐れむように樫野を見て、静かに首を振った。
「昔のことだよ。それに、那智は拓人に知られるのを一番怖がっていた。君は、最後まで知らなかったことにしておいたほうがいい」
諭すように言う。
「なぜ、拓人に知られたくなかったか、理由はわかるよね」
「だけどオレ、自分が許せねえよ。何も知らないで、那智がそんな辛い目にあってること知らないで、あいつに、自分の気持ちばかり押しつけていたってことじゃねえか!」
その男に怒りながら、樫野の怒りの半分は過去の自分に向けられた。
「…だから、なのか?だから、那智は、忘れようとしているのか?オレのせいなのか?……那智」
自分を責めながら、樫野の心は過去を彷徨う。
医者には今すぐにでもと入院を勧められたが、那智が、記憶がある間は、FakeLipsをやめたくないと言い、事務所はその意を組んで、引退は直前まで発表しない方針を固めた。
FakeLipsはレコーディングを済ませた新曲のリリースが予定されていたため、差し当たって新曲の振り付けを早急にする必要があった。
その後はリリースに合わせてプロモーションのための音楽番組への出演が待っている。
どこまで活動出来るかは本人にもわからない。
難色を示した事務所に、那智が気が済むまでFakeLipsとして活動を続けさせてやって欲しいと頼んだのは樫野だった。
今が過去になったら那智はそれを失う。
だから今を精一杯、生きさせてやりたい、フォローは自分がするからと樫野は言った。
病気のことがわかってからはじめてメンバーの前に顔を出したとき、那智は落ち着いていて、以前と少しも変わりがなかった。
「悪かったな、心配かけて」
ちょっと風邪をこじらせて休んでいただけだというように、笑顔を見せてそう言った。
◆◆◆
「精神的なショックやストレス?」
うな垂れて、「ああ」と樫野は返事をした。
仕事が終わって他のメンバーが帰ったあと、残った芳彦に樫野は言った。
「オレ、全然気がつかなかった。那智にそんなストレスがあったなんて。あいつ、そんなことなんにも話してくれなかったし、オレにはそれがショックだったよ。今だって相当無理してる。前の日に覚えても忘れるからって、スタジオ入りする何時間も前に起きて、朝出かける前に振り、頭に叩き込んで」
椅子に座って両手で頭を抱えるようにして、全身で悔しがっているような樫野の声が痛々しい。
「そう。那智は、ああいう人だから、自分のことは全部自分で背負い込んでしまうんだよ。それがもう癖みたいになっているんじゃないのかな」
芳彦がふとなにかを思い出したような表情を見せた。
滅多に感情を表に出さない芳彦の顔が、一瞬ひどく悲しそうに見えて樫野の心にひっかかった。
「おまえ…なんか、知ってんのか」
樫野の指摘に、芳彦の表情は誤魔化せない動揺を見せた。
「知ってるんだな、オレの知らないこと。なにが、あったんだ?那智に、なにがあった?言えよ、芳彦」
立ち上がって、腕を掴みながら詰めよる樫野に、芳彦は迷うように問う。
「……拓人。拓人は那智のことを、どう思っているの」
好奇心で聞いている目ではなかった。
けれど、聞かなければ話さないという目だ。
樫野は諦めたようにため息を吐いて、芳彦を見つめながら言った。
「そんなこと、知ってるだろ。オレは、那智のことを好きだよ。出会った頃から那智が好きだった」
那智が好きだということを樫野は自分自身にも、那智にも、芳彦たちにすら隠したつもりはない。
その気持ちに後ろめたさなどはない。
だから堂々と言った。
「那智と、寝たの」
けれど芳彦にそう聞かれて、虚をつかれたように一瞬戸惑い、静かに首を振って否定した。
自信家の樫野には、似合わない顔をした。
「それは、どうしてなのかな。誰が見てもわかる。那智も君のことを好きだよね。思いが通じあっているなら、普通のことじゃないかな」
「普通?普通じゃないだろ、オレら男同士だぜ」
「それは拓人の考え?」
「オレは別に、男同士だから駄目だとか思ってない。けど、那智が…」
「那智が、拒んだ?」
もう我慢出来ないというように、樫野の表情が険しくなる。
「芳彦、おまえ、何知ってんだよ!言えよ」
「……虐待」
「え?」
「那智、虐待されてたんだ」
思ってもいなかったことを聞かされて、樫野は驚いて声を失った。
那智の本当の父親は、那智がまだ小さい頃に交通事故で亡くなった。
母親が再婚したのは、那智が小学生の頃だった。
相手は母親が看護士として働いていた病院の医者だった。
その新しい父親に、那智は性的虐待を受けていたという。
「嘘だろ…そんなこと…。なに、言ってんだよ、おまえ」
「本当だよ。僕、偶然、見てしまったんだ」
思えば那智は、同じ年頃の少年たちとはいつもほんの少しだけ雰囲気が違った。
明るく、チャーミングで人を惹きつける魅力を持ちながら、時々、見間違いかと思うような哀しそうな顔をする。
明と暗が危ういバランスを保っていたのだと、あとになって芳彦にはわかった。
皮肉なことに、そのアンバランスさが、那智の最大の魅力だった。
「那智の家に、借りていたDVDを返しに行ったんだ。玄関のインターフォンを押そうとしたら、調度那智のお父さんが出てきて、那智なら居間にいるから、あがっていいって。何も知らない僕は居間にあがって、半裸で蹲っている那智を見た」
那智の義父は、そうなることをわかっていて自分を入れた。
那智の無残な姿を友人に晒すために。
通り過ぎたとき、口の端を歪めて笑ったのにはそういう意味があった。
「そのとき、那智は、気丈だった。パニックになったのは、僕の方だった。那智の暴力を受けて傷ついた体を目の当たりにして、怖くて、那智の前で震えていたんだ。こんなことなんでもない、慣れてるんだって、笑ったんだ、那智は」
那智を、強いと芳彦は思った。
けれど樫野から病気の原因を聞いて、すぐにそのことが思い浮かんだ。
那智は強かったんじゃない。
受けた傷を癒さず、そっと隠していただけだったのだろうか。
「母親は?母親はなんで、那智を助けなかったんだ!?」
怒りで身体を震わせながら、樫野は芳彦に向かって激昂した。
芳彦は頭を振った。
「那智のお母さんがそのことに気づいていたかどうか、確かなことは僕は知らないけど。でもその頃、那智のお母さんは体調を崩して、仕事が出来なかった。だから、もし知っていたとしても、生活するためには、あの人に頼るしかなかったのかもしれない」
「知ってて、見過ごしたってことか?!」
許せない、那智の義父も、母親も。
「僕だって、何も出来なかったよ。それを知ったあとも、那智を救うために、なにも出来なかった。那智のお母さんを責められない」
「なんでだよ、なんで…芳彦!」
「黙っていて欲しい、誰にも言わないで欲しい、それだけが那智の望みだったから」
その言葉に、樫野ははっとした。
「それって…いつまで、続いてたんだ」
「多分、デビューのあと、那智が家を出るまで」
愕然とした。
自分が那智と知り合ったあとも、那智はその暴力を受けていた?
「許さない、そいつ…殺してやる!」
樫野は側にあったテーブルを思い切り蹴った。
「殺してやる!」
芳彦は憐れむように樫野を見て、静かに首を振った。
「昔のことだよ。それに、那智は拓人に知られるのを一番怖がっていた。君は、最後まで知らなかったことにしておいたほうがいい」
諭すように言う。
「なぜ、拓人に知られたくなかったか、理由はわかるよね」
「だけどオレ、自分が許せねえよ。何も知らないで、那智がそんな辛い目にあってること知らないで、あいつに、自分の気持ちばかり押しつけていたってことじゃねえか!」
その男に怒りながら、樫野の怒りの半分は過去の自分に向けられた。
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