スリーピングドール

フジキフジコ

文字の大きさ
18 / 23

17.この夜に

しおりを挟む
樫野は毎日仕事が終わったあと、その足で療養所にやってくる。
昼に来られるときもあれば、夜遅い時間のこともあった。
訪問が夜になったときは、那智がベッドに入るまで一緒にいる。
その日会ったことを互いに報告するだけの逢瀬だったが、静かで、満ち足りた時間だった。

「カーテン、どうする?閉めとく?」
ベッドに横になった那智に聞くと、那智は「そのままでいい」と言った。

「眠れない気がするから、飽きるまで外を眺めてる」
「そうか。じゃあ、那智、また明日…」

毛布の上に出した那智の手の甲に自分の手を重ねて、部屋を出て行こうとする樫野を、那智は呼びとめた。
「樫野」
「なに?」
「今日、かあさんが来たんだ」
「お母さんが?」
さっきはそんなこと、言ってなかった。
そのせいか、ひどく云い難そうに、那智の声は重い。

「それで、どうしたの」
那智が入院することは、もちろん事務所を通じて母親に連絡がいっている。
マネージャーの里美は直に会って、那智に会うことを勧めたと聞いていた。
けれど那智の母親は息子に会うことを拒んだという。
合わす顔がない、と言ったと。

「なんでかなあ。かあさん、オレに謝るんだよ、ごめんね、ごめんねって。オレ、なんのことかわからなくて、本当に、わからなくて、そう言ったんだ。そしたら、かあさん、ひどく泣いた」

泣きながら詫びなければならないことを、那智の母親はしたと思う。
樫野は、那智の母親を許していない。当然だと思う。

「オレは、みんなを傷つけてるんだなと思った」
「那智……」
そうじゃない、傷つけられたのはおまえの方だ。
そんな罪悪感、感じる必要なんてない。
けれど、受けた傷を綺麗に忘れることに成功した那智に、それは言えない。

「樫野…おまえのことも」
自分を責めるように苦しそうな表情で見つめてくる那智に、樫野は首を振った。
「オレは、少しも傷ついてなんかいないよ」

「おまえに、頼みがある」
不意に、強い口調で那智が言った。
ベッドの脇に立って、樫野が聞く。
「なに、那智」
「もし、オレが、みんな忘れたら、もうここには来ないで欲しい」

すぐには言葉が返せない。
驚くよりも、悲しくなった。
「樫野も、オレのことを忘れて、出来れば、別の人を好きになって、それで幸せになって欲しい」
「どうしてそんなこと、言うの」
「オレだけが忘れるなんて、フェアじゃないだろ。だから、樫野も、オレのことを忘れていい」
「そんなこと、出来るならそうしてもいい。だけど、オレには無理だ。いくら那智の望みでも、聞いてやれない」

いつから泣くのを我慢していたのか、涙は流れはじめると止まらなくなった。
那智は、とうとう両手で顔を覆って嗚咽した。

「…違う…オレは…樫野を、縛りたくない…んだ。オレのことなんか…さっさと忘れて…樫野は好きなように…生きればいい…」
樫野は、ベッドの端に浅く腰掛けて、上体を屈めて那智の耳元で言いながら、慰めるように肩を撫でた。
「側にいたいのは、オレがそうしたいからだ。那智はオレのことをまだわかってないの」
那智の嗚咽はおさまらない。

「那智、もうオレのことや他人のことで泣くなよ。自分のためになら、いくらでも泣いてもいいから。だけど、泣くときはオレの前で泣いて欲しい。一人で泣くのはだめだ。オレの前で…だけ…」

樫野は、自分の顔を覆う那智の両手をそっとどけ、涙に濡れた顔を真上から見下ろした。
痛々しくて胸が切ない。
けれどそれ以上に、愛しくて、切ない。
唐突に、那智を好きだと気づいたときのことを思い出した。
あの時も、苦しかった。
誰かを好きになって苦しいと感じたのははじめてだった。

何も考えずに、樫野はそのまま上体を屈めて、那智の頬の涙を吸い取るように口づけた。
右頬に、眦に、瞼に、優しい触れるだけの口づけが続く。
那智は、目を閉じて、樫野の想いを受け止めた。
傷口に触れ、癒すような樫野の思いやりに、自分はどれだけ応えているのだろうと思うと、新しい涙が溢れる。
その涙が樫野のための涙なのか、自分のための涙なのか、もうわからない。
考えるのをやめ、那智は投げ出していた両腕を、樫野の首に回した。

「那智…」
腕の力を強めて、引き寄せるような動作をする。
樫野の耳の側に自分の唇を寄せ「帰るな」と言った。

樫野が戸惑って顔を見ると、那智は迷いのない真っ直ぐな視線で見つめ返してくる。
その視線が何を意味するのか理解して、樫野は「いいの?」と聞く。
那智は頷いた。

樫野は大きく息を吸い込んで呼吸を整え、ゆっくりベッドに乗り、そっと那智の身体に重なるように身体を横たえて、那智を抱きしめる。

「夢みたい…」
「樫野…」
しばらく服を着たままベッドの上でじっと抱き合ったあと、樫野が起き上がって言った。

「看護士さんに、今日泊まっていくって言ってくる。あと、ヤバイとこ見られないように、回診も断っておくな。それから、風呂借りてくる」
冗談めかして軽口を言いながらも、離れることを惜しむように那智の頬に手で触れてから、樫野は一旦病室を出て行った。

風呂に行く、と言って病室を出た樫野の気配が、ドアの向こうにまだいるような気がした。
樫野は迷っているのかもしれない。
那智も、迷っていた。
今夜、抱かれることが、樫野の気持ちに応えることになるとは思わない。
樫野に抱かれても、明日には覚えていないかもしれないし、それはとても残酷なことだ。
本当に樫野のことを想うなら、抱かれない方がいいのだろうかとも思う。
今夜のことが、樫野にだけ、重荷になるかもしれない。
けれど。
わかっているのに、どうしようもなく樫野に愛されたい。
今にも消えてしまいそうな自分を、抱きしめて欲しい。
樫野に愛されたい。
過去と未来の何年分の想いを、この夜に閉じ込める。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

この胸の高鳴りは・・・

暁エネル
BL
電車に乗りいつも通り大学へと向かう途中 気になる人と出会う男性なのか女性なのかわからないまま 電車を降りその人をなぜか追いかけてしまった 初めての出来事に驚き その人に声をかけ自分のした事に 優しく笑うその人に今まで経験した事のない感情が・・・

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

あなたのいちばんすきなひと

名衛 澄
BL
亜食有誠(あじきゆうせい)は幼なじみの与木実晴(よぎみはる)に好意を寄せている。 ある日、有誠が冗談のつもりで実晴に付き合おうかと提案したところ、まさかのOKをもらってしまった。 有誠が混乱している間にお付き合いが始まってしまうが、実晴の態度はいつもと変わらない。 俺のことを好きでもないくせに、なぜ付き合う気になったんだ。 実晴の考えていることがわからず、不安に苛まれる有誠。 そんなとき、実晴の元カノから実晴との復縁に協力してほしいと相談を受ける。 また友人に、幼なじみに戻ったとしても、実晴のとなりにいたい。 自分の気持ちを隠して実晴との"恋人ごっこ"の関係を続ける有誠は―― 隠れ執着攻め×不器用一生懸命受けの、学園青春ストーリー。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

オメガの復讐

riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。 しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。 とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

処理中です...