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2勇者と魔法使い
しおりを挟む北の大陸の小さな村。そのまた山間にぽつんと一軒家が立っている。モンスターの餌場が近くにあり、有象無象がひしめくその地にヴィルヘルムという男が住んでいた。彼はかつて「東の勇者」といわれ皆から尊敬されていたが、半年前にその道からは足を洗っていた。
ここでの生活はヴィルヘルムが望んだことだった。北の果てで、厳しい環境でも穏やかに生きている。この場所を自らの終の棲家にするのも悪くないと彼は本気で思っていた。
「いい天気だなぁ」
「ほんと……すごい暖かくなりましたね」
ヴィルヘルムの後を追うように、家の扉から外へと顔をのぞかせる人影。弱々しい声で返事をしてくるその人は、魔法使いらしく黒いローブをまとい杖を携えている。鮮やかで艶のある黒髪が印象的で、見る者を惑わすほどに容貌は美しい。だがその煌めきはどことなく儚げで、ヴィルヘルムは彼を見るたびに心が落ち着かなかった。
「歩けるのか?」
「ええ。ちょっとでも運動しておかないと、ぽっくりあの世に逝ってしまいそうで」
「怖いことを言うな。体調は?そこまで酷くないんだろ?」
「今日はすこぶる良いのです。誰かさんのおかげで最近はよく眠れるので」
魔法使いのグリシナは、病魔に侵されている。不治の病とされる臓器の炎症にて、もう十数年は寝たきりの生活を続けていた。
「そこに座ろう。ずっと立ってるのは辛いだろ?」
庭に置かれた長椅子にふたりして座る。ヴィルヘルムが相手の腰を引き寄せると、グリシナもすぐに受け入れたように首をもたげて体重を預けてくる。
「平和だな」
「ですね」
「別の大陸では、魔王の一味が攻勢を強めているらしい。モンスターの数もここのところ上がり調子だとさ」
「おや、じゃあ平和ではないですね」
「お前といられたら、俺の心は平和そのものだよ」
ヴィルヘルムとグリシナが旅したのは、もう15年も前のことになる。まだ新米で勇者としても冒険者としても未熟だったヴィルヘルムが、唯一、声をかけて誘ったのが目の前の彼だった。ヴィルヘルムがグリシナの姿に一目惚れして、思いがけずに話しかけたのがきっかけである。
ふたりで小さなダンジョンに潜っては、日銭を稼ぐために奔走した。すべては生きるため。食うか食われるか、弱肉強食の世界で研鑚を積んだ。自分の命を守りながら、誰かのために戦うなんて発想はそれまでなかった。
「もう旅には出ないのですか?」
「お前を置いてなんかいけないさ。それにな、グリシナ。俺はここで死んでもいいと思ってるぐらいなんだぜ」
辛く険しい日々だったが、楽しいこともあった。ダンジョンでのお宝探しや、依頼でもらえる報酬にはいつも一喜一憂していた。ダンジョンでの出会いは尽きることがなかったし、良いやつも悪いやつもいた。いつも同じように仕事をしていたのに、同じ景色と遭遇したことは一度としてない。すべてが輝いて異なる色づき方をしていた。
「なによりお前がいない旅なんて、もう辛いんだよ」
「そう……ですか」
「東の勇者なんてたいそうな名前は、俺には似合わなかったんだ。そもそもなんで、俺が世界を救うために働かなきゃいけないんだよ」
「全世界の人が泣いてしまうような発言ですよね、それって」
「それでもいい。むしろそうであってほしい、幻滅してくれ俺のことを」
何より、彼の毎日にはグリシナの存在が欠かせなかった。彼がいたからこそ頑張ってきたし踏ん張りが利いていた。モンスターとの戦いになれば、彼を守るために死に物狂いで剣を振るった。
命を懸けるような瞬間も何度かあったが、それもこれもグリシナのための献身に他ならない。逆風さえも、グリシナと共にいれば追い風に変わると思えた。どんなに危機的な状況でも、彼といられるだけで、それはもはや幸福な瞬間なのではないかとヴィルヘルムは感じられた。
グリシナの歩く姿、杖を持つ姿、相づちを打つ姿、話しかける姿、笑う姿、はしゃぐ姿、怒る姿、泣く姿、恥ずかしがる姿、どれもこれも愛おしい。ヴィルヘルムは旅を共にしてきた仲間への恋慕を抑えることができなかった。
いつだって死ぬ覚悟はできているはずなのに、グリシナのことを考えると、もどかしくて堪らない。何もしないで彼との関係が終わっていくのが怖い。いつか死ぬ。明日は生きているかもしれない。でもいつかは終わりがやって来る。ならば玉砕覚悟でもいいから馬鹿正直に好きな人へ、この迫りくる気持ちを伝えてしまおうと考えた。
昔のことである。ある時、ヴィルヘルムはグリシナに好意を告げた。「好きだ、愛している」とダンジョンを終えたあとの宿屋で叫んだその場では、告げた本人よりも言われた側が恥ずかしくて赤面した。
過酷で残酷な旅だ。ダンジョン探索の生存率は2割を切っている。かつて「勇者」と名乗った男たちも、どこかのタイミングで命を落とし無残な最期を遂げている。ヴィルヘルムとグリシナの人生も、いつも崖っぷちに立たされているようなものだった。
「生きているときも死ぬときも、俺のそばから絶対に離れるな!!」
呪いじみた言葉を放って、昔のグリシナを困らせた。優しくて純粋無垢な魔法使いは、それでもヴィルヘルムの気持ちを大事にしてくれて、「うれしい……」と涙をこぼしながら告白に応じてくれたのだった。
家の周りでは温かな風が吹きつけてくる。洗濯物がよく乾きそうだと、ヴィルヘルムは過去を振り返りながら感じていた。
どこかからモンスターの遠吠えが聞こえても、お構いなしだ。もう勇者は卒業したのだ。好きな人のもとにあり続けようと誓ったから。
13年前、グリシナの病が悪化してふたりの旅は呆気なく終わった。信頼できる相棒は冒険業を引退し、北の山に退いていった。
仲間と別れて独立したヴィルヘルムは、情緒不安定となり、力の制御ができないほどに憔悴した。敵と味方の区別がつかず、あらぬ方向へ剣技を飛ばすこともあった。
勇者はやめなかった。勇者の唯一の心の癒しは、グリシナが毎月届けてくれる手紙と贈り物だけである。愛しい人がこの世にいるという事実が、ヴィルヘルムの勇者としての矜持を保ってくれていた。
グリシナがいるこの世界を守りたい。愛しい彼のもとにまた戻るために、立派な生き様を笑って褒めてもらえるように、この世の秩序を人間側に取り戻してみせる。そんな大義によって、その心身を鎧のように強く保護していたヴィルヘルムだったが、成り行きはそう上手くいかなかった。
「グリシナが危篤」という短くも核心をついた手紙。彼本人ではなく、誰かが代筆したであろう文字の羅列。それをヴィルヘルムが受け取ったのは、ちょうど東の勇者が消えて騒ぎが広まる数月前のことである。
グリシナがいなくなる?この世から?ヴィルヘルムは今まで自分は何をやっていたのかと後悔し、彼のもとに一刻でも早く駆けつけたいと願った。愛しい彼のもとへ。もうすべてを失ってもいいから、彼に再び会いたい。
ご丁寧に、グリシナの住まいである場所は記されている。いつでもこの身が許すのであれば、彼のところに行くことは容易だった。
かくして東の勇者は人々の前から消えることにした。
勇者としての尊厳も、人類最強という名誉もかなぐり捨てて、北の果てまでやって来た。今では愛しい恋人と一緒に座りながら、のん気そうに雑談している。
愛しい恋人がすでに死のふちに立っていることを、ヴィルヘルムは理解している。理解してもなお、それを受け入れきれてはおらず、相手の顔を見ると泣きそうになる。
「俺はグリシナのためだけに生きれたら満足だと思う」
「うれしい。当世の勇者さまにそんなことを言われると誇らしいですね」
「茶化すなよ。押し倒したくなるだろうが」
「ふふっ、べつに構いませんよ」
ふたりは合図もなしに向きあって、互いの唇を合わせた。椅子から身を乗り出して、自分の体温を送り合うように深く、長ったらしく愛を交わした。
「病がうつって……しまいますよ」
「いいよ、それがいい」
ふたりでいられる時間は短いのかもしれない。だからこそヴィルヘルムは求めて止まなかった。どうかこの一瞬を永遠に変えてしまえたら、どれほど幸せなことだろうかと。
「愛してる、グリシナ」
「私もですヴィリ。心の底から愛しています」
自分の愛称が呼ばれるたびに、いつもヴィルヘルムは涙腺が脆くなっていくのを感じる。
ここがいい。ここは素晴らしい場所だ。愛しい人の熱で溶けていけるのだから、もうどこにも行く必要はないのだ。
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