6 / 45
ドラゴンの季節
6
しおりを挟む俺はこの街を出なければならない。
俺がなりたい自分自身と母の望むそれは大きくかけ離れている。あの訓練が始まって以降、俺の意見は常に弾圧され続けた。元々望むものが多かった方ではない。ただそれでも、やはり母は俺とシルビアが結ばれることを望んでいないらしかったし、他の訓練に関しても今までなかったような強い指示が極端に多くなった。
いつしか俺の思考は止まり果ててしまった。変わってしまった母の指示通りに訓練をこなす日々。十二歳の誕生日から、本なんて一度も読んでもらっていない。もしかすると、母はあのときから予期していたのかもしれない。母自身が変わってしまうことをわかっていたからこそ、きっと俺にこのペンダントをくれたのだ。あのときの瞳の輝きが幻ではなかったと思えるように。
俺は誰かを傷付けることしかできない。誰も傷付けないためには俺自身が傷付くしかない。でも、俺の小さな心ではそれが耐えられなかった。状況は日に日に悪化していくばかり。母もシルビアも戻ってこないのなら、最早この街にいる意味もない。
シルビアに別れを告げてからしばらく経った日の早朝、俺は家を出た。いつも彼女に会うために外出していた時間だ。今日の午後を待てばまたあの訓練がやってくる。街を出ればもう母に会えなくなるだとか、そういうことを考えている暇はなかった。ただここからいなくなってしまいたかった。一刻も早く。
家を出たとき、俺は町と雲の間の水平線上にその色を見た。橙、赤、黄色、水色の混ざり合った神秘的な朝焼け。前のようにシルビアとあの公園にいられたなら、この景色も一緒に拝めたはずだった。きっと仕方のないことだ。全員を救う方法なんてどこにもないのだから。
街の出口は俺たちの通っていた野原の方向にある。空を飛べば野原でラジオを聴くシルビアに見つかってしまうかもしれない。そう思い、俺は出口を目指してしばらく地面を走り続けた。
その間だけ時間が無くなってしまったかのように、その場所へはあっという間に辿り着く。高くそびえる、外の世界を隔てるその黒い門。当然この時間は閉まっていたが、俺たちドラゴンなら翼で簡単に飛び越せてしまえる。あとはその意志があるかどうかだけだ。すべてを捨てて外の世界へと旅立つ意志が。
「リュウ」
俺の後ろから柔らかく響いたその声。信じられなかった。家を出るとき、彼女は確かに布団の中にいたはずなのに。
「母さん、なんで……」
母は俺を追って来ていた。焦った顔で息を切らしながら、彼女はそこに立っている。
「あなたの異変を見誤るわけない」
その言葉で嬉しくなった自分が嫌になった。だって、そんなのあまりに残酷だ。
「ねえ、それならどうして……」
「街を出るなんて、そんなこと許さない」
「どうしてあの訓練が嫌だって気付いてくれなかったの!?」
母に叫んだのは初めてのことだった。彼女は面食らったように、しかし未だ断固とした態度で言う。
「大人になるために必要なことなの。みんな通ってきた道なのよ」
「なら俺、大人にならなくていい」
「リュウ。嫌でも、生きていかなくちゃいけないでしょ? ドラゴンとして」
「なら、ドラゴンじゃなくていい!」
俺の目から涙が零れ落ちる。
「母さん。俺もう、何が正しいのかわかんなくなっちゃったよ。俺のこの気持ちは間違い
なの? どうしてシルビアと一緒にいちゃいけないの? どうして母さんは俺をいじめる
の? 俺はただ、好きな人とつながっていられる人生ならどれだけ幸せだろうって思って
て、それで……」
「それがドラゴンの掟だから。自分を殺してでも、生きてかなくちゃいけないのよ」
「こんなのがドラゴンの幸せなの? 母さんも意地悪で……好きな子も裏切らなきゃいけなくて……それでこの雲の下で一生暮らせだなんて……。そんなの、死んだ方がマシ」
突如、母は悲しそうな顔になる。その顔をさせたのは紛れもなく俺自身だったが、俺だってこんな結末を望んでいたわけじゃない。ただ幸せになりたかった。自分を無くしたくなかった。そんな当たり前のことを、望んではいけなかったのだろうか。
「あなたに、それだけは言わせたくなかった」
母は沈んだ声で言う。
「ずっと幸せになってほしいと思ってた。立派に育ってくれるよう、努力したつもりだったけど」
わかっている。母は確かに俺の幸せを望んでくれていた。ほんの少し形が違っただけだ。母の思っていた形と、俺の中にある本当の形。
静寂の後、母は何かを決意したような顔になる。
「ここで待ってなさい」
踵を返し、そのまま空に飛び立つ姿勢を見せる。
「どこ行くの?」
俺の言葉で彼女は一度立ち止まる。すると俺の傍に寄り、目を瞑って丸い額を俺のそれと突き合わせた。
「ずっと大好きよ」
その言葉が何を意味するのか。すぐにはわからなかったが、のちに彼女が大人のドラゴンを数人、俺の待つ黒い門まで連れてきた時点で察した。
俺は、ドラゴンを破門されるのだ。
――親不孝者。大人たちは俺をそういう目で見ていた。しかし、今更見知らぬ大人に何を思われようとどうでもよかった。何も言わずにただ付いてこいと言われて、空の上でしばらく見続けた母の背中。それが今何を思っているのかただ気になった。
そうして俺たちはその街まで辿り着く。俺はまともな日光を久しぶりに浴びた。この街に住む種族はもう活動を再開している。見える建物はどれもドラゴンが造ったものより壮大だった。遠くの方にはあの箱型ラジオにも似たビル群すら見える。しかし、大人たちはこの未知の世界に長くいることを望んでいないようだった。そわそわしていて、早く俺を追っ払ってしまいたいという雰囲気を醸し出している。
きっとそういった旨を伝えられたのだろう。母はその大人たちと何やら話した後、神妙な面持ちで俺の傍へと来た。そうして俺の目を見つめながら黙り込む。その呼吸は荒いように感じる。飛行で疲れたからだけではない。母は今でも俺と共にいられることを願っている。何も言わないのは、恐らく俺の言葉を待っているからだ。俺が間違いを認め、何事もなかったかのようにあの日々に戻れるのではないかという希望を抱いている。
しかし、母自身からそれを口に出すことはない。彼女の中に俺の意志を思いやる最後の優しさが残っているから。それでも俺は決別しなければならない。それ以外に俺が自分自身を保っていられる道はどこにもない。だから俺は何も言わなかった。母の気が満足するまで、その口から別れが告げられるまで。ただその瞬間を待った。
「あなたは、世界で一番尊いのよ」
母が言うと、途端に名残惜しくなる。数々の希望を与えてくれた、柔らかく響くその声が。
「世界で一番、愛おしい」
後悔してももう遅い。母は決意した。俺と別れる決意。もう一生俺に会えなくなっても良いという覚悟。最後に額を付き合わせた後、母の背中は大人たちと共に空へと消えていく。
俺はとうとうひとりになった。
見知らぬ街の中、しばらくその場に立ち尽くす。助けてくれる者は誰もいない。ペンダントをいくら握りしめても、その背中はもう戻ってこない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ダンジョントランスポーター ~ 現代に現れたダンジョンに潜ったらレベル999の天使に憑依されて運び屋になってしまった
海道一人
ファンタジー
二十年前、地球の各地に突然異世界とつながるダンジョンが出現した。
ダンジョンから持って出られるのは無機物のみだったが、それらは地球上には存在しない人類の科学や技術を数世代進ませるほどのものばかりだった。
そして現在、一獲千金を求めた探索者が世界中でダンジョンに潜るようになっていて、彼らは自らを冒険者と呼称していた。
主人公、天城 翔琉《あまぎ かける》はよんどころない事情からお金を稼ぐためにダンジョンに潜ることを決意する。
ダンジョン探索を続ける中で翔琉は羽の生えた不思議な生き物に出会い、憑依されてしまう。
それはダンジョンの最深部九九九層からやってきたという天使で、憑依された事で翔は新たなジョブ《運び屋》を手に入れる。
ダンジョンで最強の力を持つ天使に憑依された翔琉は様々な事件に巻き込まれていくのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
悪役皇子、ざまぁされたので反省する ~ 馬鹿は死ななきゃ治らないって… 一度、死んだからな、同じ轍(てつ)は踏まんよ ~
shiba
ファンタジー
魂だけの存在となり、邯鄲(かんたん)の夢にて
無名の英雄
愛を知らぬ商人
気狂いの賢者など
様々な英霊達の人生を追体験した凡愚な皇子は自身の無能さを痛感する。
それゆえに悪徳貴族の嫡男に生まれ変わった後、謎の強迫観念に背中を押されるまま
幼い頃から努力を積み上げていた彼は、図らずも超越者への道を歩み出す。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる