世界で一番ロックな奴ら

あおい

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ロックと四匹、そして一人

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 ミューボウル音楽大学。俺たちの通う、学生数一万を誇る伝統と格式のある大学。山一つを丸々切り取って改造したその膨大な敷地内に住めば、生活のほぼすべてはその中で完結する。その文明の利器は俺の故郷の比ではない。学生寮はマンション型や一軒家のシェアハウス型など敷地内に多数の建物が用意されていて、学長に依頼を出せばその種族ごとに部屋のカスタマイズすら可能。スーパー、カフェ、アパレルショップ、ライブホール、果ては大型のゲームセンターといった娯楽施設すら外部の大手企業の協力の下完備されている。多種族が混在する昨今の世の中、多様性に配慮しない大学はあっという間に時代に淘汰される。世界一を謳う大学に恥じず、ここに通えさえすればどんな種族であれ快適な学生生活はまず約束されると言っていい。
 そして実績。世界中の有名楽団はこの学校の成績上位者、通称〝ブライダー〟を毎年必ず自身の楽団へと勧誘する。ミューボウルはその数において十数年、世界トップに君臨し続けている。熾烈な成績争いを加速させているシステムこそ、全学生のうち成績上位百名にしか送られないブライダーという栄誉だろう。この大学で好成績を残すほど、その学生の人生はより輝いたものになる。その地位に憧れない者はほとんどいないと言っていい。
 俺は今、二年生の秋休みの途中にいる。その期間はごく一部を除いて講義は行われず、各学生はそれぞれの休暇を自身の故郷で謳歌する……普通の大学であればそうだろう。しかし生活のすべてが敷地内で完結するミューボウルにおいて、休みは休みでない。この期間、この大学の中で、自身の命をどれだけ音楽につぎ込めるか。その立ち振る舞いこそ、その学生自身の未来に直結する。

 輝く人生のため、他の学生がこぞって教授たちに媚を売っている間。
俺たちは大抵、いつも同じ場所にいた。
「マジ? 本当にのど斬りのケグを誘ったの?」
 ピンクは二人掛けのソファに一人寝転んだまま、手元のスマホから目を放して言った。彼女はその名の通り、桃色の体毛で全身が覆われたイヌ科の女子大生だ。イヌ科と一言で言っても、世の中には四足歩行のより本来の姿に近い自然種と、二足歩行の獣人種とあって、彼女は後者。荒いジーンズにブーツ、三角の形にぴんと立った耳、そこに刺さったピアスはいかにもギャルらしい。しかし、ところどころに見える白い毛は、強気な印象とは裏腹に彼女のチャームポイントとしてその姿を可愛く染め上げている。
「俺たちに必要なのは、世界一のボーカリストだからな。あいつは絶対にそうなれる素質がある」
 俺は部屋の隅っこにある大きな亀の甲羅に寄り掛かりながらそう言い、握っていたペットボトルの炭酸水をぐいと飲む。尻尾を上手く扱えるようになった今では四つ足よりもこの姿勢で休む方が楽だ。手を頻繁に使うこの社会においてはなお都合が良い。
 俺たちの基地は大学本棟のはずれ、人通りの少ない林の中にある。学長に使用許可も貰ったれっきとした俺たちの隠れ家だ。基地といっても使わなくなった小屋に無理矢理電気と水を引いているだけの簡素なものだが、この小屋には既にたくさんの思い出があった。壁に掛かった俺のエレキギター、ピンクが寝ているボロボロのソファ、大型のドラムセット、キーボード、シールまみれの本棚、ところどころ欠けた木の長椅子とカウンター机、みんなの写真を詰め込んだアルバム……そして、もう動かなくなってしまったあの箱型ラジオは本棚の一番目立つところに飾ってある。みんなが個人の所有物を持ち寄り、時にはゴミ捨て場から家電を拾ってきて、この基地を作ってきた。その象徴でもある本棚の横の小型冷蔵庫には、校内のスーパーで格安で買えるノンラベルの無香炭酸水がたくさん貯蔵してある。古い機種ゆえに少ししか冷えないけれど、俺はこの場所で飲む炭酸水が一番美味しく感じて好きだった。
「まあ、今更あんたを疑う気はないけどさ。どうやって引き込むつもり?」
 ピンクは猫みたいに耳をぴくぴくさせながら、無邪気に言う。
「それはこれから考える」俺は答える。
 一転。彼女の顔は、俺の言葉が信じられないとでも言いたげなものになった。
「うそでしょ? 計画ないの?」
「みんなの力があればすぐにでも立てられる。方法は何だって良いなんて、俺たちらしいじゃんか」
 俺が言うと、カウンター机の長椅子に座るスチューが反応した。
「お前はいつもそうだな。腐ってもリーダーなんだし、俺らに頼りっ切りってのもどうかと思うぜ」
 彼はイワトビペンギンの自然種で、本やら漫画やらが好きな屈指の知識人。口調を荒くしながら今も手元の最新の週刊誌から目を放してはいない。
「それにお前はケグの噂を軽視してるみたいだけどよ。神隠しの洞窟を忘れたのか? この大学の噂はいつだって馬鹿にならないんだぜ」
「だからってあいつが悪い奴とは限らないだろ?」
「俺は知らないぞ。マジで悪魔に喉を斬られるかもな」
 この大学にある様々な噂の中で、代表的なのがスチューの言った神隠しの洞窟。この大学内にあるとされているその場所では、既にこの大学の何人かの学生が姿を消している。そんな事件が度々起きれば普通は大学を閉鎖されるだろうけれど、実際にそうなっていないのは、被害者の家族や住民票が共々綺麗さっぱり無くなってしまっているから。警察の捜査でも何も見つからず身内による捜索願も出されないとなると、対策はその洞窟を立ち入り禁止にすることに絞られる。そういった事情もあって、スチューはケグを仲間にすることを渋っているようだった。
 俺とスチューが話しているところに、ピンクは口を挟む。
「ねえ、ケグの噂って何なの?」
 スチューはその言葉でとうとう週刊誌から目線をはずし、呆れ顔になる。
「嘘だろ? 仮にも先輩なんだから、しっかりしてくれよ」
「だって、うちの学科じゃ噂の広まりようがないし」
 彼女の通うポップス科は学生数がたった三人で、花形の声楽科や器楽科と比べれば忘れられた学科と言っていい。俺のロック科も似たような扱いを受けているので、彼女の気持ちもわからなくないけれど。
 スチューに代わって俺は言う。
「のど斬りのケグ。彼と歌ってしまうと、その喉を跳ねに悪魔が地獄からやって来る。……なーんて。本当にただの下らない噂だよ。俺、一度だけアイツが本気で歌ってるとこ見たことあるんだけどさ。噂とかどうでもよくなるくらい凄かったぜ、マジで」
 そのようすを一度でも見せられれば、みんなも彼を誘うことに納得してくれると思うのだが。
 スチューは疑り深く言う。
「最近は放火事件もあっただろ? あれも神隠しの件と同一犯って噂だ。ケグって奴も、もしかしたら事件と関わりあるかもな」
 講義室に置きっぱなしになっていたバッグが突如燃え出した事件。通りかかった学生が事態に気付いたおかげで被害は少なかったものの、そのバッグの持ち主は未だ判明していない。
「本当、この大学は退屈しないよねー」
 俺は言う。多種族が混在する上に、ここは世界一の音楽大学だ。ただでさえ個性の集合体なのだから仕方のないことかもしれない。しかしスチューも心配している通り、確かにここ最近のミューボウルは物騒だ。俺の入学する前、こういった事件はほとんどなかったらしいけれど。何か良くないことが起きているのかもしれない。
「それじゃあ、生態調査といこうか!」
「生態調査?」
 頭にはてなを浮かべるピンクに、俺は意気揚々と答える。
「すごい大学にすごい噂。ケグ本人も噂を持ってるときたら、そりゃあ真相を確かめないわけにはいかないよね? ってことで、起きてフリック! 出掛けるよ!」
俺は背もたれにしていた亀、通称フリックの甲羅をコンコンと叩く。彼はすぐに顔を出してくれた。眠そうに俺の呼びかけに応じてゆっくりと歩き出した彼は、紛れもない俺たち唯一無二のドラマーだ。
 そうして俺たちは基地を出る。スチューも文句を言いながら、何だかんだいつものノートパソコンを持ってついてきてくれた。
俺は胸のペンダントを握りしめる。こうするといつだって勇気が湧いてくる。
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