女の子は、女の子に恋をしない

あおい

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七月七日

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 後ろに先輩の声を聞く。そして、世界がゆっくりになったかと思った直後。重力が体を支配して、私はまっすぐに海へと落ちていく。
 激しい音とともに飛び込み、目の前はまっくらになる。必死に上へともがいて水面から顔を出し、肺に空気を取り込む。
 空を見上げると、咲先輩のいるヘリはもうはるかかなたにあった。意識はある。両手両足も、なんとか動く。
「望……」
 街頭の光を頼りに、私はひたすら泳ぐ。かつて運動部に所属していてよかったと、こんなに思えた日はない。
 岸へは難なく着くことができた。濡れた服が重たいけれど、あの鳥居が見えた山は、視認できる場所にある。
 そうして走り出したとき、足首に激痛が走る。泳いでいたときは痛みを感じなかったのに。水面に落ちたときの衝撃のせいか、その場所は熱を持って腫れている。
 我慢して走ろうとすると、無意識にその足を引きずってしまう。それでも歩みは止めない。止めたくない。
 私の体も、その思いに応えてくれているのかもしれない。走れば走るほど痛みは消えてくる。その足にとってはきっと危険な状態だとわかっている。明日からは、しばらくまともに歩けなくなってしまうかも。それでもいいと思える。望のいない明日なんているもんか。
 無我夢中で走っているうちに、私はその山の入り口まで来ていて。心なしか、雨も弱まってきているような気がする。
 私はその坂を登り続ける。方向は間違いないはずだ。小夜先輩とのトレーニングを思い出す。きっとあの吹部の子たちの方が、毎日、この走りなんかよりもっとつらいトレーニングを続けている。
 息は激しく切れている。足は動かなくなってきている。けれどもうすぐだ。あの鳥居まで、きっとあと少し。確認できるわけではないから、体感ではあるけれど。


——そうして私は、その背中を見つける。まさしく私の走る同じ方向へと歩いている彼女。ゆっくりとした足取りで、全身はびしょ濡れで。まるで私が来るのを待っていたようにも思える。
 反射的に叫んだ。
「望!!」
 彼女は驚いたように肩を跳ね上げる。
「やまと……」
 ゆっくりと振り向きながら、望は言う。
 怯えたウサギ。今の彼女を例えるなら、まさにそんなふうだ。
 そのまま前方に踵を返し、私から逃げようとする。
「待って!!」
 私は叫ぶ。止まってくれないかもしれないという焦りもあった。しかし、どうにかその足は止まってくれる。
 私はその背へ向かって歩きながら、間髪入れずに言う。
「私のこと、もう好きじゃなくていいから。ちゃんと言わせて。私の気持ち」
 少しだけ距離を置いて、私も立ち止まる。
 望は震えている。その手を握りしめ、肩に力を入れながら。
「あれ以上、なにがあるっていうの?」
「あるよ。たくさんある。この九年間、数えきれないくらい、望を好きになってきた」
 望は振り向いてくれない。けれど、それでいい。もう後悔のないように。傷つけてしまった望を、少しでも癒せるように。
「ずっと、気付かないフリしてたんだと思う。私だって、変わっちゃうのが怖かった。こんなこと望に言ったら、嫌われちゃうんじゃないかって」
「もう、やめてよ」
 望の声は震えている。わずかにこちらへ振り向き顔を覗かせながら、さらに言う。
「あんなこと言った後で、私を好きとか。ありえないよ。 はっきり言ってほしい。そしたらちゃんと、別れられるから」
「ううん、違うよ。ちゃんと聞いて」
 私は思い出す。彼女と過ごしたひとつひとつの日々、時間。
 今ここで、すべてを語り尽くせるわけではないけれど。
「髪を留めただけなのに、すごく喜んでくれたりさ。へったくそなカラオケに盛り上がってくれたり。ぜんぜん望に敵わない料理を、美味しい美味しいって食べてくれたり」
 不思議と涙がこぼれた。ただ、思い出を思い返していただけだけれど。
 それでも私は、望へ笑いかける。望が悲しむことがないように。
「私ね。望のそういうなんでもない瞬間が好きだった」
 その記憶は、これからもずっと残り続ける。
 たとえ私の前から、望がいなくなったとしても
「だから、いいよ。ぜんぶなくなっても。もっと冒険が大好きな、新しい人を見つけて。望が幸せになってくれれば、それで……」
 本当は、嫌に決まっている。それでも、望の幸せは考えなければならない。いつまでも自分勝手ではいけない。
 本当に望を愛しているのなら。


「嫌いなわけない……」
 一瞬、錯覚する。その言葉が空耳なのではないかと。
「嫌いなわけないよ! 好きに決まってんじゃん!!」
 彼女は私に向かって、泣いている。私は確かに笑顔を向けたはずなのに。そのシャツの裾を握りしめながら、悲しそうな顔で叫んでいる。
「でも、やだよ。怖いよ。私はいつか絶対、大和を好きじゃなくなっちゃう。だって、それが恋なんでしょ? ただずっと、追いかけていたかった。私を好きになんてなってほしくなかった。通じ合ったときの喜びなんて、たった一瞬で。いつか絶対、大和は私を好きじゃなくなっちゃう。私もきっとそうなる。怖いよ。怖いよ、大和。本当は、ずっと好きでいたいの。大和が離れてほしくない!!」


——そういうことだったんだね。
 私は、いつまでも彼女を不安にさせていたけれど。
 もしもこのまま恋人を続けたとしても、もっと不安にさせてしまう。
 彼女が私を愛してくれているからこそ。
 その気持ちがなくなってしまうことを、もっとも恐れている。


「お互い、いつから恋してたんだろうね」
 私は言う。


「わかんない。思い出せない。でも、もしこのまま付き合ったら……ぜんぶ、消えてなくなっちゃう気がする」
 望は言う。


 彼女が私と付き合うのを恐れるなら。
 気持ちが風化してしまうことが怖いなら。


「いこう!!」


 私は、元気よく言う。


「これで最後だから。この山、ふたりで上ろう」
 そうして、踏ん切りをつけた。
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