【完結】紅茶が冷める前に━余命僅かな王弟とお飾り妻の秘めやかな恋━

花草青依

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1章 紅茶は冷めて

2

 お母様はティーポットからお茶を注ぐと、私の前にカップを置いた。
 今日の紅茶はいくつかの花がブレンドされているらしく、華やかな香りが鼻孔をくすぐった。
 私はそれに手をつける前に尋ねた。

「大切な話って、何でしょう?」
「手紙が届いたの」
「手紙?」
 お母様は虚ろな瞳を揺らせながら、一通の手紙を私の前に差し出した。
 手に取ってみると、それは王家からの手紙だった。私は驚きのあまり顔を上げてお母様を見た。

「これって……」
「求婚状よ」
 力なくお母様はつぶやいた。ぼんやりとした面持ちで私を見つめていたかと思えば、彼女の目に涙が溜まった。
 紅茶の華やかな匂いが場違いなくらい香る中、私は慰めるよりも先に、便箋に目を落とした。

 それは、国王陛下からの手紙だった。
 王弟であるラルフ殿下との婚姻を要請する内容に、私は困惑した。
 殿下は病弱な方で、余命が幾ばくもないと噂されている。社交界から遠退いている我が家ですら、そのことを知っているのだ。彼の病状はきっと良くない段階にまで来ているのだろう。

「どうして、ラルフ殿下と私が……」
「陛下はラルフ殿下を大切にされていると聞くわ。きっと彼を未婚のまま、逝かせたくはないのでしょう」
 貴族の男性は、未婚のままその生涯に幕を下ろすことを恥とされている。陛下と殿下は、世間体を気にして結婚を望んでいるのかもしれないけれど━━
「だからって、どうして私が、結婚相手に選ばれたのです?」

 名ばかりの貴族である私は、デビュタントこそ行ったものの、それ以来、社交界に顔を出していない。
 ラルフ殿下と顔を合わせたことがないのは勿論のこと、陛下や国の重鎮の方々と挨拶すらした覚えもないのだ。

「それは、分からないわ。向こうにとって、都合の良い何かがあると思われたのかもしれない」
「そんな……。私には何もないのに」
 領地も金品も、後ろ楯となってくれる父親だって私にはない。そんな女をなぜ王弟の妻にしようと思ったのだろう。陛下の思惑が分からない。
 私は薄気味悪さを感じながら、手紙の続きに目を通した。

 殿下との婚姻が成立した暁には、我が家の借金を王家が肩代わりすると書いてあった。その上、家族がおおよそ10年先まで安泰に暮らせる額の大金までくれると。

 私はその金額に目がくらんだ。
 このお金があれば、残された家族はこれ以上の苦労をしなくて済むのだ。
 お父様が亡くなってからというもの、家計は悪化の一途をたどっている。
 精神的に参ってしまったお母様は、とてもじゃないけれど、働くことができる状態ではない。それならば、私とシンシアの二人で、稼ぐしかないのだけれど、お父様が生きていた頃からの内職だけでは無理があった。

 だから、私達姉妹は、使用人として雇ってもらえる先を探してみた。
 しかし、伝手のない私達にとって、良い環境は用意されていないに等しかった。私達姉妹に興味を持つのは、「手が出る」と評判の男の家ばかり。貞操を投げ売ってまで働きたいとは思えず、私達は結局、平民でもできる仕事を選んだ。

 私は、少しでもお給金をもらうべく、これまで内職でしていた針子の仕事の量を増やしてみた。けれど、それでも家計は赤字で借金は増えるばかり。とてもじゃないけれど、家族を養えているとは言えない。

 不意にお母様から視線を感じた。手紙から目を離してみると、それを察知したのか、お母様は目を逸らした。
 その目は悲しげでありながら、どこか期待が宿っているような気がした。

 ━━ああ、そうか。

 お母様はきっと、この政略結婚で家を建て直すことを望んでいるのだ。
 約束が守られるのなら、シンシアやダニエルにいらぬ苦労をかけなくて済むのだから。
 シンシアには少しでも良い相手を見つけて結婚させてあげたいし、ダニエルには当主としての必要な知識を身に着けさせるために家庭教師を付けたいに決まっている。

 でも、お母様はそれを言えずにいるのだ。彼女は優しいから。私が「嫌だ」とごねれば、この縁談をなかったことにするかもしれない。
 けれど、私はそんなことを望んでいない。
 私自身も妹と幼い弟のために、この家を守らなければならないと思っているのだ。
 それに、これは、私にとっても願ってもないことだった。この政略結婚が決まれば、私は初恋を諦めざるを得ないのだから。

 きっとこれは、神が私にくれたチャンスなのだ。
 爵位も持たない幼馴染の騎士への恋を諦めきれない馬鹿な私を、神が正そうとしてくれているに違いない。
 いくらクリフを想ったところで、彼の目に映るのはシンシアだけ。彼は、私の贈り物よりも、シンシアと過ごす時間の方を喜ぶ人なのだから。
 私の言葉は記憶には残らなくとも、シンシアの何気ない一言は彼の胸に刻まれる。
 私がクリフと結ばれることは、万に一つもないだろう。それなのに、彼を想い続けるだなんて、苦しくて、馬鹿を見るだけだ。

 この縁談は、クリフを忘れるための絶好の機会だ。そう頭では理解して望んでいるはずなのに、心は素直に喜べなかった。
 願わぬ幸運のはずが、胸の奥の痛みは消えない。幼馴染への想いを押し込み、家を守るための決断を迫られる。その現実に、心は沈んでいく。

 私はテーブルに置かれた、手つかずの紅茶を覗き込んだ。赤錆色の水面に映るのは、浮かない顔をした私。それに気が付かないふりをして、私は紅茶に口を付けた。
 華やかな香りに似合わない渋み。湯気が揺れるたび、胸の奥の想いも揺れる。

 私が家を守らなければ、スタンリー伯爵家は消えてしまう。

 この縁談を断れば、爵位を売り、この屋敷すら、売り払わなければならない。それは、そう遠くない未来に訪れるだろう。
 名ばかりの爵位はともかくとして、屋敷まで失うのは嫌だった。この古い家には、沢山の思い出が詰まっているから━━

 不意に思い出されたのは、幼い頃、屋敷を訪ねてきたクリフがシンシアと笑顔で話す姿だった。私が必死になってその間に入ると、ようやく彼の視界に映ることができた。
 そんな苦い思い出が胸に突き刺さる。こんな時でさえ、クリフのことを思い出してしまうだなんて。やっぱり私はどうかしている。
 静寂に包まれた部屋に、私が自嘲する呼吸の音が響いた。
 その僅かな音が、私を冷静な気持ちにさせた。

 ━━紅茶が冷める前に、言わなきゃ。

 お茶は温かいうちに飲まなければ、味を損ねてしまう。それと同じように、モタモタしていてはきっとこのチャンスも失ってしまうに違いない。

 だから、邪魔な感情は捨てて、縁談を了承しよう。それで万事が解決して、みんな幸せになれるのだから。
 私は片想いをぐっと胸の奥に押し込み、固い唇を開いた。

「了承すると、返事を送って下さい」
 お母様が息を吐く音を聞きながら、私は紅茶をゆっくりと飲んだ。
 笑って言えなかったのは、紅茶が渋かったせいだ。
 そんな言い訳を心の中でして、私は静かにティーカップを受け皿の上に戻した。
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