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2章番外編 俺の支配者
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廊下を歩く最中、使用人達とすれ違った。彼らは一様として視線を落とし、レイチェルを見ないようにしている。
それに満足をしながら、俺は顔に出さないように静かに歩み続ける。
そもそもこれは、彼女に関する情報を少しでも外に流したくなくて命じた事だが━━
最近になって、彼女の姿を見られるのが、ただただ嫌なだけなのだと、ようやく気が付いた。
情報流出を避けるだなんて、それらしい理由を自分の中で並べ立てていただけ。本当はレイチェルは、俺だけのものであって欲しいと思っているに過ぎない。
ふと、隣を歩く彼女に視線をやる。彼女はいつも通りの穏やかな表情で、その思考は読めなかった。
使用人達から、あからさまに腫れ物扱いを受けても動じずに、堂々としていられるだなんて。彼女はやっぱりレイチェル・ドルウェルクなのだと思った。
彼女の落ち着き払った様相は、庭園の東屋に座るまで変わらなかった。
表情を変えたのは、一瞬だった。彼女は出された紅茶を一口飲むと、ほんの少し顔を顰めたのだ。
「美味しくない? カモミールに変えさせようか」
そう言うと、彼女は静かに首を振って、「結構です」と答えた。
「最近は調子が良いので、紅茶を飲みたいんです。カモミールには飽き飽きしていましたから」
苦笑する彼女は、湯気の立ち上がるカップをじっと見つめた。
「それなら、どうして不満気なんだろう?」
尋ねると、彼女は視線を上げた。彼女に見つめられると、胸の内側がじんわりと熱くなってくる。
「前から思っていたのですが、ニコラス殿下は、表情を読むのがお上手ですよね」
「そう?」
彼女は静かに頷く。
「私は父に似たのか、感情を隠す事が得意なんです。だから、多少の事ではマイナスの感情を人に読み取られないと自負しているのですが」
「そうだね。君は隠してしまうのが得意だ。でも、俺はそんな君をずっと見てきたから……」
「まあ、怖い人」
彼女はそうやって軽く罵倒をしながらも、俺に柔らかな笑顔を向けていた。
「でも、考えを隅々まで理解する事には、まだ至っていない。そろそろ教えてもらってもいい? 君の不満を」
そう言うと彼女はわざとらしく眉を下げてみせた。
「大した事じゃないんですよ?」
「うん」
「今日は日差しが強くて暑いですから、冷たいレモンティが飲みたいと思ったんです」
本当に大した事じゃない。
俺が笑うと、彼女は口を尖らせた。愛らしいその唇にキスをしたくなる衝動を抑えながら、俺は指を鳴らした。
「何をなさったんです?」
「飲んでみなよ」
そう言うと、レイチェルは首を傾げつつも、素直に従った。
お茶に口を付けた彼女は、顔を顰めたかと思うと、すぐにカップから口を離した。
「とても冷たくなっていますが……。魔法ですか」
質問に俺は頷いた。
指を鳴らした時に、彼女のカップに魔法をかけたのだ。
しかし、彼女の反応は渋かった。
「魔法の無駄遣いですわ」
「折角、ご希望通りに、冷たくしてあげたのに、感想はそれだけ?」
「……レモンが足りませんわね」
俺はふっと笑うと、近くにいた侍女に目で合図を送った。
それから、再びレイチェルに視線を移すと、彼女は春風に揺れる髪を手で押さえ、整えていた。彼女が王子宮で暮らすようになってから3年の月日が経った。それなのに、ベッドの上以外では、髪を下ろしているところを見た事がない。
部屋の中で一日を過ごし、限られた使用人としか顔を合わせないとしても、彼女は身だしなみを整える事を忘れることはなかった。
「私の顔に、何か付いていますか」
じっと見つめていたせいで、不審がられてしまったようだ。
「いいや。ただ、今日も君は綺麗だなって」
「……どうしたんです? 急に」
彼女は怪訝そうに俺を見る。
「思った事をそのまま言っただけだけど」
そう言ってもなお、彼女の疑いの目は変わらなかった。
「まさか、やましい事を考えているんじゃ?」
「例えば?」
「王太子妃への嫌がらせ」
彼女は小さな声で言った。
不躾で不用心な発言だと分かっているからこそ、声を落としたのだろうが……。
━━相変わらず、彼女は俺を分かっているようで分かっていない。
彼女の事だから、それは大局を見ての発言なのだろう。茶化すわけでもなければ、エレノアを攻撃するわけでも、庇うわけでもない。
彼女は俺の支配者として、これからの俺に必要なものを揃えるために言っているのだ。
全ては俺を思っての事だとは、頭では分かっている。
しかし、心は別問題だった。
俺はテーブルの下で拳を握り締めた。そうして、平静を装い、目の前の支配者の言葉に耳を傾ける。
「妃殿下とは、相変わらず仲がよろしくないんですね」
「うん」
間の悪い事に、侍女がレモンの入った皿を持って帰ってきた。
レイチェルは平然とそれを受け取ると、スライスされたレモンを一つ、カップに入れた。
「妃殿下は悪い人ではないので、時間はかかってもお二人は仲良くなれるものだとばかり思っていました」
「そう」
素っ気ない返事をすると、彼女はお茶を飲んだ。
そして、顔を綻ばせて、「美味しい」とつぶやいた。
その優雅な所作は、俺を最高に苛立たせてくれた。目の前にいるのが、愛する人でなければ、なじり倒した上、悪い噂を立てて、貴族社会にいられないようにしてやったに違いない。
それ程、俺の胸に怒りが渦巻いている事に彼女は気付いていない。
苛立ちが募る中、俺は言った。
「エレノアとの関係に言及するだなんて、やっぱり君は俺を愛していないんだね」
そうやって、目の前にいる支配者に向けてささやかな抵抗をしてみると、彼女の表情は途端に暗くなった。
「それとこれとは、別問題ですから」
彼女はそう言って、お茶を飲み干した。
それに満足をしながら、俺は顔に出さないように静かに歩み続ける。
そもそもこれは、彼女に関する情報を少しでも外に流したくなくて命じた事だが━━
最近になって、彼女の姿を見られるのが、ただただ嫌なだけなのだと、ようやく気が付いた。
情報流出を避けるだなんて、それらしい理由を自分の中で並べ立てていただけ。本当はレイチェルは、俺だけのものであって欲しいと思っているに過ぎない。
ふと、隣を歩く彼女に視線をやる。彼女はいつも通りの穏やかな表情で、その思考は読めなかった。
使用人達から、あからさまに腫れ物扱いを受けても動じずに、堂々としていられるだなんて。彼女はやっぱりレイチェル・ドルウェルクなのだと思った。
彼女の落ち着き払った様相は、庭園の東屋に座るまで変わらなかった。
表情を変えたのは、一瞬だった。彼女は出された紅茶を一口飲むと、ほんの少し顔を顰めたのだ。
「美味しくない? カモミールに変えさせようか」
そう言うと、彼女は静かに首を振って、「結構です」と答えた。
「最近は調子が良いので、紅茶を飲みたいんです。カモミールには飽き飽きしていましたから」
苦笑する彼女は、湯気の立ち上がるカップをじっと見つめた。
「それなら、どうして不満気なんだろう?」
尋ねると、彼女は視線を上げた。彼女に見つめられると、胸の内側がじんわりと熱くなってくる。
「前から思っていたのですが、ニコラス殿下は、表情を読むのがお上手ですよね」
「そう?」
彼女は静かに頷く。
「私は父に似たのか、感情を隠す事が得意なんです。だから、多少の事ではマイナスの感情を人に読み取られないと自負しているのですが」
「そうだね。君は隠してしまうのが得意だ。でも、俺はそんな君をずっと見てきたから……」
「まあ、怖い人」
彼女はそうやって軽く罵倒をしながらも、俺に柔らかな笑顔を向けていた。
「でも、考えを隅々まで理解する事には、まだ至っていない。そろそろ教えてもらってもいい? 君の不満を」
そう言うと彼女はわざとらしく眉を下げてみせた。
「大した事じゃないんですよ?」
「うん」
「今日は日差しが強くて暑いですから、冷たいレモンティが飲みたいと思ったんです」
本当に大した事じゃない。
俺が笑うと、彼女は口を尖らせた。愛らしいその唇にキスをしたくなる衝動を抑えながら、俺は指を鳴らした。
「何をなさったんです?」
「飲んでみなよ」
そう言うと、レイチェルは首を傾げつつも、素直に従った。
お茶に口を付けた彼女は、顔を顰めたかと思うと、すぐにカップから口を離した。
「とても冷たくなっていますが……。魔法ですか」
質問に俺は頷いた。
指を鳴らした時に、彼女のカップに魔法をかけたのだ。
しかし、彼女の反応は渋かった。
「魔法の無駄遣いですわ」
「折角、ご希望通りに、冷たくしてあげたのに、感想はそれだけ?」
「……レモンが足りませんわね」
俺はふっと笑うと、近くにいた侍女に目で合図を送った。
それから、再びレイチェルに視線を移すと、彼女は春風に揺れる髪を手で押さえ、整えていた。彼女が王子宮で暮らすようになってから3年の月日が経った。それなのに、ベッドの上以外では、髪を下ろしているところを見た事がない。
部屋の中で一日を過ごし、限られた使用人としか顔を合わせないとしても、彼女は身だしなみを整える事を忘れることはなかった。
「私の顔に、何か付いていますか」
じっと見つめていたせいで、不審がられてしまったようだ。
「いいや。ただ、今日も君は綺麗だなって」
「……どうしたんです? 急に」
彼女は怪訝そうに俺を見る。
「思った事をそのまま言っただけだけど」
そう言ってもなお、彼女の疑いの目は変わらなかった。
「まさか、やましい事を考えているんじゃ?」
「例えば?」
「王太子妃への嫌がらせ」
彼女は小さな声で言った。
不躾で不用心な発言だと分かっているからこそ、声を落としたのだろうが……。
━━相変わらず、彼女は俺を分かっているようで分かっていない。
彼女の事だから、それは大局を見ての発言なのだろう。茶化すわけでもなければ、エレノアを攻撃するわけでも、庇うわけでもない。
彼女は俺の支配者として、これからの俺に必要なものを揃えるために言っているのだ。
全ては俺を思っての事だとは、頭では分かっている。
しかし、心は別問題だった。
俺はテーブルの下で拳を握り締めた。そうして、平静を装い、目の前の支配者の言葉に耳を傾ける。
「妃殿下とは、相変わらず仲がよろしくないんですね」
「うん」
間の悪い事に、侍女がレモンの入った皿を持って帰ってきた。
レイチェルは平然とそれを受け取ると、スライスされたレモンを一つ、カップに入れた。
「妃殿下は悪い人ではないので、時間はかかってもお二人は仲良くなれるものだとばかり思っていました」
「そう」
素っ気ない返事をすると、彼女はお茶を飲んだ。
そして、顔を綻ばせて、「美味しい」とつぶやいた。
その優雅な所作は、俺を最高に苛立たせてくれた。目の前にいるのが、愛する人でなければ、なじり倒した上、悪い噂を立てて、貴族社会にいられないようにしてやったに違いない。
それ程、俺の胸に怒りが渦巻いている事に彼女は気付いていない。
苛立ちが募る中、俺は言った。
「エレノアとの関係に言及するだなんて、やっぱり君は俺を愛していないんだね」
そうやって、目の前にいる支配者に向けてささやかな抵抗をしてみると、彼女の表情は途端に暗くなった。
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