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第3章 MENUETT
op.11 孤独の中の神の祝福(7)
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行きは馬車を使ったが、帰りは徒歩で町へ降りた。
歩いている最中、ソルヴェーグとヴィオはこれからの事を話していた。
あの紙の山から、リチェルの目当ての書簡を見つけるのは至難の業だろう。ただでさえシスター・テレーザはリチェルの父親の名前も知らず、どこからその手紙が来たかさえ覚えていないのだ。
午前中に大体この辺りだろうという当たりは付けられたものの、全てを開いて中身を改めていく作業は、今日明日で終わるかどうか分からない。ましてや、本当にその中に目当ての手紙が残っているかどうかさえも分からないのだ。
それでもきっと、リチェルが残る限りヴィオは探してくれようとするのだろう。
「地域だけでも絞れれば良いのですが」
「そもそも死亡記録だから本人から届いたわけではないだろうしな」
「宿は何日ほどとりましょうか?」
「とりあえず二日くらいだろうか」
「ヴィオ、ソルヴェーグさん」
前を歩く二人がリチェルの声に振り向いた。
漏れ伝わる会話から、当然のようにヴィオもソルヴェーグも最後まで付き合おうとしてくれているのが分かった。だけど、やっぱりそこまで迷惑をかける訳にはいかない。これはリチェルの事情だから。
「お二人とも本当にありがとうございます。だけどヴィオのお父様の事もあるから、そんなに時間を取ってもらう訳にはいきません。予定より一日遅くなってしまうけれど、明日のお昼まで時間をもらえませんか」
リチェルの言葉に、ヴィオが言葉に詰まる。だが、と溢れた言葉にリチェルは首を振る。
「わたしが嫌なの。ヴィオがあそこにわたしを置きたくないと言ってくれたけれど、それはわたしもなの。こんなにお世話になっている二人に、嫌な思いをしてほしくないの」
何もないと信じたいけれど、シスター・テレーザがヴィオとソルヴェーグに今後何を言うかリチェルには予想ができない。ヴィオが孤児院にいる時、普段より警戒していたのには気付いていた。
普段ヴィオがまとう落ち着いた空気が、ひりつくように固くなる。それがとても、申し訳なかった。
「リチェル、だが君の──」
「大丈夫。わたしには帰る場所があるもの」
そう言って笑ってみせる。
元々これはリチェルのわがままなのだ。見つからなければ行く場所が無いわけではない。もし見つからなくても、リチェルはサラの所に戻ることができるのだから。
「ただ、一つだけわがままを言っていいでしょうか」
小さく呟いた言葉に、ヴィオが頷く。ソルヴェーグも同じように頷いてくれたので、リチェルはホッとしてその言葉を口にした。
「今夜一晩、わたしを孤児院に置いていって欲しいです」
予想していなかったのだろう。ヴィオもソルヴェーグも驚いたようだった。
何か口にしようとしたヴィオが黙る。その横で、ソルヴェーグが『訳をお尋ねしてもよろしいですか?』とリチェルに尋ねた。
「はい。出来るだけ探せる時間をもらいたいのが一つです。孤児院にヴィオやソルヴェーグさんは宿泊できませんが、私であればお願いすれば泊めてもらえると思います」
久しぶりに子どもたちと過ごしたい、とそう伝えれば恐らくテレーザは了承するだろう。そしてもう一つ。
「それから、マルタともう一度話がしたいんです」
思い出した事がある。今でこそテレーザの下にいるマルタだが、彼女もシスター・ロザリアを心から慕っていたのだ。ロザリアが亡くなってから、マルタとリチェルはほとんど話さなくなったけれど、マルタがロザリアを嫌いになった訳ではないと思う。
ロザリアの看病はずっとリチェルがしていて、マルタは死ぬ間際にも会えなかった。以降マルタとロザリアの話をすることすらなかったけれど──。
『貴女がそんなんだから、シスター・ロザリアはあんなに嫌われて死んでいったんだわ……!』
今日のあれは、ロザリアを今でも慕っていないと出てこない言葉だ。あの言葉の意味が、どうしてもリチェルは知りたかった。
ロザリアが亡くなってから、マルタとずっと向き合おうとしないまま、リチェルも孤児院を出ていったから──。
「……彼女のリチェルへの態度を見た分には、あまり賛同できないんだが」
ヴィオが静かな声で言う。
確かにあの場面だけ見れば、マルタはリチェルを嫌っているし、実際そうなのだろう。
でも、ずっと一緒だったのだ。パンが足りなくて分けあったことも、寒い日に身を寄せ合って寝たことも、一度や二度じゃない。
「心配してくれてありがとう、ヴィオ。でも大丈夫。マルタは幼なじみだから」
小さい頃から一緒だった。だからマルタの事は、怖くない。
それでもヴィオは心配そうだった。そのヴィオの後ろでソルヴェーグが『分かりました』と穏やかに口にする。
「リチェル殿、無理をしているわけではないと信じても?」
「はい」
「ソルヴェーグ」
「リチェル殿が長年いた場所なのです。リチェル殿の方が詳しいでしょう」
「それはそうだが……」
ただヴィオ様の心配もごもっともです、とソルヴェーグが口にした。
「だからリチェル殿もご自身を守る武器はお持ちになった方が良いかと思いますよ」
唐突な言葉に、リチェルはキョトンとする。ヴィオも怪訝そうな表情を浮かべた。
「この後孤児院に戻る前に少し買い物をしていきましょうか」
そう言って、老齢の紳士はにっこりと笑みを浮かべてみせた。
歩いている最中、ソルヴェーグとヴィオはこれからの事を話していた。
あの紙の山から、リチェルの目当ての書簡を見つけるのは至難の業だろう。ただでさえシスター・テレーザはリチェルの父親の名前も知らず、どこからその手紙が来たかさえ覚えていないのだ。
午前中に大体この辺りだろうという当たりは付けられたものの、全てを開いて中身を改めていく作業は、今日明日で終わるかどうか分からない。ましてや、本当にその中に目当ての手紙が残っているかどうかさえも分からないのだ。
それでもきっと、リチェルが残る限りヴィオは探してくれようとするのだろう。
「地域だけでも絞れれば良いのですが」
「そもそも死亡記録だから本人から届いたわけではないだろうしな」
「宿は何日ほどとりましょうか?」
「とりあえず二日くらいだろうか」
「ヴィオ、ソルヴェーグさん」
前を歩く二人がリチェルの声に振り向いた。
漏れ伝わる会話から、当然のようにヴィオもソルヴェーグも最後まで付き合おうとしてくれているのが分かった。だけど、やっぱりそこまで迷惑をかける訳にはいかない。これはリチェルの事情だから。
「お二人とも本当にありがとうございます。だけどヴィオのお父様の事もあるから、そんなに時間を取ってもらう訳にはいきません。予定より一日遅くなってしまうけれど、明日のお昼まで時間をもらえませんか」
リチェルの言葉に、ヴィオが言葉に詰まる。だが、と溢れた言葉にリチェルは首を振る。
「わたしが嫌なの。ヴィオがあそこにわたしを置きたくないと言ってくれたけれど、それはわたしもなの。こんなにお世話になっている二人に、嫌な思いをしてほしくないの」
何もないと信じたいけれど、シスター・テレーザがヴィオとソルヴェーグに今後何を言うかリチェルには予想ができない。ヴィオが孤児院にいる時、普段より警戒していたのには気付いていた。
普段ヴィオがまとう落ち着いた空気が、ひりつくように固くなる。それがとても、申し訳なかった。
「リチェル、だが君の──」
「大丈夫。わたしには帰る場所があるもの」
そう言って笑ってみせる。
元々これはリチェルのわがままなのだ。見つからなければ行く場所が無いわけではない。もし見つからなくても、リチェルはサラの所に戻ることができるのだから。
「ただ、一つだけわがままを言っていいでしょうか」
小さく呟いた言葉に、ヴィオが頷く。ソルヴェーグも同じように頷いてくれたので、リチェルはホッとしてその言葉を口にした。
「今夜一晩、わたしを孤児院に置いていって欲しいです」
予想していなかったのだろう。ヴィオもソルヴェーグも驚いたようだった。
何か口にしようとしたヴィオが黙る。その横で、ソルヴェーグが『訳をお尋ねしてもよろしいですか?』とリチェルに尋ねた。
「はい。出来るだけ探せる時間をもらいたいのが一つです。孤児院にヴィオやソルヴェーグさんは宿泊できませんが、私であればお願いすれば泊めてもらえると思います」
久しぶりに子どもたちと過ごしたい、とそう伝えれば恐らくテレーザは了承するだろう。そしてもう一つ。
「それから、マルタともう一度話がしたいんです」
思い出した事がある。今でこそテレーザの下にいるマルタだが、彼女もシスター・ロザリアを心から慕っていたのだ。ロザリアが亡くなってから、マルタとリチェルはほとんど話さなくなったけれど、マルタがロザリアを嫌いになった訳ではないと思う。
ロザリアの看病はずっとリチェルがしていて、マルタは死ぬ間際にも会えなかった。以降マルタとロザリアの話をすることすらなかったけれど──。
『貴女がそんなんだから、シスター・ロザリアはあんなに嫌われて死んでいったんだわ……!』
今日のあれは、ロザリアを今でも慕っていないと出てこない言葉だ。あの言葉の意味が、どうしてもリチェルは知りたかった。
ロザリアが亡くなってから、マルタとずっと向き合おうとしないまま、リチェルも孤児院を出ていったから──。
「……彼女のリチェルへの態度を見た分には、あまり賛同できないんだが」
ヴィオが静かな声で言う。
確かにあの場面だけ見れば、マルタはリチェルを嫌っているし、実際そうなのだろう。
でも、ずっと一緒だったのだ。パンが足りなくて分けあったことも、寒い日に身を寄せ合って寝たことも、一度や二度じゃない。
「心配してくれてありがとう、ヴィオ。でも大丈夫。マルタは幼なじみだから」
小さい頃から一緒だった。だからマルタの事は、怖くない。
それでもヴィオは心配そうだった。そのヴィオの後ろでソルヴェーグが『分かりました』と穏やかに口にする。
「リチェル殿、無理をしているわけではないと信じても?」
「はい」
「ソルヴェーグ」
「リチェル殿が長年いた場所なのです。リチェル殿の方が詳しいでしょう」
「それはそうだが……」
ただヴィオ様の心配もごもっともです、とソルヴェーグが口にした。
「だからリチェル殿もご自身を守る武器はお持ちになった方が良いかと思いますよ」
唐突な言葉に、リチェルはキョトンとする。ヴィオも怪訝そうな表情を浮かべた。
「この後孤児院に戻る前に少し買い物をしていきましょうか」
そう言って、老齢の紳士はにっこりと笑みを浮かべてみせた。
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