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第4章 RONDO-FINALE

op.12 月に寄せる歌(2)

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 冷たい朝の空気が、冬の訪れを感じさせる。
 準備を済ませてリチェルが宿の外へ出ていくと、もうソルヴェーグとヴィオは玄関先で待ってくれていた。

「ごめんなさい。遅くなって」

 小走りでそばに行くと、そんなに待ってないよ、とヴィオが答えてくれる。

 シスター・ロザリアの手記に記されていたのは、クレモナにあるカステルシルヴァという町から毎年リチェルの父が寄付金を送ってくれていたという一文だった。
 町には昨晩到着したものの、もう夜も遅かったので今朝から探そうということになっていたのだ。

「父は毎年孤児院へ寄付金を送ってくれていたみたい。わたし、全然知らなかったわ」

 ずっとリチェルを引き取れなかった状況を考えると、金額としては決して多くはなかっただろう。
 それでも忘れないでいてくれたのだというだけで、リチェルにとっては十分だった。いらないと思われていた訳ではなく、間違いなく愛されていたのだと思える。

「孤児院のシスターも敢えて何も言わなかったんだろうな。期待させてしまってもいけないから」
「そうね……きっと」

 知らなかっただけで、本当は色んな人に想われていたのだと心に沁みた。当時は分からなかった事を、今こうして知ることができた事は幸運だろう。

「リチェルの父親が亡くなったのは、リチェルが八つの時だったか?」
「うん」
「じゃあ八年前だな。毎年孤児院に寄付をしていて、八年前に亡くなった人か……これだけだとどうにも手がかりが少ないな」
「ごめんなさい」

 ヴィオの言うことも最もだ。そもそも孤児院に寄付していたことも、周りが知っているとは限らないのだから。

「これは私の推測ですが、リチェル殿のお父君は何かの職人の見習いだったのではないでしょうか?」

 ソルヴェーグの言葉にリチェルはキョトンとする。その隣でヴィオが『あぁ、確かに……』と呟いた。

「職人なら住み込みで働けるからな」
「えぇ。それだけ気にしていらっしゃったのに、リチェル殿を引き取れなかったのは恐らく金銭的な問題でしょう。とはいえある程度大きくなれば子どもは労働力にもなりますし、引き取ることも出来たと思います。リチェル殿がある程度大きくなってもそれが出来ないとなると、引き取って暮らす場所に困る状況だったのでは無いかと」

 ソルヴェーグの言ってくれたことを想像して、リチェルも合点がいく。確かに職人の見習いとして住み込みで働いているのであれば、小さな子供を引き取るのは難しいだろう。

「とはいえ、八年間もの間引き取れなかった理由は他にも何かあったのかもしれませんが」

 それは知っている方に聞くしかありませんな、というソルヴェーグの言葉にヴィオが頷いた。

「この辺りで工房といえばまず思いつくのはヴァイオリンだが……。想像の域を出ないが、しらみ潰しで回るよりは効率が良さそうだ。リチェルもそれで良いか?」
「もちろん。二人ともありがとうございます」

 答えて、そういえばと思い出す。カステルシルヴァの名前は初めて聞いたが、クレモナという名前は聞いた事がある。ベルシュタットで会ったマルコの出身地だ。ヴァイオリン製作で有名だと言っていたから、ここカステルシルヴァもきっとそうなのだろう。

「手分けして探すのが良いだろうか?」
「そうですな。では、私とヴィオ様で分かれましょう。リコルドへの馬車の手配も済ませてしまいたいので、お昼にまたここで落ち合うという事でいかがでしょうか?」

 ソルヴェーグの言葉にヴィオが頷いた。
 
 トトに聞いたリコルドには、遅くとも明日の朝には出発する事になっていた。孤児院でも随分とリチェルの事情に付き合ってもらったのだから、今回はヴィオの事を優先してほしいと頼んでヴィオも承知した形だ。

 だからリチェルの父親探しは今日が正念場で、もし何か手がかりがあるのであれば今度こそリチェルは自分だけ残ろうと思っていた。

「それではまた後ほど」
「ありがとうございます、ソルヴェーグさん」

 リチェルが頭を下げると、ソルヴェーグは目を細めて笑う。そうして軽く礼をすると歩いて行ってしまった。

(あれ……?)

 不意に何かが引っかかって、リチェルは首を傾げる。今ソルヴェーグがリチェルを見る目がいつもと少し違う気がした。

(何だか少し、寂しそうな──)

「リチェル?」
「あ、ううん。何でもないの。行きましょう」

 きっと気のせいだろう、と思う。リチェルの知るソルヴェーグはいつも落ち着いていて朗らかだ。

 だからきっと、リチェルの勘違いだ。




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