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幸せ
しおりを挟む「いい天気だね」
田中は何故かそんなことを言う。ヒネくれたこいつのことだ、テキトーに言ってるんだろう。
窓の外は台風が近付いているらしく、風が強く、昼間だと言うのに分厚い雲に覆われ薄暗い。こんな日に人の家に遊びに来るだなんて、やっぱり田中はおかしな奴だ。
遊び道具の一つもない楽しくない部屋だというのに、田中は一向に帰る気配を見せない。机の上には手土産だと言って渡されたコンビニ弁当やらお菓子やらの食べ物と、コーラや緑茶などの飲み物がコンビニの袋に入ったまま雑に置かれている。明らかに二人分以上のそれは、台風が過ぎるまでの食事なのだろうか。こいつ、もしかして居座るつもりか?
「田中」
声を掛けるが、田中の顔は窓の向こうを向いたまま。
「帰れ、だなんて冷たいこと言うなよ」
先にそう言われてしまう。田中の家は幸せな家庭でも、普通な家庭でもない。田中の服に隠れた素肌がそれを物語っている。いつもバイトに明け暮れては偽りの笑みを見せる、それが田中を知る人間の共通認識だ。だから、そんなことを言われてしまえば何も返す言葉がない。
「夕飯時には帰るさ。本当だよ」
俺が疎んでいるとでも思ったのだろう。そんな風に、すぐには追い出さないでくれと念を押される。この家に住んでいるのは俺一人なのだから。でも、泊まっていけとは言えない。一度無理を言って田中を家に泊めたことがある。翌日、田中の腕には包帯がぐるぐるに巻かれていた。問い詰めると、母親が田中が帰ってこないことにヒステリックを起こし、朝方帰ってきた田中を酷く痛めつけたらしい。
そんなことがあったと聞くと、無理に泊まれと言うことも出来ず、こうして日中の暇つぶしに付き合うのが精一杯だ。
「相変わらずなのか」
田中から顔を背けて適当に腰を下ろしながら、そう尋ねる。田中は疲れたように笑う。
「あぁ、相変わらずだよ。父さんが女と逃げてから、母さんは酷く不安定なままだ」
今のままだと、田中はずっと母親に縛られたまま生きていくのだろう。
どちらかが死ぬまで、ずっと。
「家を出ようとは思わないのか」
「何度か考えたことはあるよ。でも、母さんを目の前にすると全部めんどくさくなるんだよ」
反抗するのはとても疲れる。だから、何も考えずに従う。高校の時からずっと成長のしない奴だな。そういうところが、と考えたあたりでその考えを打ち切るようにまた田中に話を振る。
「もっと自分のこと大事にできないのかよ」
「母さんに縛られてるからね。今の僕は母さんのモノだよ。だからかな。あの人が死んだ後、自分がどう生きていくのか非常に興味がある」
どう生きていくか、ね。
田中は時計が19時頃を指しているのに気付き、帰りの支度を始める。といっても、上着を羽織っただけだが。一応、玄関まで見送る。
「別に見送りなんてしなくていいのに」
田中は照れくさそうに笑う。
「ま、どうせすぐに会えるだろうしな。見送りなんてしなくてもいいかもしれないが、今日は天気が良くないからさ。心配なんだよ。本当に傘持ってかなくていいのか?」
「あぁ、いらないよ。歩いてすぐだしね」
田中は外套のフードを被る。
「じゃあ、またね」
「お前は幸せになれるよ、田中。だから、そんな悲観的になるなよ」
外に出た田中は目を見開いたが、すぐに恥ずかしそうに笑う。ありがとう、と田中の口が動いた。ガチャン、と自然とドアが閉まる。俺は鍵をかけまた部屋に戻る。それから、真っ直ぐクローゼットに向かい、それを開ける。
「ほんと馬鹿な奴だよ、お前は」
………。
「まぁ、俺もか」
自虐混じりに呟き、俺は昨日用意したそれを手に取り、クローゼットを閉める。ドポドポと不愉快な音。ふと、机の上の写真立てを見る。ずっと昔のそれは、今とは全然違う顔をしている。
……。
手元が熱くなる。赤いそれが綺麗に見える。クローゼットの中が、騒がしい。力任せに足を動かす。クローゼットの扉に傷がついてしまったが、代わりにクローゼットが静かになる。時間切れか。
「地獄まで、一緒に行きましょうよ。お母さん」
俺は笑い、指先から力を抜いた。より一層煩くなったクローゼット。それも、直に静まることだろう。
自分が何故急にこんなことをしたのか、よく分からない。ただ、したくなったからしただけ。体内の酸素が薄れ、自然と体が倒れる。体中が熱い、熱い熱い熱い。
残念だったな、田中。
お前は母親無しでは生きていけないよ。だって、今まで好きでそう生きてきたんだから。
母親の愛という名の暴力を受けいれてきたお前は、仕方ないと言いながらも共依存して生きてきたお前は、自分一人じゃ生きていけない。誰かに依存しなきゃ生きていけないんだよ。
依存していた母。唯一の友人。お前はそれらを同時に失うんだ。
じゃあな、田中。
俺はお前が大嫌いだったよ。
幸せ…………になんてしてやるわけねぇだろ、ばーか。
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